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3甘胡とレイモンド 中編
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「かんこー?眠そうだねぇ。昨日は眠れなかったのかい?」
何度も出るあくびに甘胡はゆっくりと息を吸い、あくびをかみ殺した。
「おっかー、きちんと寝たよ。おっかーは気分はいいの?」
「今日の空と同じくらいにね」
「なら超ご機嫌ってことだよね」
今日の空は海のコバルトブルーより深く、しかし空のスカイブルーより明るく、相反するような明度と深度が織りなすこの世界は、透明度が高くキラキラ光るそんな不可思議な色だった。
「おっかー、今日ちょっと出かけてきてもいいかなぁ」
「どこへ行くの?」
「夢を見に……」
おっかーは黙ってにこやかに送り出してくれた。
待ち合わせをしている場所から船まではとても歩いてはいけないし、どうするのか考えていたら馬車が迎えに来ていた。
レイモンドからの手紙にこれに乗れと書いてある。
連れて行かれるがまま行き着いた先には真っ黒い船があった。
ドキドキする胸の高鳴りを右手で感じながら今からみる夢の続きに思いをはせた。
かなりの時間揺れていただろうか、着いたといわれた私は、今まで見たこともなかったスケールの大きさに圧倒され少しの間馬車から降りられずにいた。言葉がわからないと思ったのか、向こうも片言の日本語で何かを言っている。
我に返った甘胡は、申し訳ない思いと感謝を込めて英語でありがとうと伝えると、馬車を運転してくれた人は「ど……いた……して」と片言の日本語で返してくれた。
浦賀沖の近くをウロウロしていると、青い目の熊のような男の人がこちらを見ている。えらく恰幅の良い男だ。口はへの字に結んでいるし目の下はタルタルだし、お世辞にもレイモンド程の色男ではない。
私は会釈をしてそのまま立ちどまってしまった。
「あなたのお名前は?」
「甘胡です」
「私はマシューと申します。あなたがレイモンドの、こちらですよ」
「ここで待っています。知らない人についていくのは……」
失礼なことを言っている自覚はあった。それなのにこのマシューと名乗った外人さんはニコニコ笑ってくれるもんだから、何と無く悪いって感覚が消されてしまった。
少しボーっと海を見ていたらそこで寝てしまいそうだ。先ほど失礼極まりない言葉で断ったのにこのシューベルトさんは何故か私のそばで吞気に空を見ていた。
「あの雲はかき氷のようですね。秋空にはめずらしい」
そこへ、バタバタと音がして階段を足早に下りてくる人がいた。レイモンドだ。
「おやおや……レイモンドが走るなんて、初めて見たよ」
マシューさんは口の端をクイっと挙げて小さな声でクククっと笑った。
「ずいぶん早く着いたのですね」
息が上がっている……。
そんなに会いたいと思って貰えたって事?
「居てもたってもいられなくて」
私も……。
私は船内に案内された。
「うわーーーーーーー」
あまりの綺麗さにびっくりしたがレイモンドが見せたいものはこれではないという。
「こっちですよ。ハニー」
白い扉を開けると中から湯気がムワッと出てきて甘く香ばしい香りが漂ってきた。
「何を作っているの?」
見知らぬ日本人にみんなの視線が集中する。
ひと際小さな少女が大きな男の人たちの間から顔を出した。
「私の名前はリンクスだよ。あなたは?」
「甘胡……何しているの?」
「ケーキを作っているのよ」
「ケーキ!!?」
レイモンドが見せたかったものはこれなのか。
「白いふわふわもあるの?」
「生クリームのこと?」
どうやらふわふわの正体は生クリームというらしい。
私がリンクスと話している間に向こうは向こうで何やら話している。
「レイモンド、この子か?海を渡りたいっと言ったのは」
背の高い筋肉の付いたちょっとごつめの男性は、見た目とは違う甘い声で言った。
「ああそうだ。マシュー」
「連れていきたいのか?」
「ああ」
「ご家族は?」
「今別のものが向かって話しをしている」
「彼女は知っているのか?」
「いや」
「罪悪感は?」
「質問攻めだな」
レイモンドはグーの手を小さく握りみぞおちあたりに添えた。低い声がまるでBGMの様に甘い空気に乗っていく。
「ないわけない。しかしこの閉鎖的な日本では今の彼女はキツかろう。それにチャンスなんか早々転がっていないさ。あの時女だてらに路上で近松の息子に喧嘩を吹っ掛けたのも運だと思わないか」
「俺たちが浦賀沖に来たのも神の采配か」
□□□
甘胡は恐る恐る歩き出した。あたりを見回すと小さな瓶がたくさん並んでいる。手に取っていいか悩んでいると背後から声がかかってきた。
振り返るとレイモンドがそこにいて。本当に嫌味なほどイケメン……。
「それはコーヒー豆だよ。今作っているのは珈琲のババロワだ」
「コーヒー豆?」
「豆を見るのは初めてか?」
「豆以前にコーヒーが初めてだわ。どんな味?」
「リンクスちょっと休憩しないか?」
八人ほどいただろうか。せっかくだからと自己紹介を兼ねてコーヒータイムなるものになった。
「あそこの瓶を持っておいで」
レイモンドは目じりの皺をいじりながら声をかけた。
「どれを持ってきていいの?」
「全部見たらいいさ」
甘胡が一つ一つ瓶を開けながら中の香りをかいでいく。
「これなーに?すごく甘い」
「バニラティだよ」
「バニラティ?」
「ああレイモンドの大好物の一つだ。一緒に居るなら覚えておくといい」
答えたのはマシューだった。
レイモンドの大きな手が甘胡の髪の毛を撫でる。
「バニラという蘭科バニラ属の常緑の蔓性植物だよ。白い綺麗な花を咲かせるのだ」
「食べてみたい」
「これは紅茶に香りをつけたものだから、飲み物だな」
バニラティというのはどうやら水分の様だ。
「今日はコーヒーにしよう」
「ババロアがコーヒーだから」
真っ白いプルプル。
甘胡は湧き上がる快感に自分を見失わないようにするのでいっぱいいっぱいだった。
私の夢。ケーキを作ってみんなの幸せな顔を見たい。
甘胡は隣りに座ってちょっと高めのかわいい声でキャンキャン喋るリンクスが可愛くて、妹みたいな気がしてしまう。
「美味しい……コーヒーには色がついているのにこれは真っ白……」
「そうだね」
スプーンという少しくぼんだもので掬って取ったら、中から茶色い液体が出てきた。
「なに?これ」
「チョコレートだよ」
「チヨコ……レート?」
「チョコレート……だよ」
ここは料理部門なんだろうか。監督のようなおひげのおじいちゃんが甘胡に向かって言った。
「白いのに香りが付くのはな、豆を生クリームにつけて何日も置くからだ。香りが移るのだよ。それで作れば色はつかずとも香りは付くというわけさ」
「何日も?駄目になってしまわないの?」
「船には食べ物を保存する機能がついていてな、江戸ではまだ出来なかった事が海の向こうではできたりもする」
「海の向こうでは……」
日本は小さい。世界が見たい……。
「ああ世界は広いんだ」
おじいちゃん監督はしゃがれた声で海の向こうを教えてくれた。
「これおっかーに食べさせてあげたいな」
甘胡の独り言を綺麗に拾ったレイモンドは、綺麗な壺から茶色の薄い板のようなものを出してきてくれた。
「ババロアは溶けてしまうけど、これなら大丈夫だよ。お土産に持って帰ったらいい」
「お土産?これ何?」
「ビスケットという。……いつぞやの一膳めし屋のお友達にも持って行っておあげなさい。あの子はとてもいい子だ」
レイモンドは甘胡の肩をそっとつかみ、真っ直ぐに見つめ言った。
「ハニー」
「……なあに?」
なんでこんなドキドキするの?
甘胡の喉は上下に動き、必死に口から出そうな心の臓を飲み込んでいた。
「私たちはあと数日しか居られない。次にいつ、ここに来るのか……わからない。もしかしたら、二度と私は来られないかもしれないよ。ここを発つときには……私の妻として一緒に来てはくれまいか」
ババロアより甘い告白。
私はこのレイモンドに少なからず好意は持っている。
嬉しくない訳はない。
しかし甘胡は出戻りだ。
この人は知っているのだろうか……。
それにおっかーを残して今行くわけには行かない。
「私は一度人の妻になったものです。本来はこんな表を歩く権利は無いのです。でももう誰のものにもならないと決めていたから……だから、自由に生きていたのです」
「だから何だというのだ」
「あなたほどの方ならもっと素敵な方がいるじゃないですか」
「私は君が良いんだ」
「君も少なからず好意を持ってくれていると思っているのだが」
「それはそうですけれど……」
「なら断る理由は何だ」
「おっかーを残して今はいかれません」
「一度ご挨拶にお伺いするから、性急に答えを出すのは待ってくれないか」
「レイモンド……」
甘胡を乗せた馬車は真っ直ぐにお江戸へと戻っていった。
甘胡の膝にはリンクスが作ったビスケットが入ったバスケットだけが乗っていた。
ガラガラガラ、扉の開く音がする。
「いらっしゃい」
「こんにちわ」
扉を開けて顔をのぞかせた。
「カンチャンや、行ってきたんやろ」
「お土産だって、ビスケットって言うらしい」
「うわっすごい美味しそう。食べていいん」
「うん……」
「何、どうしたん?」
「いや別に、……美味しいでしょ」
突然のぞき込んでくる天ちゃんに私はびっくりして、椅子にポスンとおしりが落ちた。
「勘、いいんよ」
「……」
「行くん?」
「どうして……」
「目ー、行きたくて仕方が無いのを必死になって我慢してる風やもん」
黙ってみていた隼人は、まだ誰もお客がいないからか厨房から出てきてビスケットを一枚摘まんだ。
「海の向こうの味ってのはすごいもんだ」
「隼人さん」
「今は小麦ってもんも入ってきてるし、砂糖も入って来とる。でもまだまだ日本はこれからだ。人間の命ははかないぞ。迷ってる時間は無いんじゃないのか」
「おっかーか?」
何でもお見通しなんやな。
「うち、しょっちゅう見にいったるよ」
「俺はそんな心配いらんと思うけどな……」
まあ帰ってみろよ。案ずるより産むが易しっていうじゃねーかと隼人さんは笑っていった。
何度も出るあくびに甘胡はゆっくりと息を吸い、あくびをかみ殺した。
「おっかー、きちんと寝たよ。おっかーは気分はいいの?」
「今日の空と同じくらいにね」
「なら超ご機嫌ってことだよね」
今日の空は海のコバルトブルーより深く、しかし空のスカイブルーより明るく、相反するような明度と深度が織りなすこの世界は、透明度が高くキラキラ光るそんな不可思議な色だった。
「おっかー、今日ちょっと出かけてきてもいいかなぁ」
「どこへ行くの?」
「夢を見に……」
おっかーは黙ってにこやかに送り出してくれた。
待ち合わせをしている場所から船まではとても歩いてはいけないし、どうするのか考えていたら馬車が迎えに来ていた。
レイモンドからの手紙にこれに乗れと書いてある。
連れて行かれるがまま行き着いた先には真っ黒い船があった。
ドキドキする胸の高鳴りを右手で感じながら今からみる夢の続きに思いをはせた。
かなりの時間揺れていただろうか、着いたといわれた私は、今まで見たこともなかったスケールの大きさに圧倒され少しの間馬車から降りられずにいた。言葉がわからないと思ったのか、向こうも片言の日本語で何かを言っている。
我に返った甘胡は、申し訳ない思いと感謝を込めて英語でありがとうと伝えると、馬車を運転してくれた人は「ど……いた……して」と片言の日本語で返してくれた。
浦賀沖の近くをウロウロしていると、青い目の熊のような男の人がこちらを見ている。えらく恰幅の良い男だ。口はへの字に結んでいるし目の下はタルタルだし、お世辞にもレイモンド程の色男ではない。
私は会釈をしてそのまま立ちどまってしまった。
「あなたのお名前は?」
「甘胡です」
「私はマシューと申します。あなたがレイモンドの、こちらですよ」
「ここで待っています。知らない人についていくのは……」
失礼なことを言っている自覚はあった。それなのにこのマシューと名乗った外人さんはニコニコ笑ってくれるもんだから、何と無く悪いって感覚が消されてしまった。
少しボーっと海を見ていたらそこで寝てしまいそうだ。先ほど失礼極まりない言葉で断ったのにこのシューベルトさんは何故か私のそばで吞気に空を見ていた。
「あの雲はかき氷のようですね。秋空にはめずらしい」
そこへ、バタバタと音がして階段を足早に下りてくる人がいた。レイモンドだ。
「おやおや……レイモンドが走るなんて、初めて見たよ」
マシューさんは口の端をクイっと挙げて小さな声でクククっと笑った。
「ずいぶん早く着いたのですね」
息が上がっている……。
そんなに会いたいと思って貰えたって事?
「居てもたってもいられなくて」
私も……。
私は船内に案内された。
「うわーーーーーーー」
あまりの綺麗さにびっくりしたがレイモンドが見せたいものはこれではないという。
「こっちですよ。ハニー」
白い扉を開けると中から湯気がムワッと出てきて甘く香ばしい香りが漂ってきた。
「何を作っているの?」
見知らぬ日本人にみんなの視線が集中する。
ひと際小さな少女が大きな男の人たちの間から顔を出した。
「私の名前はリンクスだよ。あなたは?」
「甘胡……何しているの?」
「ケーキを作っているのよ」
「ケーキ!!?」
レイモンドが見せたかったものはこれなのか。
「白いふわふわもあるの?」
「生クリームのこと?」
どうやらふわふわの正体は生クリームというらしい。
私がリンクスと話している間に向こうは向こうで何やら話している。
「レイモンド、この子か?海を渡りたいっと言ったのは」
背の高い筋肉の付いたちょっとごつめの男性は、見た目とは違う甘い声で言った。
「ああそうだ。マシュー」
「連れていきたいのか?」
「ああ」
「ご家族は?」
「今別のものが向かって話しをしている」
「彼女は知っているのか?」
「いや」
「罪悪感は?」
「質問攻めだな」
レイモンドはグーの手を小さく握りみぞおちあたりに添えた。低い声がまるでBGMの様に甘い空気に乗っていく。
「ないわけない。しかしこの閉鎖的な日本では今の彼女はキツかろう。それにチャンスなんか早々転がっていないさ。あの時女だてらに路上で近松の息子に喧嘩を吹っ掛けたのも運だと思わないか」
「俺たちが浦賀沖に来たのも神の采配か」
□□□
甘胡は恐る恐る歩き出した。あたりを見回すと小さな瓶がたくさん並んでいる。手に取っていいか悩んでいると背後から声がかかってきた。
振り返るとレイモンドがそこにいて。本当に嫌味なほどイケメン……。
「それはコーヒー豆だよ。今作っているのは珈琲のババロワだ」
「コーヒー豆?」
「豆を見るのは初めてか?」
「豆以前にコーヒーが初めてだわ。どんな味?」
「リンクスちょっと休憩しないか?」
八人ほどいただろうか。せっかくだからと自己紹介を兼ねてコーヒータイムなるものになった。
「あそこの瓶を持っておいで」
レイモンドは目じりの皺をいじりながら声をかけた。
「どれを持ってきていいの?」
「全部見たらいいさ」
甘胡が一つ一つ瓶を開けながら中の香りをかいでいく。
「これなーに?すごく甘い」
「バニラティだよ」
「バニラティ?」
「ああレイモンドの大好物の一つだ。一緒に居るなら覚えておくといい」
答えたのはマシューだった。
レイモンドの大きな手が甘胡の髪の毛を撫でる。
「バニラという蘭科バニラ属の常緑の蔓性植物だよ。白い綺麗な花を咲かせるのだ」
「食べてみたい」
「これは紅茶に香りをつけたものだから、飲み物だな」
バニラティというのはどうやら水分の様だ。
「今日はコーヒーにしよう」
「ババロアがコーヒーだから」
真っ白いプルプル。
甘胡は湧き上がる快感に自分を見失わないようにするのでいっぱいいっぱいだった。
私の夢。ケーキを作ってみんなの幸せな顔を見たい。
甘胡は隣りに座ってちょっと高めのかわいい声でキャンキャン喋るリンクスが可愛くて、妹みたいな気がしてしまう。
「美味しい……コーヒーには色がついているのにこれは真っ白……」
「そうだね」
スプーンという少しくぼんだもので掬って取ったら、中から茶色い液体が出てきた。
「なに?これ」
「チョコレートだよ」
「チヨコ……レート?」
「チョコレート……だよ」
ここは料理部門なんだろうか。監督のようなおひげのおじいちゃんが甘胡に向かって言った。
「白いのに香りが付くのはな、豆を生クリームにつけて何日も置くからだ。香りが移るのだよ。それで作れば色はつかずとも香りは付くというわけさ」
「何日も?駄目になってしまわないの?」
「船には食べ物を保存する機能がついていてな、江戸ではまだ出来なかった事が海の向こうではできたりもする」
「海の向こうでは……」
日本は小さい。世界が見たい……。
「ああ世界は広いんだ」
おじいちゃん監督はしゃがれた声で海の向こうを教えてくれた。
「これおっかーに食べさせてあげたいな」
甘胡の独り言を綺麗に拾ったレイモンドは、綺麗な壺から茶色の薄い板のようなものを出してきてくれた。
「ババロアは溶けてしまうけど、これなら大丈夫だよ。お土産に持って帰ったらいい」
「お土産?これ何?」
「ビスケットという。……いつぞやの一膳めし屋のお友達にも持って行っておあげなさい。あの子はとてもいい子だ」
レイモンドは甘胡の肩をそっとつかみ、真っ直ぐに見つめ言った。
「ハニー」
「……なあに?」
なんでこんなドキドキするの?
甘胡の喉は上下に動き、必死に口から出そうな心の臓を飲み込んでいた。
「私たちはあと数日しか居られない。次にいつ、ここに来るのか……わからない。もしかしたら、二度と私は来られないかもしれないよ。ここを発つときには……私の妻として一緒に来てはくれまいか」
ババロアより甘い告白。
私はこのレイモンドに少なからず好意は持っている。
嬉しくない訳はない。
しかし甘胡は出戻りだ。
この人は知っているのだろうか……。
それにおっかーを残して今行くわけには行かない。
「私は一度人の妻になったものです。本来はこんな表を歩く権利は無いのです。でももう誰のものにもならないと決めていたから……だから、自由に生きていたのです」
「だから何だというのだ」
「あなたほどの方ならもっと素敵な方がいるじゃないですか」
「私は君が良いんだ」
「君も少なからず好意を持ってくれていると思っているのだが」
「それはそうですけれど……」
「なら断る理由は何だ」
「おっかーを残して今はいかれません」
「一度ご挨拶にお伺いするから、性急に答えを出すのは待ってくれないか」
「レイモンド……」
甘胡を乗せた馬車は真っ直ぐにお江戸へと戻っていった。
甘胡の膝にはリンクスが作ったビスケットが入ったバスケットだけが乗っていた。
ガラガラガラ、扉の開く音がする。
「いらっしゃい」
「こんにちわ」
扉を開けて顔をのぞかせた。
「カンチャンや、行ってきたんやろ」
「お土産だって、ビスケットって言うらしい」
「うわっすごい美味しそう。食べていいん」
「うん……」
「何、どうしたん?」
「いや別に、……美味しいでしょ」
突然のぞき込んでくる天ちゃんに私はびっくりして、椅子にポスンとおしりが落ちた。
「勘、いいんよ」
「……」
「行くん?」
「どうして……」
「目ー、行きたくて仕方が無いのを必死になって我慢してる風やもん」
黙ってみていた隼人は、まだ誰もお客がいないからか厨房から出てきてビスケットを一枚摘まんだ。
「海の向こうの味ってのはすごいもんだ」
「隼人さん」
「今は小麦ってもんも入ってきてるし、砂糖も入って来とる。でもまだまだ日本はこれからだ。人間の命ははかないぞ。迷ってる時間は無いんじゃないのか」
「おっかーか?」
何でもお見通しなんやな。
「うち、しょっちゅう見にいったるよ」
「俺はそんな心配いらんと思うけどな……」
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