お江戸を舞台にスイーツが取り持つ、 ~天狐と隼人の恋道場~

赤井ちひろ

文字の大きさ
上 下
2 / 14

2 甘胡とレイモンド   前編

しおりを挟む
 今日のお江戸は天気も良く、秋空に沢山のトンボがとんでいる。
「良い天気だなー」
「あのトンボはすごいスピードですっぱそうだ」
 つい口から出た一人ごとに寺小屋から出てきた子供達が一斉にこちらをみた。
「やべ、九条の俊太郎だ。近寄るなよ」
「変人俊太郎だー」
 寺小屋帰りの子供達の賑やかな笑い声は、まさに幸せの象徴だった。
 しかし今のこの瞬間の彼らの眼差しと含み笑いは羨望ではなく嘲笑。
 甘いか辛いかといったらやはり味は辛いにはいる。しかも辛さ☆5つ。
 僕は物質や感情に味をつけるのが大好きで、「あの空の雲は綿菓子みたいだから甘いとか、あの星は迫って来そうだから辛いとか」見合い相手とでもそんな会話しかしないもんだから、大抵、「私なんか九条家の若旦那様とは到底釣り合いませぬ」と仲介をへて連絡をいただく。謙遜されているようで、体よく変な人はごめんなさい。と言う訳だ。
 九条家と言えばそこそこ名のしれた名家なのだが、ビビッとくる令嬢とお会いした事がない。
 父上は俺の代で九条を潰させる気か……と嘆いておられた。
 九条家を潰すかどうかは、さてさていかがなものだろう。
 実は僕にはあまり人には言えない秘密がある。
 
 
 その秘密とは、超が何個もつく位……俺は榊家のかんこが大好きだと言うことだ。
「いやいや何が秘密って?恋、良いじゃないか」
 天の声がする。
「普通のおなごならな」

 かんこは全然普通じゃない。
 出戻りのくせに、誰に悪びれるでもなく堂々としていてそりゃカッコイイ!(世間体的にどうやらだめらしい)
 
 彼女の本名は榊 甘胡さかき かんこ。名前に負けず劣らず甘いもの好きで卵焼きは元より、こいつの作る煮魚も何故か甘辛ではなく……甘々だ。
 

 榊家ではだいたいに応じて不評なようで、そんなんだから出戻りになったのだ!とお父上殿は酒を飲んじゃ愚痴を溢している。
 砂糖の量で離縁なんかされるもんか。
 もっとどでかい理由があるのだろうが、さすがにご内密と言った塩梅だ。

 貰えるものなら貰いたいよ……おじさん。
 
 一人そんなことを考えてぽーっと歩いていたら、この本通りを少し進んだとこでケンカをしている。
 見て見ぬふりは出来ない性分を呪いつつ、足早に人の溜まっているあたりに行った。

 
 明らかに年下の、しかも男を相手にケンカをしている……おなご……がいる。
 3歩下がって歩くのが当たり前のこの時代に、信じられないじゃじゃ馬だ。そんなおなごには説教をくれてやろうと顔を見た。……って、かんこ馬……。

 いいとこ見せてやる!って気張ったまではいいけれど
「無理だろう……」
 僕は一歩が踏み出せない。
 だって相手が悪い……。あれは近松の……
「ちょっと外野!何見てんのよ!見せ物じゃないんだから!」
 啖呵を切るかんこに相手はさらに追い討ちをかける。
「女のくせにそんなだから捨てられるんだよ」
「可愛げがないぞ!男より前を歩くな!」
「おなごなんか何もできないくらいでちょうどいいんだ!産むしか能がない癖に」
 かんこの頭の中で何かが切れた。
「産むしか能がない癖に?親の七光りのバカ息子!産むことすら出来ない癖に偉そうにしんなや!」
 外野はまずいだ、やばいだ、顔を青ざめたものも一人や二人ではない。

 長屋からも人が出てきてちょっとした騒ぎだ。
「小太郎、なにを騒いでいるのだ」
 空気が凍る。多分5度は下がった。
「あっ父上、このおなごが私の影を踏み、あまつさえ私の前を歩いたのです。その上バカ息子呼ばわりを」
「お主、それは本当か?この者が近松家の嫡男と知っての狼藉か?」 
「知っているからバカ息子と申したのです!産む道具だなどと言われて黙っていられるほど無能ではありませぬ」
 かんこは近松の当主の顔を真っ向から見据え言いはなった。相手が悪い……。
「かんこのやつ、馬鹿が……」
 僕は足が動かなかった。
「斬られる」
 


「なんだと、そこへなおれ!」
 近松 八十助殿は片手を腰のものに添え、斬りかかる勢いだ。
「ちょっとお待ち下さい」
 後ろからバリトンの良い声がした。その西洋の出で立ちをした男は遠く大海を思わせるような大らかな印象だった。
「なにやつだ!我を近松八十助と知ってか?」
「お初にお目にかかります。我が名はレイモンドと申します。先日横浜港を賑わせましたペリー艦隊で随行しております」
 近松の当主はグッと口を結ぶとそれでもゆっくり言った。
 
「このおなごは出来の悪いおなごでして、此度もあろうことか男である息子を馬鹿呼ばわり。こやつの榊家は九条より格下でありながら口の利き方を知らんので、躾なおさねばと……」
「刀は何故出されたか?」
「いや、これは終うところでございます」
「父上、何をこんな」
「黙りなさい。小太郎」

「でも」
「今はペリー提督のお仲間と揉めるのは近松にとっても嬉しくはないのだよ。お前のプライドより大切なのだ。逆らうのか」
「今日のところはあなたの顔に免じて、ひかせていただく」
「それはありがとう。流石は近松のご当主だ」
 にっこりと微笑むレイモンドに背筋の寒さを感じたが、とりあえず今は、納得がいかない息子を連れてその場を後にした。

 
「お嬢さん大丈夫かい?」
 あまりのいい声にボーっとしていた甘胡は、慌ててお礼を言った。
「thank-you」
 ビックリするほど流暢に響いた【ありがとう】に、レイモンド氏はにこにこ笑い、手を伸ばした。
「英語が出来るのですか?素晴らしい!」
 甘胡は言った。
「いつか海の向こうに渡りたいんよ」
「アメリカに?」

「今はおっか―を残してはいけん。でもいつか……」
 甘胡は遠い空の遥か彼方を見ていった。
「遠い空の先にはな、ケーキいうもんがあるんよ。白い雲のように綺麗でトロトロでな……そこには赤い丸い小さな粒粒がのるんよ」
 レイモンドは甘胡を見つめ、じっと話を聞いていた。
「食べた事ある?」
「ええ」
「羨ましいわ……」
「食べたいのですか?」

 甘胡は少し考えて、ゆっくり口を開いた。
「食べたいのも勿論あるけれど……私は作りたいのです」
 きらきらひかる大きな目をした、口の悪い……しかし日本人形のような整った顔のこの少女は自分の何かを変える天使かもしれないとレイモンドは思った。
 
「明日船にいらっしゃいませんか?」
「船に?」
「ええ、来れば解ります。あなたはきっと気に入るでしょう」
「今日のところは一先ずご自宅まで送ってまいります。どちらへ行けばよろしいですか?」
「あの角に【天天】という一膳めし屋があるのですが先にそこに行きたいです……」
 レイモンドは物怖じしないこの少女の頭をポンポンと叩き口元を少しばかり上げた。
「私は運命なんて信じていなかったのですが、今は運命という存在に感謝をしているのですよ」
 頭の上で何かを言っていたが、その瞬間にふいた一陣の風に全てが連れ去られたような気がした。
 

「今日はおっかーが少し元気だから、【天天】に寄ってお惣菜を分けて貰っていくのです。おいしい卵が入ったと連絡を頂いて、あまーい卵焼きしてもらうつもりなのです」
「お母さんは……ご病気なのですか?」

 えらく不躾な質問だった。それにも関わらずこのレディはきちんと人の目をみ、それは柔らかく微笑んで言った。
「そんなに長くはありません。それでもまだ今は私が解るし、美味しいものを食べると幸せそうに笑えます」
 なんと素敵なレディであることか……。凛とした背筋と日本の女性にしてはかなり高めの背も、自分とならしっくりくる。
「母親に食べさせてあげたいという一膳飯やか」

 自分も一緒に行きたくなり、二人で仲良く店の扉をあけた。
 

 
「いらっしゃい」
「あっカンチャン!」

「おやおやこれまたビックリだ」
 レイモンドの言葉にすぐに反応した天ちゃんは言った。
「ビックリってなにがなん?」
「粋という言葉が似合う女性に2人も出会ったからさ」

「口が上手いなー」
 けらけらと笑うと甘胡を振り返り、ずいっと顔を前に付きだす。
「綺麗な人といるのねー。友達?」
「初めまして、レイモンドと申します」
「助けてもらったんよ」
 甘胡が道であった一部始終を話すと、この一膳飯やの天ちゃんなるレディは凄く怒っていて、ホントに優しいいい子を友達に持っている聡明な女性だと思った。
 店内からこそこそと声が漏れる。
「外人さんとラシャメンや」

 
「ラシャメンって誰のことを言っているの?私の友達バカにせんときー」
 甘胡がいうより先に天ちゃんが言っていた。
 表情は眉間にしわが寄りほっぺたをぷくーっと膨らませた天ちゃんは大切なお客様を店から放り出す勢いだ。
 
 瞬間バリトンが綺麗な音色で文字を紡いだ。
「ラシャメンとは妾の事だと聞いた。ならラシャメンではない。ハニーにしたいのだからな」
 持っていたお盆がすごい音を立てて、落ちていく。
 がららららららららーん。

 いつまでも地べたで回転し続けるお盆から、丸いこんにゃくがコロコロ転がってこんにゃくころりんだ。

「honey?」
 耳まで真っ赤にして恥かしさに死にそうな甘胡に、英語はちんぷんかんぷんの天ちゃんは
「ハニーってなに?ちょっとおいしそうなアンテナが働くんだけど」
「蜂蜜のことだよ」
 後ろから隼人に声をかけられた。

「蜂蜜?あの高級食材?甘胡の何処に高級感あるんだろうね」
 ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ
 まるで魔女のような高らかな笑いをぶちかました天ちゃんは、甘胡が恥かしマックスで今度は顔を膝の間に埋めてしまったのをじっと見ていた。
「……笑いかた」
 呆れたように言う隼人は天狐を軽く無視して入り口をみる。
 可愛そうな男が一人立っていた。諦めきれずに付いてきたのか……。
「動けなかった段階で君の敗けだ」
 隼人は小さな声で俊太郎にだけ聞こえるようにいった。
「……」

 この状況を味で表すのならさしずめブラックコーヒーだ……
 苦くて苦くてとてもそのままでは飲めない。
 あたる前から砕けた感じ。

 入り口の俊太郎を軽くチラ見したレイモンドは、武器であるバリトンを巧みに使い見せつけるようにいった。

「ハニーとは恋人のことさ。Lady、私のhoneyになっておくれ」
「レイモンド……」
 甘胡はゆっくりと甘ーい匂いを載せて答えた。
「my  knight、明日は船を見せてくれるのでしょう?」

「おそらく君が喉から手が出る程欲しいものがそこにある」
 
 






 







 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最強商人土方歳三

工藤かずや
歴史・時代
土方歳三は上野松坂屋に丁稚奉公をしていたが、年季明けまで勤め上げ支店を出す資格まで持っていた。 彼ならきっといい店を作ると、番頭たちも気いしていた。 が、多摩の郷里へ戻った土方は、事もあろうに近藤勇の天然理心流道場へ入門したのだ。 土方の実家は商売のうまい豪農だった。 のちに道場の仲間たちと京へ上がるのだが、のちの新選組を組織して天下になを轟かしたのは土方の商人としての才覚だった。近藤もこれを見抜いていた。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

散華の庭

ももちよろづ
歴史・時代
慶応四年、戊辰戦争の最中。 新選組 一番組長・沖田総司は、 患った肺病の療養の為、千駄ヶ谷の植木屋に身を寄せる。 戦線 復帰を望む沖田だが、 刻一刻と迫る死期が、彼の心に、暗い影を落とす。 その頃、副長・土方歳三は、 宇都宮で、新政府軍と戦っていた――。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

黄昏の芙蓉

翔子
歴史・時代
本作のあらすじ: 平安の昔、六条町にある呉服問屋の女主として切り盛りしていた・有子は、四人の子供と共に、何不自由なく暮らしていた。 ある日、織物の生地を御所へ献上した折に、時の帝・冷徳天皇に誘拐されてしまい、愛しい子供たちと離れ離れになってしまった。幾度となく抗議をするも聞き届けられず、朝廷側から、店と子供たちを御所が保護する事を条件に出され、有子は泣く泣く後宮に入り帝の妻・更衣となる事を決意した。 御所では、信頼出来る御付きの女官・勾当内侍、帝の中宮・藤壺の宮と出会い、次第に、女性だらけの後宮生活に慣れて行った。ところがそのうち、中宮付きの乳母・藤小路から様々な嫌がらせを受けるなど、徐々に波乱な後宮生活を迎える事になって行く。 ※ずいぶん前に書いた小説です。稚拙な文章で申し訳ございませんが、初心の頃を忘れないために修正を加えるつもりも無いことをご了承ください。

新撰組のものがたり

琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。 ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。 近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。 町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。 近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。 最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。 主人公は土方歳三。 彼の恋と戦いの日々がメインとなります。

壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。 土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──? 激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。 参考・引用文献 土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年 図説 新撰組 横田淳 新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

処理中です...