愛の鎖が解ける先に

赤井ちひろ

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第六章

10 愛しのライアー4

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 失神したまま落ちた葵を見つめながら、東條は普段吸わない煙草を燻らせた。
 
 スーツの胸ポケットから出したそれは、黒に金字の文字が入っていて、大して吸いもしないのになぜかカートン買いで置いてある。
 つい癖で溜まっていく煙草がいつからそうだったのか、もう何か月も思い出していなかったのに、ふと葵の顔を見ていて、ひとりの男の顔が浮かんだ。
 引き出しの奥に無造作に入っているそれは、1日吸わない事もあるほど滅多に必要に成ることはない代物で、自分がかつて追い詰めて壊したアイツが好きな銘柄だった。湿気って使い物に成らなくなった煙草すら捨てられず、引き出しの奥に足かせのように終われていく。
 
 ――東條さん、俺貴方の煙草と体臭の入り交じった匂いが大好きでした。新しい恋をしてもこの煙草がせめて俺を思い出してくれたらいいのに。
 ――幸せになってねって言えない心の狭い恋人でごめんなさい。
 
 白い壁に囲まれた小さな部屋の中で彼は東條を見てそう言った。
 ――新しい恋などしないさ。つむぎ
 俺はあの時確かにそう言った。
 冷たくなっていくアイツにキスをして身寄りのいないアイツを俺が一人で見送った。
 
 それ以来決して本気にならず誰とも2回目はしなかった。相性が良さそうな相手には、こんなんじゃ勃つもんもたたねーよ。そう言って事の最中にセックスを中断してきた。キスは嫌い。そう言えば大抵のやつは引いたし、強引にキスしようとするやつには、裏返して鞭を振るった。
 ――次はもっと元気に生まれたいな……。あなたとビシバシSM出来るくらいにね。
 東條の腕の中でそう言ってうっすらと笑っていたアイツは、今は森林に囲まれた病院の奥に小さな墓地があるだけだ。土の中に埋めたあいつの時計は初めてお揃いで二人で買った宝物。
 東條は枕元にある愛用の時計に目をやった。
 ――幸せにしたかったのに、俺の性癖に付き合わせ、弱かった心臓が持たなかった。知らなかったでは済まされない。そうなげく東條に、――言わなかったのは俺のワガママでしょ? 最後まで付き合ってくれてありがとう。どうせそう長くはなかったんだ。誰がなんと言おうと、俺以上に幸せだったやつはいないよ。東條さん。
 そう言って奴は笑った。
 紬はそんな男だった。
 引き出しの奥に一枚、しまい込まれたたった一つの遺影。
 横で失神している葵を見ながら、東條は紬の写真にキスをした。
 ――ごめん、お前を裏切るところだった。
 ――ごめん、お前を裏切って何度も葵の唇にキスをした。葵を可愛いと思ってしまったのだよ。こいつと幸せになろうとしていたんだ。
 ――許せ、これでもう終わりにするから。
 ――お前を幸せにできなかった俺に勝手に幸せになる権利などないのに。
 死んでも忘れられたくないと願うのも愛。
 誰かの代わりでも側に居られるのならと、自分を殺すのも愛。
 好きだと縋ってくるものを、愛しいと感じるのも愛。

 絡み合う複数の気持ちで一番強いのは、だれでも知っている。
 
 死んだ人間に勝てるものは、この世にはいないと思われた。

 

 

 
 
 
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