愛の鎖が解ける先に

赤井ちひろ

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第四章 紬

9 新しい生活3

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 ――ほくろのない首筋。
 ――意思のある目。
 ――慈悲深いマリア様のような男。

 探せば見つかる紬とは違う個所。
 それでも、未だに信じられない思いで東條の頭の中がぐらぐらと揺れた。
「どうしたの? ヤマト」
「いや、さっきは……ひどくした。痛かった……か?」
「なぁに、そんなこと気にしないでいいのに」
 
 ――今までなら、謝ったりしなかった。
 自分の欲を解消するために紬はいたし、紬に意志は無かった。俺の与えるものだけが紬の全てで、それ以上には何もない。
 でも、なぜかこの子は違うと、心が訴える。
「なぁ……」
「なんですか?」
 ――やはり紬では無い。なんでこんなことにも気が付かなかったんだろう。
 ――この子はレスポンスが早すぎる。頭の回転がいいんだ。
 しかし東條には、この彼がなぜこんなことをしているのかが分からなかった。
「この部屋には時計がないんだな」
 ――今迄の紬ならきょとんとするだけだ。
「ここはあなたの部屋でしょう。時計の有無なんて僕にはわかりませんよ。最初からなかったように思いますけど?」
「そうか」
「困りますか? 高見沢さんにでも買ってきてもらいますか?」
 ――高見沢のことは、高見沢さんと呼んでいた。でもそれ以上にこんなに会話にはならない。

 昨夜の頭の中の言葉が思い起こされる。
 
 カーテンの隙間から見上げた月は満月に近く、どこが欠けているのかすらもう判らない。東條は我を忘れた後はいつもこうやって月を見上げていた。
「お前は誰だ……」
 気がついたらそう聞いていた。
「何か言いましたか?」
 キッチンからヒョコっと顔がのぞく。コーヒーが飲みたいとキッチンに立っていた彼に、俺の声は届かなかった。
 届かなかった安堵と、これはなんだと言いう焦燥感が入り混じる。
「はい、ブラックですよね。どうぞ」
 温かな湯気の立つマグカップが二つ、一つはブラックで、一つはカフェオレだ。
 何度も見知った光景に、それでも、気が付いてしまえば違和感を覚えるものだ。
 
 ――この彼は俺を知っている。
 ――俺はどうしたい。
 
 右手を月明かりで照らすと、血色のない彼とは裏腹に、俺の手のひらはどす黒い影を落としていた。
 
 ――見も知らぬ相手にこんなことをするなんて、もう……病気だな……。俺は最低なのだよ。
 
 東條は自分の抑えきれない感情を持て余していた。
「行きたいところがあるのだよ」
「僕……」
 今外に出すのは危険だと葵は判断した。でも紬は決して外に出ないと聞いていたから、一緒に行きたいは絶対におかしい。
「僕? なんだ」
「……何でもありません。行ってらっしゃい」
 
 縋りたい思いをぐっとこらえて、未来をただ信じた。
 
「お前も……」
「はい?」
「お前も行かないか」
 ゆうに何分もだんまりが続いた後、大和から言われた言葉に僕は耳を疑った。

「でも……」
 判断が難しい。
 沈黙が続いた。
 紬なら異を唱えないかもしれない。でも外に出たことがない紬に、外の世界が当たり前の僕が、ぼろを出さないとは限らない。
「来てほしいのだよ。怖い思いはさせないから。必ず、俺がお前を守るから」
「……僕を?」


「ああ、お前を、何があっても……必ずお前を守ると誓うのだよ」
「わかりました」
 ――考えた。こんなに頭を使ったことは無いというくらいには、葵の脳はフル回転した。
 ――それでも信じる者はただ一つだと、三淵葵を捨てたあの時から決めている。
 ――大和さんだ。
 ――僕にとっての大和さんを、僕は信じたい。
 ――大切な紬君をこの人は決して傷付けたりはしないはずだ。

「いつですか?」
「明日、晴れたら……」
 俺がそういうと
「うん」
 そう言って彼は俺に笑いかけた。
 綺麗な笑顔だ。

「今日はもうゆっくりしよう」
 俺がそう手を広げると、彼はびっくりしたような目をして、存外嬉しそうに笑った。

 ――明日、すべてがわかる。
 
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