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第四章 紬
3 代償3
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――第3神奈川清和病院――
『3階の特別室に居る』
高見沢さんの教えてくれた通りに僕は清和病院に行った。病院独特の薬のにおいが充満していた。こめかみを押え、息を吸う。
何が何でも帰らないと決めて、何日分もの洋服をスポーツバックに詰めてきた。
「すいません」
「ハイ、どういった御用ですか」
「入院患者さんの面会に」
「どなたのでしょうか」
「3階に入院している東條大和さんの面会です」
「お名前は?」
「三淵葵です」
何やらガサゴソとカルテを見ていた看護師は、申し訳なさそうに言った。
「面会許可リストに載っていない方の面会はただいまお断りしております」
「そんな」
「規則ですので……、申し訳ございません」
「そこをなんとか」
「できないものは出来ません」
「恋人なんだ」
「お名前がありません。お引き取り下さい」
あまりにもごねたからか、警備の人間がやってきた。
「ちょっとこちらでお話を」
「いや、待ってください」
太いヒール音がコツコツと廊下に響いた。
誰かの足音がゆっくりと近づいてくる。
振り向きざま肩を強い力でつかまれた。
「ちょっとこい!」
「あの、すいません。今そちらの方は……」
胸元に手を入れ、名刺を出し言った。
「私を誰だと思ってる。高見沢黎人だ」
「失礼いたしました」
「高見沢さん?」
「お前は馬鹿なのか?」
引かれるように柱の隅に連れていかれ、高い上背のトップにのる顔からは、冷酷な視線が降り注ぐ。
「3階のナースステーションに行けと言っただろう」
「あっ」
思い出したように頭を掻いた。
「お前は鶏なのか」
「にわとり?」
「ニワトリという生き物はな、3歩歩くと忘れてしまう生き物らしいぞ。まさに今のお前だな」
「そんな言い方……」
「もういい、さっさとこい!」
長い廊下を通り過ぎ、行き止まりかと思うような場所で、小さなボタンを押した。
僕はその不思議な行き止まりに目を奪われた。
「ここは?」
「専用エレベーターだ」
「そんなもの何処にも……」
そう言ったその場で、真っ白な壁がすっと開いた。
「え?」
「早く乗れ」
高見沢さんに煽られて、僕は慌てて乗った。
「そのでかい荷物はなんだ」
「着替えです」
「誰の……」
呆れる高見沢に、さも当たり前のように三淵は言った。
「僕のです」
「お前の?」
「はい」
昨日あの後、三淵は長期戦を覚悟に、シャツや下着を取りに行った。
「一応聞く。何の為に」
「……聞きますか? それ」
呆れるように大きなため息が漏れた。
「お前は馬鹿なのか。完全看護だ、泊まれるわけなかろう」
「え?」
「そもそも泊まりたい等とは思わんかもしれないがな」
「どういう……」
エレベーターが開いた。
真正面にあるナースステーションには若い看護師が座っていた。
「すいません、この階は決められた方のみお通しするようになっています」
「お名前を」
無視して進む高見沢に、看護師は慌ててナースステーションの中から出てきた。
「もうすぐ看護師長が帰ってきます。それまでお待ちください」
「高見沢だ。入らせてもらう」
話も聞かず勝手に進んでいく高見沢の勢いに、新人ナースは後方に援護を求めた。
「あのぉ、高見沢さん、いいんですか」
「こんなことで驚いていては、これからこの階を三淵葵では出れないぞ」
――三淵葵で出られない?
――意味が解らなかった。
「すいません」
偉く低い声が僕らに声をかける。
高見沢が目を細めてその男の人を見た。
看護師さんだろうか、ドクターだろうか、50か60かという風貌のその男の人の胸元にぶら下がっている名札が、目の悪い僕にはよく見えない。
ただ、その人は僕の顔を見るなり驚愕の表情を隠さなかった。
「紬……君? 君はどうして」
言われた言葉が理解できず、僕はオウム返しのように聞き返した。
「紬君?」
「ドクター!!」
はたと高見沢さんの方を向く。
「高見沢さん、これは失礼した」
「いや、こちらこそ。浅井ドクター、彼をヤマトのところに連れていきます。いいですね」
「今、東條さんがどういった状況かわかっていて、仰られているのですか」
「当然です。まぁ、僕とて止めましたけどね。馬鹿には理屈が通じないんですよ」
二人の視線が僕に向けられた。
「君、名前は」
浅井ドクターと呼ばれていた彼は、浅井重勝と書いてあるネームプレートを下げていた。
「三淵葵です」
「関係は?」
「高見沢さんとですか? 会社の先輩です」
「いや、東條さんとだ」
言うべきか迷った。
いや、厳密には大和さんが言っていいと思っているかを、迷った。
「恋人です」
「……………………」
「ドクター? 浅井ドクター」
「悪い事は言わない。会うのはやめなさい」
つらそうな顔が、さらに険しく歪んだ。
「嫌です」
ハッキリと意思のある答えだった。
「君が傷つくだけだ」
「嫌です」
「後悔する!」
「しません!」
三淵は頑として譲らなかった。
高見沢の手が浅井ドクターに振れる。
「理屈は通じないと申したでしょう。会うと言って譲らない。それなら俺は彼に賭けます」
「高見沢さん。でもこれは自殺行為だ」
止めようとするドクターを振り払う様に、個室の前で足を止めた。
ドアに手がかけられる。ゆっくりと引かれた扉、中から聞こえる『黎人?』と呼ぶ大和さんの声。
「ドクター、許可を、もう一人会える名簿に彼の名前を入れてください」
「許可しません」
「三淵葵の名前を」
「高見沢さん……落ち着いてください。彼はどうなるんです」
「知った事ではない」
そう言った高見沢の片手は、僕をつかみ、扉の中に放り込んだ。
足元がふらつきながらベッドサイドに倒れ込んだ。
「大丈夫?」
会えた喜びで僕は顔を上げた。
何か喋っている。
「紬?」
大和さんの口が、確かにそう動いた。」
「紬、紬、生きていたのか」
周りの人たちの顔、ドクターの僕を見たときの反応、僕は全てを悟った。
「高見沢さん」
僕は大和さんに聞こえないように高見沢さんに耳打ちした。
「なんだ……」
「紬君は大和さんを何と呼んでいたんですか」
「君……!」
「早く!」
「ヤマト、呼び捨てだ」
「紬、どうした?」
不安そうな大和さんに向かって、僕は一歩を踏み出した。
「ううん、何でもないよ。ヤマト」
――この日僕は僕を捨てた。
『3階の特別室に居る』
高見沢さんの教えてくれた通りに僕は清和病院に行った。病院独特の薬のにおいが充満していた。こめかみを押え、息を吸う。
何が何でも帰らないと決めて、何日分もの洋服をスポーツバックに詰めてきた。
「すいません」
「ハイ、どういった御用ですか」
「入院患者さんの面会に」
「どなたのでしょうか」
「3階に入院している東條大和さんの面会です」
「お名前は?」
「三淵葵です」
何やらガサゴソとカルテを見ていた看護師は、申し訳なさそうに言った。
「面会許可リストに載っていない方の面会はただいまお断りしております」
「そんな」
「規則ですので……、申し訳ございません」
「そこをなんとか」
「できないものは出来ません」
「恋人なんだ」
「お名前がありません。お引き取り下さい」
あまりにもごねたからか、警備の人間がやってきた。
「ちょっとこちらでお話を」
「いや、待ってください」
太いヒール音がコツコツと廊下に響いた。
誰かの足音がゆっくりと近づいてくる。
振り向きざま肩を強い力でつかまれた。
「ちょっとこい!」
「あの、すいません。今そちらの方は……」
胸元に手を入れ、名刺を出し言った。
「私を誰だと思ってる。高見沢黎人だ」
「失礼いたしました」
「高見沢さん?」
「お前は馬鹿なのか?」
引かれるように柱の隅に連れていかれ、高い上背のトップにのる顔からは、冷酷な視線が降り注ぐ。
「3階のナースステーションに行けと言っただろう」
「あっ」
思い出したように頭を掻いた。
「お前は鶏なのか」
「にわとり?」
「ニワトリという生き物はな、3歩歩くと忘れてしまう生き物らしいぞ。まさに今のお前だな」
「そんな言い方……」
「もういい、さっさとこい!」
長い廊下を通り過ぎ、行き止まりかと思うような場所で、小さなボタンを押した。
僕はその不思議な行き止まりに目を奪われた。
「ここは?」
「専用エレベーターだ」
「そんなもの何処にも……」
そう言ったその場で、真っ白な壁がすっと開いた。
「え?」
「早く乗れ」
高見沢さんに煽られて、僕は慌てて乗った。
「そのでかい荷物はなんだ」
「着替えです」
「誰の……」
呆れる高見沢に、さも当たり前のように三淵は言った。
「僕のです」
「お前の?」
「はい」
昨日あの後、三淵は長期戦を覚悟に、シャツや下着を取りに行った。
「一応聞く。何の為に」
「……聞きますか? それ」
呆れるように大きなため息が漏れた。
「お前は馬鹿なのか。完全看護だ、泊まれるわけなかろう」
「え?」
「そもそも泊まりたい等とは思わんかもしれないがな」
「どういう……」
エレベーターが開いた。
真正面にあるナースステーションには若い看護師が座っていた。
「すいません、この階は決められた方のみお通しするようになっています」
「お名前を」
無視して進む高見沢に、看護師は慌ててナースステーションの中から出てきた。
「もうすぐ看護師長が帰ってきます。それまでお待ちください」
「高見沢だ。入らせてもらう」
話も聞かず勝手に進んでいく高見沢の勢いに、新人ナースは後方に援護を求めた。
「あのぉ、高見沢さん、いいんですか」
「こんなことで驚いていては、これからこの階を三淵葵では出れないぞ」
――三淵葵で出られない?
――意味が解らなかった。
「すいません」
偉く低い声が僕らに声をかける。
高見沢が目を細めてその男の人を見た。
看護師さんだろうか、ドクターだろうか、50か60かという風貌のその男の人の胸元にぶら下がっている名札が、目の悪い僕にはよく見えない。
ただ、その人は僕の顔を見るなり驚愕の表情を隠さなかった。
「紬……君? 君はどうして」
言われた言葉が理解できず、僕はオウム返しのように聞き返した。
「紬君?」
「ドクター!!」
はたと高見沢さんの方を向く。
「高見沢さん、これは失礼した」
「いや、こちらこそ。浅井ドクター、彼をヤマトのところに連れていきます。いいですね」
「今、東條さんがどういった状況かわかっていて、仰られているのですか」
「当然です。まぁ、僕とて止めましたけどね。馬鹿には理屈が通じないんですよ」
二人の視線が僕に向けられた。
「君、名前は」
浅井ドクターと呼ばれていた彼は、浅井重勝と書いてあるネームプレートを下げていた。
「三淵葵です」
「関係は?」
「高見沢さんとですか? 会社の先輩です」
「いや、東條さんとだ」
言うべきか迷った。
いや、厳密には大和さんが言っていいと思っているかを、迷った。
「恋人です」
「……………………」
「ドクター? 浅井ドクター」
「悪い事は言わない。会うのはやめなさい」
つらそうな顔が、さらに険しく歪んだ。
「嫌です」
ハッキリと意思のある答えだった。
「君が傷つくだけだ」
「嫌です」
「後悔する!」
「しません!」
三淵は頑として譲らなかった。
高見沢の手が浅井ドクターに振れる。
「理屈は通じないと申したでしょう。会うと言って譲らない。それなら俺は彼に賭けます」
「高見沢さん。でもこれは自殺行為だ」
止めようとするドクターを振り払う様に、個室の前で足を止めた。
ドアに手がかけられる。ゆっくりと引かれた扉、中から聞こえる『黎人?』と呼ぶ大和さんの声。
「ドクター、許可を、もう一人会える名簿に彼の名前を入れてください」
「許可しません」
「三淵葵の名前を」
「高見沢さん……落ち着いてください。彼はどうなるんです」
「知った事ではない」
そう言った高見沢の片手は、僕をつかみ、扉の中に放り込んだ。
足元がふらつきながらベッドサイドに倒れ込んだ。
「大丈夫?」
会えた喜びで僕は顔を上げた。
何か喋っている。
「紬?」
大和さんの口が、確かにそう動いた。」
「紬、紬、生きていたのか」
周りの人たちの顔、ドクターの僕を見たときの反応、僕は全てを悟った。
「高見沢さん」
僕は大和さんに聞こえないように高見沢さんに耳打ちした。
「なんだ……」
「紬君は大和さんを何と呼んでいたんですか」
「君……!」
「早く!」
「ヤマト、呼び捨てだ」
「紬、どうした?」
不安そうな大和さんに向かって、僕は一歩を踏み出した。
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――この日僕は僕を捨てた。
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