【約束の還る海】――性という枷。外れ者たちは、ただ一人の理解者を求め合う。

天満悠月

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第四章

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 四日間蔵書室に引きこもってたんで、気晴らしも兼ねてジュールの観光に出ることになった。案内役はアンドレーアだ。神官長の息子の顔はジュールでは知れてるし、それによく似た面が並んでいたら騒ぎになりそうだったので、俺は日除けのフードを深めに被って、髪も隠した。

 結局、神官長のおっさんはあれ以降姿を見せない。色々忙しいんだろうが、たぶん俺と顔を合わせたくないってのもあるんじゃないかと思う。

 かつてクレス王国の都とされたジュローラは、おおよそ現在のキュアス諸島全域を領地としていたらしい。その名を引き継いだジュールは、ジュローラの比較になどならないほど小さな街だ。とは言っても、アウリーの王都セランもこんなものだ。ジュローラがいかに巨大だったか。そんな都を持っていたクレス王国ってのは、相当でかい国だったんだろう。少なくとも、現在のアウリー王国全土と、海中に沈んでしまった分の面積くらいはその中に含まれていたはずだ。

 ジュローラが海に沈んだという説については、以前から唱えられていたものではある。数千年前に比べて、海面が上昇しているからだ。特に熱帯地域で顕著だと言われる。中央大陸の西側を占めるファーリーン王国は海を挟んで南北に分かれているが、それは海水の流入によって、元は低地だった中央部が湾になったためのようだ。現に、リオス湾の海底には古代都市の跡が残っているという。アウリーより涼しいあの地域でさえそれだけ地形を変えちまうんだから、キュアス諸島のあたりなんて昔とはまるで様相が違うだろう。

 メレー神殿は、ジュールを一望できる高地に建てられている。アルベルティーニの邸宅から少しばかり坂道を登れば、純白の柱と壁がそそり立って、来る者の前に立ちはだかる。真珠にしては鮮やかすぎだし、オパールにしてはやや大人しすぎる光の神殿。実際に何の素材を使っているのかは、見た感じではよく分からない。そこらにあるような岩を組んで光沢剤を塗っただけかもしれない。仮にこの建材が全て貴石の類いだっていうなら、こんな完璧な形で現存しているなんて、あまりにも治安が良すぎる。或いはメレーの加護とやらか。しかし今日の食い扶持もままならないような人間ってのは、どこにだっているだろう。祈り縋ればメレーはなにかしらの酬いを与えてくれるのかもしれないが、この世界で生きるなら、ある程度の物質的恵みは必要だ。俺たちには肉体ってのがあるからな。

 アンドレーアは別だが、俺たちは一般人なんで、神殿内に足を踏み入れることはできない。フードをより引き下ろしながら、神官が見張っている開かれた入り口から中を覗き込めば、虹色の光を反射する外観とはまた異なって、青白い光が透明の床と壁を照らしていた。内側の建材は水晶だろうか。それとも月長石か。いずれも古代から重宝され、何かと愛されてきた鉱物だが、この青白い感じは月長石かもしれない。或いは、それを模したものだろう。眺めていたら一日くらい過ぎてしまいそうだ。

 俺たちも暇を持て余しているわけではないので、さっさと次の見どころまで案内してもらう。馬車に乗り込んで、アルベルティーニ邸を通り過ぎ、丘を下る。さっき見晴らしたジュールの街並みの中に入り込んでいく。

 まずは、例の海神とメリウス王の彫刻が飾られた大噴水広場だ。どうやら、この噴水に使われている水は、地下水路で海から引いてきているらしい。道理で常に新鮮な水なわけだ。溜め込んで使い回した海水では、広場が臭くなる。初めて見たときから気になっていたことを、俺はアンドレーアに訊いてみた。

「なあ、この彫刻ってなんで溶けねえんだ?」
「詳しいことは分かりませんが、エシュナ大橋の建材と同じだろうと言われています」
「へえ、じゃあ古代大戦時代の遺産ってわけか。思ったより古いな」

 失われた古代技術の賜物ってやつだったらしい。こういうのは、それこそエシュナ大橋だとか、リラの塔だとか、パレスの謎遺跡の建材だとか、実用的なものに使われている印象だったが、こういう美術品にも使われたりしていたのか。なら、わりと優雅な時期もあったんだろう。そりゃあ、五千年も休みなく争い続けていたら、今頃人類なんて残ってないさな。

 一つ謎が解決したので、俺は気分良く次の場所に向かった。なんでも、街の至るところに神像があるらしく、観光客はそれらを順に見て回るのが嗜みらしい。ちなみに、それらはかの有名な神像彫刻家ロザリアの作なので、広場の噴水よりもずっと新しい。

 まずは広場から西に少し移動したところにあるキュアストス像だ。元は陽光神だったが、次第に医療神になった、キュアス諸島の名の元になっている神だ。切れ長で理知的な印象の瞳は、エメラルドとアメジストが混ざったような色をしている。『光の神』といえば〈月の神子〉が最高位だが、雷神のリヨンもそうだ。陽光神だったキュアストスも言わずもがな。光の具合によって瞳の色が変わるように、という意匠は、なかなか粋なもんだ。とくに陽光ってのは色の変化が顕著だからな。

 次は、少し北に上がったところにある広場の花壇に座り込んでいるフィオリローザ。十代の少女の姿をした草花を愛でる神の膝の上で、近所で飼われているのか野生なのか知れないウサギとリスが、仲良く野イチゴを食っていた。たぶんローズクオーツの丸い瞳が、丁度くつろぐ小動物らに向いている。いつもこうなのか、偶々なのか、通りすがりの婆さんに訊いてみたら、いつものことだと言うんで、もしかしたらフォリローザはこの二匹を可愛がっているのかもしれない。

 東に少し移動したところに、川があった。流水を遮る土台の上に、蛇みたいにひょろいが絶世の美形に彫られたエクアロイスと、寄り添うエファラディートがいた。エクアロイスは大河の神だが、何度も死んでは蘇る。エファラディートはその姉だか妹だかははっきりしないが、妻でもあって、エクアロイスが死ぬ度に生き返らせようと奔走する。アルビオン神話ではこの二神についての項だけで結構な文量を割いている。『諧謔かいぎゃくかよ』と思わせるような死に方やら蘇らせ方もあるが、たぶん当人たちは至極真面目だったと思う。瞳にはやはり貴石が嵌め込まれていて、エクアロイスはブルートパーズ、エファラディートはガーネットだそうだ。

 また北に向かうとちょっとした高台があって、その上には塔が建っている。そのてっぺんにいるのが、俺も写生画で見知っている雷神像だ。塔に登れば近くで見られるというので、俺は螺旋階段を駆け上った。何にも遮られずに吹いてくる風に煽られながら、俺はリヨンの隣に立った。右手を天に掲げるその姿は巨大だった。なんせ俺より三フィートくらい背が高い。他の神像がわりと人間の等身大で造られていたので、リヨンもそんなものだろうと思っていたから度肝を抜かれてしまった。遅れて他のやつらもやって来て、やはりその大きさに驚いたようだった。塔の上に置くので遠くからでも判るよう大きく造ったのか、原初神だから他より大きくしたのか、作者の意図は不明だ。だが、やはり尋常ではない美貌を彫り出している。どうやったら、こんな美形を想像の世界から連れ出してこれるんだか。ロザリアっていう芸術家は全く異常だ。眼孔に嵌め込まれているのは、中心にブルーダイヤモンドをあしらった黄金。明らかに他より手が込んでいる。

 美しすぎて気持ちが悪いゾッとする、という感覚を、自然の中に覚えることはままある。だが、人の手で創り出されたものに、これほどのおぞましさを感じることはそうない。今にもこちらに振り向いて話しかけてきそうな生々しさと、そんなことは絶対にありえないと突きつけてくる無機物の体。ロザリアは『これらの姿は私の空想で、理想である。私にとっての神々を、私は現したに過ぎない』と言い残した。目には見えない何かが、見えていたという意味なのかもしれない。俺には分からないが、どうであれ、ロザリアや、同年代を生きたエドアルドが並外れた表現者であったことは確かな事実だ。

 そもそも、俺は子供の頃に本土の美術館で目の当たりにしたエドアルド作の『天空の双神』に描かれたリヨンに魅了された。天空神フェムトスの系譜に生まれた原初の双子は、方や風神と呼ばれファーリーンで信仰され、方や雷神と呼ばれアウリーで信仰された。現在のファーリーンにおいては、風神のシルフィードも雷神のリヨンも天空神と融合したようだが、アウリーでは未だリヨンは雷神として在る。エドアルドは『天空の双神』を対称的に描いた。どちらがリヨンで、どちらがシルフィードなのか、それは周囲に描かれた雷光とうねる大気の描写から読み取れるが、それがなければたぶん判らない。だが、明らかに何かが違った。幼かった俺には、その『違い』を言葉にして説明することはできなかったが、たぶん、今でもできないだろう。色合いが違ったか? 表情が違ったか? 纏う布の広がり? 指先の角度? たぶん、どれも同じだった。けれど、俺は風神よりも雷神の方に、明らかに惹かれたのだ。そして、そのときに思った。『俺はきっと、雷神に出会うことができたなら、一目でそうと解るだろう』と。だが、残念ながら俺は神の姿を見る目を持ち合わせていない。俺が古代人か、神官か、占術師かなにかだったら、リヨンと話せたのだろうか。

 俺は純白の雷神像に手を伸ばしていた。翼のようにはためく石の布を巻き付かせた腕に触れてみる。冷たく硬い感触。心中で『リヨン』と呼び掛けるが、空色を湛えた黄金の瞳は、俺を見留めてはくれない。当然だ。俺は滑らかな腕から手を離して、像から離れた。

「お前の雷神好きは誂いにくい」

 俺よりも離れたところから雷神像を眺めていたらしい仲間の方に戻ったら、親父が肩を竦めながら言ってきた。

「分かるぞセルジオ。だが仕方ないさ。レナはリヨンに恋してるんだ」
「何言ってんだ」

 勝手言いやがる。これだけの芸術品を目の当たりにしたら、その世界観に浸っても良いだろ。……なんて言い返してやろうかと思ったが、存外間違ってもいないのかもしれない。

 始まりは確かに憧れだった。今でもその感情は持ち合わせている。だが、いつからか拗らせてしまったようだ。『憧れ』の一言で表すには、余計なものがまとわりついている。たぶん、俺はどうかしてるんだろう。まあ、リヨンくらいの神なら許してくれるはずだ。なんなら、この程度のことには慣れてるかもしれない。
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