【約束の還る海】――性という枷。外れ者たちは、ただ一人の理解者を求め合う。

天満悠月

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メレーの子(前編)

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 目覚めてのちの七日間、メリウスはキュアストスに続きジュローラへとやってきた神々と共に、人々の救出へ尽力した。彼はその間眠りもせず、食物も水も要さなかった。その様子を目の当たりにした人々がメリウス自身の主張がどのようであれ、彼を只の人間だなどとは思えるはずがなく、メリウスの知らぬ間に彼を祀る祭壇が造られていた。
 
 八日目に、メリウスはこの惨状の中にあっても、以前となんら変わらぬ真珠のきらめきを放ち続けるメレーの神殿へ赴いた。かつて、父であるアンドローレスが人々の尊敬を集めながら過ごしていた場所であることを、今の彼は知っている。高位の神官のみが立ち入ることを許されている祭壇の中へ踏み込み、メレーの神体を模した七色の光を反射させる水晶球を見上げる少年を咎める者は、誰一人として存在しなかった。彼の父を蔑み追いやったメレーに仕える神官たちまでもが、ジュローラを救うべく奔走し続けた少年に敬意を表し跪いていた。
 
 メリウスはメレーに呼びかけた。水晶球が輝きを増し、メレーの意識がやってきたことを確かめて、彼は言った。「僕がケーレーンを連れ出したことで、ピトゥレーは酷く怒っていました。この惨状は、僕が引き起こしたことなのでしょう」この言葉は、彼の口を介さずにメレーへと伝えられた。

 メレーは肯定もせず、否定もしなかった。ただ、「あなたはジュローラの人々の拠り所となりつつある」と言った。

「あなたが既にそうではありませんか。これほどまでに立派な神殿があり、多くの神官があなたに仕え、人々はあなたを信奉している」

「そうであっても、私の言葉は彼らに届かない」メレーは答えた。「私の言葉をなんら不自由なく、正しく聴くことができる人間は、アンドローレスが最後だった。神の時代は、そう遠くないうちに終わるでしょう。人々は神の存在を己自身に対し証明する手段を失う。それでも尚、信じようと努める者はいるでしょうけれども、神が人を統治することはできなくなる。かつての人間たちは、私の姿をあなたと同じように見ることができていました。けれども、現代の人間に私の姿は見えない。私の声を聴くことができる人間もわずかで、それもようやく言葉の断片を拾うことができる程度。ここに並ぶ神官たちが、そのわずかに残された人間です。彼らのような者たちも、間もなくいなくなる。このジュローラを離れれば、より若い神々の姿でさえも、とらえられない人間がいる。そして、次第にそれは当然のこととなる。そろそろ、人間には人間の神が必要なのです。それを、例えば『王』と呼びましょう。神の存在を見失っても人々が迷わぬよう、『国』を造り、人間の力で人間を導くこと。その道を、人々に示すこと。それが、あなたの役割の一つです」メレーは語り、姿を消した。

 メリウスは己が生み出された理由を知った。半ば神である彼には、人に示すことで畏れられる力があり、半ば人間である彼の姿と声は、神から離れゆく人の耳目じもくから失われることがない。

 メリウスは暫し、メレーの意識が抜けた水晶球を見つめ、立ち尽くしていた。



 神殿を出るなり、メリウスは人々に取り囲まれた。彼らは皆一様に興奮した様子で、街のために奔走した少年を讃えた。しかし依然としてジュローラは崩れたままで、泥砂に塗れ、人々が安息を得ることは困難な状況にある。

 人々が口にする食物は、草花を司るフィオリローザが作り出し、与えていた。メリウスは瓦礫を退けることに必死だったために、自分が飲まず食わずでいたことに気づかず、そして通常の人間にとっては食物と飲料が不可欠であることを、このときになって思い出した。

 彼は自分の周りに跪き、涙ながらに感謝の言葉を口にする人々を鎮め、言った。「僕はあなた方にとって欠かすことのできない重要なものを、幾つも忘れてしまっていたのです。僕一人で成せたことなどありません。どうかここへ集ってくださった神々、そして隣におられる方々へこそ、その感謝の思いは向けてください」

 メリウスのそばに、キュアストスとフィオリローザがやってきた。古い神で賢者らしくもありながら、どこか若々しい気配を纏うキュアストスは、「我々は君に力を貸したまで。真にこの街を救わんと奔走したのは君だろう。皆、そのことが分かっているのだ。君はもう少し自分自身を高く評価して良いのだよ」と言い、美しい少女の姿をしたフィオリローザもまた、キュアストスに同意を示した。

 メリウスは自分の行動を思い起こし、これが他人の行動であったなら、確かに自分はその者を讃えるだろうと考えた。彼は人々から向けられる感謝を、素直に受け取ることにした。

 しかし同時に、メリウスには未だ気がかりなことがあった。他の街からやってきたキュアストスは、その街もまた地竜が暴れたために崩壊し、次いでやって来た大波に攫われたことをメリウスに教えていた。ならば同様に、更に他の街でも人々は苦しんでいるのではないかと、メリウスは考えていたのである。一先ずは心持ちの余裕を取り戻し始めているジュローラの民へ、彼は語りかけた。「皆さん、きっとこの街を元通りにしましょう。僕も力を尽くします。けれども、僕は他の街の様子も気にかかっています。ジュローラと同じ様に、救けを求めている人々がいるのではないかと。だから、少しの間この街を留守にします」と言えば、人々は不安げな眼差しをメリウスへと向けた。「ジュローラは始まりの地。メレーの系譜に属する神々が、あなた方のためにここへ集うでしょう。だから、きっと大丈夫」メリウスは人々の不安を和らげるため、穏やかに言った。

 重傷者は既にキュアストスが治癒した。軽傷であればフィオリローザの力で癒すことができる。メリウスはキュアストスに旅の同行を求めた。ジュローラのように大地と海に襲われた場所には、多くの負傷者がいるに違いない。食物を人々に恵むフィオリローザへは、街に残ってくれるように頼めば、二神は快く承諾した。

「本当は、私もあなたと共に行きたいところだけれど」フィオリローザは白詰草を編んだ輪をメリウスの首に掛け、「あなたが無事でありますように」と祈りを込めた。

 メリウスは人々と神に見送られながら、キュアストスと共に旅立った。



 メリウスとキュアストスは海沿いを歩き、島を巡った。地域ごとに出会う多くの神々が彼らへ協力したが、中には人を好いていない神もいた。かれらは崩壊した人々の生活を立て直すことに関心を持たなかった。だが、未だ少年のメリウスが恐れることなく神へ協力を仰ぐ姿を目の当たりにした人々は勇気づけられ、土地神の守りが得られなくとも努力した。その様子を傍観しているうちに、心変わりをして人々に力を貸すようになる神は多かった。

 しかし、どのようにしても元のようには戻せない地域もあった。海水に浸ってしまった土地での耕作は困難で、街の形だけを再建したところでその後の生活ができない。土地神が非協力的であったり、死んでしまったりした場所であれば尚更である。そのような場所で生き残った人々に、メリウスはジュローラに身を寄せるよう提案した。身寄りのない人々の多くは、彼の言葉に従った。

 ジュローラの街から遠く離れ、月日は流れたが、メリウスは廻るべき街の全てを廻るまで、故郷へは帰らないと決めていた。ジュローラに移住するべく旅立つ人々を、その土地に住まい見守ってきた神々や、旅の途中で出会いメリウスらと道を共にしてきた神々が導いた。

 数年を掛け、メリウスはキュアストスやその他の神々と協力し、人々を救け、破壊された街を再建するために知恵を絞り、それが困難であれば、その地の人々と神々をジュローラへと誘った。

 メリウスには後悔の思いがあった。それは強い責任感となって彼を動かした。ケーレーンを海底から連れ出したことが、今回の惨状を引き起こしたのであろうことは分かっていた。ケーレーンに対する親切心が仇となり、人々を殺め苦しめる結果となったのであろうと、メリウスは思い悩み続けた。しかしながら、万年に渡り海底に縛りつけられ、楔で打ち止められていたかれに、僅かばかりであっても自由を知ってもらいたいと思ったことは罪であろうか。メリウスの悲しみと後悔は、ピトゥレーに対する怒りと共にあった。

 そして、彼はメレーによって与えられている自分自身の役割についても考え続けていた。メレーが言葉にした『王――人の神――』なるもの。そのあるべき姿を、彼は模索し続けていた。
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