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番外編
薔薇の令嬢は侍女の期待に応えたい
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結局、祖母の葬儀には行かなくて済んだ。
公爵夫妻とフォルクハルト様の三人が来るという話にビビったらしい。
ただ私をサンドバッグにしたいから呼んだだけなのに、公爵夫妻やフォルクハルト様が来るとなると都合が悪いのだろう。
祖母は生前大人数で集まるのが苦手だったので出来るだけ人数が増えないようにしたい、とかなんとか、なんやかんやともっともらしい感じの言い訳が並んだ手紙を公爵家の皆様と一緒に読んでひとしきり笑ったので、今はなんとも清々しい気持ちでいっぱいだ。
さらにフォルクハルト様、フォルクハルト様付きの従者さんことメロディのお兄さん、私、メロディの四人でもう一度読んで笑ったりもしたのでいっそ楽しい気持ちにも溢れそうだ。
……祖母が死んだというのに。
前世では近しい親族が亡くなる前に自分が死んだので分からなかったけれど、身内を亡くすというのはもっと悲しい気持ちになるものだと思っていた。
しかしあんな扱いを受けると悲しみという感情も消えてしまうらしい。
もしかしたら、家族の誰が亡くなっても悲しめないかもしれない。それが育ってきた環境のせいなのか、私が元来持っている冷たさのせいなのかは分からない。
私、実は最低な人間なのかもな。
「クレア様。クレア様の本日の予定ですが、午前中は三ヵ月後に行われる建国記念式典とその後の夜会のためのドレス、アクセサリー、靴選びで丸ごと潰れます」
「はぁい」
メロディから本日の予定を教えてもらいながら、ふわっとした返事をしていると、メロディは呆れたように笑った。
「午前中ずっと婚約者様と一緒に過ごすので今のうちにしっかり呼吸しておいてくださいね」
「うっ」
そう、私は未だにフォルクハルト様と共に過ごすと呼吸が不自由になる。心臓の動きだってちょっと不自由になっている気がするほど。
本当にこのまま結婚しても大丈夫なのだろうか? 大丈夫じゃない気がする。主に私の身体が。寿命が縮み続けている気がする。
いつになったら慣れるのだろう? まさか一生こんな感じ? こんなことならやっぱり婚約破棄するべきだったのでは? と最初の頃は思っていた。しかし、最近では一生こんな感じでもそれはそれでありなのでは? と思い始めている。これはこれで慣れということだろうか。それとも私がドMに目覚めたということだろうか。
「あ、クレア!」
あああああやっぱり心臓に悪ーーーい!
私を見付けた途端満面の笑みで、さらにとても優しい声で私の名前を呼ぶフォルクハルト様! 心臓に突き刺さる!
……と、これが最近の私の日常である。
そう、日常。先日公爵家へのお引っ越しが完了してしまったので、同じ敷地内にいつもフォルクハルト様がいる。それが日常。実に心臓に悪い日常だ。
いや、このままだと結婚しちゃうし同じ敷地内にいるどころか同じ部屋にフォルクハルト様がいる生活がやってくるんだけど。ああ考えただけで心臓が破裂しそう。
「はい」
そんな破裂しそうな心臓を、大混乱の胸中をひた隠しにして、平静を装った声で返事をする。
「今日の午後、買い物に行かない?」
「お買い物ですか?」
何か欲しいものでもあるのだろうか?
「そう、買い物。引っ越してきたばかりだし足りない物もあるだろうと思って」
え? 私の買い物?
「……え、いえ、何もかもを準備していただいていたので足りない物は」
確かにあの家から逃げるように出てきたし、温室や薔薇のことを第一に考えていたから自分のものをおろそかにしていたけれど、私が使うためのお部屋は公爵家のほうできっちりと準備してくださっていた。
必要な家具は全て統一したデザインで見事に揃っていたし、カーテンや寝具、タオルなんかの細かい布製品にまで可愛い薔薇の刺繍が施されていて、明らかに私用に準備されていたとしか思えない。
そんなわけで足りない物はないと口にしたのだけど、そう口にした瞬間フォルクハルト様がしょんぼりとした表情を浮かべた。
それはもう叱られた子犬のようなしょんぼり度合いだ。可哀想になっちゃうレベル。
いやでもしかし可哀想になっちゃったとしても、私の買い物のために付き合ってもらうのは気が引けるなぁ。などとあれこれ考えていたところ、フォルクハルト様の視線がメロディのほうへと動いた。
「クレア様、お化粧品をもう少し増やしたほうがいいと思っているのですが」
「え?」
フォルクハルト様の視線を受けたメロディがフォルクハルト様側について援護射撃を放ってきた。メロディは私の味方だと思っていたのに。
「あるよね足りない物! じゃあ午後は一緒に買い物に行こうね、クレア」
とろけるような笑顔でそう言われてしまい、思わず頷いてしまったのだった。
「やったー! じゃあ午前の採寸だの布選びだのも頑張れる! じゃ、俺さっさと採寸終わらせてくる」
どうやら午前中に行われるあれこれが面倒だったらしい。
あの口ぶりだと午前の嫌なことを頑張ったご褒美として買い物に行こうとしているようだ。
「クレア様とお出かけしたかったんですって、あの人」
「……ただ買い物に行きたかったのではなく?」
「買い物のほうは口実だと思います」
……そんなバカな。
「大好きなクレア様と一緒に街に出て、あわよくば手なんか繋いじゃったりして、恋人同士みたいに歩いてみたりして、とか考えてますよあの人」
「こっ……!」
こっ、ここここい、こい、こいびび!
「クレア様が嫌ならきちんとお断りしてくださいね」
嫌……では、ない……な?
「嫌じゃないなら、ちょっとでいいから甘えてみてください」
「甘、え?」
私が? フォルクハルト様に? 甘える? 無理難題では?
「ちょっと、ほんのちょっとでいいんです。クレア様から甘えたら、あの人絶対面白いことになるから」
めちゃくちゃ面白がってた。
「メロディは、フォルクハルト様のこと……おもちゃか何かだと思ってる?」
「あ、はい」
おもちゃだと思ってた。
「クレア様、私はね、クレア様を何よりも誰よりも大切に思っています」
「うん」
大切に思ってくれているんだろうな、とは常々思っている。
しかしなぜ急に改まって話し始めたのだろう?
「クレア様が第一、最優先。そしてそんなクレア様が過ごすこの場所が、クレア様にとって居心地のいい場所になるよう心がけています」
「ええ」
とても助かっております。
「だから、クレア様があの人にちょろーっと甘えてみれば、あの人はクレア様に今よりももっとメロメロになるでしょう」
それはどうかな?
「クレア様からやんわりと避けられていた時からすでにメロメロだったので、今更ではあるのですが、あの人が骨抜きになればクレア様はやりたい放題出来るでしょう?」
「そ……そんなこと」
「あります」
まさかの断言。
「そんなわけで、私はクレア様のことだけを考えて、あの人を駒のように動かすことも辞さないということですね」
なんてことない感じで言っているけど、フォルクハルト様本人に聞かれて怒られたらメロディがクビになりかねないのだけども。
「バレたらメロディがクビになりかねないから、私も自分で頑張る」
「ふふ、頑張ってください。まずは今日、少し甘えてみるところからですね!」
うう……頑張る……!
〇 〇 〇 〇 〇
今日はちょっとだけでもフォルクハルト様に甘えてみよう。頑張ってみよう。そう決意したすぐ後、私は全身を採寸されていた。
別室ではフォルクハルト様も採寸されているらしい。
そしてフォルクハルト様はこの採寸作業が苦手らしい。ここ最近では大してサイズなんか変わってないのにわざわざ採寸するなんて面倒臭いからだそうだ。
大して変わっていないと言っているが、身長はまだ少しずつ伸びているとフォルクハルト様の従者さんことメロディのお兄さん、ヨハンさんが言っていた。
身長が伸びているならまだ測る意義があるからいいじゃない。私の身長なんかもうずいぶん前に伸びることを放棄してしまったというのに。
「クレア様は放っておいたらすぐウエストが減るからもう少し食べてもらわないと……」
側で控えていたメロディがポツリと零した。
増えるより減るほうがいいでしょ。
「クレア―採寸終わったー?」
部屋の外からフォルクハルト様の声がする。
「あ、えと、もう少し、です」
「えー?」
私の声が小さすぎて届かなかったようだ。頑張っていつもより声を張ったつもりだったのだけれど。
「クレア様は今お胸の採寸中ですー」
見かねたメロディがそう言うと、外からゴツンという謎の鈍い音が聞こえてきた。大丈夫だろうか? と心配していたら、お胸を採寸してくれていた子が「前よりちょっと大きくなってますー」と私にだけ聞こえるように言ってにこりと笑ってくれた。
しかしせっかく私にだけ聞こえるように言ってくれたのに、メロディがそれを拾っていたようで、外に聞こえるように「ちょっと大きくなってるみたいですー」と言っていた。
そしてもう一度、ゴツンという鈍い音が聞こえた。
いやぁ、なんか皆楽し気だなぁ。私はめちゃくちゃ恥ずかしいけどー。
採寸終わった後どんな顔してフォルクハルト様のところに行けっていうのよ。
……でも、こんなに和気あいあいとした雰囲気なんか、ローラット家にいるときの私には縁のない物だった。
地上にいるのに地下みたいにじめじめしていて、その場にいる皆と笑い合うなんて絶対になかったもの。
フォルクハルト様のところに来て、本当に良かった。
まぁ胸が育ったことでわいわいするのはちょっと恥ずかしいけどね……!
「採寸はこれで終了です。ご協力ありがとうございました」
やっと全身の採寸が終わった。長かった。
「こちらこそありがとう」
採寸をしてくれた子に笑顔でお礼を述べて、部屋の外に出る。
するとそこには真っ赤な顔をしたフォルクハルト様が待機していた。
「あの、えっと、お待たせしました」
「あ、うん」
めちゃくちゃ気まずいんだが?
「ほらほらお二人とも、赤くなっていないで! 次は布選びですよ!」
誰のせいだと思ってるのメロディ!
「全ての元凶のくせに……!」
ぷふふ、と笑っているメロディに対してフォルクハルト様が非難の声を上げた。私も「もう!」という意思を込めた目でメロディを見る。
「ぷふっ、ほらほら布選び布選び。同じ布を選んでお揃いの正装を作ってもらってお二人の仲の良さを全貴族に見せつけましょうね」
ぷふっ、という笑い声はちょっと腹立たしいけれど、二人の仲の良さを見せつける、という言葉にフォルクハルト様が反応を示していた。
「そうだ、この世の全員に見せつけよう」
さっきの真っ赤な顔はどこへやら、いつの間にか目がマジになっている。
「クレアは何色が好き?」
「へ? えっと……落ち着いた色が、好きです」
「うんうん」
派手な色は私には似合わないから。
基本的には笑い者にならない色であればなんでもいいと思っていた。今までは。
「星空の色、とか」
「いいね、星空。あ、じゃあ満天の星空に月夜の女王の刺繍を施してもらうのはどうだろう?」
月夜の女王というのは、私が温室で育てている深夜に咲く薔薇のことだ。
フォルクハルト様が覚えていてくれたなんて、と内心ものすごく嬉しい。
「俺、あの薔薇好きなんだよね。美味しそうな匂いだし」
そうそう、美味しそうだと言っていた。
「フォルクハルト様が美味しそうだと言っていたので、薔薇ジャムにしたこともありました」
「え!? そんなことしてくれてたの!? 知らなかった! 食べたかった!」
話しかける勇気がなかったから教えてなかったもんな。
「あ、驚くほど無臭の甘いどろっとしたものが出来上がっただけでしたので食べられたものでは」
「なにそれ逆に面白そう。次咲いたら俺も一緒に作ってみたい」
「ふふ、はい。作りましょう」
そしてフォルクハルト様の脳もバグるといいね。
そんなこんなで二人の意見が一致したので、布選びはすぐに終わってしまった。
満天の星空と月と月夜の女王というイメージも決まっていたので、デザインが決まるのも早かった。
「前まで布選びなんかあんまり興味もなかったしつまんなかったけど、クレアと一緒だと楽しかった」
「私も、楽しかったです」
「それは良かった。じゃあ予定より早く終わったし、もう街に出る?」
「え、あぁ」
「どこかで一緒にご飯食べて、それから買い物に行こう」
ちらりとメロディのほうを見れば、彼女の顔に「行ってこい」と書かれていた。
そうして私はフォルクハルト様と初めてのデートへと向かうのだった。
ほんの少しでいいから甘えてみるというミッションを抱えたまま。
公爵夫妻とフォルクハルト様の三人が来るという話にビビったらしい。
ただ私をサンドバッグにしたいから呼んだだけなのに、公爵夫妻やフォルクハルト様が来るとなると都合が悪いのだろう。
祖母は生前大人数で集まるのが苦手だったので出来るだけ人数が増えないようにしたい、とかなんとか、なんやかんやともっともらしい感じの言い訳が並んだ手紙を公爵家の皆様と一緒に読んでひとしきり笑ったので、今はなんとも清々しい気持ちでいっぱいだ。
さらにフォルクハルト様、フォルクハルト様付きの従者さんことメロディのお兄さん、私、メロディの四人でもう一度読んで笑ったりもしたのでいっそ楽しい気持ちにも溢れそうだ。
……祖母が死んだというのに。
前世では近しい親族が亡くなる前に自分が死んだので分からなかったけれど、身内を亡くすというのはもっと悲しい気持ちになるものだと思っていた。
しかしあんな扱いを受けると悲しみという感情も消えてしまうらしい。
もしかしたら、家族の誰が亡くなっても悲しめないかもしれない。それが育ってきた環境のせいなのか、私が元来持っている冷たさのせいなのかは分からない。
私、実は最低な人間なのかもな。
「クレア様。クレア様の本日の予定ですが、午前中は三ヵ月後に行われる建国記念式典とその後の夜会のためのドレス、アクセサリー、靴選びで丸ごと潰れます」
「はぁい」
メロディから本日の予定を教えてもらいながら、ふわっとした返事をしていると、メロディは呆れたように笑った。
「午前中ずっと婚約者様と一緒に過ごすので今のうちにしっかり呼吸しておいてくださいね」
「うっ」
そう、私は未だにフォルクハルト様と共に過ごすと呼吸が不自由になる。心臓の動きだってちょっと不自由になっている気がするほど。
本当にこのまま結婚しても大丈夫なのだろうか? 大丈夫じゃない気がする。主に私の身体が。寿命が縮み続けている気がする。
いつになったら慣れるのだろう? まさか一生こんな感じ? こんなことならやっぱり婚約破棄するべきだったのでは? と最初の頃は思っていた。しかし、最近では一生こんな感じでもそれはそれでありなのでは? と思い始めている。これはこれで慣れということだろうか。それとも私がドMに目覚めたということだろうか。
「あ、クレア!」
あああああやっぱり心臓に悪ーーーい!
私を見付けた途端満面の笑みで、さらにとても優しい声で私の名前を呼ぶフォルクハルト様! 心臓に突き刺さる!
……と、これが最近の私の日常である。
そう、日常。先日公爵家へのお引っ越しが完了してしまったので、同じ敷地内にいつもフォルクハルト様がいる。それが日常。実に心臓に悪い日常だ。
いや、このままだと結婚しちゃうし同じ敷地内にいるどころか同じ部屋にフォルクハルト様がいる生活がやってくるんだけど。ああ考えただけで心臓が破裂しそう。
「はい」
そんな破裂しそうな心臓を、大混乱の胸中をひた隠しにして、平静を装った声で返事をする。
「今日の午後、買い物に行かない?」
「お買い物ですか?」
何か欲しいものでもあるのだろうか?
「そう、買い物。引っ越してきたばかりだし足りない物もあるだろうと思って」
え? 私の買い物?
「……え、いえ、何もかもを準備していただいていたので足りない物は」
確かにあの家から逃げるように出てきたし、温室や薔薇のことを第一に考えていたから自分のものをおろそかにしていたけれど、私が使うためのお部屋は公爵家のほうできっちりと準備してくださっていた。
必要な家具は全て統一したデザインで見事に揃っていたし、カーテンや寝具、タオルなんかの細かい布製品にまで可愛い薔薇の刺繍が施されていて、明らかに私用に準備されていたとしか思えない。
そんなわけで足りない物はないと口にしたのだけど、そう口にした瞬間フォルクハルト様がしょんぼりとした表情を浮かべた。
それはもう叱られた子犬のようなしょんぼり度合いだ。可哀想になっちゃうレベル。
いやでもしかし可哀想になっちゃったとしても、私の買い物のために付き合ってもらうのは気が引けるなぁ。などとあれこれ考えていたところ、フォルクハルト様の視線がメロディのほうへと動いた。
「クレア様、お化粧品をもう少し増やしたほうがいいと思っているのですが」
「え?」
フォルクハルト様の視線を受けたメロディがフォルクハルト様側について援護射撃を放ってきた。メロディは私の味方だと思っていたのに。
「あるよね足りない物! じゃあ午後は一緒に買い物に行こうね、クレア」
とろけるような笑顔でそう言われてしまい、思わず頷いてしまったのだった。
「やったー! じゃあ午前の採寸だの布選びだのも頑張れる! じゃ、俺さっさと採寸終わらせてくる」
どうやら午前中に行われるあれこれが面倒だったらしい。
あの口ぶりだと午前の嫌なことを頑張ったご褒美として買い物に行こうとしているようだ。
「クレア様とお出かけしたかったんですって、あの人」
「……ただ買い物に行きたかったのではなく?」
「買い物のほうは口実だと思います」
……そんなバカな。
「大好きなクレア様と一緒に街に出て、あわよくば手なんか繋いじゃったりして、恋人同士みたいに歩いてみたりして、とか考えてますよあの人」
「こっ……!」
こっ、ここここい、こい、こいびび!
「クレア様が嫌ならきちんとお断りしてくださいね」
嫌……では、ない……な?
「嫌じゃないなら、ちょっとでいいから甘えてみてください」
「甘、え?」
私が? フォルクハルト様に? 甘える? 無理難題では?
「ちょっと、ほんのちょっとでいいんです。クレア様から甘えたら、あの人絶対面白いことになるから」
めちゃくちゃ面白がってた。
「メロディは、フォルクハルト様のこと……おもちゃか何かだと思ってる?」
「あ、はい」
おもちゃだと思ってた。
「クレア様、私はね、クレア様を何よりも誰よりも大切に思っています」
「うん」
大切に思ってくれているんだろうな、とは常々思っている。
しかしなぜ急に改まって話し始めたのだろう?
「クレア様が第一、最優先。そしてそんなクレア様が過ごすこの場所が、クレア様にとって居心地のいい場所になるよう心がけています」
「ええ」
とても助かっております。
「だから、クレア様があの人にちょろーっと甘えてみれば、あの人はクレア様に今よりももっとメロメロになるでしょう」
それはどうかな?
「クレア様からやんわりと避けられていた時からすでにメロメロだったので、今更ではあるのですが、あの人が骨抜きになればクレア様はやりたい放題出来るでしょう?」
「そ……そんなこと」
「あります」
まさかの断言。
「そんなわけで、私はクレア様のことだけを考えて、あの人を駒のように動かすことも辞さないということですね」
なんてことない感じで言っているけど、フォルクハルト様本人に聞かれて怒られたらメロディがクビになりかねないのだけども。
「バレたらメロディがクビになりかねないから、私も自分で頑張る」
「ふふ、頑張ってください。まずは今日、少し甘えてみるところからですね!」
うう……頑張る……!
〇 〇 〇 〇 〇
今日はちょっとだけでもフォルクハルト様に甘えてみよう。頑張ってみよう。そう決意したすぐ後、私は全身を採寸されていた。
別室ではフォルクハルト様も採寸されているらしい。
そしてフォルクハルト様はこの採寸作業が苦手らしい。ここ最近では大してサイズなんか変わってないのにわざわざ採寸するなんて面倒臭いからだそうだ。
大して変わっていないと言っているが、身長はまだ少しずつ伸びているとフォルクハルト様の従者さんことメロディのお兄さん、ヨハンさんが言っていた。
身長が伸びているならまだ測る意義があるからいいじゃない。私の身長なんかもうずいぶん前に伸びることを放棄してしまったというのに。
「クレア様は放っておいたらすぐウエストが減るからもう少し食べてもらわないと……」
側で控えていたメロディがポツリと零した。
増えるより減るほうがいいでしょ。
「クレア―採寸終わったー?」
部屋の外からフォルクハルト様の声がする。
「あ、えと、もう少し、です」
「えー?」
私の声が小さすぎて届かなかったようだ。頑張っていつもより声を張ったつもりだったのだけれど。
「クレア様は今お胸の採寸中ですー」
見かねたメロディがそう言うと、外からゴツンという謎の鈍い音が聞こえてきた。大丈夫だろうか? と心配していたら、お胸を採寸してくれていた子が「前よりちょっと大きくなってますー」と私にだけ聞こえるように言ってにこりと笑ってくれた。
しかしせっかく私にだけ聞こえるように言ってくれたのに、メロディがそれを拾っていたようで、外に聞こえるように「ちょっと大きくなってるみたいですー」と言っていた。
そしてもう一度、ゴツンという鈍い音が聞こえた。
いやぁ、なんか皆楽し気だなぁ。私はめちゃくちゃ恥ずかしいけどー。
採寸終わった後どんな顔してフォルクハルト様のところに行けっていうのよ。
……でも、こんなに和気あいあいとした雰囲気なんか、ローラット家にいるときの私には縁のない物だった。
地上にいるのに地下みたいにじめじめしていて、その場にいる皆と笑い合うなんて絶対になかったもの。
フォルクハルト様のところに来て、本当に良かった。
まぁ胸が育ったことでわいわいするのはちょっと恥ずかしいけどね……!
「採寸はこれで終了です。ご協力ありがとうございました」
やっと全身の採寸が終わった。長かった。
「こちらこそありがとう」
採寸をしてくれた子に笑顔でお礼を述べて、部屋の外に出る。
するとそこには真っ赤な顔をしたフォルクハルト様が待機していた。
「あの、えっと、お待たせしました」
「あ、うん」
めちゃくちゃ気まずいんだが?
「ほらほらお二人とも、赤くなっていないで! 次は布選びですよ!」
誰のせいだと思ってるのメロディ!
「全ての元凶のくせに……!」
ぷふふ、と笑っているメロディに対してフォルクハルト様が非難の声を上げた。私も「もう!」という意思を込めた目でメロディを見る。
「ぷふっ、ほらほら布選び布選び。同じ布を選んでお揃いの正装を作ってもらってお二人の仲の良さを全貴族に見せつけましょうね」
ぷふっ、という笑い声はちょっと腹立たしいけれど、二人の仲の良さを見せつける、という言葉にフォルクハルト様が反応を示していた。
「そうだ、この世の全員に見せつけよう」
さっきの真っ赤な顔はどこへやら、いつの間にか目がマジになっている。
「クレアは何色が好き?」
「へ? えっと……落ち着いた色が、好きです」
「うんうん」
派手な色は私には似合わないから。
基本的には笑い者にならない色であればなんでもいいと思っていた。今までは。
「星空の色、とか」
「いいね、星空。あ、じゃあ満天の星空に月夜の女王の刺繍を施してもらうのはどうだろう?」
月夜の女王というのは、私が温室で育てている深夜に咲く薔薇のことだ。
フォルクハルト様が覚えていてくれたなんて、と内心ものすごく嬉しい。
「俺、あの薔薇好きなんだよね。美味しそうな匂いだし」
そうそう、美味しそうだと言っていた。
「フォルクハルト様が美味しそうだと言っていたので、薔薇ジャムにしたこともありました」
「え!? そんなことしてくれてたの!? 知らなかった! 食べたかった!」
話しかける勇気がなかったから教えてなかったもんな。
「あ、驚くほど無臭の甘いどろっとしたものが出来上がっただけでしたので食べられたものでは」
「なにそれ逆に面白そう。次咲いたら俺も一緒に作ってみたい」
「ふふ、はい。作りましょう」
そしてフォルクハルト様の脳もバグるといいね。
そんなこんなで二人の意見が一致したので、布選びはすぐに終わってしまった。
満天の星空と月と月夜の女王というイメージも決まっていたので、デザインが決まるのも早かった。
「前まで布選びなんかあんまり興味もなかったしつまんなかったけど、クレアと一緒だと楽しかった」
「私も、楽しかったです」
「それは良かった。じゃあ予定より早く終わったし、もう街に出る?」
「え、あぁ」
「どこかで一緒にご飯食べて、それから買い物に行こう」
ちらりとメロディのほうを見れば、彼女の顔に「行ってこい」と書かれていた。
そうして私はフォルクハルト様と初めてのデートへと向かうのだった。
ほんの少しでいいから甘えてみるというミッションを抱えたまま。
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