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番外編

薔薇の令嬢は婚約者の顔が見たい

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「クレア様?」

 朝の支度をしてくれているメロディに声をかけられて我に返る。
 完全にぼんやりしていた。

「メロディ、私は夢を見ているのかもしれない」

「現実だと思いますよ」

 まだ何も言っていない。

「いやあの、だってねメロディ、あの……フォルクハルト様がね」

「クレア様のこと大好きなんでしょう?」

「……いや」

「大好きだって言ってくるんでしょう?」

「……そ、う、なんだけど」

 あの夜会の後、魔力ゴリラはどこかへ連れて行かれてしまったまま学園に戻ってくることはなかった。
 あの子がどうなったのかは教えてもらっていない。
 一度マーヴィン様があの子の名を出したことがあったのだが、フォルクハルト様がその名は二度と聞きたくないと仰ったので聞けず仕舞いだったのだ。
 あの"魅了"とやらを悪用しなければ今頃攻略対象キャラクターの誰かとくっついていたかもしれないのになぁ。

「クレア様、あの人を疑っているんですか?」

「まぁ……半信半疑というか……新種の薔薇を狙っての婚約だと言われたほうが納得がいくというか」

「なるほどぉ」

「メロディは信じるの? だってフォルクハルト様、六歳の頃から私のことが好きだなんて言っていらっしゃるのよ?」

 それはさすがに、と言いかけたところで、メロディが笑う。

「それは、嘘じゃないと思いますよ」

 笑い方が完全に小ばかにしている。ぷーくすくす、みたいな笑い方になっている。

「な、なんで」

「だって私、その一部始終を見てますもの。クレア様の隣で」

 ……そうか、王宮に報告しに行った時、私はメロディと一緒だったんだ。

「……覚えてる?」

「もちろん。クレア様のことならなんでも覚えていますとも」

「……詳しく教えてもらえる?」

「もちろん!」

 メロディは元気よくそう言って話し始めた。

 それは新種の薔薇についての報告を終えた後のこと。
 王宮内にいた人々の視線が薔薇に集まっていることに気が付いた私は分かりやすくびくびくしていた。それは私も覚えている。
 そんな私とメロディの視線の先に、ぽつりと座り込む男の子がいたそうだ。
 彼は誰がどう見ても落ち込んでいた。
 メロディが言うにはこの世の終わりでも迎えるのかってくらいどんよりと落ち込んでいたんだとか。
 迷子の可能性もあるし、とメロディが声をかけようとしたところで、私が先に薔薇を差し出した、らしい。全然覚えていない。

「『これ、あげる』って言ったクレア様、ものすごく可愛かったです」

「覚えてない……あ、私他にも何か言ってた? 私のことだから逃げるように立ち去ったと思うんだけど」

「『あなたの髪と同じ色』って言って微笑んでましたよ」

 んんんんんフォルクハルト様も言ってたやつー!
 ってことはやっぱりフォルクハルト様が言ってたことって嘘じゃない……?

「私、そんなこと」

「その後逃げるようにその場から離れてましたけど」

「んん……、あの、フォルクハルト様がその時に一目惚れした……とか、仰ってて……」

「でしょうね。分かりやすかったですよ。真っ赤になってましたからね。薔薇にも髪にも負けず劣らず真っ赤っか」

 でしょうね、って。

「ええ……」

「そりゃああんな可愛いことされたら恋に落ちますよ」

 ということは、フォルクハルト様が仰っていることは、嘘じゃなくて本当だということで……?

「クレア様には言ってませんでしたが、あの人そのころからこの屋敷の周辺をうろうろしてたんですよ」

「ん?」

「とある筋から得た情報によると偶然を装って遭遇して仲良くなってから婚約を申し込もうと思ってたそうです」

 とある筋とは。

「ただまぁクレア様が外を出歩かないから計画は失敗したそうですけど」

「でしょうね」

「強引に婚約の話を進めたのは王宮で色々あったのと、あとはこの屋敷にいたクソじじいと雑魚……間違えた。クレア様の一応家族たちを見てからだそうです」

 王宮で色々あった、というのは私とマーヴィン様を結婚させようという動きがあったという話だろう。
 クソと雑魚はちょっと分からないけど。

「外では会えないと気が付いたあの人が手土産を持って屋敷内に入ってきたことがあるんですよ」

「初耳」

「でしょうね。でもまぁ屋敷に入ってきたのが丁度、クレア様がクソに怒鳴られてる時で」

 普通にクソって言ったな。

「頻繁に怒鳴られていたものねぇ」

「あの人はあの人の従者と私に向かって『クレアちゃんが可哀想。あの野郎を今すぐ消したい』と」

「え」

 あの野郎というのは祖父のことなんだろうけど、気になったのはそこじゃない。小さい頃のフォルクハルト様、私のことクレアちゃんって言ってたの?

「私はあの人がクレア様に一目惚れをした瞬間を見ていましたし、一時の気の迷いでクレア様に言い寄るつもりだろうと思っていました」

「……うん?」

「身分の高い男なんて信じられませんでしたし私の可愛いクレア様が傷つけられてはたまったものじゃないと思っていたのですが、あの人が本気でクソを消す方法を考えていたのでほんの少しだけ手を貸すことにしたんです」

「手を貸す?」

「はい。偶然にも兄があの人の従者になったので」

「え!?」

 公爵家の使用人は代々同じ家系の人たちが付く、みたいな話を聞いたことがあるのだけど……あとメロディにお兄さんがいるだなんて話も聞いたことがない。

「家出したときに家族とは縁を切ったんですが、クソを消すためなら仕方ないなと思って」

 まさかの家出。

「まぁクソはなかなか消せなかったんですが、あの人が本気でクレア様を好きになったんだなっていうのはなんとなく分かってしまって。だから、まぁ援護射撃をするつもりなんてさらさらないんですけど……あの人は本当にクレア様のことが大好きなんだと思いますよ。薔薇狙いとかではなく」

 薔薇狙いじゃなく、本当に……?

「でも、私よ?」

「クレア様は世界一可愛いですからね。あの人はそこに気が付いたんでしょう。人を見る目はありますよね」

「そんなこと言ってくれるのはメロディだけよ」

「あの人も言うと思いますよ」

「んん」

 なぜメロディはそんなに自信満々な顔でそんなことが言えるのだろうか。
 私が罵声を浴びせられていたこともごみのように扱われていたことも知っているのに。

「クレア様はずっとここにいたから気付いてないんだと思うんですが、クレア様にあんな罵詈雑言を吐くのはあの雑魚たちだけだと思います」

「……」

「クレア様が雑魚たちを信じるのか、それとも私やあの人を信じるのか。少なくとも私は本心しか口にしませんよ」

 信じても、いいのだろうか。メロディのことはもちろん信じているけれども。

「あ、馬車の音。お迎えが来ましたよ、クレア様」

「あ、え、はい」

 お迎え、というのは他でもないフォルクハルト様のことである。
 あの夜会の後から一緒に学園に行くことにされたから。なぜか。
 いや、なぜかっていうか「少しでも一緒に過ごせる時間がほしい」と言われたから。
 私に拒否権などない。

「それでは行ってらっしゃいませ、クレア様」

「ありがとう、メロディ」

 そう言って玄関を出れば、そこには猛烈に顔のいい男がいる。

「あ、クレア! おはよう」

 猛烈に顔のいい男がとろけるような笑顔を湛えてそう言っている。
 やっぱり強めの幻覚を見ているんじゃないかと思ってしまう。
 都合のいい妄想なのでは、と。
 ただ、繋いだ手が温かいので、やっぱり妄想じゃなく現実なんだろう。
 高い位置にあるフォルクハルト様の顔をちらりと見ると、思いっ切り目が合った。
 驚いた私は思わず手に力を込めてしまう。
 すると、フォルクハルト様はにこりと笑って同じように手に力を込めてきた。

 いや朝から死にそうなんですがこれは。

 何も言えないまま馬車に乗り込むと、隣に座るフォルクハルト様がほんの少しだけ私に体重を預けてきた。
 重くはないが、密着具合がとんでもなくて心臓が止まってしまいそう。三回くらい止まったかもしれない。マジで。

「あ、一足先にうちに来た薔薇たちはみんな元気だよ」

「本当ですか!」

 薔薇の話題で釣られて顔を上げたら超至近距離で目が合ってもう一回心臓が止まった。これは止まった。

「クレアに教えてもらった通りにお世話してるからね」

 ドヤ顔でそう言うフォルクハルト様が可愛い。

「でもクレアと離れ離れだからきっと寂しいと思う。早く引っ越し作業が終わればいいな」

 そう、現在大半の薔薇たちと離れ離れなのだ。
 なぜなら私がフォルクハルト様の……、いやハーマン家のお屋敷に引っ越すことになったから。
 本来なら学園を卒業してから正式に、って流れだったはずなのにハーマン家の人たちがうちの雑魚たちのことを知ってしまいさっさと私だけ引っ張ろうとしたんだそうだ。
 ちなみに妹の結婚式に呼ばれなかった話を聞いたフォルクハルト様のお母様は大層怒っていらっしゃったらしい。私は見ていないけれど。

「……ねぇクレア、クレアは薔薇のこと好き?」

「はい、好きです」

 素直に答えると、フォルクハルト様はにっこりと笑った。そしてほんのりと頬を染めた気がする。
 ……これは、もしかして、好きですって言わされた感じだったりするのだろうか……?

「……あの、私、フォルクハルト様のことも、好きです」

 笑われたりしたらどうしようかと思ったけれど、私はあの雑魚たちが言ったことよりもメロディの言葉を信じたかった。
 フォルクハルト様を信じたかったのだ。

「……」

 しかし、フォルクハルト様は何も言ってくれなかった。
 もしかして、嫌な気持ちにでもさせてしまったのだろうかと恐る恐る顔を上げると、そっぽ向いてしまったフォルクハルト様の耳が視界に入る。

「……真っ赤」

「待って、クレア。今こっち見ないで」

「あの」

「今俺絶対変な顔してるから……折角好きって言ってもらったのに嫌われるかもしれない」

 あの超絶顔のいい男の変な顔ってどんな顔だろう、というシンプルな好奇心で、私はフォルクハルト様の顔を覗き込もうと試みる。

「ちょ、無理無理無理なんでこんな時だけぐいぐい来るかな!?」

「え、ごめんなさい……」

 覗き込もうとするのをやめて一旦引いたら、フォルクハルト様がちらりとこちらを見る。

「あ、謝らなくてもいいんだけどね」

「真っ赤」

「んぐぐ」

「私、真っ赤な薔薇が一番好きなんです」

「なんで今それ言うの」

「え、いえ、フォルクハルト様が薔薇みたいだったから……」

 私がそう呟くと、フォルクハルト様がぐいぐいと全体重をこちらにかけてきた。さすがに重い。

「俺のクレアが世界一可愛い……」

「つ、潰れそうですフォルクハルト様」

「逆にこれだけ密着すれば顔見られなくて済むから」

 言われてみればフォルクハルト様の顔は今私の頭上にあるので覗き込むことが出来ない。
 ちょっと残念だなと思っていたその時、馬車ががくんと揺れた。

「痛っ!」

 そんなわけで、フォルクハルト様も私もぶつけ合った頭を押さえながら学園への門をくぐることになったのだった。

「仲良しだな、お前ら」

 というマーヴィン様の声を聞きながら。




 
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