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薔薇の令嬢は逃げ出したい
しおりを挟む私は今、とても憂鬱である。
今までの人生でこれほどまでの憂鬱を感じたことがあっただろうか。
……あったな。あの祖父の顔を見なければならない日は死ぬほど憂鬱だったな。
と、嫌なことを思い出してしまったせいで憂鬱レベルが3くらい上がってしまった。
なぜこんなにも憂鬱なのかと言うと、今日が例の夜会の日だからである。
なぜ私に招待状が届いたのか、何度考えたって分からない。
一応婚約者ではあるけれど、普段は完全スルーなわけで。
しかも一応婚約者なのにエスコートはしないときた。
そのせいで私は第一王子が用意するという知らない人と行かなければならないのだ。
ただでさえ人間が苦手なコミュ障なのに知らない人と夜会に行くなんて辛すぎる。
しかも会場にだって知り合いはいない。ぼっちだぼっち。
いやまぁそもそも会場でなくとも私に知り合いなんかいないんだけどね。
あぁいやだ悲しい辛い。
「綺麗ですよクレア様」
私にお化粧を施してくれているメロディが言う。
「……ありがとう」
そう言った自分の声が思ったよりも小さくて、なんだか情けなくてさらに気分が下がっていく。
「行きたくない、ですよね」
「まぁ、そうね。エスコートしてくれるのがメロディだったら良かったのに」
「今すぐにでも性別を変えられたら私が一生エスコートし続けるんですけどね」
一生は長いな、なんて笑おうと思ったが、メロディの目がわりとマジだったので渇いた笑いを零すのが今の私の精一杯だった。
「しかし、どなたがクレア様のエスコートをするんでしょうね」
「第一王子が用意するって仰ってたけど」
「第二王子あたりですかねぇ」
可能性としては、まぁありそうだよなぁ。一応は顔見知りだし。
他の顔見知りは会長くんだが、会長くんには彼女がいるし。
「婚約者がいるはずのクレア様のエスコートに第二王子……」
「おかしな話よね」
本来なら兄弟あたりがエスコートするものなんだろうけど、うちには生憎まともな人間がいないからなぁ。
今日だってきっとどこかで問題を起こしたり揉み消したりしているんじゃなかろうか。
「クレア様が嫌な思いをするくらいなら行かないほうがいいんじゃないでしょうか」
「でも第一王子の言いつけは守るように言われているもの」
「占いですよねぇ?」
「占い。だけどなんだかよく分からないことに巻き込まれているらしいってことは事実だって第一王子が」
「誰だ私の大切なクレア様を変なことに巻き込んだ奴……」
メロディが小さな声で呟いたところで、私の頭頂部に止まっていた蝶がひらりと舞う。
『迎えが到着いたします』
ということは、噂のエスコートしてくれる人がもうすぐ来るのだろう。
あぁ緊張でお腹が痛い。
小さなため息を零しながら、玄関を目指す。
そこでふと気が付いた。
フォルクハルト様が私をエスコートしないということは、私ではない他の誰かをエスコートするということ。
その他の誰か、というのが魔力ゴリラである可能性もなくはない。
要するに、婚約破棄を告げられるイベント的な感じなのでは? と。
そんなイベント、確かゲームには存在しない。しかし現状はもうゲームのシナリオとは完全にかけ離れてしまっているのだ。
私が知らない"イベント"がどこで発生してもおかしくない……のかもしれない! 分かんないけど!
分かんないけど、婚約破棄をされるとなれば私の留学は可能になるわけだ。
まぁロータスさんは留学の件についてはやんわりと言葉を濁していた気がするけど、どちらにせよ婚約者の許可なんかなくても隣国に行けるようになることには違いない。
そうだ、それだけを考えよう。
婚約破棄は悪いことではない。大丈夫。私は傷つかない。平気。
そう何度も何度も自分に言い聞かせながら、玄関でお迎えの方を待つことにした。
それから程なくしてお迎えの方はやってきた。
「初めましてクレア嬢」
私は緊張で俯いたまま顔が上げられず、勇気を振り絞って彼のつま先、膝、そして胸あたりを見たところで彼が深く頭を下げた。
顔は見えないけれど、髪の色は薄い緑色だった。私と同じだ。
「は、初めまして」
「どうもどうも、僕の名はレンです」
彼はそう言って流れるような動きで私の手を取って、そのままぐいっと私の顔を覗き込んできた。
ばちりと合ってしまった目は、ありふれた青い瞳だった。こっちも私と同じだ。
「……あれ?」
「さてさて馬車へどうぞ」
私の言葉なんかお構いなしに、レンと名乗った彼はぐいぐいと手を引いて馬車を目指す。
「あの、あれ、あ、え?」
「はいどうぞー」
「あ、どうも」
私は混乱したまま馬車へと押し込まれた。
彼が乗り込んだのを確認した御者さんが御者台に乗り、馬車は動き始める。
「いや、え? し、死んだはずでは?」
「ははは。転移魔法が使える人間を殺すのは容易ではありませんよ」
私の目の前に現れたのは、新聞に殺害されたと書かれていたロータスさんだった。髪や瞳の色は違うけど。
確かロータスさんは黒髪に紫色の瞳だったし。
「逃げた、ってことですか? でも新聞には」
「そうですね。簡単に言えば逃げました。家ごと爆破されましたからね。しかし土人形を俺だと判断してもらえました。都合よく」
都合が良すぎませんかね。ただの土人形なら魔力の残骸もほとんどなくて遺体だと判断されないってどこかで聞いたことがあるのだけど。
「判断したのは第一王子です」
「……ということは?」
「第一王子は全て知っている。……なんて。まぁ殺人犯を泳がせるために死んだことにされた、みたいなものです」
悪意を持って妙なカードを作るわ私を誘拐するわで第一王子に殺されたんじゃないかと心配したけど、そんな心配の必要はなかったらしい。少し安心した。
「で、あの、その髪色と瞳の色は……」
「あぁ、これ! 似合います?」
「え、あの、えーっと、はい」
「魔法で弄ったんですよ。あなたと同じ色にね」
「魔法で」
そんなこと出来るんだぁ、と私は彼の髪をじっくりと見る。
「これであなたとあなたの家族をよく知らない人なら兄弟だと思うでしょう」
「そう……ですかね?」
顔の整い方が違う気がするんだけどその辺は大丈夫なのだろうか。
「ジェニー・サリスはあなたのこともあなたの家族のこともよく知らないはずだ」
ジェニー・サリス、魔力ゴリラだな。やっぱり来るんだ、あの子。
「あなたも気付いているとは思いますが、あの女はあなたを敵視している」
「あぁ……」
身に覚えがあったので、私は軽く頷く。
「あの女は、手を尽くしてあなたを悪者に仕立て上げたでしょう?」
「……手を尽くしてというか、始まりは体当たりでしたね」
あれは私がどこにいたってどこからともなく現れる不思議な現象だった。
「あなたの居場所がすぐに分かる魔法をかけていたんですよ」
「あの子に?」
「あなたに」
「私に」
「こっそりとね。俺はあなたにありとあらゆる魔法を重ね掛けした。それこそ第一王子の鑑定魔法でも鑑定出来ないように小細工を重ねて」
「なんで!?」
私は彼に非難の目を向けたのだが、彼は楽しそうに笑うだけ。
「俺は表面上、あの女の味方でいなければならなかったから。大変でしたよ。鑑定魔法で得体の知れない魔法だと鑑定されるように小細工するの」
「私、どんな魔法がかけられてたんですか……?」
「まずは位置が分かる魔法。その他は食べ物がなぜかとても美味しく感じる魔法だったり授業の理解力が深まる魔法だったり躓いても転ばない魔法だったり、その他諸々小さな小さな補助魔法を複雑に」
「まさかの親切な魔法」
「言ったでしょう。今後起きることのためにあなたには生きていてもらわなければいけないって」
確かに言われたけれども。
「じゃあ害のある魔法は」
「どれも毒にも薬にもならない魔法です」
無害ならいいや。
「でも、あの子……ジェニーは私や私の家族を知らないと言っても、ロータスさんのことは知ってるんですよね?」
「やだな、僕はレンですよ」
一人称が変わった、と思ったら、彼が人差し指を立てていた。
そしてその人差し指を己の額に当て、そのまま真っ直ぐ顎まで下ろす。
するとあら不思議、今までロータスさんだったはずの彼の顔が認識出来なくなった。
なんだかよく分からないけれど、見たことのない、どこにでもいるような顔に見えるのだ。
「……すごーい」
少し怖いくらいに認識出来なかったので、私はそんな間延びした言葉を零すことしか出来ない。
「最初からこの顔で迎えに行っても良かったんですが、怖がるかなと思いまして」
「怖いですね。ちゃんと見てるはずなのにぼんやりして見えるっていうか、頭が痛いです」
「そういう魔法ですから」
不思議な魔法もあるもんだ、と思いながら、私は己の目頭を揉む。真っ直ぐ見ているはずなのに寄り目になっている気分なのだ。
「さてクレア嬢」
「は、はい」
「心の準備のために言っておきますが、今日の夜会にはフォルクハルトがいます。ジェニーと一緒に」
「……はい」
「大丈夫そうですか?」
「……分かりません」
「まぁ僕が隣にいるので、彼らの顔なんか見ずに床とにらめっこをしていてください」
「床とにらめっこ」
床とにらめっこをしてろなんて初めて言われたな。
でも、そう言われなくとも顔を上げられる気はしていなかったので少し安心する。
「それから先日言った通り、第一王子の言葉は一言一句聞き逃さないように」
「第一王子も夜会に参加を?」
「使い魔がいるでしょう」
使い魔からの伝言も聞き逃すなということか、なるほど。
そう思いながら、私はそっと後頭部に触れる。そこには髪飾りに擬態した赤い蝶がいた。
「着きましたね。行きましょうか」
「はい」
「それから、僕はレンですので、ロータスとは呼ばないように」
彼は唇に人差し指を当てて悪戯っぽく笑っているようだったが、顔が認識出来ないせいでちょっとよく分からなかった。
「頑張ります。よろしくお願いします、レン様」
「こちらこそよろしくお願いします、クレア嬢」
そう言って、私たちは戦場へと赴くのだった。
お屋敷内のホールに足を踏み入れると、溢れる光の渦に慄きそうになる。
煌びやかなシャンデリアや、その光を反射した淑女の皆様のアクセサリーが光り輝いていた。
耳に飛び込んできたのはあちこちで会話の花を咲かせる貴族たちの声。そして音楽家の皆様が演奏する穏やかなテンポの楽曲。
鼻腔をくすぐる料理の美味しそうな香りだけが癒しだった。
慣れない空気にお腹が痛くなり始めた頃、ぽんぽんと手を叩かれてハッとした。
「クレア嬢、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい」
ロータス、いやレンさんの腕をわりと強い力で握ってしまっていたのだ。
「少し夜風にでも当たりに行きましょうか」
「はい」
レンさんに言われるがまま、私は彼に付き従う。
付き従うしかないのだ。なぜなら私は床とにらめっこをしていなければならないので。
夜風に当たるということは庭園に出るということだろう。このまま庭園に出るとなると、私は地面ともにらめっこをするべきなのだろうか?
そんなことを考えていると、背後から足音が聞こえてきた。
「あら、ごきげんようクレア様」
突然名前を呼ばれて、またしてもレンさんの腕を掴む手に力が入ってしまう。
音楽家の皆さんが演奏していた曲が終わり、これだけの人数が集まっているにも関わらず一瞬だけ静寂が訪れた。
「あなたにお話があるのよ。私と、フォルクハルト様から」
その声は、ホール内に響き渡る。
きっと、顔を上げればそこにはフォルクハルト様がいる。
彼を見てしまったら、やっぱり私は傷つくのだろう。
隣国に行くためには彼を忘れなければならないと何度も自分に言い聞かせたけれど、彼の顔を見ても同じように思えるかどうかは分からないから。
「仰って、フォルクハルト様」
魔力ゴリラの猫なで声を聞いて、私は顔を上げそうになる。
しかし、顔は上げられなかった。フォルクハルト様を見たくないという気持ちのせいだけではない。
足元に、見覚えのある虫がいるのだ。
シャンデリアの光を受け、きらりと輝くタマムシが。
これは、もしかしなくても第一王子の使い魔なのでは?
「クレア、君に言いたいことがあるんだ」
あぁ、私の頭上でフォルクハルト様の声がする。久しぶりに名前を呼んでもらえた。
『クレア、聞こえているか!』
あぁぁタマムシから第一王子の声がする! 伝言じゃなく直通で第一王子の声がしている……!
「君との婚約を、破棄させてもらおう」
『今すぐその場でしゃがんで膝を付け! 両手で顔を覆って目を守れ! 光るぞ!』
何が光るのかは分からないけれど、切羽詰まった第一王子の声が少し怖かったので言う通りに動いた。
しかし頭上で婚約破棄を告げられたっぽいし今このタイミングで膝をついて顔を覆ったらすげぇ悲しんでるみたいに見えない? 大丈夫?
「ふふ、あはは! あはははは! これであなたは終わり、この人は私のもの!」
魔力ゴリラの高笑いが聞こえたと思ったら、どこかでドンという轟音が響く。
そして第一王子の言った通り、すぐそばで何かが光る。
「うっ」
強い光と風に怯んでいた私を、懐かしい香りが包んでくれた。
応援ありがとうございます!
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