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第二王子は縋りたい

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 我々も無事進級することが出来た。
 しかし進級したからと言って何か変わったことがあるのかと問われれば、時間割が変わった程度で大きな変化はない。……と、思っていた。

 あったな、一つだけ。

 婚約者に近付けなくなって、心から笑うことがなくなってしまった我が親友フォルクハルトが、週に一度だけとても嬉しそうな雰囲気を醸し出す日があるのだ。
 まだクレアちゃんに近付くことは出来ないけれど、あいつに何か嬉しいことがあったのならそれはいいことだと思った。そして俺は尋ねたのだ。何かいいことでもあったのか、と。

「席が窓際になったから、教室を移動するクレアの姿が見られるようになったんだ。週に一度だけど」

 照れ臭そうに笑う親友の嬉しそうな顔が、こんなにも可哀想に見えることがあるだろうか?
 週に一度、たった一瞬一目見るだけでこんなにも嬉しそうな顔をする。
 初々しい恋物語といえば聞こえはいいが、事情が事情だけにただただ可哀想である。
 しかも、その一度のタイミング以外も、やつは窓の外ばかりを見ている。
 探しているのだ、クレアちゃんの姿を。

 健気だなぁ、フォルクハルト。

 ただクレアちゃんのほうはまったくもって気が付いていないようで、今のところ彼女がこちらを見たことはない。

 そんなある日のこと。
 いつものように窓の外を見ていたフォルクハルトの嬉しそうな表情が崩れた。
 そしてそのまま怒りの色に変わっていく。
 何が起きたのかとフォルクハルトの視線を追うと、そこには男に捕まってしまったクレアちゃんの姿があった。
 あの男は、確かバッハシュタイン家の……バルトロメウスか。
 クレアちゃんとあの男、知り合いだったのか?
 いや、クレアちゃんは極端に知り合いの少ない子だし知り合いではないと思うが。

 あぁ、ほらやっぱり。クレアちゃんがぐいぐい迫られてどんどん小さくなっていく……!

 可哀想なくらい小さくなっていくクレアちゃんを助けたいが、フォルクハルトを差し置いて俺が助けに行くわけにはいかない。
 行ったらおそらく戻ってきたところで大目玉を食らうだろう。フォルクハルトからの。
 そして当然フォルクハルトはクレアちゃんに近付くことが出来ないので助けられない。……はずなのだが、フォルクハルトの椅子ががたりと音を立てる。
 立ち上がり、彼女のもとへ駆け出そう、きっとそう思ったに違いない。
 しかしそれは未遂に終わった。
 何故ならクレアちゃんが脱兎のごとく逃げ出したから。
 あの子がちゃんと逃げ出せる子で良かった。
 小さくなって固まるだけだったらどうしようかと思った。
 バルトロメウスがクレアちゃんに触れようものなら、フォルクハルトが怒り狂うところだっただろう。危ない危ない。
 と、内心ほっとしていたのだが、安堵するにはまだ早かったようだ。
 なんとこちらに気付いたらしいバルトロメウスがフォルクハルトのほうへと近付いてきているではないか。
 一触即発、そんな雰囲気を感じる。

「そういや君、あの薔薇の子の婚約者だったっけ?」

 バルトロメウスがフォルクハルトに声をかけている。

 っつーかどうでもいいけどフォルクハルトとバルトロメウスって、二人とも名前長くね?

「婚約者だ」

「今も婚約者なの?」

「あぁ?」

 雰囲気どころじゃなく一触即発だ、これ。

「いや、悪い悪い。違う子と一緒にいるとこ見た気がして」

「……」

 返す言葉を失ったフォルクハルトは、口元を手で覆い、バルトロメウスから視線を逸らした。
 俺が言い返してやりたいところだが、下手に何かを言ってしまえばフォルクハルトの我慢を一瞬で無駄にしてしまう。
 そんなことは出来ない。
 バルトロメウスはまだ何か言おうとしていたけれど、次の授業に間に合わないと呟いてそのまま己の教室へと戻っていった。
 その後の授業内容は、一つも頭に入ってこなかった。
 バルトロメウスめ、フォルクハルトの小さな楽しみを邪魔しやがって。
 ……とはいえ、あいつも悪意を持って言ったわけではなく、ただ純粋に疑問を投げかけただけだったのだろう。多分、だが。
 いくら"学園内では身分など関係なく振舞うこと"という規則があるとしても、次期公爵のフォルクハルトやその近くにいる第二王子である俺にあからさまな悪意を向けてくる無鉄砲な奴ではないはずだし。……多分。

「行くぞ、フォルクハルト」

 放課後、俺は急いでフォルクハルトに声をかけた。
 するとフォルクハルトは力なく「あぁ」と零す。
 案の定、生気がない。
 週に一度の楽しみを奪われただけでなく、自分以外の男がクレアちゃんと話していたところを目撃した上にその男からおそらく無意識とはいえ煽られたわけだからな。

「愚痴ならいつもの部屋で聞く」

 いつもの部屋というのは、例の魔法が一切使えないあの部屋だ。
 あの部屋ならば盗聴系の魔法だって使えないし愚痴も暴言も吐き放題。好きなだけ吐き出せばいい。
 そんなことをフォルクハルトに言い聞かせながら、俺たちは足早にいつもの部屋を目指す。
 今あの"魅了の女"に遭遇するわけにはいかないから。
 今遭遇すればあの女はフォルクハルトのことなどお構いなしにベタベタとくっ付いてくる。
 今のフォルクハルトにあの女を近づけてはならない。フォルクハルトの我慢の限界が来てしまいそうだから。

「俺が! どれだけ我慢していると思ってるんだ……!」

 部屋に着くや否や、フォルクハルトが叫ぶように言う。

「俺は最低だ……」

 今度は消え入るような声で言う。情緒が不安定である。

「助けてあげたかった」

「そうだな」

「クレアを助けてあげられるのは、守ってあげられるのは俺だけなのに」

「そうだな」

 フォルクハルトは手近にあった椅子にどさりと腰を下ろし、両手で頭を抱える。

「……でも、クレアは俺なんかに守られたくないかもしれない」

「そんなこと」

「クレアにとっては、俺はただの浮気者だからな」

 返す言葉が見つからなかった。
 理由さえ、事情さえ知ってくれれば浮気者なんかじゃないと分かってもらえるはずなのに、説明すら出来ないのがもどかしい。

「俺は……最低だ」

「フォルクハルト」

「怯えて小さくなったクレアを見て、可愛いと思ってしまった」

 あの状況で?
 それは確かに最低だと思う。

「あと俺もどちらかといえば怯えられていたが、あそこまであからさまに怯えられたことはなかった。ってことは、俺はあいつほど嫌われてないんだと少しほっとした」

 婚約者に怯えられ慣れてる感じがそこはかとなく可哀想だ。

「……あと、猛烈に悔しいが、あいつがクレアに声をかけたことでいつもより長くクレアが見られた」

 移動教室の途中なわけだし、いつもならただ通りすがるだけだもんな。

「それはそうと……」

 俺が話題を変えようと思って口を開いたところで、ノックの音がした。
 外に誰かいるらしい。
 俺たちがここにいる間は誰も来ないように従者に言ってあったはずなんだが。

「はい」

 ノックの音に応えると、外から声がかけられる。

「入るぞ」

 そう言って、問答無用で入ってきたのは……。

「あ、兄上」

 俺の兄であり第一王子、この国の次期国王だ。
 兄上は金色の髪をきらめかせながら室内へと乱入してきた。そしてソファに腰を下ろした。

 仕事で忙しいはずの兄上がなぜここに?

 そう言おうとしたけれど、真夏の青空のような澄んだ青い瞳がこちらを向いた途端、俺の口は縫い付けられたように閉じてしまった。
 兄とはいえ歳は十歳ほど離れているし、仕事漬けの兄上とはほぼ顔を合わせることがないため、顔を見ただけで緊張してしまう。

「クレア・ローラットの件だが」

 唐突に本題に入るらしい。
 その名を聞いて、フォルクハルトが息をのんだ気配がした。

「彼女の件は、お前たちに任せたはずだったな?」

 兄上の青い瞳が、フォルクハルトのほうへ向く。

「彼女が、なにか……?」

 フォルクハルトが言う。

「俺の使い魔が、彼女の温室の上で新種を探知した」

「!?」

 俺もフォルクハルトも目を瞠る。
 新種の薔薇が咲いたということは、彼女が王宮に来るということ。
 彼女がこの部屋に来てくれれば、フォルクハルトの事情を説明することが出来るかもしれない!

「探知したのはもう数ヵ月前だ」

「す、数ヵ月!?」

 ということは、数ヵ月前にはもう新種の薔薇は咲いていたのか?
 それなのに王宮に来ていないということは……?

「このままでは、新種を隠蔽したことになるが?」

「クレアはそんなことしません!」

 フォルクハルトは叫ぶように言った。
 新種を隠蔽したとなると、クレアちゃんは最悪牢獄行きだ。

「してるんだよ、そんなこと。数ヵ月待ったが彼女は来ない。そろそろ隠し通せないぞ」

 兄上は、隠して待っていてくれたのだ。

「お前から、彼女に王宮へ来るように言え。婚約者だろう」

 兄上がそう言うと、フォルクハルトは何も言わずに俯いた。

「なんだ? 言えないのか? 俺が貰うから王家には渡せないって啖呵切って婚約したくせにか?」

「う……」

「お前がクレア・ローラットを溺愛しているのは知っているが、王宮に来たくない彼女と一緒になって新種を隠蔽するのはよろしくないだろう」

「違……」

 ああ、兄上がフォルクハルトの傷に塩を塗りつけている……。可哀想だからやめてあげてほしい。

「あの、兄上、少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

 フォルクハルトを見詰めていた澄んだ青が、こちらを向く。
 意を決した俺は、フォルクハルトとクレアちゃんの現状を包み隠さず兄上に報告した。


「"魅了"だぁ? そんな魔法を使える小娘がいるとはな。で、クレアに得体の知れない魔法がかかっている、と」

 眉間にこれでもかという深さのしわを刻んだ兄上が頭を抱えた。

「得体の知れない魔法がなんなのかは分からないのですが、フォルクハルトが近付いた後、数日間クレアちゃんが学園を休んでしまい……」

「要するに、厄介な魔法かもしれないってことか。分かった」

 分かった、とは、何が分かったのだろう、なんて思いながら呆けた顔で兄上を見ていると、彼の唇が美しく弧を描いた。

「新種隠蔽の件もある。俺が直接クレアのところへ行こう」

「そ、そんなこと」

 そんなことしたらまたクレアちゃんが怯えて小さくなってしまう……!

「お前は近づけないんだろう、フォルクハルト」

「……は、はい」

「じゃあ俺が直接行く。新種の件も厄介な魔法の件も俺がこの目で確かめる」

 確かに、兄上の鑑定魔法さえあれば、クレアちゃんにかけられた得体の知れない魔法の正体が分かるかもしれない。
 でも、新種の隠蔽と判断されてしまえば……。

「……いや、そんな真っ青にならなくても即牢獄ってわけじゃねぇから。心配するな」

 兄上は呆れたようにため息を零しながら言う。

「す、すみません」

「しかしまぁ、フォルクハルトがクレア以外の女の子に心変わりした、っつー妙な噂も気にはなっていたんだ」

 あぁ、兄上のところまで噂は飛んでいたんだな。

「心変わりなどするはずがありません」

「だろうな。こっちが恥ずかしくなるくらいの片想いだったしな。しかし片想いが長すぎてついに心が折れたのかとも思ってな」

「……折れません」

 真っ赤になったフォルクハルトが小さく呟いた。
 兄上は楽しそうに笑っているけれど、俺はフォルクハルトの可哀想っぷりを見て胃のあたりが痛くなってきている。

「ま、俺に任せておけ」

 兄上はそう言って俺とフォルクハルトの頭をぐしゃぐしゃと撫でてからこの部屋を後にした。

「……良かったなフォルクハルト。兄上が協力してくれる」

「……あぁ、良かった」

 良かったと、思ってはいるのだろうが、兄上に塗りたくられた塩が沁みているのか、意気消沈している。可哀想に。

「良かったけど、隠蔽ってどういうことだろう」

 フォルクハルトの呟きに、俺も首を傾げる。

「クレアちゃんが隠蔽なんてするとは思えないけどな」

「思えない」

 疑問は沢山あるが、兄上に任せておけばきっと大丈夫だろう。
 あの人は次期国王であり、この国随一の鑑定魔法の使い手。そして俺の自慢の兄なのだから。




 
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