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侍女は物申したい

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 クレア様の第一印象は、芋虫だった。
 陰で悪辣クソ爺と呼ばれていたクレア様の祖父に当たる男に怒鳴られ悪口を言われ、親族からも陰口を叩かれ白い目で見られ、そのたびに肩をすくめて小さな身体をさらに小さく小さくして、その姿はさながら芋虫のようだったのだ。
 ただ、あの子は芋虫のように小さくなるだけで泣かなかった。
 もしかしたら陰でこっそり泣いていたかもしれないけれど、人前では泣かなかった。
 そして、どんなに理不尽な悪口や陰口にも反論一つしなかった。
 すべてを我慢していたのだ。
 素晴らしい根性だと思った。それと同時にこの芋虫はきっと将来美しい蝶になる、そう確信した。

 私がローラット家で働くことに決めたのは、実家から遠かったから。
 そしてローラット家の評判がすこぶる悪かったからだ。
 評判の悪い家で働けば波乱だらけで退屈しないだろうと思って。
 さらに退屈さえしなければあとはどうでもいい、そう思って悪辣クソ爺に目をつけられていたクレア様付きの侍女に立候補した。
 そんな「人の不幸は蜜の味」のような下らない考えを持った私に対して、クレア様はとても優しかった。
 最初こそ必要最低限の会話しかせず、一切懐いてくれないなと思っていたのだけれど、彼女は懐いてくれていないわけではなかったのだ。

「必要以上に私と一緒にいたらメロディまで嫌われ者になっちゃうよ」

 幼いあの子は確かにそう言った。
 誰からも相手にされず寂しかったであろうあの立場で、好き勝手使うことの出来る侍女に縋るわけでも八つ当たりするわけでもなく、ただただ私に気を遣っていたのだ。
 そうしてあの子は毎日毎日一人ぼっちで読み書きの練習をしたり、庭の片隅でただぼんやりと空を見上げたりして過ごしていた。
 その姿に生気はなく、いつの間にかひっそりと死んでいても誰も気が付かないのではないか、と不安になる。
 あの子が可哀想な芋虫のまま、蝶になることなく死んでいくなんてあってはならないことではないか?
 今死ねば、原因は絶対にあの悪辣クソ爺を含むあの子の親族なのだけれど、そいつらはどう思う?
 きっとなんとも思わないだろう。
 アイツらは足元で虫けらが死んでいたって、その死の原因が自分が踏みつぶしたからだと気付けない。気付くような人間じゃない。
 だって、皆が皆、揃いも揃って自分のことしか考えていないんだもの。
 今あの子を、クレア様を守れるのは私だけ。
 あの雑魚どもを蹴散らすことが出来るのも私だけ。
 クレア様は優しいから、復讐なんて考えもしないだろう。望みもしないかもしれない。
 けれど、それでは私の気が済まない。

「遅いぞ」

「あら、どちら様でしたかしら?」

 考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか目的地についていた。
 そしてそこには、私を呼び出した男が佇んでいる。

「フォルクハルト・ハーマン様の従者、ヨハンだ」

「まぁ、初めまして」

「まったくもって初めましてじゃねえわ。さっさと行くぞ、時間が惜しい。ったく毎度毎度同じやりとりをやらせやがって」

「はいはいヨっちゃん」

「誰がヨっちゃんだ誰が!」

 ヨハンはやかましくキレ散らかしながら私の前を歩く。
 そしてそのまま個室完備のカフェへと足をすすめた。

「クレアちゃんの様子を教えてくれ」

 注文したものがすべて運ばれてきたことを確認したところで、ヨハンが本題に入る。……が。

「馴れ馴れしいな、クレア様って呼べ。あとそれが人にものを頼む態度ですかぁ?」

 私は運ばれてきたコーヒーの湯気を眺めながら言う。

「……クレア様の様子を教えてください」

「うん。まぁ、相変わらず。今はあれこれ勉強に励んでいるみたい。体調には特に問題なし」

「そうか。それは良かった……」

「心労はあると思うから、一概に良かったとは言えないけど」

「……それは、まぁ、その」

「その心労の最大の原因はフォルクハルト」

「……な、馴れ馴れしいな」

「フォルクハルト(敬称略)」

「(敬称略)」

「クレア様に害なすものは私にとって皆敵」

「相変わらず崇拝してるな」

「まぁね」

 ぽんぽんと会話を交わし、一旦落ち着こうとお互いコーヒーを口に含む。
 甘くて苦い液体が胃の中に流れ込んでいく。
 胃が温まると、ほんの少し心が落ち着いた。
 クレア様の心労の原因がフォルクハルト(敬称略)だけのせいではないことは知っている。
 それだけじゃなく、フォルクハルト(敬称略)の側にいる女が原因だということも、その女のせいでフォルクハルト(敬称略)も同じく心労に苛まれているということも知っている。
 知っているけれど、私の手ではどうすることも出来ない。それが腹立たしい。
 だからこうしてヨハンに八つ当たりをしているのだ。

「新しく分かったことは?」

「今のところはなにも」

「え、なに? 私、なにも分かってないのに呼び出されたの?」

「呼び出したのはこれが渡したかったからだ」

 そう言ってテーブルの上に置かれたのは、クレア様の大好物であるミルクジャムだった。
 遠方の小さな村で作られている入手困難なやつ。

「許そう。これはクレア様が喜ぶ」

「ありがとう。喜んでもらえるなら、俺も必死で買いに行った甲斐がある」

 お前が買いに行ったんかい。

「わざわざ買いに行ったんだ」

「あぁ。お前がクレア様を大切に思っているように、俺もフォルクハルト様を大切に思っているからな」

「ふぅん……」

 公爵家の内情は知らないが、ヨハンとフォルクハルト(敬称略)のほうにもいろいろとあるのだろう。

「先日のお菓子も喜んでたよ、クレア様」

「そうか」

「ただの知人からもらったことにしたけど」

「ただの知人」

「だってクレア様の前で公爵家がどうとかフォルクハルト(敬称略)がどうとか言っちゃいけないんでしょ」

「まぁそうだけど」

 と言いつつも、ヨハンはどこか不服そうだった。

「クレア様につけられたあの得体の知れない魔法、不気味なのよね」

「見えるのか?」

「気配を感じる程度。襲い掛かってくるくらいしてくれれば実力行使で蹴散らせるんだけど」

「お前の魔力をもってしても気配を感じる程度か」

 ヨハンは深いため息を零す。

「ドカ食いして魔力を溜め込んだ状態でも見えなかった」

「強制的に魔力を上げても無理か、やっぱり」

 そう、私は物をたくさん食べるとそれだけ魔力が上がる。一時的なものだけれど。
 だから暴飲暴食をしても太らずに魔力だけが上がるのだ。
 ただ一時的に魔力を上げられるものの、その後で猛烈に具合が悪くなるのであまりいい能力ではない。
 いつだったか、以前クレア様にその話をちらっとした時「食べても太らないなんて羨ましいと思ったけれど、具合が悪くなるのは辛いよね。何も考えずに羨んだりしてごめんなさい」と言われた。
 なんとも可愛い人である。あまりの可愛さに正直悶絶した。

「クレアちゃんについた魔法の詳細が分かるまでは、やっぱり打つ手なしか……」

「馴れ馴れしいな、クレア様と呼べ」

「はいはいはいはい。いやぁ、小さい頃から知ってるしフォルクハルト様にぐいぐい言い寄られてもじもじもごもごしてる姿がいじらしくてどうしてもクレアちゃんって言っちゃうんだよな。本人の前では言えないけど」

 確かにもじもじもごもごあわあわしてるクレア様は心底可愛い。それは否定しない。でも馴れ馴れしいのは許さない。たとえここに本人がいないとしても。

「しかしそんな薄気味悪い魔法が使えるなら雑魚どもに使ってくれればいいのにな」

「……その雑魚どもというのは?」

「クレア様の親族ども」

 食い気味で答えれば、ヨハンは呆れたようにため息を零す。

「お前な。お前はクレア様の侍女である以前にローラット家に雇われてるんだからな」

「そうだっけぇ?」

「お前、ローラット家の人たちのことをなんだと思ってるんだ……」

「お、今日も虫けらがいっちょ前に言葉操ってんな! と思ってる」

「やめてさしあげろ」

 なんせクレア様に害なすものは皆敵だと思ってるもんで。
 というかヨハンだってやめろと言いつつ笑っちゃってるじゃん。

「噂で聞いたが、今ローラット家は大変なんだろう?」

「何かと大変みたいだね」

「他人事みたいに」

「クレア様以外がどうなろうと知ったこっちゃないもん」

 けらけらと笑えば、ヨハンは呆れたようにため息を零しながらこめかみのあたりを揉んでいた。

「まぁ、クレア様は将来的にフォルクハルト様のところに来るからローラット家に万が一のことがあっても……と思わないこともないが」

「……ハーマン家に嫁いで、クレア様は本当に幸せになれる?」

「は?」

 私の問いかけに、ヨハンはきょとんとしながら間の抜けた声を出す。

「学園では、フォルクハルト(敬称略)が浮気者みたいになってるんでしょ」

「クレア様を人質にとられているからな」

「でもその肝心な"人質"の部分はクレア様に一切伝わっていない」

「クレア様につけられたあの薄気味悪い魔法の解明が出来ない限り迂闊には伝えられない。慎重にならなければ、クレア様に何かあってからでは遅いんだよ」

 そう言われてしまえば、やはりどうすることもできないのだろう。

「それなら……、クレア様を隣国に留学させてあげたらどうなの? 得体の知れない魔法っていっても他国に避難させればどうにか」

「それは無理だ。得体の知れない魔法だからこそ我々の側を離れるのは……」

「私がついて行く」

「確かにお前は強いが、それでもあの得体の知れない魔法の気配程度しか分からないんだろう?」

「それは……そうだけど」

「そもそもクレア様を隣国には出せない。王家に阻止される」

「……でも、クレア様が可哀想」

 見た目ではとんでもなく分かりにくいけれど、クレア様は確かにフォルクハルト(敬称略)に恋をしている。
 もじもじもだもだあわあわしている印象が強すぎるせいで、おそらくフォルクハルト(敬称略)には伝わっていないだろうが。
 それなのに何も知らずに浮気されている様を見せつけられるなんて、可哀想にもほどがある。

「可哀想なのは百も承知だ。フォルクハルト様も、それはもうものの見事にやつれてしまって可哀想なことになっている」

「まぁそりゃそうだろうね。会ってもなければ話してもないんでしょ」

「近付くわけにはいかないからな」

 薄気味悪い魔法を無視したフォルクハルト(敬称略)がクレア様に近付こうとしたところでクレア様が体調を崩した、と、ヨハンはそう言っていた。
 体調を崩したクレア様については、私もよく知っている。
 どんな状況でも負けずに我慢し続けていたクレア様が気分が悪いから学園をお休みすると言ったあの日のことだ。
 夜のうちから顔色が悪いと思っていたが、翌朝になってみたら気分が悪いと言い出すし、それだけじゃなく首筋にいくつもの引っ掻き傷が出来ていたのだ。
 そしてその後、クレア様は大泣きしていた。あの時のクレア様は、どこか別人のようで、あのまま死んでしまうのではないかと、消えてしまうのではないかと本気で怖くなってしまうほどだった。
 あんな思いは、もう二度としたくない。
 しかし、フォルクハルト(敬称略)に裏切られたと思わせるのも嫌なのだ。だって、せっかく両想いになりそうだったんだから。
 いや、実際はほぼほぼ両想いだったんだけど。

 なんというか、こう、矢印で表現すると『フォルクハルト(敬称略)→→→→→←クレア様』みたいな感じのほぼほぼ両想い……? この場合はほぼほぼ片想いなのか……? 分かんないけど。

 フォルクハルト(敬称略)もぐいぐいいってるようで妙に躊躇って最後の一歩を踏み出せないみたいなところがあったからなぁ。変に遠慮している、というか。

「フォルクハルト(敬称略)ってクレア様にちょっと遠慮してたよね。婚約式もすませてたんだからもっと手を繋ぐとか抱きしめるとか、とりあえず触れ合えばよかったのに」

「フォルクハルト様も、長い片想いを拗らせているからなぁ。下手に触れて嫌がられたら立ち直れないと思っていたんじゃないか?」

 長い片想い、ねぇ。

「まぁねぇ。一目惚れからの長い片想いだしなぁ」

「一目惚れ?」

「うん。私、一目惚れの瞬間の目撃者なんだよね。多分クレア様は忘れてるけど」

「初耳なんだが?」

「あぁ、あの時確かフォルクハルト少年は一人だったもんな」

「え、いつ」

「えぇ? それは教えられないなぁ」

「なんでだよ!」

「次の貢物を持ってきてくれた時にでも話してやろう」

 別に話してもいいのだが、時間がなかった。
 時計へと視線を移せば、ヨハンもそのことに気が付いたらしい。

「次会った時に教えろよ! 絶対だぞ!」

 ヨハンはしつこく念を押しながら帰っていった。



◆◆◆◆◆◆◆



「あ、メロディさんおかえりなさーい」

 ローラット家に戻ってくるなりクレア様の姉付きの侍女に声をかけられた。クレア様の姉がどこかへ行っているので彼女はとても暇そうだ。

「ただいま」

「どこ行ってたんですか? 愛しの彼との逢瀬ですか?」

「ううん。兄に会ってた」

 にやにやと笑う彼女に、私は淡々と答える。期待に沿えなくて申し訳ないね、なんて呟きながら。

「メロディさんてお兄さんいたんですね」

「うん。別の家で従者やってる」

 へぇー、と間抜けな声を零す彼女を尻目に、私は厨房へと急ぐ。
 兄ヨハンが必死で買ってきたミルクジャムに合わせるスコーンを焼くために。




 
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