紺青ラプソディー

蔵崎とら

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暴走する嫉妬心

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 眠くて少しだけ機嫌が悪かったのは自覚している。
 八つ当たりは良くないということも解っている。
 ただ、王子様系男子からふわりと漂ってくるリリお気に入りの香水の香りに気が付いた。
 コイツからリリの香水の香りがするということは、コイツ、リリと会ってから来やがったな……私が眠いのを我慢して必死で待っていたというのに……!

「こんにちは。早速ですがこれが楽譜です。少々雑なので読めない部分は演奏を聞いてから勝手に書き加えるなりして見やすいようにしてください。ピアノパートがこっちでヴァイオリンパートがこっち。あったほうがいいかと思って両方に歌詞も書いてあります。それを見て一刻も早く覚えてください。話はそれからです」

 怒りに任せ、息継ぎなどしなかった。

「は、はい……これもしかして一日で書いたんですか……?」

「そうですけど? 無駄口叩いてる場合じゃないんでさっさと練習しますよ」

 機嫌が悪い……! という王子様系男子の呟きを無視し、私は一曲目の演奏を始めた。

 演奏しては話し合い、楽譜の手直しをしては話し合い、練習はとても順調だ。
 王子様系男子だってなんだかんだとぶつぶつ言っているが、広いホールで講習を開けるレベルなのだから、何の問題もなく曲を仕上げていく。
 そういうところも若干腹が立つのだ。
 出来ないかもしれないとか言ってハードル下げつつ思った以上の音を奏でてくる。

「その調子だと二週間もあれば五曲くらい平気ですね。何かあった時の為に数曲予備で練習しておいても余裕でしょう」

「平気!? ……いや、頑張ります」

 練習は二曲目に入っていた。

「この部分はもっとこうしたらどうでしょう?」

 王子様系男子はそう言って弾いてみてくれる。

「うん、それいいですね。そうしましょう」

 そんなやりとりをしながら、王子様系男子は楽譜にメモを取っていく。
 私が書いた楽譜通りに演奏するより、王子様系男子が考えてくれたものの方が断然綺麗だ。
 そりゃそうだろう、私ヴァイオリンなんかやったことないし。

「ところで、さっきから気になっていたんですがトリーさんの楽譜はないんですか?」

「ありませんよ。昔覚えた曲なので必要ないんです」

 改めて書くのも面倒だし。そう言うと、彼は暗譜……と呟きながら目を丸くしている。

「本当は、楽譜を見ながら正確に演奏した方がいいんでしょうけどね」

 私は苦笑した。

「……いえ。音楽は気持ちさえあればいいんじゃないでしょうか? 楽譜通りに正確に演奏出来たとしても聞かせている相手に何も伝わらなければ意味がない」

 と言いながら、王子様系男子はふんわりと微笑む。
 その彼の横顔はとても綺麗で。

「確かに……そうですね」

 という一言しか返せなかった。
 この人はきっと、音楽が好きなんだろうな。

「僕は……リーリエにだけ伝わればいいと思って演奏しているからダメなんでしょうね!」

 はいはいリリが大好きなんですね。知ってる知ってる。

「次行きますよ。準備してください」

「あ、ちょっと待ってくださいトリーさん!」

 私は既に鍵盤の上に手を置いて準備しているというのに、王子様系男子は待てと言う。
 何? と顔を上げると、彼の顔が思いのほか近い場所にあった。

「どうしました?」

「トリーさん、もしかして昨日……寝てません?」

「は? ええ、まぁ」

 クマが酷いだとか、顔が眠そうだとか、解りやすい顔をしていたんだろう。
 それを隠す余裕もない程眠いから。

「そうでしょう……この量の楽譜を一日で書くなど……!」


――バンっ


 王子様系男子の言葉を遮るように、激しい音がした。
 練習部屋のドアを乱暴に開けられたらしい。
 こんな音を立てて入ってくる奴と言えば……、誰だ?

「なんで? なんでビルケがここにいるの? なんで二人が仲良さそうにしてるの?」

 可憐な乙女の声だった。
 てっきり男だろうと思っていたので驚いた。
 っていうか仲良さそうに見えたのか。

「リーリエ!」

 そう、声の主はリリだった。
 ドアを開けたまま姿のままで立ち竦むリリの瞳には、嫉妬の色が滲んでいる。

「どの辺が仲良さそうに見えたんでしょうね」

「基本的には僕が一方的に怒られてましたよね……あ、でも今はトリーさんの眼の下にあるクマを見ていたので距離は近かったかもしれません」

 ご丁寧に解説してくれてありがとうね。……ブッ飛ばすぞ!

「……恋は盲目ってやつですかね。っていうか、私と仕事することリリに教えてなかったんですか?」

 お前ここに来る前にリリと会ってたんだろうが……

「当日驚かせようと思って……!」

 何だよその不必要なサプライズ精神!

「なんで? なんで!?」

 漸く動き出したリリが一歩ずつこちらに近付いてくる。
 その瞳には、嫉妬どころか狂気に近いものも滲み始めている。
 やだ、危ない。
 ちらりと王子様系男子の顔を見ると、青くなっていくばかりで一向に弁明する気配がない。
 ということは、私が説明するしかないだろう。

「あー、リリ。実は今度次男様の」

「トリーは黙ってて! あたし以外の女と仲良くしないって約束したじゃない!」

 ……おう。完全に修羅場に巻き込まれた。

「違うんだリーリエ!」

「何が違うのよ!」

 信じてあげなさいよ、と言いたい所だが黙っててと言われてしまったし、タイミングを間違えたら戦いが激化してしまうな。

「仕事だよ! 仕事でトリーさんと」

「じゃあ仕事辞めて! 嫌、ビルケが他の女に近付くなんて嫌っ!」

 うわぁ凄いわがまま……と思ったけどリリも15歳だし……そのくらい言っちゃうのが普通なのかなぁ。解んないけど。

「辞めない! 僕は君の為に……!」

 王子様系男子が言葉を詰まらせた。
 ちゃんと最後まで言えよと思ったが、彼は驚きに目を見開いて固まっていた。
 何事かと彼の視線を追ってみる。

「……辞めないなら、二度とヴァイオリンなんて弾けなくなっちゃえばいい……!」

 そこで取り出されたのは一本の短剣。
 それをどうするかと言いますと、そうですね、王子様系男子の手を目掛けて振りかざすんですね。
 ……誰かが言っていたっけ、この辺の女性は護身用に短剣を持ってるって。

「落ち着きなさいリリ。アンタ完全に頭に血が昇ってるね」

「トリーは黙っててったら!」

 私が口を挟むと、間髪入れずにそう返ってくる。
 でも黙ってたらこの部屋大惨事になるじゃん。
 現にリリは短剣を振り回し始めた。

「怪我しちゃえば……もうお仕事しなくてもいいよね?」

 以前煌びやか令嬢が連れてきた女装男に似たような事を言われて短剣を向けられた事を思い出し、ゾワりと鳥肌が立つ。
 私はそれを隠すように大声を出した。

「落ち着けっつってんだろ!」

 私の怒声に驚いて、ビクリと身体を震わせたリリ。
 その隙を見逃さず、私は急いで立ち上がりリリの手から短剣を叩き落とした。
 チョップでもお見舞いしてやりたいところだが、相手は仕事仲間とは言え元々の身分は貴族のご令嬢だ。
 後で問題になっても困るし、とりあえず怒りの捌け口として鼻を摘んでやった。

「ト、トリー、やめ……」

 涙目になったリリと目が合った。
 嫉妬の色はどこかに散っていったようだ。

「まったく、子供みたいなこと言ってんじゃねぇよ。この人が何の為……誰の為にこうして必死になって練習してると思ってんだよ」

 盛大な溜め息と共にそう言う。
 手を離してやると、リリは赤くなってしまった鼻を両手で覆う。

「だれの……ため……」

 そのままぼんやりと呟いている。

「身分差のあるアンタと結婚したいからって頑張ってんだろ。アンタと離れたくないからって」

 解ってあげなよ、と言いながら、リリの髪を撫でる。
 すると、リリの瞳に今まで溜まっていた涙が溢れ出した。

「無理……だよぉ……お父様もお母様も反対してるし……っ」

「親が反対してるからって何もしないで諦めるの? それで諦めて、後悔しないの? しないならこんな奴さっさと別れちゃえばいいじゃん」

 淡々と言ってのけると、リリはムッとした表情でこちらを見る。

「諦めたくないし後悔するもん! でも……ううん、だから、あたしは駆け落ちでも……」

「逃げんの? 駆け落ちって、親から逃げるってことだよね? それで絶対幸せになれる?」

 後先考えずに一番楽な方法使って逃げれば、その時は楽だろう。
 でも、親との縁を切って家を飛び出せば、その先に待つのは何だろうね。
 貴族の娘として何不自由なく育ってきた子が急に全てを失うことになるんだから。

「……トリーに何が解るの……」

「解んないね。私は貴族じゃないし、貴族と平民が結婚する事の大変さは解んない。親だって居ないしね」

 そう言うと、リリは完全に泣き出してしまう。

「トリーさん……」

 困惑気味の王子様系男子と目が合った。

「リリが置かれてる立場は解んないけど、コイツが考えてる事なら理解は出来るよ。"トーン子爵家の天使"の噂を利用してでも有名になって、地位を固めてリリを迎えに行こうとしてるんでしょ?」

 と、王子様系男子に向けて首を傾げると、彼はこくこくと頷く。

「リーリエ、僕にもう少しだけ時間とチャンスをくれないかい? 僕は胸を張って君を貰いに行くから」

「ビルケっ! ごめん、ごめんなさい」

 リリは王子様系男子の胸に飛び込んでいった。
 それを抱きとめた王子様系男子はぎゅっとリリを抱きしめている。

 ……他所でやってくれ。

「ふあー……。丸く収まったんなら練習再開させてもらえる? 時間ねぇから」

 それからすぐにスパルタ練習を再開させた。当然スパルタ度は上がっている。別に八つ当たりではない。決して。


「あ、そろそろ練習時間終りですね。お疲れ様です」

「……はい、ありがとうございました。」

 王子様系男子がこの部屋に来た時よりか幾分老けたように見える。
 しかしゲッソリしつつも三曲は仕上げている。
 まぁ本来なら五曲とも形にする予定だったんだけど、暴れん坊リリが来たからな。
 それにしても王子様系男子……刃物を向けられても動じなかったな。
 立ち尽くしていただけだし、私が止めてなかったら刺されてたかもしれないのに。
 しかも立ち尽くしてたのも、恐怖で身体が動かなくなったってわけじゃなく、したいようにさせてあげようみたいなスタンスだったし。

「……ねえ。刃物向けられても、リリの事好きですか?」

 そう問い掛けてみると、彼は嬉しそうに微笑んで頷いた。
 ……ドMなのかな?

「愛されているから、だと思っているので」

 愛されてる……ねぇ。
 まぁ、確かにリリの全身から『愛してます』ってオーラ出てた気はしたけど。
 チラリと王子様系男子を見ると照れくさそうにえへへ、なんて笑うものだから、ちょっとだけイラっとした。

「この練習量で平気そうだし、追加で数曲覚えましょうか」

 すると、王子様系男子はヒーヒー言いながら帰っていった。

 その日の仕事終り、お風呂に向かおうとしていたところをリリに呼び止められた。

「トリー、その……今日はごめんね」

「ん、いいよ」

 騒いだだけで怪我人が出たわけでもないし。

「あたし、ビルケのこと待とうと思うの。もちろんあたしもその間お父様とお母様を説得する」

「ん」

「ご、ごめんね、怒ってるよね?」

「怒ってない。眠い」

 もう本当に限界なので勘弁してください。

「あ、ご、ごめ」

「んーいいってば別に。申し訳ないとか思ってるなら今日ご飯食べずに寝るって皆に伝えといて……あと明日起きてこなかったら叩き起こして。以上。おやすみ」

 強制的に会話を終わらせて、私はお風呂へと向かった。
 全身を洗い、お風呂から出て部屋まで歩いたのは覚えているが、その先の記憶はない。

 だから翌朝、律儀に起こしに来てくれたリリに「トリーおっはよギャー!何で全裸で寝てるのおおおおおっ!」なんて言われたって、何でだか解るはずもなかった。
 ……寝る前に脱いだんだろうね。




 
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