紺青ラプソディー

蔵崎とら

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まさかの三角関係

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「私、伯爵様が好きなんです」

 そんな言葉を放った気がする。
 ほんの数秒前に発したものだが、もう既に思い出したくないものとして脳の片隅に追い遣った。

 私のその言葉を聞いた煌びやか令嬢は、目を丸くしたまま、暫くぴくりとも動かなかった。
 やっと動き出したかと思えば、口をぱくぱくとさせているだけ。
 恐らく私が放った言葉の意味を必死で噛み砕いているのだろう。

「……は、はくしゃく……この辺で"伯爵様"と言えば……キーファー伯爵……かしら?」

「……はい」

 そんなに驚いたリアクションをする程意外なのだろうか……
 凶悪な顔で有名なあの……、と呟いている。
 有名なんだな、赤松。顔で。

「そ、それで? あの伯爵が好きで……何かしら?」

「あ……その、身分が……違うので、あの方には何も言えないのですが、このお屋敷から出てしまえば、彼との接点がなくなってしまうのです」

 私は両手で顔を覆った。
 だって笑ってしまいそうだったから。
 日本に居る頃、テレビでドッキリ番組とかやってたけど、あの人達はよくも平然と人を騙していたな、と感心してしまう。
 ……現実逃避している場合じゃない。

「身分差……そう、そうよね。貴族と平民だもの……そう……」

 悩んでる悩んでる。

「私は……彼との結婚など望みません。でも、まだもう少し、彼との時間を過したいのです。ほんの少し、お話出来るだけで充分なのです。だから、このお屋敷から離れたくなくて……」

 グス、と鼻を啜る真似をしてみれば、もう完璧だろう。演技だけは。

「そう……トリーナは切ない恋をしているのね。だから、あの歌をあんなに綺麗に歌えるの……」

 いや、それは違うけど。

 私が何も言わないまま俯いていると、煌びやか令嬢が困ったわね、とぶつぶつ言っている。

「あの公爵の元へ連れて行かれれば……外にも出してもらえなくなるでしょうね……男と会うなんて絶対に無理よ……」

 マジか。軟禁か。
 私はふと顔を上げ、彼女の次の言葉を待つ。

「そうなると私も困るし……そもそもトリーナをあの薄汚い公爵の所へ行かせるなんてありえないわ」

「……ただ、来いと言われれば断る権限など私にはありません。……っていうか薄汚いんですか」

「でしょうね。……あぁ、薄汚いわよ。顔は悪くないのよ、ただ性格が薄汚いの。何人も子供が居るのに未だに女性と浮名を流しているのだから」

 私はなるほど、と頷いた。

「私の家に連れて行けば簡単に解決するのだけれど……トリーナの方はそれじゃあ解決できないものね。うちとあの伯爵には接点なんてないもの」

 彼女の顔は真剣そのもの。
 結果的には彼女を騙しているわけだから、良心が痛む。
 だけど背に腹は変えられないのだ。

「……それにしても、トリーナがあの伯爵に恋をしているなん」

――バンっ

 意外だったわ、という煌びやか令嬢の声を掻き消すような音で、練習部屋のドアが開かれた。

「キキョウ様、今の話は……どういうことですか?」

 ドアを開けたのは青い騎士さんだった。
 顔が怖い。目が据わっているというか、とりあえずマジで怖い。

「あ、えっと、それはその」

 嘘ですなんて言えないし!?
 どう弁明したらいいのかわかんない!
 青い騎士さんがどかどかと荒々しい音を立てながら私の方へ向かってくる。
 全力で逃げ出したい気分だが、混乱してしまっている私の足は全くもって言う事を聞かない。
 身動き一つ取れないでいた私の両肩をガッシリと掴み、据わった目で私を見下ろしてくる。
 威圧感が物凄い。
 あと力加減忘れてるね青い騎士さん。そんな力で掴んだら、私の肩が粉砕しそうなんだけど。

「キキョウ様……俺が、俺がずっと側に居たと言うのに……」

 ……側に居た『だけ』とも言いませんかね?
 私別に青い騎士さんに面と向かって好きだとか言われたわけじゃありませんし?

「あ、あの、青い騎士さん」

 私が口を開くと、彼の手に込められた力が増した気がする。
 いやいやお前自分の握力考えろってホントに粉砕するって。

「三角関係ですって!?」

 今まで黙ったままだった煌びやか令嬢が叫ぶようにそう言った。
 三角関係って……!
 これは困った事になったぞ……

「キキョウ様は俺よりあの伯爵を選ぶのですか? 俺の何がいけないのでしょう? 俺は、俺は……」

 そういうとこがいけないんじゃないかな!
 怖いよ青い騎士さん!
 鬼気迫る雰囲気の青い騎士さんに怯えつつ、徐々に後ろに下がるのだが、私は座ったままの状態だしただ仰け反るだけで状況の悪化を誘う一方だ。
 そんな時「ふふふ……ふふ……」と、これまた恐ろしい笑い声が聞こえてくる。
 声の主は、何を隠そう煌びやか令嬢なのだけど。

「いいわトリーナ! 貴女、ほとぼりが冷めるまで我が公爵家付きの楽師になりなさい!」

 煌びやか令嬢はぐっと両手を握り締め、握りこぶしを作りながらそう言った。

「え?」

 あまりに唐突だったため、私はマヌケな声を出し、ポカンとしてしまう。

「形だけでいいわ。そうよ、この屋敷に居ていいから、形だけでも我が公爵家付きだと名乗ればいいのよ」

 いい流れだ。煌びやか令嬢との話の流れだけはいい感じだ。
 しかし目の前には未だに目の据わった青い騎士さんが居る。っていうか私の気のせいじゃなければ顔が近付いてきてるんだけど。

「そうすればあの薄汚い公爵も手は出せないはずだもの! 子爵家使用人だといつ無理矢理連れ去られるか解ったものじゃないわ!」

 煌びやか令嬢は名案でしょう! と私を見る。
 名案です。もちろん名案ですよ。そしてこの流れは計画通りですよ。旦那様と考えた計画通りです。
 しかしそれよりこの怒気に満ち溢れている私の目の前の男について触れてくれません?
 何か放っておいたら噛み殺されそうな気さえしてきているのですが。

「そうと決まれば話は早いほうがいいわ、私は急いで戻ってお父様に話を通してくるわね!」

 善は急げということだろう。
 そう言った煌びやか令嬢は、ピっと立ち上がり、そのままドアの方へ歩き出した。
 ドアの所に立っていた侍女さんを連れ、急いで自分の家に戻るらしい。

「お、お見送りを……」

「あぁ、いいわ、急ぐから!」

 あの子案外猪突猛進タイプなんだな……、なんて煌びやか令嬢の背を見ていると、ドアの目の前でくるりと振り返る彼女。

「その……我が家付きの楽師になったら……、たまに私の屋敷に来て、歌を聞かせてくれてもいいのよ?」

 と、どこか寂しそうな笑顔を湛えた彼女は言う。

「もちろんです! お伺いします!」

 お安い御用だと言わんばかりにこくこくと頷いて見せた。

「……! じゃ、じゃあ私は行くわ! 三角関係については次に会った時に聞かせなさいね!」

 煌びやか令嬢は駆け抜けるように去っていった。
 ……この状態のまま二人きりにされてしまうわけですね、なるほど。困った。

「キキョウ様……俺は貴女を……俺の、俺だけの物にしたい……」

 ひぃぃ! ネタバラシしなきゃ!

「あ、青い騎士さん! さっきの嘘なんですよ!」

 まだ誰が聞いているか解らないし、丁度よく青い騎士さんが超至近距離にいるので、小さな声でそう言う。

「嘘……?」

 青い騎士さんは首を傾げる。
 しかし怒気は薄れておらず、目も据わったまま。

「私、さっきの公爵令嬢のとことは別の公爵に買われそうなんですよ。だからこのお屋敷に留まりながらあの公爵令嬢の協力を得るために考えた嘘なんです」

「嘘なら……何故あの伯爵の名を……」

 この人は何が気に入らないんだろうか……伯爵が気に入らないの?

「それは旦那様が考えたので知りませんけど、まぁ身分差とかなんかその辺で一番都合が良かったんじゃないですかね?」

 そう言って首を傾げると、ほんの少しだけ青い騎士さんの手の力が抜けたような気がする。もしかしたら掴まれ続けた私の肩が麻痺し始めただけかもしれないけど。

「キキョウ様、あの伯爵の事は本当になんとも思っていないのですね?」

「はい、はい、兄弟とかだと思ってるくらいで……って前も言いませんでしたっけ?」

 と、怪訝な表情で問うと、信用できませんので、と返される。

「兄弟なら……恋愛感情など湧きませんね?」

「当然です。それに私、今は恋より仕事を優先したいので」

「キキョウ様、俺はキキョウ様の事が好きですよ」

 ……ん?

「え、あ……」

 ……いや、薄々勘付いてはいましたけども。

「本当は今すぐにでも、力ずくででも俺の物にしてしまいたい……」

「そ、それはちょっと」

「解っていますキキョウ様。貴女に嫌われたくはない。だから、貴女の想いがこちらを向くまで暫く待とうと思っています」

 あ、一応待ってくれてるつもりなんですね。
 ゴリ押ししてくるからそんな気無いんだと思ってたけど。
 何も言葉を返せないで居ると、やっと肩を掴む手の力を抜いてくれた。
 しかし、その手は私の背中に回る。
 ぎゅっと抱きしめられ、左手で頭を撫でられた。

「キキョウ様、愛しています」

 ……ど、どうしよう。
 思いのほか直球が飛んできてしまったので、私は返す言葉も見当たらずただただ固まってしまうばかりだった。

「どうすればキキョウ様の想いがこちらに向くか、今のところ検討も付かないのですが……とりあえずこの顔を潰すことから始めればよろしいですか?」

「や、そこはもう拘らなくていいですって」

 私がイケメン苦手だって言ったの覚えてたんだな。
 ほんの少しだけ呆れていると、青い騎士さんはクスりと笑う。

「冗談です」

 助かります。
 青い騎士さんは、私をもう一度強く抱きしめた後、やっと離してくれた。
 久々に目が合ったわけだけど、このまま彼の目を見ていると全力で流されそうになっている自分に気が付く。
 私は急いで立ち上がり、彼から距離をとった。
 幸い、青い騎士さんは素直にそれを許してくれる。
 練習部屋に鍵をかけなければならないのだが、青い騎士さんがその場を動かないので、私はとりあえず逃げるようにその場から立ち去った。


 そんな私の背に、

「もしもキキョウ様の想いが俺以外の者へと向かう事があれば、その時は俺もどうなるかわかりませんが」

 なんて言葉を放られていたなんて、その時は知る由も無かった。


 仕事に戻ると、そこでロゼに遭遇した。

「あらトリーどうしたの? 顔真っ赤だけど……」

「い、いや別に……走ってきたからかな?」

 うわぁ私顔赤かったんだ、どうしよう恥ずかしい。

「そういえば、公爵令嬢とお茶してたんだっけ? さっきその公爵令嬢が物凄い勢いで帰っていったんだけど何かあったの?」

 公爵令嬢……何か……あ! 忘れてた!

「そうだ、私形だけ公爵家付きの楽師になることになったの。まだ決定ではないんだけど……その事旦那様に知らせなきゃ」

 本題はそっちだった。青い騎士さんのせいで殆どすっ飛んでたわ。

「公爵家付き!?」

 ロゼの驚きの声がお屋敷内に響き渡る。

「まだ決定ではないし詳しくは言えないの。だから他の人には黙っててね。ってことで、私旦那様に報告してくる!」

 あまりの驚きに目を丸くするばかりで口を開けなくなったらしいロゼは、こくこくと頷いていた。

 場所は変わって旦那様の仕事部屋。
 目の前には旦那様と奥方様が揃っている。
 その二人に、さっきあった出来事を報告すると、二人ともとても喜んでいた。
 もちろん私も嬉しいが……ちょっと困った事になったからな……

「トリーナ? 浮かない顔ね?」

 そんな私の様子を察知したらしい奥方様に問われる。

「それが……公爵令嬢がちょっと困った勘違いをしてしまいまして……」

 ごにょごにょもごもごと青い騎士さんとの事を話すと、二人とも暫く目を丸くしたまま動かなかった。
 何事だろう、と首を捻っていると、

「ほ、本当に素敵な恋愛小説みたいねトリーナ! あらあらトリーナはどちらの手を取るのかしら!」

 と、あからさまに取り繕ってあるハイテンション具合を見せられた。

「今のところ仕事を恋人にしたいのでどちらの手を取ることもないんですけど……じゃあ私仕事に戻りますね」

 首を捻りながらそう言うと、頑張ってらっしゃいね! と送り出される。
 旦那様の仕事部屋から出た後も若干首を傾げていたのだが、室内から「あのファルケが……」だとか、「お祝いの準備が必要かしら……」だとか、そんな声が聞こえたので、あぁ青い騎士さんの女嫌いの件かと納得した。

 しかし一つの問題の解決が見えてきたと思ったらまた別の問題……
 どうするのよ、私……




 
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