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衝撃の事実
しおりを挟む「もしも自分が貴族だったら……って、考えた事ある?」
と、ロゼが問いかける。
それに答えたのはその場に居たシュトフだった。
「あります。綺麗なドレスを着て夜会に行ったり……」
「お茶会で美味しいお茶やお菓子を口にしたり……」
ほう、と溜め息を吐いている二人。
この二人、初対面だったはずなのだが妙に話が合うようだ。
境遇が似ているからか、シュトフが懐くのも早かった。
「葉鳥もそういうの憧れたりするん?」
と、私に声を掛けてきたのはBだ。
「私は別に」
そう、あっさりと答えると、ロゼとシュトフからブーイングが飛んできた。
今現在、私が居る場所は、私のピアノ練習部屋。
私とロゼとBとシュトフが居る。
ロゼは今日、お休みの日だった。
そしてそのロゼに会いに来たBと、私のピアノを聞きに来たというシュトフ、というメンツだ。
シュトフはいいよ。聞きたいって言ってたし、講習に忍び込ませるわけにもいかないし練習部屋においでって言ったのは私だし。
問題はロゼとBだ。私の練習部屋をデートスポットにするのはやめていただきたい。
「そういえばトリーナって昔どこかの貴族の養女になる、って話あったよね?」
ふとシュトフに問われる。
そういえば、そんな話があったような。
「あー、先生が持ってきた話ね。貴族の世界は息が詰まりそうだから嫌だって断ったんじゃなかったかな」
"お姫様"が持ってきてくれたピアノを弾き始めた頃、先生が「トリーナを養女にしたいと言っている人が居るのだけれど」と言って持ってきた話。
相手の貴族とやらが来たわけでも、相手の名前を知らされたわけでもなく、ただただ養女にしたいと言っていると言われただけだった気がする。
「あの話断ったの……私のせいだよね?」
と、シュトフが申し訳なさそうに言う。
「シュトフのせい? いや、違う……あぁ、違うけど、あの時物凄い大泣きしたよね、シュトフ」
そうそう、私が養女に貰われていくって話を勝手に聞いていたシュトフが大泣きしたのだ。
トリーナが居なくなるなんて嫌だ、と言って。
それを思い出した私は、クスクスと笑った。
「だ、だって私、トリーナしか友達居なかったから……」
「ふふ。シュトフのせいじゃないよ。まぁシュトフのことを言い訳にしてその話を断ったのは確かだけどね。貴族に対してあんまり良い感情持ってなかったし」
大泣きした挙句「もう何も食べない」と言い張ったものだから、それを理由にその話を蹴ることにした。
相手の方もそんなに悪い人じゃなかったらしく、仕方ないと言って諦めてくれたと後で聞かされた。
何故貴族に対していい感情を持っていなかったのかは覚えていないが、あの時話に流されて貴族の養女なんかになっていたら、今の自分は居ないのだろうな。
「じゃあ、今こうしてトリーがここに居てくれるのは、シュトフちゃんのお陰なのね」
ロゼは笑った。
「私がここに居なかったらBと出会ってないもんね、ロゼ」
悪戯な笑顔を浮かべながらそう言ってやると、ロゼは笑った顔のまま、耳まで真っ赤に染めた。
それを見たBも真っ赤になっていた。
おアツいことで。
その後、シュトフに歌詞を見せ、リクエストに応えつつ数曲演奏した。
そしてそろそろ練習時間も終りだな、と思っていると、練習部屋のドアが開く。
そこに居たのはAだった。
「お待たせー」
Aは旦那様と仕事の話をしていたんだそうだ。
「お疲れ様ですオッドさん!」
そう言いながら立ち上がったシュトフは、そのままAの方へと歩いていく。
ちょっと見ないうちに、シュトフはAに懐いたようだ。
「おう。シュトフ、葉鳥にピアノ聞かせてもろたん?」
「はい!」
少し離れた場所でそんな会話を繰り広げている。
「そろそろ練習時間終わるし、私は仕事に戻るけど?」
この部屋使う? とBとロゼに尋ねると、Bが首を横に振る。
「Aの仕事も終わったみたいやし、店に戻るわ」
「私も、お店に行っていいかしら?」
「もちろんっス、帰りは俺が送りますんで!」
……コイツ等。
嵐のようにやって来て、私の練習の邪魔をしただけの奴等が帰って行った後、私は大人しく仕事に戻っていた。
明らかに練習時間が足りなかったので、仕事をさくっと終わらせてもう一度練習したいところ。
しかし今日の仕事はお屋敷二階の掃除。
子爵家の人々の私室ゾーンなわけだから、手を抜くわけにはいかないだろう。
今日の練習は諦めるしかないかもな、ととぼとぼと歩く。
お屋敷二階に辿り着いて、さて仕事、と思っていると、女の人の声がする。
どうやら旦那様の部屋から聞こえてきているようだ。
「もう我慢出来ません!」
この声は、聞いたことある声だし奥方様かな。
「君が一年間我慢すると言ったのだろう?」
これは確実に旦那様だ。
奥方様の声色は、どうも怒っているようで、旦那様はそれを宥めているようだった。
「半年でも充分我慢したと思います!」
「いや、だから我慢すると言ったのは君だから」
うーん、半年か。
私がここで働き出したのは半年前で……我慢出来ないってことはやっぱ私、嫌われてるのだろうか……?
クビになったらどうしよう。Aの店にこっそり紛れ込んでやるか。
そんな事より立ち聞きはマズいだろう、そう思った私は、その場から離れることにした。
だがしかし、私の行動は少し遅かったようだ。
バタン、と音を立てて開いたのは旦那様の仕事部屋のドア。
そこから出てきたのは案の定奥方様で、彼女は私がここに居たことに驚いているのか、目を丸くしたまま暫くその場に立っていた。
さてどうしようか私。
今ここで逃げ出したら、話を聞いていたことを悟られるのではないか?
それはマズい。しかしこのままこの場に居続ける鋼のハートは持ち合わせていない。
そんな事を考えていると、漸く動き出した奥方様が、ずんずんとこちらへ向かってきていた。
怒られるか怒鳴られるか、はたまた殴られるか、腹を括るしかない。
その場から動かなかった私のところへ辿り着いた奥方様は、不意に両手を振り上げる。
まさかの両頬ビンタ!?
やってくるだろう痛みに備え、歯を食いしばり両目を閉じると、予想外の衝撃がやってきた。
「ひっ! ……ん?」
「会いたかったわ、私のトリーナ!」
は? という言葉が、口から飛び出しそうになったが、私はそれをグッと飲み込んだ。
予想外の衝撃とは、奥方様に抱きしめられた衝撃で。
さらには衝撃の一言で、私は全く身動きが取れなくなっていた。
「大きくなったわね、トリーナ」
奥方様は私の頭や背中を撫でながらそう言っている。
私は、いつのまに彼女のものになっていたのだろうか。
大きくなった、ということは小さな頃を知っているのだろうか。
「え……っと、奥方様……?」
さっきの衝撃で止まりかけていた頭が徐に動き出す。
固まったままだった身体も、言う事を聞き始める。
奥方様の顔を見上げ、小首を傾げて見せると、奥方様はクスクスと笑い出す。
「あら、私の事覚えていないかしら?」
「このお屋敷の……奥方様……」
「それも正解なのだけど……そうねぇ、孤児院に来ていた"お姫様"の事は覚えてる? 皆そう呼んでいたわよね?」
奥方様のその言葉を聞いた時、今度は私の方から奥方様を抱きしめた。
「お姫様…この香り、お姫様の香り!」
そう、私は知っていた。
幼かった頃、唯一甘えられる存在だった人の、この香り。
「あれね、私だったのよ」
奥方様はそう言って、両手で私の頬を包む。
懐かしくて涙が出てしまいそうだ。
「お姫様……急に孤児院に来てくれなくなって、私、心配していたんです」
私がそう言うと、奥方様はふと私から視線を外した。
何かを考え込むように遠くを見ている。
「トリーナ、あなたが貴族の養女になることを断った事は覚えてる?」
丁度さっき話していたことだな、と思いながら頷く。
「あの貴族、私の事だったのよ」
本日数度目の衝撃である。
「あの頃どうしても女の子が欲しかったんだけど、出来なかったの。そんな時にトリーナに出会って、トリーナは私に随分と懐いてくれて、私はね、トリーナが大好きだったの」
と言って、奥方様はもう一度私を抱きしめる。
「養女の件を断られたのは、ショックだったわ」
「わ、私何も知らなかったもので、申し訳あ」
「いいの。それはいいのよ。私だって何も言わなかったのだから。ただ……、断られた後は中々孤児院に足が向かなかったわ」
私の謝罪の言葉を遮りそう言われた。
言われてみればそうだった。
私が貴族の養女になることを断ったあたりから、お姫様が姿を現さなくなったのだ。
援助だけはしてくれていたし、贈り物が届くこともあったのだが、彼女は一切姿を現さなかった。
病気説も流れ始めて心配だったし、何より本当に寂しかった。
「本当は行きたかったのよ? でも、トリーナの顔を見てしまったら、連れ去ってしまいそうだったから……」
……本日数度目の衝撃である。
え、そんな理由で孤児院に来なくなったの? 結果的に私のせいなのか、なるほど。
「その後はどうやってトリーナを手に入れるかを模索したわ。ローゼがうちに働きに来て『これだ!』と思ったの」
ロゼは私と同じ孤児院からここに働きに来たわけだからな。
同じことをすれば、このお屋敷内に連れてくることが出来る、と思ったのだろう。
「貴女が働ける歳になる頃、私は孤児院に頼み込みに行ったの。トリーナをうちの使用人にくださいって」
ここで働く事が決まった時、先生が勝手に承諾したと言っていたが、あれが本当だったのかどうか、今頃揺らいでいる。
頼み込まれて断れなかっただけなんじゃないだろうか。
中々仕事が決まらなかったのもこの人のせいなんじゃなかろうか、という疑念ももくもくと大きくなってきている。
いや、いい職場だから別に構わないんだけど。
「ここに働きに来た貴女を最初に見た時、本当は今みたいに抱きしめたかった。だけど、そんな事したら絶対ベタベタに甘やかしてしまって貴女の仕事の邪魔をすることになる、そう思って……」
あぁ、ここに来た時、値踏みするように見られたと思ってたけど、色々葛藤してたんだなこの人。
奥方様に関する謎が、次々と解けていく。
「私、ずっと奥方様には嫌われているんだと思っていました」
ぽつりと零すと、私を抱きしめる奥方様の手の力が増した。
「そんなわけないじゃない。真面目に仕事をしてくれている貴女を見て、楽しそうにピアノを弾く貴女を見て、私がどんなに嬉しかったか。それを邪魔しないように、一年間は極力接触しないようにするって決めたの」
それが、さっき聞こえていた話に繋がるのか。
「まだ、半年ですよ?」
そう言って首を傾げて見せると、奥方様は眉間に皺を寄せた。
「そうなのよ……一年間はそっと見守るだけにするつもりだったのに、貴女の評判が王都まで飛んだでしょう? もしかしたら王都に連れて行かれるかもしれないと聞いて、私ったらいてもたってもいられなくなってしまって」
……あぁ、天使の件ですね。
「私、王都には行きたくありません」
奥方様の目を見てそう言う。
このお屋敷で働いていたいし、王都になんか行ったら、皆に会えなくなってしまう。
「そうよね! そうよね! 良かったわ貴女の口からその言葉が聞けて! 大丈夫よ、お母さんに任せなさい!」
いや、お母さんではない。
「そろそろ話は済んだかい?」
私達に声を掛けてきたのは旦那様。
旦那様は今までのやりとりを聞いていたようで、嬉しそうににこにこと笑っている。
「あなたごめんなさい、一年間は大人しく見守ると約束したのに……」
「いいんだよ、その約束は君が勝手に言い出したのだから。何も気にすることはない」
旦那様が静で、奥方様が動か。
なんとバランスの取れた夫婦だろう。
「王都の件だけどね、ここは公爵令嬢に協力してもらって阻止しようと思うんだ。幸い、彼女はトリーナのことを大層気に入っているようだからね」
あの煌びやか令嬢が協力してくれるだろうか? 王都に行く事になったら案内する、とまで言っていた気がするのだが。
「彼女の協力を得るためには、トリーナに一芝居打ってもらわなくてはならない。出来るね?」
私が頑張れば王都行きを免れるというのなら、やるしかないでしょう。
私はしっかりと頷いて見せた。
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