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VS女装男
しおりを挟む青い騎士さんに女装男の話を聞いた翌日、私はお屋敷一階の掃除担当だった。
今日は講習の予定も来客の予定もないそうで、バタバタと走り回る必要はなくゆったりと掃除をしている。
そんな私の元に、ロゼがやってきた。私服を着ているのでどうやらお休みらしい。
「ねぇトリー、トリーの練習部屋を見に行ってもいいって本当?」
「ん? うん。いいよ」
なんだろう、入っちゃいけないと思われてたんだろうか。
騒ぐ目的で入ってこられるとそりゃあ迷惑だが、ピアノが聞きたいのであれば普通に歓迎するんだけど。
「騎士達が言ってたから無理矢理押しかけたんじゃないかと思って」
「……あぁ」
まぁ半ば無理矢理押しかけてきた気もするけど。なんて思っていると、ロゼがそわそわし始めた。
「あと……その、ちょっと話聞いてもらいたいんだけどいい?」
そう言ったロゼの頬がほんのり桃色に染まっている気がする。
ということは、Bの件かな?
「いいよ。いつ? 今? お昼休み?」
と、詰め寄ってみると、ロゼはあわあわと焦りだした。
仕事絡みだとあんなに素敵なお姉さんなのに恋愛絡みだとこんなにも可愛くなるものなのか。
「い、今……いい?」
「掃除しながらでいいなら私は構わないよ」
ロゼの話というのは案の定Bの事だった。
Bにもう一度会ってみたいらしい。しかしあれ以来Bはこの屋敷に来ていないので会えていない。そうなるとこちらから会いに行くしかないのでは、とのことだ。
「アイツが働いてる店教えてあげようか? ……あ、それか夕飯をその店に食べに行くってのはどう? 私も行くし」
Bが逃げ出す可能性も考えて、私が一緒に付いていたほうがいい気がする。
「トリーがいいならお願いしたいわ。あぁ、でも夜なら女だけでの外出は危険ね……」
「大丈夫よ、手紙で迎えを呼べばいいんだから。明後日の夜でいい?」
こういう時携帯があれば便利なのに、と思う。
Aの店までは徒歩で行ける距離なのだが、連絡手段が手紙しかない。
適当に書いて出しておくね、そう言うとロゼはどこか嬉しそうに微笑んでその場を去って行った。
あんなに嬉しそうなら紹介してよかったな。
赤い騎士さんはどこか複雑そうな顔をしていたけど、ロゼの方には然程未練も残っていなかったのかもしれない。
午前中にそんなことがあったので、午後からは上機嫌で玄関前の掃除をしていた。
柔らかい日差しと、ほんのり冷たい風が心地良い。
箒を片手に小さな鼻歌を零していると、ふと視界が暗くなった。
どうやら正面に人が立ったらしい。
顔を上げ、その人物を視界に捕らえると、見たことのない長身の男が立っている。
年齢は私と然程変わらないか、少し年上くらいだろうか。
こげ茶色の髪に青い瞳で、割と整った顔をしている。
凄く整った顔の騎士さん二人をずっと見ているので感覚が麻痺しつつあるのだが、それでもまぁカッコイイんじゃないかな、と思える顔面だ。
その男は私を忌々しげに見下ろしているのだが、なぜそんな顔をされているのかは分からない。というかそもそもこれが誰なのかも分からない。
「どちら様ですか?」
そう声を掛けると、ギリ、と睨みつけてくる。
私、何かしたっけ? と首を傾げていると男の口がゆっくりと開いた。
「お前、この前のピアノ講師だろう……」
恐ろしく低い声だった。
「はぁ、そうです……けど……」
あ、あれ? よく見たらどっかで見た事あるような……っていうか、あれだ、この前の女装男だ!
髪は金髪のヅラで隠れていたが、瞳の色は青だった気がするし、何と言っても背格好がぴったり一致する。デカい。
そうだとすれば、彼が私を睨みつけている理由もなんとなく解る。
青い騎士さんが教えてくれた、私が教えた曲が上手く演奏出来ていない話や、煌びやか令嬢に追い出されていたという話を思い出せば、そうだ、私は彼の逆恨み対象じゃないか。
それに気付いた私は、本能的にマズい事になったと悟る。
ここは玄関の外であり、その玄関は閉まっている。
大声を出したところで誰かに気付いてもらえるかは謎だ。
とりあえず彼から距離を取ろうと、右足を一歩引く。
すると、彼も一歩近付いてきた。
あちゃーこれは完全にマズい。
「あの楽譜は本物か?」
と、またも低い声で問われる。
「本物です。私が弾いているものをそのまま書きました」
「何故お前のような貧相な使用人があんなもの演奏出来るんだ……」
「何故ってまぁ、練習したからで……」
じりじりと下がっているのだが、彼も同じペースで近付いてきている。
このままのペースで玄関まで辿り着ければ逃げられるんじゃないだろうか。
そう思った私は、時間稼ぎにもなるようにゆっくりゆっくり後退りをしながら玄関へと近付く。
っていうかどいつもこいつも貧相貧相って失礼だよね。別にそこまで貧相じゃないし! 脱いだら凄いのよ脱いだら! 知らんけど!
「何故お前に出来て俺には出来ない……」
そんなくだらない事考えてる場合じゃなかった。
「それはほら、練習時間が違うっていうか私は何年もあの曲弾いてますし」
「そんなもの、あの公爵令嬢に通用するか!」
えええ! 知らん! そんな事ここで言われても私は知らんよ!
「あ! あ! じゃあほら、ちょっと簡単な感じにアレンジした楽譜に書き直しますし! そもそもあなたにあの歌はキーが違いすぎるというか、高すぎて歌えませんよね?」
「俺に出来ない事などないんだ!」
嘘だ! 絶対嘘だ! あれ女性アーティストの歌だしお前みたいに低い声の持ち主が歌えるわけないだろう! という言葉が喉元まで出かかった。
「……それに俺はもうあの家には入れない」
あらそれは可哀想に。
青い騎士さんの話では、この人地位と金が欲しかったんだっけ?
あの煌びやか令嬢を踏み台にしようとしたところ失敗して蹴飛ばされた、といったところだろうか。
「だが、お前を手土産にすればもう一度戻る事が出来る……」
どうしてそういう思考になったんでしょうね!?
「私を手土産って、あの人は私の事気に入らないみたいでしたし」
「いいから来い!」
彼はそう言って私の右手首を力一杯掴んだ。
「嫌です、行きません」
きっぱりと断ると、彼は私の手首を握る手に力を込め始めた。
後で考えれば、この時に素早く関節技でもかけて離れておくべきだったんだろう。
「お前のせいで、俺は……」
「私があの令嬢の家に行ったところで、解決出来ますか?」
私のその問い掛けに、彼は一瞬戸惑いを見せる。
この隙を逃すものかと言葉を並べた。
「私があなたの言う事を聞いてあの令嬢の家に行くのは簡単ですが、その後は? それで、あなたの居場所は元通りになりますか?」
元通りなんかにはならないと思う。
そんな事するくらいなら、書き直した楽譜で練習したり、私の真似なんかじゃなく彼の彼らしさをアピールした方がいいのではないか、そう思うのだ。
彼の声に合いそうな曲だって、いくらでもある。
実を言うと、こうまでして欲しいものを手に入れようとする貪欲さは嫌いじゃない。
それは女装姿を見た時から思っていた。だって貪欲じゃなきゃ出来ないでしょう、あんなきわどい女装なんか。
まぁ欲しいものが地位とか金とかってのは、ちょっと理解出来ないけど……。
「……う、うるさい……!」
いやー……出来る事ならちゃんと説得したかった。
私は思いもよらない物の出現に目を瞠った。
刃物だ。
短剣、というのだろうか。
キラキラした飾りの付いたナイフのようなもの。
彼はそれを思い切り振り上げる。
狙いは彼が握ったままの、私の右手だった。
「二度とピアノなど弾けないようにしてやる!」
そう言って、それは振り下ろされた。
咄嗟に手を引いたのであたりはしなかったが、右手はまだ彼に握られたままなのでいつ切られてもおかしくない。
ふと彼の目を見ると、完全に殺気立っていて本当に危ない。
彼は最早狙いが何なのか解らない程、短剣をブンブン振り回している。
その目も、その手も、完全に正気の沙汰ではなくて、私はそれを避けるだけで必死だった。
せめて右手の拘束だけでも解かなければ……!
ぽた、ぽた……
そんな音をたてて、お屋敷の玄関前に赤い雫が落ちる。
ハッとした彼が、やっと右手の拘束を解いてくれた。
彼は完全に動きを止めていたので、今度は私が彼の左手を持ち上げ、手にしていた短剣は申し訳ないが蹴り飛ばさせていただく。
私の右手には、ぬるりと赤い液体が滴り落ちてきていた。
「よかった、傷はそんなに深くないみたい」
「は、離せ! 離せ!」
「黙れ! アンタの方が二度とピアノ弾けなくなるかもしれないのよ!」
私が変に手を動かしてしまったからかもしれないが、彼は弾みで自分の腕を切ってしまっていた。
なんともダイナミックなリストカットである。
傷はそれほど深く無さそうだが、早めに止血をした方がいい。
そう思ってお屋敷の中に連れて行こうとしているのだが、彼は全く言う事を聞いてくれない。
どうしたもんかと思っていると、騒ぎを聞きつけた赤い騎士さんが玄関から飛び出してきた。
「何をしているんだ!」
近寄ってきた赤い騎士さんが怒鳴る。
そのまま元女装男に掴みかかろうとしていたので、とりあえず事情を掻い摘んで説明して彼の手当てを頼もうと思ったのだが、その前に彼が逃げ出してしまった。
おいおいおいちょっと待て、今お前に逃げられたら私はこの赤い騎士さんに助けられたみたいな形になるじゃないか!
この人絶対恩着せがましいんだから手当てだけでもしていけよ!
「キキョウ様!」
私が若干げんなりしていたところに、今度は青い騎士さんがやってきた。
彼は近付いてくるなり私の手に付いた血を見て目を丸くする。
驚いたんだろう、なんて思っていると、急に抱きしめられてしまった。
「うおおっ、ちょ、ちょっと何してるんですか! 離れてくださいっ!」
私が全力で左手を突っ張ると、彼はハッとして身体を離してくれた。
どさくさに紛れて何をしているんだまったく……!
そして、そこで初めて気が付いた。
自分の手が小刻みに震えていたことに。
怖かった……のかな。
刃物で切られそうだったし、あんなに真正面から恨みをぶつけられたわけだし。
逆恨みだけど。
……少しくらい、人に甘えてもいいだろうか。
「この血はキキョウ様のものですか? どこを怪我したんですか?」
「ううん、私のじゃない、です」
青い騎士さんの服の裾を、汚れていない方の手で握った。
「キ、キキョウ様、さっき離せと言ったはずでは……」
「……離れてとは言ったけど、離してとは言ってません」
自分の爪先だけを見てそう言うと、青い騎士さんは私の髪をゆっくりと撫でてくれた。
大きな手で何度か撫でられると、ほんの少しの恐怖でざわついていた心が落ち着いてきた気がする。
「おーい……折角俺が助けたっつーのに、二人で何してんだよ……」
「さぁキキョウ様、手を洗いましょうか。他人の血などさっさと洗い流した方がいい。汚いですからね」
「はい。……あぁ、あと赤い騎士さんが来る前に大体解決してたんで助けてもらったというよりあなたのお陰でうっかり逃げられただけです」
と、忘れずに釘を刺して、私は血を洗い流すために風呂場へと向かった。
「折角ヒーローのように登場したっつーのに……俺の立場は……」
赤い騎士さんのそんな呟きを背中に受けながら。
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