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VS煌びやか令嬢
しおりを挟む「さてと、そろそろ練習時間だな」
「キキョウ様、練習部屋へお連れしましょう」
「ひぃ!」
捻挫をしたあの日から、毎日こんなやりとりが続いている。
基本的に一日最低二時間はピアノの練習に割り当てられているのだが、毎日同じ時間ではない。
お屋敷で講習が開かれている時間は避けているし、仕事内容によっては午前中だったり午後だったりとバラバラだ。
それなのに、青い騎士さんは必ず練習時間前に私の前にやってくる。
私の仕事内容を全て把握しているんじゃないだろうかと思う程に。
さあどうぞ、と私の前にしゃがみ込む青い騎士さんを見下ろしながら溜め息を噛み殺す。
最初こそ申し訳ないから、と断っていたが、今はもう断ることもなく彼の背に乗る。
申し訳ないとは思っているのだけど、私がごねていると青い騎士さんの仕事に支障が出るらしいのだ。
私は練習部屋に運んでもらうだけで現場を見た事はないのだが、なにやら青い騎士さんは仕事を放り出して来ているんだとか。
昨夜の夕飯時に赤い騎士さんが文句を言っているのを見たから間違いない。
そこまでしてもらうほどの怪我ではないと何度か言ってみたが、怪我をさせたのは自分の責任だ、の一点張りなので最早どうしようもない。
そんなわけで今日も今日とて彼に背負ってもらい、三階の練習部屋へとやってきた。
青い騎士さんは私をピアノの椅子に座らせてそのまま仕事へ戻っていったようだ。
先日旦那様に「二度目の講習の日時が決まりそうだ」と言われたので、今日はその時に歌う曲目を考えなければならない。
まぁ、決まりそうだと言っていた旦那様が浮かない顔をしていたので決まらない可能性もあるのかもしれないが、一応は考えておいたほうがいいだろう。直前で焦るよりは。
前回の講習で、ポップな曲の詩が余っていたのを見て色々と考えていた。
曲調の問題なのか、歌詞の問題なのか。
歌詞が不人気ならばその曲自体諦めるしかないが、曲調が不人気なら対処のしようがある。
歌詞はそのままに、弾き方を変えてみればいい。
よくある、ベストアルバムのボーナストラックにアコースティックバージョンが入ってたりするあれだ。
それでダメならその曲は諦めるしかないし、アレンジ版が受け入れられれば今後ともそっちを使っていけばいい。
知っている曲が無限にあるわけではないからな。出来れば小出しにしていきたい。
あぁ、あと前回煌びやか令嬢が全部持って行ってしまった曲ももう一度やろうと思っている。
歌詞はないの? と言ってくれた人も居たしもう一度配布したい。
その人達がもう一度来てくれるかどうかは解らないけど。
「とりあえず一曲弾くか」
誰に聞かれるわけでもない独り言を零し、私は立ち上がった。
宣伝効果は薄かったようだが、今でも外に聞こえるように窓や扉を全開にして数曲弾いている。
失敗やミスタッチで躓いている部分を聞かれるわけにはいかないので、きちんと弾ける曲を数曲。
それが終われば窓も扉も締め切ってこっそり練習する。
日本語で歌う時もあるし、極力音漏れしないようにこっそり。
窓を開けている時、外に見慣れない馬車が停まっているなとは思ったが、その時は気にも留めなかった。
二曲通して弾いて、次の講習の曲目を考えてはメモして、使えそうな曲が浮かべばタイトルをメモして、たまに上手く弾けなくてソファに蹲ってみたりして。
そんなことをしていたら、二時間なんてあっと言う間に過ぎてしまう。
私は練習を切り上げて、部屋の施錠を始めた。
戸締りを終えて部屋の外に出ると、いつもなら待ち構えたようにそこに居るはずの青い騎士さんの姿がなかった。
怪我して以来毎日居たのに、珍しいこともあるもんだ……いや、これが普通なんだ。そもそもあの人仕事中だろ。
危ない、私あの人に洗脳され始めてる気がする……。
なんてことを考えながら、鼻歌交じりに階段を下りる。
酷い捻挫じゃないし、そろそろ治りかけているとはいえまだしっかり地に着けると痛いので、ぴょんぴょんと片足で。
手すりさえ掴んでいれば多少バランスを崩したところで何の問題もない。
15段程ぴょんぴょんしたところで、下の階から地響きのような音が聞こえてきた。
その尋常じゃない音に立ち止まると、ぜぇぜぇという誰かの息遣いが聞こえ始めた。
誰かが走ってきているのだろう。
この場合誰かっていうか、当然……
「キキョウ様!」
ですよね。青い騎士さんですよね。
お迎え? と思ったけど、こんなに全速力でお迎えにくるだろうか……?
「どうかしました?」
「遅くなって申し訳ありません!」
首を傾げていた私に、青い騎士さんはものすごい剣幕でそう言った。私は別に気にしてませんけど。
「いえ一人で下りれるので特に気にし」
「厄介な人物が来ました、逃げましょう」
厄介な人物ってアンタのことかな? と言わなかった私を褒めてほしい。ちょっとでいいから。
「逃げるってどこギャー!」
青い騎士さんは問答無用と言わんばかりに私の腕を引いた。しかも手すりを持っているほうの手を。確信犯だろ。
階段の上で腕を引かれたわけだから、完全にバランスを崩した私は青い騎士さんの胸に飛び込む形になる。いやこれは確信犯だ。
それをしっかりと抱き止めた青い騎士さんは、そのまま私を抱き上げて階段を駆け下り始めた。
あまりに猛スピードで駆け下りるので、私は仕方なく彼の首にしがみ付く。これも完全に確信犯だわ。
口を開けば舌を噛みそうだし、目を開けているとひやひやするので口も目も閉じて無心になろう。
……いや無心になっちゃダメだろ。
ところで誰から逃げようとしているんだこの人。
猛スピードで駆け下りたため、いつもの数倍早く一階に到着した。あー怖かった。
「青い騎士さん、これは何から逃げようとしてるんですか?」
厄介な人物が来た、と言っていたが、私にとって厄介な人物と言えば不良トリオであって他には思い当たらない。
しかもソイツ等なら今更逃げる必要性も感じない。
「それが」
青い騎士さんが口を開こうとしたその時だった。
「お待ちなさい!」
女性の高い声がした。
「この前のピアノ講師は貴女ね?」
高飛車な感じの声だ。
この前のピアノ講師……私の事だな。
顔を上げ、声の主を探そうとしていると、青い騎士さんに片手で頭部を固定された。
そりゃあもうガッシリと。
「こちらを向きなさい!」
「…青い騎士さん、怒られてるみたいなので手を離していただけますかね」
声を掛けられた場所は、お屋敷と社員寮棟の間の渡り廊下。
ここまで入ってくる人と言えば基本的にはこのお屋敷の関係者なんだけど……聞き覚えは無い。
誰だろうなぁなんて呑気に考えていると、青い騎士さんが口を開いた。
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止となっております」
「仕方ないじゃない! 屋敷の中でどれだけ探しても居なかったのよ! 本来ならそっちから出てくるべきだというのに!」
すっげー怒っていらっしゃる。
っていうかこの上から目線はあれだな、この前の講習で私に難癖つけてきた煌びやか令嬢だな。
聞き覚えあったわ。
なるほど、さっき見た見慣れない馬車はこの人が乗ってきたものか。
考えてみれば豪華な馬車みたいだったもの。
「青い騎士さん、下ろしてください」
ぽんぽん、と背中を叩いてみると青い騎士さんから少しだけ力が抜けた。
仕事のことみたいなので、と続けるとやっと下ろしてくれた。
「やっぱり貴女ね、この前のピアノ講師」
「何か御用でしょうか?」
煌びやか令嬢と向き合って声を掛ける。出来るだけ丁寧に、低姿勢を心掛けながら。
すると、煌びやか令嬢が一歩前に進んできた。
何だろうと首を傾げていると、今度は青い騎士さんが私の前に出てきた。
結果、煌びやか令嬢と青い騎士さんが睨み合っている。
……なんだこの状況。煌びやか令嬢は私に用があるんじゃないのかな?
「あの」
と小さく声を掛けると、二人の睨み合いは中断したようだ。
「楽譜を寄越しなさい」
煌びやか令嬢が唐突に言う。
楽譜を? 寄越せ?
「楽譜はありません」
「え?」
「……え? 楽譜はありません……よ?」
素直に答えたのだが、思いっ切り怪訝そうな顔で首を傾げられてしまった。
それに対して私も首を傾げて見せる。
「貴女、私をバカにしているのね? 何も知らないと思って!」
煌びやか令嬢が私に掴みかかろうとしたようだったが、青い騎士さんに阻止されていた。
「そうじゃなく、本当に楽譜はないんです」
耳コピでやってんだからなくて当然なんだけど。わざわざ書く必要もないし。
「嘘よ! 公爵家の専属楽師が言っていたわ、楽譜があれば同じものが演奏出来るって!」
いや、うん、出来るでしょうね。でもね、楽譜ないんだって。
……と思っているのだが、どう説明したら通じるのだろう。
「……どの曲の楽譜をご所望なのでしょう?」
どうしようもないのでそう問うと「これよ!」と、初めての講習の時に彼女が全て持って行ってしまった歌詞を突き出された。
くっしゃくしゃだった。
「なるほど、その曲は暗譜と言って楽譜無しで弾けるよう覚えてしまっているのです。ですから今すぐ楽譜を用意することは出来ません」
そもそもこの世界に存在しないので一から書かなければならない。非常に面倒臭い。
「私が直々に訪ねてきてお願いしているのよ? 今すぐ用意しなさいよ!」
クソわがまま。何様だよ。……公爵令嬢様だっけ。
「今すぐと言うわけにはいきません。最低でも三日は掛かります。楽譜をご覧になったことはありますか? まず五本の線を引いて音楽記号を書いて音符を書いて休符を書いてそれからメロディに合わせて歌詞を書いて、と色んな工程があります。もちろんこれだけではありません」
息継ぎもせず言い放ってやると、流石の彼女も狼狽し始めた。『楽譜』という単語は覚えてきたのだろうが、他はさっぱり解らないみたいだった。ちなみに楽譜を書くのに私の場合は三日も掛からない。
「……今……今すぐ」
無理だっつってんだろ。そう言ってしまいたい。だけどおそらく言ってはならない。
そもそもこの人と揉めるのは得策ではないだろう。
公爵家のご令嬢だし、身分を引き合いに出されては私はもちろん旦那様にも、赤松でも勝ち目はない。それどころか皆に迷惑をかける。
「後日でよろしければ、書いてお送り……」
お送りします、と言おうとしたのだが、それは突如現れた男性により遮られた。
「クライスお嬢様! 探しましたよ。こんな所で何を……」
騎士服を着ているので、騎士様なのだろう。
胸元にキラキラした紋章が入っているし、このご令嬢を探していたようだから、公爵家に仕えている騎士だろうか。
その人が、青い騎士さんを見て動きを止めた。
「お前、ファルケ・ヴァッサーか」
どうやら青い騎士さんを知っているらしい。
「そうだが」
と、青い騎士さんが答える。
冷たい視線と声だった。どちらも私には見せた事のないものだった。
「クライスお嬢様、このような人間に近付いてはなりません。どこぞの伯爵令嬢に手を出してクビにされたような騎士などに」
そんな刺々しい言葉を残し、彼は煌びやか令嬢を連れて去っていった。
令嬢はこちらをチラチラと伺っていたようだったが、私は気付かないふりをして無視を決め込む。
「えっと……青い騎士さん?」
苦虫を噛み潰したような顔をしている青い騎士さんに声を掛けるけれど、彼がこちらを見ることはない。
「俺は……仕事に戻ります」
その声は蚊の鳴くような声だった。
「待って!」
私が絡まれたのに、彼だけが傷付いてしまった気がする。
それが嫌で、私は勢いに任せて青い騎士さんの腕を掴んだ。
「あの、私のせいで何か酷いこと言われたみたいで、ごめんなさい」
そう言って頭を下げると、彼は私の顎を掴んで顔を上げさせる。
「キキョウ様のせいではありません。謝らないでください」
「でも!」
「忘れてください」
と、苦笑を零してそのままお屋敷の方へ行ってしまった。仕事に戻ったのだろう。
私は脳内メモに『公爵家の騎士は許さない』とだけ残したのだった。
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