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使用人として、伯爵として
しおりを挟むとある日の昼下がり。
私の今日の担当はお洗濯だった。
あのナンパ事件以降、ルーシュがなんだかんだと私にくっ付いてくるようになった。
最初こそ恋する乙女のような顔で私を見ていたが、今はさすがにそんなことはない。
いや、稀に夢見る乙女のような顔でこっちを見ている事はあるけれど。
そしてそれに気付いたリリが楽しそうという理由でルーシュと同じように私にくっ付いてきたりしている。
要するに懐かれた。
日本の記憶が戻ってからというもの、自分の精神年齢が若干上がった気はするが、実年齢はルーシュの方が年上なんだけどなぁ。
「さーてそろそろ洗濯物取り込んでこようかなぁ」
私の側でキャッキャキャッキャと楽しそうにしているルーシュとリリに向かってそう言い、私は干してある洗濯物の元へ走った。
今日は良いお天気だったからな、取り込む洗濯物からはきっとお日様の香りがするはずだ。
……なんてこと考えてる余裕が吹き飛ぶ量の洗濯物がそこにはあるわけだが。
数人分の服やシーツなんかも洗濯するのでそれだけでも嵩張るのだ。
働き始めた頃は一人じゃとてもじゃないけど取り込めなかったが、今ではコツを覚えたのでそこそこ余裕が出てきた。……はず。
若干身長が足りずにシーツの海に埋もれてしまったりしてるけど。
軽く畳みながら洗濯籠に放り込む。
全て取り終え籠を抱えると、さっさと自分の仕事を終わらせてきたらしいリリに声を掛けられた。
「トリー! 手伝うよ!」
とのこと。
「あぁ、んじゃあ一番上に乗ってるタオルだけ持ってもらって良い? 風で飛びそう」
そう頼むと、ニッコリと笑ってそれを持ってくれた。
「ねぇトリー、ルーシュが言ってた事って本当?」
ルーシュが言ってた事とは、あれだろうか、ナンパ男蹴り飛ばした事。
「ルーシュは何て言ってたの?」
「えっとね、トリーが悪い男からルーシュを守ってくれて、そんでその男捕まえて蹴って跪かせたって。それからそれからルーシュを連れて逃げてくれた、って! 王子様みたいだったって!」
ちょっと待て、それ話盛ってるね? 私あの男の事蹴り飛ばしたけど別に跪かせてはないよね?
っていうか王子様って何?
「それちょっと違う気がする……別に跪かせたりしてないしただ蹴って動き封じて逃げただけだし、」
「それだけでも凄いよー! 立派な王子様だよ! あーあ私も付いていけば良かったー」
まぁ……まぁね、ルーシュの目が夢見る乙女みたいだったからね、彼女の目にはそう映ってたのかもしれないけどね……というか私は王子様ではなく騎士になったつもりだったのだけど……
呑気なリリに軽く頭を抱えたくなった。
洗濯籠で両手塞がってるし無理だけど。
てくてく歩いていた私とリリは、洗濯物が干してあった庭から室内へと戻る。
廊下を歩いていると、前方から声が聞こえてきた。
「それは面白そうだね」
この声は旦那様のものだ。それはいい。だってここは彼の屋敷だから。
問題は次に聞こえてきた声だ。
「それで、手伝いとして一人使用人を貸してもらえませんか?」
この声聞いたことあるわ。
出来ればあんまり聞きたくない声で……
「ト、トリー……伯爵様が居るよ」
そう、伯爵様だ。伯爵様っていうか赤松だ。
私の背後に隠れるリリに構っている余裕はない。
何故ならこのままだと奴にこのメイド服を見られてしまう。
絶対笑われる……!
私は苦肉の策として抱えていた洗濯物でそっと顔を隠した。
そのまま何事もなかったかのようにスルーしようと思っていたら、もう一つ別の声がする。
「使用人と言っても、伯爵様に手を貸せそうな奴は居ましたかねぇ?」
これは確か赤い騎士さんだ。
足が見えているので青い騎士さんも居る。
もう完全に彼等の視界に入ったであろうタイミングで、また赤松が喋り出す。
「料理が得意そうな使用人がおったらええんやけど……」
赤松のその言葉で、私の背後に隠れているリリが私のエプロンを握った。
リリは覚えていたんだろう、私の特技が料理だということを。
多分この子は心配してくれている。私がかの恐ろしい伯爵様に連れて行かれてしまう、と。
だがしかし、ここで旦那様からの死刑宣告とも言える発言が飛んできた。
「料理……トリーナ、君は確か料理が得意だったね」
と。
仕方無いし肯定しようと口を開きかけたのだが、赤い騎士さんに邪魔をされた。
「新人に伯爵様の眼力は耐えられないんじゃ……」
あぁやっぱ眼力に怯えられるのってマジなんだな赤松。
いくらメイド服を見られたくないからと言ってこんなに怯えているリリを生贄にするわけにもいかない。
「料理得意ですけど」
洗濯物の塊からひょい、と顔を出して言えば、男達が皆揃って目を丸くしている。
赤松だけはすぐに私から顔を逸らしたが。
しかも逸らした先でくくく、と笑っている。
「笑うが良い……」
私は思わず地を這うような声で小さく小さく呟いてしまった。
全員キョトンとしているので赤松以外には聞こえなかったようだ。
「ほな、ちょっと手伝って欲しいんやけど」
笑いを堪えた赤松が言った。
「わかりました」
笑われた事は腹立たしいが、相手は一応伯爵だ。うんいいよ、とかそんな喋り方ではまずいんだろう、多分。
「リリ、申し訳ないんだけどこれ」
洗濯籠を差し出すと、彼女は私の言葉を最後まで聞く事なく「解った!」と言って洗濯籠を奪うように受け取り逃げるように走り去った。
マジで怯えられてやがる……
「お、おい、トリーナちゃん、大丈夫なのか?」
赤い騎士さんに問われる。
「何がでしょう?」
そう言って首を傾げると、彼は眉を顰めながら躊躇いがちに口を開く。
「いや、この伯爵の鋭い目を見ると大体の女の子が怯えて……さっきのリーリエみたいに逃げるんだが……」
おいおいお前一応伯爵だろう?
子爵家の騎士に言いたい放題言われてるぞ。
私がさっきの赤松のようにくくく、とこっそり笑えば「笑うが良い……」と、呟かれた。見事に立場が逆転していた。
「別に大丈夫です。で? 料理? ってことは厨房に行けばいいんですか?」
その場に居た全員を見ながら言えば、皆なんとも言えない顔でこちらを見ている。
「じゃあトリーナ、頼んだよ。彼が怖いのは目付きだけだから、大丈夫だと思うけど、何かあったら騎士達に声を掛けなさい」
旦那様にそう言われた。
「解りました」
しっかり返事をしたつもりだが、ちょっと声が震えていたかもしれない。
笑いを堪えていたから。
じゃあ行きましょうか、と言って歩き出す。
暫く歩くと旦那様も騎士さん達も見えなくなった。
「お前マジでメイド服着てんねんな」
「お前はマジで怯えられてんだな」
私達は一旦静かに頭を抱えたのだった。
厨房に着いて、調理師さんに声を掛けると、快く厨房を貸してくれた。
「ところで料理ってなにするの?」
「せや、これこれ」
そう言って赤松が取り出したのは小瓶に入った黒い液体だ。
「何それ?」
「舐めてみ?」
と、赤松が黒い液体を小皿に出した。
言われた通り舐めてみると、とても懐かしい味がした。
「醤油!!」
「せやねん。名称はちゃうねんけどこれあからさまに醤油やろ?」
どこで入手したのかと問えば、貧困で苦しんでいる領地で発見した、とのこと。
何やら領主が没落してしまい赤松のところの領地になったばかりの場所にこれがあったらしい。
使い道が少なく持て余していたので、赤松が研究するという名目で引き取ったんだとか。
貧乏な領地を救うため、それを名産品にして一儲けしようという話になっているんだそうだ。
「で、旦那様を味方に付けるためにここに来た、と」
「せや。人望厚いしな、トーン子爵」
講習で人も集まりやすいし、旦那様自身もこの手の副業みたいな事を楽しんでいる節がある。
絶対に話に乗ってくると踏んでいたようだ。
「ほんで葉鳥には手伝いっちゅーか何かええアイデア出して貰いたいんやけど」
「アイデア?」
醤油を使って一儲け出来そうなアイデアかぁ……
この世界は日本ほど調味料が豊富ではない。
世界が違うのだから仕方無いだろう、と思うのだが、やはり日本にはあってこちらにはないものが多い。
醤油に遭遇したのは今日が初めてだし、味噌なんかはこの近辺には恐らく存在していない。
原材料は同じなんだし醤油があるなら味噌もあるの? と問えば、どうやらこの醤油もどきの材料は大豆ではないらしい。
不思議なものだ。
もっとも、私達のように別世界の記憶なんてものを持っていなければ何も不思議な事なんてないのだろうけど。
「醤油かー……あ、みたらし団子とかは?お団子屋さんとかどうよ?それとかお煎餅とか。うん、なんていうかとりあえず和風のお菓子が食いたい。和菓子」
久々に醤油の味に触れたものだから、口の中が完全に和を欲している。
「んー、なるほどな。ええかもしれんな」
赤松はそう言いながらメモを取る。
メモを取り終えると、自分の持ち物をごそごそと漁り始める。
ちょっと待っとき、と一言残して調理師さんの元へと歩いていった。
その間醤油で作れるものを考えようとしているのだが、私の頭からみたらし団子が離れない。食べたい。
「ん、赤松何持ってきたの?」
何かを持って戻って来た赤松に声を掛けると、肉と魚を手にしていた。
「とりあえず焼き鳥と魚の照り焼き作って醤油の味見してもらおうと思ってな」
とのこと。
旦那様と手を組んで特産品を作るのだから、旦那様に味を知ってもらわなければならない、ということだそうで。
「アンタ料理出来たっけ?」
何か中学の頃私が作ってやった記憶があるんだけど。
「お前にグラタン失敗したんバカにされた後料理特訓したんじゃ」
……そんなことしてたのか。
あはは、と笑う私をよそに、赤松はさっさと料理を作っていく。
手際良いね、と言えば、こっちでもたまに料理をしているらしい。
「わーいい匂いしてきた。なんだろう、米が炊ける匂いがする気が……幻覚? 幻臭っていうのかな……」
「幻覚ちゃうわ、米も炊いとる」
「伯爵様マジ用意周到」
「伯爵様とかやめろやメイド」
キイイイ!
殆ど準備を終えた赤松が、ふと私を見た。
なんだろう、と首を傾げると「手伝ってくれた礼や」と言って差し出してくれたのは卵かけご飯だった。
私が目を輝かせると、赤松は勝ち誇った顔でこっちを見ていた。
ちょっとだけ悔しいが、まぁいいか。
他の人の分は用意してないから、と少し行儀は悪いが私達は厨房の隅に椅子を持ってきてその場で食べた。
「わぁ、懐かしい味」
「せやろ?」
「美味しい。伯爵様グッジョブ」
「せやから伯爵様とかやめろて言うとるやろクソメイド」
「クソはいいけどメイドはやめろ!」
「クソはええんか!」
……何故コイツと漫才してるんだろう……。
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