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元ヤンの片鱗
しおりを挟むある日の仕事中、私はルーシュに声を掛けられた。
「服を買いに行こうと思うの」
「服? ルーシュの?」
「わたくしのではなく、トリーの」
「ん?」
何を言われているのかさっぱり解らなかったが、ルーシュの無言の圧力のせいで逆らえなかった。
ルーシュが今から行くと言うので私は一旦部屋に戻って急いで着替えた。さすがにメイド服のまま出掛けるわけにもいかないだろうし。
仕事中だったんだけど、と小さな声で言えば、ロゼには話してあるので気にする事など何もなくてよ、と微笑まれた。
言葉の端々に謎の威圧感が大量に含まれている……。
軽く慌てながらルーシュの隣を歩いていれば、気付いた時には既に街の仕立て屋さんに辿り着いていた。
「ところで何故私の服を? 確かに服あんまり持ってないけどお給料とかまだ貰ってないし……」
「あらトリー、使用人の服で講習を開くおつもりかしら? それとお金は経費だから気にする事はなくてよ」
……確かに、言われてみれば講習を開く時に着るような服なんて持ってなかったな。
「……ん? 経費?」
「そう、経費。わたくしが奥方様直々に頼まれたの。トリーに似合う服を、と。さぁトリー、覚悟はよろしくて?」
奥方様直々? は? と混乱している間に、私は仕立て屋さん達に取り囲まれる。
何これ、怖いんだけど。
確かにメイド服で講習開くのは嫌だけど別に仕立ててもらう程のことでもないっていうか普通に既製品で良くないかい?
いや派手なのとかフリフリとかやめてくださいマジで! 原色は派手じゃないですよね? じゃないんだよ派手の代名詞だろうが原色とか!
と、まぁ色々脳内で文句を言っているわけだが、実際口には出せていない。
何故なら尋常ならざるスピードで採寸が行われているから。
さっきから仕立て屋さん達の手際が良すぎて、あ、とか、う、とか、もう言葉らしい言葉も出てこずじまいだ。
だからといって諦めていると物凄くフリフリしたレースとピンクの布を持ってこられたので私は必死に口を開いた。
「あまりフリフリした服だと子供に見えて侮られてしまうかなぁ、なんて」
ただでさえ元孤児の現使用人が講師なのだ、それに加えて私は背が低いので、ガキだと思われたら私の講習は一度きりで終わってしまいかねない。
「あらそうねぇ、失念していたわ。それじゃあもっと落ち着きのある色味とデザインにしなくては」
良かった、ルーシュの口から『落ち着き』って単語が出てきてくれて。
それから持ってこられた布はワインレッド、モスグリーン、ダークパープルという本当に落ち着いた色だった。
そしてその中から一色を選ぶのだろう。
……と思ったら三着作るんだそうだ。
「そんなに作るの?」
「同じ服ばかりを着るつもりでして?」
「え、いや……」
私の講習が三回も続くのかなっていう心配のほうが大きいんだけど、それをルーシュに言うのは何か違うか……。
私が口篭っている間に仕立て屋さんによる採寸が終了し、なんだかんだで服のデザインも決まってしまったようだ。
「出来上がり次第お屋敷の方へ届けさせていただきます」
仕立て屋さんの看板娘さんがそう言った。
届けてもらわずとも一人で取りにこれる……いやでもドレス三着はさすがに重いか……
などとぼやぼやしていたらルーシュに手を引かれ店から引きずり出された。
おっとり系美少女だと思ってたのに、案外気が強いみたいだなぁ。
「少しだけ寄り道してみませんこと?」
なんて可愛く首を傾げるルーシュはやっぱりおっとり系美少女なんだよなぁ。
「時間は大丈夫かな?」
「少しくらいなら平気でしょう」
普段しっかり働いているのだから誰も怒らないだろう、と言われたので、たまには良いかなぁなんて……
魔が差した。そう、魔が差したんだ。
この時素直に真っ直ぐお屋敷に戻っていれば、こんなに面倒な事にはならなかったんだ。
ルーシュと共に色んな店を冷やかして回った。
お菓子屋さんに入ってちょっとお菓子を食べたり、アクセサリーショップに入ってこれが可愛いだとかあれが可愛いだとか、考えてみればこの世界でこんな事をするのは初めてだった。
だから私は普段より少しだけテンションが高かった。
で、今目の前で「君、可愛いねぇ」という、日本で言うところのナンパが繰り広げられている。
もちろん声を掛けられているのは私じゃない。ルーシュだ。
何故私達は二人きりで来てしまったんだろう。
騎士を連れてくれば良かった。
「や、やめてください」
ナンパ男は嫌がるルーシュの手首を握った。
そうだ、騎士が居ないのなら私が騎士ばりの働きを見せれば良いんだ。
「うちのお嬢様に手を触れるのはやめていただけますか?」
私はルーシュとナンパ男の間に入る。
その間力一杯ナンパ男の手首を握ったためルーシュを私の背後に隠す事にも成功した。
ルーシュから離れた男の手を、ぺいっと捨てると、
「なんだ? 俺は君みたいに貧相な子には興味無いんだ。どいてくれるか?」
男はそう言った。言いやがった。
男は邪魔だと言いたげに私の右手首を取る。
なので私は待っていましたと言わんばかりに手首を反転させ、掴まれた右手で男の手首を掴み返す。
それに成功すれば手を内側に捻り、相手の関節を思いきり固める事が出来る。
「いででででで、このっ」
「誰が貧相だクソが、舐めてんじゃねえぞ」
男だけに聞こえるように呟き、肩から下の痛みで油断していた男の鳩尾にミドルキックをお見舞いして動きを完全に封じた。
鳩尾に一発入れておけば暫く機敏な動きは見せないだろう。
「よし! 逃げよう!」
私は唖然とするルーシュの手を握り、その場から走って逃げた。
あの男はそれ程良い身なりではなかったし貴族じゃないだろうと思うが、万が一面倒な相手だった場合追いつかれたら大変だ。
私は方向も考えないままに走った。
本当に何も考えていなかったのだが、なんと辿り着いた場所はAの店の前だった。
確かいつでも来ていいって言ってたはずだ。よし、飛び込もう。
「ルーシュ、大丈夫?」
ぜぇぜぇと肩で息をしているルーシュの背中をそっと撫でる。
「だ、大丈、夫…トリーは」
「大丈夫大丈夫。とりあえず水貰おうか」
孤児院で走り回っていた私とお嬢様のルーシュだからな、体力に結構な差があるらしい。
「え、でもお店は準備中みたい……」
「ん? 大丈夫でしょ。たのもー! Aー!」
準備中の札を無視して店のドアを開けると、カウンターの向こうにAが居た。
突然ドアが開いたからか、そこから入ってきたのが私だったからか、とにかく凄く驚いている。
「葉鳥!? 久々やな、手紙読んだか?」
「あー今それどころじゃなくてさ」
へろへろになったルーシュの手を引き、店の中へと進んだ。
「どないしたん?」
「色々あって街中に居たんだけどこの子がナンパされてね。ナンパ男から逃げてきたんだよ。水くれ」
Aは軽く首を傾げながらも私の要望通りグラスに水を注いでくれる。顔は物凄く面白いものを見る目をしている。
「そら災難やったなぁ」
Aがルーシュに水を差し出すと、ルーシュはお礼を言ってそれを受け取り飲み干した。
「ありがとう、ございます……」
「おう、ええで。しかし葉鳥相手にナンパするとはええ度胸やな、その男」
からからと笑いながら言うAに、
「私じゃないわよ。ナンパされたのはこっち、私の仕事仲間のルーシュ」
と、釘を刺す。
ルーシュは水を飲んで少し落ち着いたようだった。
もう少し休ませてあげたいところだが、あまり遅くなっては皆に心配されてしまうだろう。
「ただいまーって、葉鳥やん。久しぶりやな」
丁度良いところにBが来た。
「ん、久しぶり。戻って来たとこ悪いんだけどお屋敷まで送ってくんない?」
パシろう。
案の定キョトンとするBだが、事情を察したAが、
「おう、送ったれ」
と、そう言ってくれた。
雇い主であるAにそう言われればBも断れないだろう。
「なんやよう解らんけど送ってくるわ」
と、Bは素直に回れ右をしてもう一度外に出る。
「じゃあね、A。今度はゆっくり来る」
苦笑して見せると、Aも同じような顔で手を振ってくれた。
今日の事はその時嫌でも聞かれるだろうな。
「送って行くんはええけど何かあったん?」
というBの問いに、
「私の可愛い仕事仲間がナンパされてね。相手の男ブッ飛ばして逃げてきたんだよ」
と答えれば、あっはっは、と笑われる。
そしてさっきAが言ったように、葉鳥相手にナンパとか怖いもの知らずもええとこやな、とか言っている。
だからナンパされたのは私じゃないと……
はぁ、と小さく溜め息を付いていると、ふと手を握られる感触があった。
何事かと思えばルーシュが私の手を握って腕に張り付いていた。
怖かったのかな。
「ルーシュ、大丈夫?」
そう問い掛けてみると、ルーシュはこくこくと頷く。
「今は元騎士も連れてるからもう怖くないよ」
精一杯優しい声で語りかける。
「まぁ俺より葉鳥の方が強いやろうけどな!」
「黙れよこの野郎」
ナンパ男に貧相とか言われて頭に血が昇ってしまったからなぁ私も。
日本に居た頃から喧嘩慣れしてた私とお嬢様のルーシュじゃ全然違うっていうか、怖かっただろう。
反省しなければ。
「お、着いたでートーン子爵の屋敷」
若干間延びした声に顔を上げれば、いつの間にやら見知った屋敷の前に辿り着いていた。
「ありがとね、B。次の休みは店に行くってAにも伝えといて」
「おう。ほななー」
Bはひらひらと手を振りながら踵を返す。
文句も言わずにパシられるなんて、アイツも丸くなったもんだ。
屋敷に着いたらロゼが一番に出てきた。
「遅い! って、ルーシュどうしたの?」
私に張り付くルーシュに気付いたようだ。
「ごめん、ルーシュが変な男に絡まれて」
そこまで言うと、ルーシュの手に力が入った。
そして赤い顔で私を見ている。
「トリーが、トリーが助けてくれて、カッコ良かったの……!」
唐突に、ルーシュがロゼに向かってそう言い放った。
カッコ良かった、とは。
「そ、そう。とにかく中に入るわよ」
ロゼのその一言で、私達は屋敷の中に入る。
全力疾走できっとルーシュが疲れている、と言えば一旦食堂へ行くことになった。
結構走ったのにさっき水を一杯飲んだだけだし、改めて何か飲みたいだろう。
相変わらず私の腕に張り付いたまま離れないルーシュをちらりと見ながらそう思った。
食堂に入ると青い騎士さんが食事を摂っていたが、彼は我関せずといった顔のままでこちらを見ることすらなかった。
「全く、二人きりで外に出すんじゃなかったわ……」
大人しく席に着くと、ロゼが軽く頭を抱えながらお茶を淹れてくれる。
それをありがたく受け取って一口飲む。
「そうよね、危なかったよね」
ぽつりと零せば、危なかったどころの問題じゃない、と怒られる。
「連れて行かれたりしたらどうするのよ、もう……」
「私はともかくルーシュはお嬢様だし大変だね……」
「お嬢様とかそういう問題じゃないの! トリーだって危ないんだから!」
仕事指導中でもないのにロゼが鬼モードだ……
ごめんなさい、と頭を下げると、ルーシュがぽつりと零す。
「トリー、別人みたいだったわ……」
と。
するとロゼの視線がこちらに向く。何をしたの? と言われたんだけど、
「男に関節技と蹴り一発入れただけで放置して逃げてきた」
素直に答えれば、ロゼの表情に呆れの色が浮かび、青い騎士さんの方からガシャンと音がした。
驚いて青い騎士さんを見ると、ごほん、と咳払いをして食事を再開している。なんだったんだ。
首を傾げつつ視線をルーシュへ向けると、頬を薔薇色に染めた彼女と目が合った。
「ありがとう、トリー」
相変わらず手は握られたまま。
……うん、とりあえずその恋する乙女みたいな顔で私の事見るのやめてもらえるかな?
正直怖い。
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