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代理人、キレる
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なんかピンク色が横切ったな、とは思った。
だけど自分には関係のないことだと思っていた。
「お前らいつまでやってるんだよ!」
「長いんだよ!」
横切っていったのはコピペたちだったようだ。
いつまで経っても不協和音しか奏でない銀髪兄弟にガチギレしたらしい。
確かに酷い不協和音だったから私も多少イラっとはしていたけれども、そんなに猛烈にキレなくてもいいのでは。
「いつまでって、俺たちの気が済むまでだよ」
銀髪の、推定兄のほうがコピペの言葉に対する返事をしている。
その返事が気に食わなかったのか、コピペがさらにキレている。
「俺たちはあいつに弾かせるために楽譜まで持ってきたんだぞ!」
と、コピペの片方が言う。
「そんなの知るかよ。俺はあいつのピアノなんか聞きたくないね」
と、銀髪の推定兄が言う。
二人とも、こちらを指しながら言っている。
面倒臭いことこの上なし。っていうかそもそも私は弾くなんて一言も言ってねぇしな。ノアとは約束したけど。
なんだかんだと言い合った後、あの四人の口論はいつしか口だけでは飽き足らず、取っ組み合いの喧嘩にまで発展していた。
殴る蹴るの大乱闘だ。大変そうだなぁ。
「トリーナ、あれ、大丈夫かな?」
「さあ。知ったこっちゃありませんわ」
「出た変なお嬢様言葉」
私もノアも誰にも聞こえないように小さな声で会話をしている。関わり合いになりたくないから。
ただの喧嘩の仲裁ならともかく高位貴族VS高位貴族は面倒でしかないもの。
これを穏便に済ますことが出来るのはおそらく王子殿下あたりだろう。
いくら子どもとはいえ貴族の息子たちなんだし殴る蹴るの喧嘩をスルーするのはダメだろ。王子殿下もさっさと止めてくれればいいのに。
と、思っていた私のところに、アルムガルトが近寄って来た。
「君のせいで喧嘩してるみたいだよ、トリーナ」
知ったこっちゃねぇっつってんだろ。っつーか何勝手に名前呼び捨てにしてんだよ馴れ馴れしいな。
「止めてあげたらいかがですか、アルムガルト様」
手元にあったクッキーをむしゃむしゃと食べながらそう言えば、アルムガルトがにっこりと笑みを浮かべる。
「我々はあの家の者といざこざを起こすわけにはいかない。王子だってそうだ。手出しは出来ない」
私だっていざこざなんか起こしたくないのですが。
「だからお前が行けと仰りたいのでしょうか」
「そう。我々と違って君なら大丈夫でしょう、いざこざを起こしたって。だって、君の家は元々嫌われているんだから」
元から嫌われ者なんだから今更どうなったって一緒だろ、と言いたいわけだな。と、納得していたら、隣に座っていたノアが立ち上がった。
待て待て待てお前はダメだ。多分ここにいる誰よりもダメだノア。いくら騎士団長の家だっていっても伯爵家なんだから。相手の格を見てみろよ、下手したら消されるぞ。
……仕方ないなぁ。
私はノアの上着の裾を掴んで、ぐっと引っ張ることで座らせる。そして、入れ替わるように自分が立ち上がった。
「トリーナ!?」
「座ってなよ」
座らせたノアの頭を押さえつけるようになでて、私はピアノに近付いた。
さっきまでは銀髪兄弟がバンバン不協和音を奏でていたが、現在は絶賛殴り合い中なのでピアノ前には誰もいない。
そんなわけで、私はピアノを弾き始めた。とびきり明るい曲を。椅子にも座らずに。
すると、今まで殴る蹴るの喧嘩をしていた四人の動きが止まる。
そして銀髪の推定兄のほうが標的を私に変えた。
「お前、何呑気にピアノなんか弾いてるんだよ!」
と。
文句を言うだけでは足りなかったのか、思い切り殴りかかってきた。
離れた場所からノアの「トリーナ!」という声が聞こえた気がする。しかしそんなこと気にしていられない。
銀髪の推定兄の拳が私の顔面目掛けて飛んできたので、それを左手で受け止めて、そのまま払いのける。
そうすると銀髪の推定兄はバランスを崩すので、その隙を見て、胸倉を掴んだ。ぐいっと、それはもう力いっぱい。
「兄さん!」
もう一人の銀髪が声を上げた。
兄さんと呼ばれたのは目の前の銀髪。ということは、推定ではなく兄で確定らしい。
「なんでピアノ弾いただけで文句言われなきゃなんないわけ?」
「はぁ? この状況でピアノ弾いたお前が悪いだろ!」
「あんた、この状況じゃなくてもピアノ弾いたら文句言ってくる気満々だったじゃん」
私がそう言うと、銀髪兄は私から目を逸らす。
「ピアノだけじゃない。そもそもノアの足引っ掛けたよね」
「それはアイツが悪いんだ! 伯爵家の息子の分際でここに来るから」
そこまで聞いたところで、胸倉を掴む手の力を強くする。
それに気が付いた銀髪兄は怒りに顔を歪める。生意気にも。
「身分が? 自分より低いから? だからそんなみみっちいクソみたいな嫌がらせするんだ?」
「お、お前」
どいつもこいつも身分だの血筋だの、めんどくせぇなぁ。
「ノアや私が気に食わないなら、あんたのパパとママに言えばいいじゃん。由緒正しき血筋とやらのパパとママに、僕ちゃんの気に食わない奴がいるから追い出してよって」
「な、なん」
「不服そうな顔してるけど、あんたが言いたいことってそういうことでしょ」
私、何か間違ったこと言った?
パパやママやその他諸々、周囲の人間に甘やかされて育ったからそんなみみっちいクソみたいな嫌がらせするような奴に育ったんじゃないの?
「お、お前、俺にそんなこと言って、どんな目に遭うか分かってるのか?」
「あんたのパパとママあたりが出てきて私をここから追い出すんでしょう? どうぞご自由に。私はこの場に未練なんかないから」
「なんだと!」
「好きにすればいい。もしそうなったとしても、私があんたに対して『パパとママに言いつけた卑怯な奴』と思うだけで、あんたの世界は何も変わらない。いいじゃん、それで。あんたはそれでスッキリするんじゃない?」
ただ問題なのはノアが巻き込まれることだよな。なんの罪もないのに。
私のほうはあの両親が発狂するだろうから、どうやって収集をつけるかを考えなければならない。考えただけで面倒臭い。
「兄さんを離せ!」
銀髪弟が殴りかかってきたので、ぐ、と押しながら胸倉を掴んでいた手を離す。
すると銀髪兄はよろけながら二歩ほど後退りする。
それを横目で確認して、すぐに銀髪弟が殴りかかってきた拳を掴み、本来曲がらないはずの方向へ曲げれば、関節技が決まる。
「痛い! 痛い!」
自分が殴りかかってきたくせに文句を言いやがる。生意気にも。
ただ銀髪弟と話す気はないので、掴んだ拳をそのまま銀髪兄のほうに押しやった。
銀髪兄が何か言いたげな顔をしているので、まだ何か文句が出てくるのかな、と思っていれば、銀髪兄弟はそのまま部屋の反対側、ボードゲーム等が置いてあるゾーンへ歩いて行った。
なんだ、結局大した文句言ってこなかったな。
なんだったらそのまま部屋を出てパパとママに言いつけに行けばよかったのに。
と、思っていると、コピペたちと目が合った。
なんだか妙に希望に満ちた光を宿した目でこちらを見ている。
「あんたらもあんたらだ」
「えっ……」
私の言葉が想定外だったのか、コピペたちは狼狽える。
「私はあんたらに楽譜を押し付けられただけで弾くとは言ってない」
「な……なんでだよ!」
なんでもクソもないよね。
なんで自分の言い分が全て通ると思っているのだろう。私の気持ちとか微塵も考えてない。
ここにいるやつらはどいつもこいつも他人の気持ちを一ミリたりとも考えられないのだ。考えられないどころか、考えようと思ったことすらないのかもしれない。
「なんでって、考えてもみなよ。なんで私が仲良くもない奴が押し付けてきた楽譜を見てピアノを弾かなきゃならないの?」
私の言葉に、コピペたちが同じ顔できょとんとする。
なんで分からないのかが分からない。これが価値観の違いってやつか。
「じゃあ聞くけど、私があんたらにこのゴミ捨てといてって言ってきたらどうする?」
「え、自分で捨てろよ」
「自分で捨てろよ。ゴミ箱なんてすぐそこにあるだろ」
「それと全く同じ気持ちだよ。自分で弾けよ。ピアノはそこにあるんだから。それともなに? 自分の言うことは聞かせるくせに、他人の言うことは聞かないの? 何様?」
あぁ、貴族様か。いや私も貴族なんだけどね。一応。なんかめちゃくちゃ嫌われててめちゃくちゃ下に見られてるけど。
「ひ、弾けないんだよ!」
「あんたらがピアノを弾けるか弾けないかなんて私は知ったこっちゃないのよ」
周囲の人間に甘やかされて育つとこうなるんだなぁ。
いつか育てる機会があったら気を付けなければ。なんて思いながら、私はコピペたちに背を向けて、さっきまで座っていたテーブルのほうへと一歩踏み出す。
「でも!」
背を向けることで話は終わりましたアピールをしたはずなのに、コピペたちはまだ食い下がってくるつもりらしい。
「あいつに頼まれたのは歌うんだろ?」
コピペの片方が、ノアを指しながら言う。
「歌うよ。約束したから」
私がそう答えると、コピペたちの顔が不服そうに歪む。
「なんで俺たちはダメで、あいつはいいんだよ」
「不公平だ」
コピペたちが交互に不満を述べている。不公平の意味を一度辞書で調べてから出直してきてほしい。
そもそもなぜ自分たちがノアと同列だと思っているのか。私はお前たちの名前すら知らないというのに。
「ノアは私の友達だからだよ」
そんな私の言葉に、コピペたちは押し黙る。返す言葉を失ったのだろう。だって私とコピペたちは友達ではないから。
しばし黙り込んでいたコピペたちだったが、今は二人で同じような顔を見合わせながら「友……達……?」と呟き合っている。大丈夫か? お前ら人間生活昨日スタートさせたばっかりなんか?
「お、俺たちとお前は……?」
「……まぁ、強いて言うなら顔見知り? 友達どころか知人かどうかも怪しいな。だって私、あんたらの名前も知らないから」
そう言うと、コピペたちはこれでもかと言わんばかりに目を丸くする。俺たちの名前を知らないなんて……! と、顔に書いてある。
「お、お前、俺たちはグローマン家の息子だぞ、知らないのか!?」
「知らないのか!?」
知るかボケ。私はお前らと違って貴族である自覚なんて大してねぇんだぞ。他家の奴らの名前なんかわざわざ覚えるかよ。
「どこぞの侯爵家の人って認識くらいはあるよ。でもあんたら名乗りもしなかったじゃん。挨拶された覚えもないし。絡まれた覚えならあるけど」
ぐうの音も出ないようで、彼らは再び押し黙る。もうそろそろ諦めてほしい。
「あぁ、だからと言って今ここで挨拶しろとも名を名乗れとも言わないよ。そうしたからって『はい分かりました』なんてピアノを弾くと思われたら迷惑だもの」
「め、いわく」
コピペたちは二人そろって唖然としてしまっている。生まれてこのかた自分の言うことを聞かない人間を見たことがなかったのだろう。それなら仕方ない。
コピペたちだけが悪いわけではない。こういう風に育てた大人が悪いのだ。そう思っておいてやろう。
なんてことを思いながら、私はさっきまで座っていた場所に戻り、テーブルの上に置いていた楽譜を手に取った。
「そういうわけで、こちらはお返ししますわ。それでは、失礼いたします」
最初にこいつらをビビらせたあの全力の作り笑顔でそう言って、楽譜を突き返す。
そしてコピペたちが何かごにょごにょ言っていたのを聞こえないふりで、テーブルへと戻った。
「トリーナ、大丈夫?」
私が座ったところでノアが心配そうにそう言ってくれたわけだが、その心配がこちらに向いているのかコピペに向いているのかはちょっと分からない。
だってどちらかというと大丈夫じゃないのはコピペたちのほうだから。
私は言いたいこと全部言ってとてもすっきりしているし。
ただ貴族界隈を干される可能性だけを考えれば大丈夫ではない。圧倒的に大丈夫ではない。銀髪兄弟にもコピペたちにも言いたい放題言っちゃったもんな。
銀髪兄弟がマジでパパとママに言いつけたら私はきっと終わる。
あ、いや、もしかしたら今もうすでに終わったかもしれない。
「お、おい」
コピペたちの様子を窺っていたらしいアルムガルトが、コピペたちの元に駆け寄っている。
どうもコピペの片方がぽろぽろと涙を零し始めたらしい。
「あーあ。泣いちゃってんな」
「……トリーナ怖かったもん、鎖骨殴るのかと思ったし……」
私の小さな小さな呟きを拾ったノアが、自分の鎖骨を抑えながらそう零す。
「いやさすがに鎖骨なんか殴らないわよ」
っていうかノア、鎖骨殴ったこと根に持ってるのかな。いやでもあれは殴ったというより骨殴られたら痛いよって教えたかっただけなんだけどな。
今更だけど謝ったほうがいいのだろうか、と口を開きかけたところで、私の前に泣き出したほうのコピペが歩いてきた。お前をこの界隈から干すって言いに来たのかな。
銀髪兄弟みたいに殴りかかってくるつもりだったらどうしようかと思っていたが、泣き出したほうのコピペはテーブルを挟んだ向こう側で立ち止まる。
「フェルスター・ダリア・グローマン」
「……?」
……あ、名前か。なんの呪文かと思った。
「これ、歌ってほしい」
コピペの片方ことフェルスターは、そう言って強く握りしめて少しくしゃくしゃになってしまった楽譜をこちらに差し出してくる。
相手が相手なら弾いてくださいお願いしますっつって土下座しろよ、と言っているところだが、相手は泣き出してしまった子どもである。さすがの私もそこまで鬼ではない。
「ピアノが弾ける人なんて探せば他にもいます。何も元を辿れば庶民の私なんかに頼まなくてもいいのでは?」
いいよ、と言わないあたり普通に鬼だったかもしれない。
でも、実はこいつらに絡まれた時に言われた言葉が引っ掛かっていたのだ。元を辿れば庶民、ってやつ。
私はともかく、ノアにも言ったからな。私はお人好しではないから、そう簡単に許すとは言えない。
「なんとなく似てるから」
「何が」
「乳母と、お前……君の声が」
乳母かぁ。ノアみたいに、思い出の曲ってことなのかな。
皆それぞれに思い出の曲があるってのは素敵なことだ。
もしかして、コピペたちの乳母さんもノアのおばあ様みたいに亡くなったのだろうか。
だとしたら泣かせてしまって悪かったかな。
「ずっと面倒見てくれてた乳母がいつも鼻歌を歌っていた。それがこの歌だった」
フェルスターじゃないほうのコピペの片方がやってきて、そう言った。
なるほど、乳母さんの鼻歌ね。
「その乳母さんにはもう歌ってもらえないの?」
ノアが小さな声で問いかけた。
「乳母はクビになった」
なんだクビか。……なんだクビか、ってのも失礼か。でも亡くなったわけではないのならまだマシ……ではあるのか?
なんて、内心首を傾げまくっていたら、フェルスターがぐすぐすとさっきよりもしっかりと泣き出してしまう。
「父様が、俺たちが言うことを聞かないのは乳母のせいだっていってクビにしちゃった」
なんだお前らが悪いんじゃねえか! 全然ノアと一緒じゃない! 同情しかけて損した!
「乳母が俺たちをちゃんと育てなかったからクビになっちゃった。だからもうこの歌は聞けないんだ」
ダメだこれ! 手遅れだ!
私はフェルスターのあまりにも残念な性格に、完全に頭を抱えることしか出来なかったのだった。
だけど自分には関係のないことだと思っていた。
「お前らいつまでやってるんだよ!」
「長いんだよ!」
横切っていったのはコピペたちだったようだ。
いつまで経っても不協和音しか奏でない銀髪兄弟にガチギレしたらしい。
確かに酷い不協和音だったから私も多少イラっとはしていたけれども、そんなに猛烈にキレなくてもいいのでは。
「いつまでって、俺たちの気が済むまでだよ」
銀髪の、推定兄のほうがコピペの言葉に対する返事をしている。
その返事が気に食わなかったのか、コピペがさらにキレている。
「俺たちはあいつに弾かせるために楽譜まで持ってきたんだぞ!」
と、コピペの片方が言う。
「そんなの知るかよ。俺はあいつのピアノなんか聞きたくないね」
と、銀髪の推定兄が言う。
二人とも、こちらを指しながら言っている。
面倒臭いことこの上なし。っていうかそもそも私は弾くなんて一言も言ってねぇしな。ノアとは約束したけど。
なんだかんだと言い合った後、あの四人の口論はいつしか口だけでは飽き足らず、取っ組み合いの喧嘩にまで発展していた。
殴る蹴るの大乱闘だ。大変そうだなぁ。
「トリーナ、あれ、大丈夫かな?」
「さあ。知ったこっちゃありませんわ」
「出た変なお嬢様言葉」
私もノアも誰にも聞こえないように小さな声で会話をしている。関わり合いになりたくないから。
ただの喧嘩の仲裁ならともかく高位貴族VS高位貴族は面倒でしかないもの。
これを穏便に済ますことが出来るのはおそらく王子殿下あたりだろう。
いくら子どもとはいえ貴族の息子たちなんだし殴る蹴るの喧嘩をスルーするのはダメだろ。王子殿下もさっさと止めてくれればいいのに。
と、思っていた私のところに、アルムガルトが近寄って来た。
「君のせいで喧嘩してるみたいだよ、トリーナ」
知ったこっちゃねぇっつってんだろ。っつーか何勝手に名前呼び捨てにしてんだよ馴れ馴れしいな。
「止めてあげたらいかがですか、アルムガルト様」
手元にあったクッキーをむしゃむしゃと食べながらそう言えば、アルムガルトがにっこりと笑みを浮かべる。
「我々はあの家の者といざこざを起こすわけにはいかない。王子だってそうだ。手出しは出来ない」
私だっていざこざなんか起こしたくないのですが。
「だからお前が行けと仰りたいのでしょうか」
「そう。我々と違って君なら大丈夫でしょう、いざこざを起こしたって。だって、君の家は元々嫌われているんだから」
元から嫌われ者なんだから今更どうなったって一緒だろ、と言いたいわけだな。と、納得していたら、隣に座っていたノアが立ち上がった。
待て待て待てお前はダメだ。多分ここにいる誰よりもダメだノア。いくら騎士団長の家だっていっても伯爵家なんだから。相手の格を見てみろよ、下手したら消されるぞ。
……仕方ないなぁ。
私はノアの上着の裾を掴んで、ぐっと引っ張ることで座らせる。そして、入れ替わるように自分が立ち上がった。
「トリーナ!?」
「座ってなよ」
座らせたノアの頭を押さえつけるようになでて、私はピアノに近付いた。
さっきまでは銀髪兄弟がバンバン不協和音を奏でていたが、現在は絶賛殴り合い中なのでピアノ前には誰もいない。
そんなわけで、私はピアノを弾き始めた。とびきり明るい曲を。椅子にも座らずに。
すると、今まで殴る蹴るの喧嘩をしていた四人の動きが止まる。
そして銀髪の推定兄のほうが標的を私に変えた。
「お前、何呑気にピアノなんか弾いてるんだよ!」
と。
文句を言うだけでは足りなかったのか、思い切り殴りかかってきた。
離れた場所からノアの「トリーナ!」という声が聞こえた気がする。しかしそんなこと気にしていられない。
銀髪の推定兄の拳が私の顔面目掛けて飛んできたので、それを左手で受け止めて、そのまま払いのける。
そうすると銀髪の推定兄はバランスを崩すので、その隙を見て、胸倉を掴んだ。ぐいっと、それはもう力いっぱい。
「兄さん!」
もう一人の銀髪が声を上げた。
兄さんと呼ばれたのは目の前の銀髪。ということは、推定ではなく兄で確定らしい。
「なんでピアノ弾いただけで文句言われなきゃなんないわけ?」
「はぁ? この状況でピアノ弾いたお前が悪いだろ!」
「あんた、この状況じゃなくてもピアノ弾いたら文句言ってくる気満々だったじゃん」
私がそう言うと、銀髪兄は私から目を逸らす。
「ピアノだけじゃない。そもそもノアの足引っ掛けたよね」
「それはアイツが悪いんだ! 伯爵家の息子の分際でここに来るから」
そこまで聞いたところで、胸倉を掴む手の力を強くする。
それに気が付いた銀髪兄は怒りに顔を歪める。生意気にも。
「身分が? 自分より低いから? だからそんなみみっちいクソみたいな嫌がらせするんだ?」
「お、お前」
どいつもこいつも身分だの血筋だの、めんどくせぇなぁ。
「ノアや私が気に食わないなら、あんたのパパとママに言えばいいじゃん。由緒正しき血筋とやらのパパとママに、僕ちゃんの気に食わない奴がいるから追い出してよって」
「な、なん」
「不服そうな顔してるけど、あんたが言いたいことってそういうことでしょ」
私、何か間違ったこと言った?
パパやママやその他諸々、周囲の人間に甘やかされて育ったからそんなみみっちいクソみたいな嫌がらせするような奴に育ったんじゃないの?
「お、お前、俺にそんなこと言って、どんな目に遭うか分かってるのか?」
「あんたのパパとママあたりが出てきて私をここから追い出すんでしょう? どうぞご自由に。私はこの場に未練なんかないから」
「なんだと!」
「好きにすればいい。もしそうなったとしても、私があんたに対して『パパとママに言いつけた卑怯な奴』と思うだけで、あんたの世界は何も変わらない。いいじゃん、それで。あんたはそれでスッキリするんじゃない?」
ただ問題なのはノアが巻き込まれることだよな。なんの罪もないのに。
私のほうはあの両親が発狂するだろうから、どうやって収集をつけるかを考えなければならない。考えただけで面倒臭い。
「兄さんを離せ!」
銀髪弟が殴りかかってきたので、ぐ、と押しながら胸倉を掴んでいた手を離す。
すると銀髪兄はよろけながら二歩ほど後退りする。
それを横目で確認して、すぐに銀髪弟が殴りかかってきた拳を掴み、本来曲がらないはずの方向へ曲げれば、関節技が決まる。
「痛い! 痛い!」
自分が殴りかかってきたくせに文句を言いやがる。生意気にも。
ただ銀髪弟と話す気はないので、掴んだ拳をそのまま銀髪兄のほうに押しやった。
銀髪兄が何か言いたげな顔をしているので、まだ何か文句が出てくるのかな、と思っていれば、銀髪兄弟はそのまま部屋の反対側、ボードゲーム等が置いてあるゾーンへ歩いて行った。
なんだ、結局大した文句言ってこなかったな。
なんだったらそのまま部屋を出てパパとママに言いつけに行けばよかったのに。
と、思っていると、コピペたちと目が合った。
なんだか妙に希望に満ちた光を宿した目でこちらを見ている。
「あんたらもあんたらだ」
「えっ……」
私の言葉が想定外だったのか、コピペたちは狼狽える。
「私はあんたらに楽譜を押し付けられただけで弾くとは言ってない」
「な……なんでだよ!」
なんでもクソもないよね。
なんで自分の言い分が全て通ると思っているのだろう。私の気持ちとか微塵も考えてない。
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「なんでって、考えてもみなよ。なんで私が仲良くもない奴が押し付けてきた楽譜を見てピアノを弾かなきゃならないの?」
私の言葉に、コピペたちが同じ顔できょとんとする。
なんで分からないのかが分からない。これが価値観の違いってやつか。
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「え、自分で捨てろよ」
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あぁ、貴族様か。いや私も貴族なんだけどね。一応。なんかめちゃくちゃ嫌われててめちゃくちゃ下に見られてるけど。
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「あんたらがピアノを弾けるか弾けないかなんて私は知ったこっちゃないのよ」
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いつか育てる機会があったら気を付けなければ。なんて思いながら、私はコピペたちに背を向けて、さっきまで座っていたテーブルのほうへと一歩踏み出す。
「でも!」
背を向けることで話は終わりましたアピールをしたはずなのに、コピペたちはまだ食い下がってくるつもりらしい。
「あいつに頼まれたのは歌うんだろ?」
コピペの片方が、ノアを指しながら言う。
「歌うよ。約束したから」
私がそう答えると、コピペたちの顔が不服そうに歪む。
「なんで俺たちはダメで、あいつはいいんだよ」
「不公平だ」
コピペたちが交互に不満を述べている。不公平の意味を一度辞書で調べてから出直してきてほしい。
そもそもなぜ自分たちがノアと同列だと思っているのか。私はお前たちの名前すら知らないというのに。
「ノアは私の友達だからだよ」
そんな私の言葉に、コピペたちは押し黙る。返す言葉を失ったのだろう。だって私とコピペたちは友達ではないから。
しばし黙り込んでいたコピペたちだったが、今は二人で同じような顔を見合わせながら「友……達……?」と呟き合っている。大丈夫か? お前ら人間生活昨日スタートさせたばっかりなんか?
「お、俺たちとお前は……?」
「……まぁ、強いて言うなら顔見知り? 友達どころか知人かどうかも怪しいな。だって私、あんたらの名前も知らないから」
そう言うと、コピペたちはこれでもかと言わんばかりに目を丸くする。俺たちの名前を知らないなんて……! と、顔に書いてある。
「お、お前、俺たちはグローマン家の息子だぞ、知らないのか!?」
「知らないのか!?」
知るかボケ。私はお前らと違って貴族である自覚なんて大してねぇんだぞ。他家の奴らの名前なんかわざわざ覚えるかよ。
「どこぞの侯爵家の人って認識くらいはあるよ。でもあんたら名乗りもしなかったじゃん。挨拶された覚えもないし。絡まれた覚えならあるけど」
ぐうの音も出ないようで、彼らは再び押し黙る。もうそろそろ諦めてほしい。
「あぁ、だからと言って今ここで挨拶しろとも名を名乗れとも言わないよ。そうしたからって『はい分かりました』なんてピアノを弾くと思われたら迷惑だもの」
「め、いわく」
コピペたちは二人そろって唖然としてしまっている。生まれてこのかた自分の言うことを聞かない人間を見たことがなかったのだろう。それなら仕方ない。
コピペたちだけが悪いわけではない。こういう風に育てた大人が悪いのだ。そう思っておいてやろう。
なんてことを思いながら、私はさっきまで座っていた場所に戻り、テーブルの上に置いていた楽譜を手に取った。
「そういうわけで、こちらはお返ししますわ。それでは、失礼いたします」
最初にこいつらをビビらせたあの全力の作り笑顔でそう言って、楽譜を突き返す。
そしてコピペたちが何かごにょごにょ言っていたのを聞こえないふりで、テーブルへと戻った。
「トリーナ、大丈夫?」
私が座ったところでノアが心配そうにそう言ってくれたわけだが、その心配がこちらに向いているのかコピペに向いているのかはちょっと分からない。
だってどちらかというと大丈夫じゃないのはコピペたちのほうだから。
私は言いたいこと全部言ってとてもすっきりしているし。
ただ貴族界隈を干される可能性だけを考えれば大丈夫ではない。圧倒的に大丈夫ではない。銀髪兄弟にもコピペたちにも言いたい放題言っちゃったもんな。
銀髪兄弟がマジでパパとママに言いつけたら私はきっと終わる。
あ、いや、もしかしたら今もうすでに終わったかもしれない。
「お、おい」
コピペたちの様子を窺っていたらしいアルムガルトが、コピペたちの元に駆け寄っている。
どうもコピペの片方がぽろぽろと涙を零し始めたらしい。
「あーあ。泣いちゃってんな」
「……トリーナ怖かったもん、鎖骨殴るのかと思ったし……」
私の小さな小さな呟きを拾ったノアが、自分の鎖骨を抑えながらそう零す。
「いやさすがに鎖骨なんか殴らないわよ」
っていうかノア、鎖骨殴ったこと根に持ってるのかな。いやでもあれは殴ったというより骨殴られたら痛いよって教えたかっただけなんだけどな。
今更だけど謝ったほうがいいのだろうか、と口を開きかけたところで、私の前に泣き出したほうのコピペが歩いてきた。お前をこの界隈から干すって言いに来たのかな。
銀髪兄弟みたいに殴りかかってくるつもりだったらどうしようかと思っていたが、泣き出したほうのコピペはテーブルを挟んだ向こう側で立ち止まる。
「フェルスター・ダリア・グローマン」
「……?」
……あ、名前か。なんの呪文かと思った。
「これ、歌ってほしい」
コピペの片方ことフェルスターは、そう言って強く握りしめて少しくしゃくしゃになってしまった楽譜をこちらに差し出してくる。
相手が相手なら弾いてくださいお願いしますっつって土下座しろよ、と言っているところだが、相手は泣き出してしまった子どもである。さすがの私もそこまで鬼ではない。
「ピアノが弾ける人なんて探せば他にもいます。何も元を辿れば庶民の私なんかに頼まなくてもいいのでは?」
いいよ、と言わないあたり普通に鬼だったかもしれない。
でも、実はこいつらに絡まれた時に言われた言葉が引っ掛かっていたのだ。元を辿れば庶民、ってやつ。
私はともかく、ノアにも言ったからな。私はお人好しではないから、そう簡単に許すとは言えない。
「なんとなく似てるから」
「何が」
「乳母と、お前……君の声が」
乳母かぁ。ノアみたいに、思い出の曲ってことなのかな。
皆それぞれに思い出の曲があるってのは素敵なことだ。
もしかして、コピペたちの乳母さんもノアのおばあ様みたいに亡くなったのだろうか。
だとしたら泣かせてしまって悪かったかな。
「ずっと面倒見てくれてた乳母がいつも鼻歌を歌っていた。それがこの歌だった」
フェルスターじゃないほうのコピペの片方がやってきて、そう言った。
なるほど、乳母さんの鼻歌ね。
「その乳母さんにはもう歌ってもらえないの?」
ノアが小さな声で問いかけた。
「乳母はクビになった」
なんだクビか。……なんだクビか、ってのも失礼か。でも亡くなったわけではないのならまだマシ……ではあるのか?
なんて、内心首を傾げまくっていたら、フェルスターがぐすぐすとさっきよりもしっかりと泣き出してしまう。
「父様が、俺たちが言うことを聞かないのは乳母のせいだっていってクビにしちゃった」
なんだお前らが悪いんじゃねえか! 全然ノアと一緒じゃない! 同情しかけて損した!
「乳母が俺たちをちゃんと育てなかったからクビになっちゃった。だからもうこの歌は聞けないんだ」
ダメだこれ! 手遅れだ!
私はフェルスターのあまりにも残念な性格に、完全に頭を抱えることしか出来なかったのだった。
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そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
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※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
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