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代理人、思い出の曲を探す
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結局、王子殿下による「楽譜もないのに?」という疑念は話題を変えたりすることでのらりくらりと躱し続けた。
あれから数日が経過しているので、そろそろ忘れてくれているだろう。……忘れてくれていたらいいな。
今日はあの遊び部屋に連行される日。万が一忘れていなかったら面倒なので仮病でなんとか行かない方向に、と思ったのだがダメだった。ジェマは私の華麗な病弱演技をさらに華麗にスルーしたから。
そんなわけで、今日も元気に遊び部屋へとやってきた。
ピアノを弾いて変に目立ってしまったから、今日はピアノに近付かないほうがいいのだろうか。
でもピアノの位置は隅っこで丁度いいのは確かで。
部屋中央のテーブルは真ん中過ぎるし、ピアノと真逆の位置にはボードゲームなんかがあって常にどこぞの公爵家のお坊ちゃまたちが占領している。間違ってもそっちには近付きたくない。
……となると、やっぱりピアノが丁度いいんだよなぁ。
部屋の隅の隅にちょっと空いたスペースがあるんだからそこにソファでも置いてくれればいいのに。
いっそのこと部屋の隅の隅、角の部分の床に座り込んで気配を消したいんだけど消せなかった時は逆に目立つからな。令嬢が床に座るなんて、っつってな。だから床に座り込むのは諸刃の剣だ。
なんてことを考えながら、私は毎度毎度なんやかんやで読むことが出来ない本を適当に選んで、いつも通りピアノの椅子に座る。
革表紙の本を開いて、二行ほど読んだところでぱたぱたと音がする。
「トリーナ!」
ノアがやってきたようだ。部屋に入るなり私の名を呼ぶとは。もしかして私……懐かれた……?
それはいいとして今日も本は読めなかったな。そう思いつつくるりと振り返れば、何やらトートバッグのような袋を大切そうに胸に抱えたノアがこちらに向かって来ている。
そんなノアの足元に危機が迫っているのだけれど、小走り気味のノアは気が付かない。
「ノア危な」
危ない、と言い終える前に、ノアは躓いてしまった。
ノアに向けて手を伸ばしたけれど、まだ遠かったせいで届かない。しかしノアが胸に抱えていた袋が飛んできて、それを落とさずにキャッチすることは出来た。
その直後、転んだノアは綺麗にくるりと回転して見事な受け身を決めていた。実にいい受け身だった。
ノアも手ごたえがあったのだろう。私に対してドヤ顔をキメている。
「いい受け身ね、ノア」
「でしょ!」
実に嬉しそうである。
だがしかし。問題はノアの背後にまだ残っている。
ノアが躓いたもの、それは他人の足だ。ノアが躓くようにとそっと伸ばされた卑怯な足。
その足の持ち主はどこぞの公爵家の息子とやらだった。
「痛いなあ」
自分で足を出したくせに痛いだなんていちゃもんを付けてきている。
私はまだ立ち上がっていなかったノアに手を差し伸べる。その手を掴んだノアはそっと立ち上がり、いちゃもんの主にぺこりと頭を下げた。「ごめんなさい」と言いながら。
「この俺の足を蹴ったのに、その程度の謝罪で済むと思ってるのか?」
てめえが足出したのが悪いんだろうが! と、咄嗟に言わなかった自分を褒めたいと思う。私は侯爵令嬢なのだ。侯爵令嬢はそんなこと言わない。
「騎士団長の息子のくせに、礼儀もなってないんだな!」
足を出した奴と、その隣にいる奴がくすくすと笑い合う。二人とも同じ銀髪と金の瞳なのでおそらく兄弟だろう。三兄弟じゃないほうの公爵家の息子たち、だっけ。
ちらりとノアの様子を窺ってみると、悔しそうに歯を食いしばっている様子が見て取れる。
騎士団長の息子とはいえ伯爵家の人間だと言っていたノアが公爵家の人間と揉めるのはあまりよろしくないはず。
というわけで、私が口を挟むことにした。
「申し訳ございません」
と。素直に謝罪の言葉を呟く。気持ちはもちろん入っていない。
「なんでお前が謝るの?」
足を出した奴が、怪訝そうな顔でそう言った。
「彼があなたの足に気が付かなかったのは、私を見て急いでいたからですもの。私にも責任がありますわ」
奴らもまさか私が口を挟んでくるとは思わなかったのだろう。勢いが少し弱まった。
「き、きちんと頭を下げろ。二人でだ!」
ノアのほうを見ると、叱られた犬のような顔でこちらを見ていた。可哀想に。あとでジャーキーをあげようね。
「申し訳ございません」
もう一度そう言って頭を下げれば、ノアも「申し訳ございません」と言って私と同じように頭を下げた。
「最初からそうやって謝ればいいんだよ」
頭は下げたし謝罪の言葉は述べたがもちろん内心ガチギレしているのだ。このままで終わらせてなどやるものか。
「それにしても、蹴られてしまうほど足が長いのも大変ですわね」
ふふ、と口元に手を添えて、出来る限り嫌味ったらしく言う。そっと足に視線を向けながら。
お前が足出したの見てたからな、という意味だ。
それに気付いたのか気付いていないのかは分からないが、足を出した奴がむっとした顔をした。
むっとした理由は知らない。私が見ていたからか、口答えしたからか、それとも私のもう一つの嫌味に気が付いたからか。
だって足、別に長くないもんな。身長だって私たちと大差ないみたいだったし。
公爵家の息子たちは何か言いたげな顔をしていたけれど、丁度部屋のドアが開いたので言うタイミングを逃したらしい。
ちなみにドアを開けたのは王子殿下とコピペたちだった。
奴らがドアだか王子殿下だかに気を取られている間に私たちは逃げることにしよう。
「それでは失礼いたします」
にこりと笑って、ノアの手を引っ張る。そういえば未だに掴まれたままだった。
とりあえずいつもの定位置に着くと、ノアが小さな声で「ダメだよ」と言う。
何がダメなのかと問えば、ノアの視線がちらりとさっきの奴らのほうへ向く。
「誰彼構わず喧嘩売っちゃダメだよ」
喧嘩売ったと思われてたのか。助け船を出したつもりだったのに。
「あれは喧嘩のうちに入らない」
ただ嫌味言っただけじゃん。
「えぇ」
「っつーか喧嘩売ってきたのはあっち。そもそも私、喧嘩売らない主義なのよ。売られた喧嘩を買うだけで」
「買うのもダメだけどね……」
「それにしても、なんなのさっきの」
「……なんだか分かんないけど、俺が楽しそうなのが気に入らないみたい。前も似たようなことがあったんだ」
「ふーん。しょうもない」
「しょ」
「そういやこれ何?」
と、目を丸くしていたノアをスルーしたところで、さっきキャッチした袋の存在を思い出した。
「あ、それ、俺の祖母が持ってた楽譜なんだ。ピアノの」
「楽譜ー!」
どうやって手に入れようか悩んでたこっちの世界の曲の楽譜ー!
やけにずっしりしてると思ったら結構な量の楽譜ー!
「ノアのおばあ様が貸してくださったの?」
「ああ、いや、借りたわけじゃないんだ。今はもう誰も使ってないから」
「ん?」
「俺の祖母、三年前に亡くなったから」
と、いうことは? これはとても大切な物なのでは? 形見的な?
キャッチ出来ててよかったー……!
「そんな大切な物、勝手に持ち出して大丈夫なの? こんな物騒な場所に……」
「一応俺が貰ったものだから。……ここがこんなに物騒だとは思ってなくて」
確かに、いいとこのお坊ちゃまたちが集まる場所がこんなにも物騒な場所だとは思わんわな。
「あとねトリーナ、俺、君に頼みがあるんだ」
「なに?」
「俺が好きだった曲を探してほしくて」
なにやらこの袋の中、楽譜の束の中にノアとおばあ様の思い出の曲があるらしい。
それを探してほしくてこれを持ってきたのだとか。
ただノアは楽譜が読めないので、どれが思い出の曲なのかが分からない、とのこと。
「いいよ。曲は覚えてるんでしょ?」
「うん!」
「歌える?」
「う……」
歌えねぇのな。まぁ聞けば思い出すだろう。
「曲調はゆっくり?」
「ゆっくりで優しい歌だった」
楽譜の束をぺらぺらとめくりながら、私は選別を始める。テンポの速い曲と遅い曲に。あと遅いとはいえ暗い曲も一応避けておこう。
それから歌だって言ってるから歌詞が書かれていないものも省いて……。
「他に覚えてることはないの? 題名とか、なんとなく楽譜を見たことがあるとか」
「いや……ない。俺が突然ピアノ弾いてって頼んだらいつも弾いてくれたのがそれだったから」
なるほどなぁ。
選別をしてみたところ、大体半分くらいに減らすことが出来た。
「ざっと分けてこれくらいだな……」
「分けたの?」
「テンポの速い曲と遅い曲にね」
「楽譜見ただけで分かるの?」
「うん」
とりあえず弾いてみたいところだけれども、音を立てると物騒な奴らの目に留まるからなぁ。
ちらりと背後を振り返ると、コピペたちと目が合った。ほんの一瞬だったけど。
ほんの一瞬とはいえこちらを気にしている可能性がある奴がいるのならピアノには触らないほうが良さそうだ。
万が一楽譜に何かされたんじゃたまったもんじゃないから。
「あ、そういえば歌だったってことは歌詞見たら分かるんじゃないの?」
「そっか」
そんなわけで、私とノアは二人並んで一枚ずつ楽譜を確認する。歌詞を読んではこれじゃない、読んではこれじゃない、と何度も何度も繰り返す。
そして。
「……あれ?」
「これが最後なんだけど?」
「歌詞だけじゃ……分からなかったのかもしれない……!」
「今までの作業全部無駄!」
「聞いたら分かると思うんだけど……!」
歌えってか! 歌えって言いたいんだなおい!
私はノアの手にあった楽譜をそっと奪い取って、とんとんと整える。
そして静かに息を吸い込み、小さな声で歌い始めた。
イントロクイズ的な感じで冒頭を歌ったら次へ行こうと思って歌い始めたのだが、ノアがジャッジをくれない。
なんで黙ってるのかと問えば、ノアは笑いながら「ごめんね、聞き入ってた」と呟いた。正直ぶん殴ってやろうかなと思った。
「うーん、それも違うなぁ」
かれこれ十曲以上は歌わされたわけだけど。
「本当にこの中にあるの?」
「……ないのかも? でも貰った楽譜はそれが全部だったし」
もうそろそろ面倒になってきたな、と思いつつ歌い進めて、やっとノアが反応を見せた。
「それだ! それだよトリーナ!」
「はいはい、これね」
長い戦いだったわ。散々歌わせやがって。なんて思いながら、私はその楽譜を譜面台に載せる。
そのほかの楽譜は大事に大事に袋に仕舞った。人様の形見だからね。
「弾く?」
「覚える」
さすがに練習はさせてもらいたい。ある程度なら弾けそうだけど。そんなに難しい曲でもなさそうだし。
「その歌はね、神殿で神様に捧げる歌なんだって。祖母が言ってた」
「へぇ」
讃美歌的なことかな。神秘的で聞き心地のいい優しい曲って感じだもんな。
私は楽譜から視線を外さずに、ノアの言葉に相槌を打つ。この時間内に楽譜を覚えて家で練習したいから。
「あのさ、トリーナ」
「ん?」
「俺、今度試験があるんだ。騎士の」
「なんか大事な試験?」
「……いや、大事っていうか、まだ見習い騎士って名乗れるようになるだけなんだけど」
昇級試験的なことかな? と、首を傾げながら、私は久々に楽譜から視線を外してノアのほうを見た。
するとノアは珍しく真剣な顔で私を見据えている。
「もし合格出来たら、その曲を弾いてもらえないかな? もう一度でいいから、その歌が聞きたくて」
「いいよ」
「えっ、いいの!?」
「え? いいよ」
ノアは心底驚いたとでも言いたげに目を真ん丸にしている。
別にピアノを弾くくらいお安い御用だし、そもそも弾いてほしくてこの楽譜を持ってきたんだと思ってたから普通に弾く気満々だったのだが。
「じゃあ俺、試験頑張る!」
「おう頑張れ」
ノアがあまりにも嬉しそうに言うものだから、私も笑ってしまった。作り笑顔でも嫌味な笑顔でもない普通の笑顔は久しぶりかもしれない。
「試験受けるってことは、訓練は順調なの?」
私のそんな問いに、ノアは少しだけ迷いを見せたけれど、しっかりと頷いた。
「まだ痛みには慣れてないけど、一応順調」
「そうすぐに慣れるもんじゃないしねぇ」
「そうだよねぇ」
さっきの嬉しそうな表情が嘘のようにしょんぼりしてしまった。可哀想に。まぁ話を振ったのは私なんだけども。
「じゃあ一つ、痛みについて教えようか」
「なになに?」
さっきのしょんぼり顔がまたすぐに明るくなる。ノアは本当に、犬のようだな。
「人間はね、肉が薄い部分を殴られるととても痛い」
「肉が薄い……?」
「そう。骨が目立つところって言ったら分かりやすいかな。腕でも筋肉が付いてる部分を殴られるより、手首のあたりとか、骨っぽくて固いところを殴られたほうが痛い。だから相手の攻撃を避けることが出来ないと思ったら肉付きのいいところで受けたほうが痛みが若干少ない」
人に習ったわけではなく、私がやんちゃだった頃に独学で身に着けた知恵なのであまり鵜呑みにしないほうがいいかもしれないけど。
「なるほど?」
「若干だけどね。ほら腕より、鎖骨とか殴られると痛いでしょ」
「い゛!?」
ノアがすげぇ声を出した。カエルが踏みつぶされたみたいな。
ちょっと試しに腕と鎖骨をぽんぽんと殴っただけなのに。
「ごめん、そんなに痛かった?」
私が問いかけると、ノアはこくこくと何度もうなずく。そりゃあ申し訳なかった。
「おかしいな、そんなに力入れてないのに。利き手でもないし」
「だ、大丈夫、俺が油断してただけだよ……。でも、ありがとう。今身をもって分かった。肉が薄いところを殴られたら痛い」
「でしょ」
まさか本当に殴られるとは思わなかったけどね、とノアが極々小さな声で言った気がする。
そりゃそうだよな。殴るよ、って一言断ればよかったか。本当に申し訳ない。
「次からはノアが油断しないように殴るねって言ってから殴るね」
「普通の令嬢はそもそも殴ってきたりしないんだよなぁ」
「ちょっと何言ってるか分かりませんわね」
「今更語尾だけ令嬢っぽくしても無駄なんだよなぁ」
確かになぁ。
あれから数日が経過しているので、そろそろ忘れてくれているだろう。……忘れてくれていたらいいな。
今日はあの遊び部屋に連行される日。万が一忘れていなかったら面倒なので仮病でなんとか行かない方向に、と思ったのだがダメだった。ジェマは私の華麗な病弱演技をさらに華麗にスルーしたから。
そんなわけで、今日も元気に遊び部屋へとやってきた。
ピアノを弾いて変に目立ってしまったから、今日はピアノに近付かないほうがいいのだろうか。
でもピアノの位置は隅っこで丁度いいのは確かで。
部屋中央のテーブルは真ん中過ぎるし、ピアノと真逆の位置にはボードゲームなんかがあって常にどこぞの公爵家のお坊ちゃまたちが占領している。間違ってもそっちには近付きたくない。
……となると、やっぱりピアノが丁度いいんだよなぁ。
部屋の隅の隅にちょっと空いたスペースがあるんだからそこにソファでも置いてくれればいいのに。
いっそのこと部屋の隅の隅、角の部分の床に座り込んで気配を消したいんだけど消せなかった時は逆に目立つからな。令嬢が床に座るなんて、っつってな。だから床に座り込むのは諸刃の剣だ。
なんてことを考えながら、私は毎度毎度なんやかんやで読むことが出来ない本を適当に選んで、いつも通りピアノの椅子に座る。
革表紙の本を開いて、二行ほど読んだところでぱたぱたと音がする。
「トリーナ!」
ノアがやってきたようだ。部屋に入るなり私の名を呼ぶとは。もしかして私……懐かれた……?
それはいいとして今日も本は読めなかったな。そう思いつつくるりと振り返れば、何やらトートバッグのような袋を大切そうに胸に抱えたノアがこちらに向かって来ている。
そんなノアの足元に危機が迫っているのだけれど、小走り気味のノアは気が付かない。
「ノア危な」
危ない、と言い終える前に、ノアは躓いてしまった。
ノアに向けて手を伸ばしたけれど、まだ遠かったせいで届かない。しかしノアが胸に抱えていた袋が飛んできて、それを落とさずにキャッチすることは出来た。
その直後、転んだノアは綺麗にくるりと回転して見事な受け身を決めていた。実にいい受け身だった。
ノアも手ごたえがあったのだろう。私に対してドヤ顔をキメている。
「いい受け身ね、ノア」
「でしょ!」
実に嬉しそうである。
だがしかし。問題はノアの背後にまだ残っている。
ノアが躓いたもの、それは他人の足だ。ノアが躓くようにとそっと伸ばされた卑怯な足。
その足の持ち主はどこぞの公爵家の息子とやらだった。
「痛いなあ」
自分で足を出したくせに痛いだなんていちゃもんを付けてきている。
私はまだ立ち上がっていなかったノアに手を差し伸べる。その手を掴んだノアはそっと立ち上がり、いちゃもんの主にぺこりと頭を下げた。「ごめんなさい」と言いながら。
「この俺の足を蹴ったのに、その程度の謝罪で済むと思ってるのか?」
てめえが足出したのが悪いんだろうが! と、咄嗟に言わなかった自分を褒めたいと思う。私は侯爵令嬢なのだ。侯爵令嬢はそんなこと言わない。
「騎士団長の息子のくせに、礼儀もなってないんだな!」
足を出した奴と、その隣にいる奴がくすくすと笑い合う。二人とも同じ銀髪と金の瞳なのでおそらく兄弟だろう。三兄弟じゃないほうの公爵家の息子たち、だっけ。
ちらりとノアの様子を窺ってみると、悔しそうに歯を食いしばっている様子が見て取れる。
騎士団長の息子とはいえ伯爵家の人間だと言っていたノアが公爵家の人間と揉めるのはあまりよろしくないはず。
というわけで、私が口を挟むことにした。
「申し訳ございません」
と。素直に謝罪の言葉を呟く。気持ちはもちろん入っていない。
「なんでお前が謝るの?」
足を出した奴が、怪訝そうな顔でそう言った。
「彼があなたの足に気が付かなかったのは、私を見て急いでいたからですもの。私にも責任がありますわ」
奴らもまさか私が口を挟んでくるとは思わなかったのだろう。勢いが少し弱まった。
「き、きちんと頭を下げろ。二人でだ!」
ノアのほうを見ると、叱られた犬のような顔でこちらを見ていた。可哀想に。あとでジャーキーをあげようね。
「申し訳ございません」
もう一度そう言って頭を下げれば、ノアも「申し訳ございません」と言って私と同じように頭を下げた。
「最初からそうやって謝ればいいんだよ」
頭は下げたし謝罪の言葉は述べたがもちろん内心ガチギレしているのだ。このままで終わらせてなどやるものか。
「それにしても、蹴られてしまうほど足が長いのも大変ですわね」
ふふ、と口元に手を添えて、出来る限り嫌味ったらしく言う。そっと足に視線を向けながら。
お前が足出したの見てたからな、という意味だ。
それに気付いたのか気付いていないのかは分からないが、足を出した奴がむっとした顔をした。
むっとした理由は知らない。私が見ていたからか、口答えしたからか、それとも私のもう一つの嫌味に気が付いたからか。
だって足、別に長くないもんな。身長だって私たちと大差ないみたいだったし。
公爵家の息子たちは何か言いたげな顔をしていたけれど、丁度部屋のドアが開いたので言うタイミングを逃したらしい。
ちなみにドアを開けたのは王子殿下とコピペたちだった。
奴らがドアだか王子殿下だかに気を取られている間に私たちは逃げることにしよう。
「それでは失礼いたします」
にこりと笑って、ノアの手を引っ張る。そういえば未だに掴まれたままだった。
とりあえずいつもの定位置に着くと、ノアが小さな声で「ダメだよ」と言う。
何がダメなのかと問えば、ノアの視線がちらりとさっきの奴らのほうへ向く。
「誰彼構わず喧嘩売っちゃダメだよ」
喧嘩売ったと思われてたのか。助け船を出したつもりだったのに。
「あれは喧嘩のうちに入らない」
ただ嫌味言っただけじゃん。
「えぇ」
「っつーか喧嘩売ってきたのはあっち。そもそも私、喧嘩売らない主義なのよ。売られた喧嘩を買うだけで」
「買うのもダメだけどね……」
「それにしても、なんなのさっきの」
「……なんだか分かんないけど、俺が楽しそうなのが気に入らないみたい。前も似たようなことがあったんだ」
「ふーん。しょうもない」
「しょ」
「そういやこれ何?」
と、目を丸くしていたノアをスルーしたところで、さっきキャッチした袋の存在を思い出した。
「あ、それ、俺の祖母が持ってた楽譜なんだ。ピアノの」
「楽譜ー!」
どうやって手に入れようか悩んでたこっちの世界の曲の楽譜ー!
やけにずっしりしてると思ったら結構な量の楽譜ー!
「ノアのおばあ様が貸してくださったの?」
「ああ、いや、借りたわけじゃないんだ。今はもう誰も使ってないから」
「ん?」
「俺の祖母、三年前に亡くなったから」
と、いうことは? これはとても大切な物なのでは? 形見的な?
キャッチ出来ててよかったー……!
「そんな大切な物、勝手に持ち出して大丈夫なの? こんな物騒な場所に……」
「一応俺が貰ったものだから。……ここがこんなに物騒だとは思ってなくて」
確かに、いいとこのお坊ちゃまたちが集まる場所がこんなにも物騒な場所だとは思わんわな。
「あとねトリーナ、俺、君に頼みがあるんだ」
「なに?」
「俺が好きだった曲を探してほしくて」
なにやらこの袋の中、楽譜の束の中にノアとおばあ様の思い出の曲があるらしい。
それを探してほしくてこれを持ってきたのだとか。
ただノアは楽譜が読めないので、どれが思い出の曲なのかが分からない、とのこと。
「いいよ。曲は覚えてるんでしょ?」
「うん!」
「歌える?」
「う……」
歌えねぇのな。まぁ聞けば思い出すだろう。
「曲調はゆっくり?」
「ゆっくりで優しい歌だった」
楽譜の束をぺらぺらとめくりながら、私は選別を始める。テンポの速い曲と遅い曲に。あと遅いとはいえ暗い曲も一応避けておこう。
それから歌だって言ってるから歌詞が書かれていないものも省いて……。
「他に覚えてることはないの? 題名とか、なんとなく楽譜を見たことがあるとか」
「いや……ない。俺が突然ピアノ弾いてって頼んだらいつも弾いてくれたのがそれだったから」
なるほどなぁ。
選別をしてみたところ、大体半分くらいに減らすことが出来た。
「ざっと分けてこれくらいだな……」
「分けたの?」
「テンポの速い曲と遅い曲にね」
「楽譜見ただけで分かるの?」
「うん」
とりあえず弾いてみたいところだけれども、音を立てると物騒な奴らの目に留まるからなぁ。
ちらりと背後を振り返ると、コピペたちと目が合った。ほんの一瞬だったけど。
ほんの一瞬とはいえこちらを気にしている可能性がある奴がいるのならピアノには触らないほうが良さそうだ。
万が一楽譜に何かされたんじゃたまったもんじゃないから。
「あ、そういえば歌だったってことは歌詞見たら分かるんじゃないの?」
「そっか」
そんなわけで、私とノアは二人並んで一枚ずつ楽譜を確認する。歌詞を読んではこれじゃない、読んではこれじゃない、と何度も何度も繰り返す。
そして。
「……あれ?」
「これが最後なんだけど?」
「歌詞だけじゃ……分からなかったのかもしれない……!」
「今までの作業全部無駄!」
「聞いたら分かると思うんだけど……!」
歌えってか! 歌えって言いたいんだなおい!
私はノアの手にあった楽譜をそっと奪い取って、とんとんと整える。
そして静かに息を吸い込み、小さな声で歌い始めた。
イントロクイズ的な感じで冒頭を歌ったら次へ行こうと思って歌い始めたのだが、ノアがジャッジをくれない。
なんで黙ってるのかと問えば、ノアは笑いながら「ごめんね、聞き入ってた」と呟いた。正直ぶん殴ってやろうかなと思った。
「うーん、それも違うなぁ」
かれこれ十曲以上は歌わされたわけだけど。
「本当にこの中にあるの?」
「……ないのかも? でも貰った楽譜はそれが全部だったし」
もうそろそろ面倒になってきたな、と思いつつ歌い進めて、やっとノアが反応を見せた。
「それだ! それだよトリーナ!」
「はいはい、これね」
長い戦いだったわ。散々歌わせやがって。なんて思いながら、私はその楽譜を譜面台に載せる。
そのほかの楽譜は大事に大事に袋に仕舞った。人様の形見だからね。
「弾く?」
「覚える」
さすがに練習はさせてもらいたい。ある程度なら弾けそうだけど。そんなに難しい曲でもなさそうだし。
「その歌はね、神殿で神様に捧げる歌なんだって。祖母が言ってた」
「へぇ」
讃美歌的なことかな。神秘的で聞き心地のいい優しい曲って感じだもんな。
私は楽譜から視線を外さずに、ノアの言葉に相槌を打つ。この時間内に楽譜を覚えて家で練習したいから。
「あのさ、トリーナ」
「ん?」
「俺、今度試験があるんだ。騎士の」
「なんか大事な試験?」
「……いや、大事っていうか、まだ見習い騎士って名乗れるようになるだけなんだけど」
昇級試験的なことかな? と、首を傾げながら、私は久々に楽譜から視線を外してノアのほうを見た。
するとノアは珍しく真剣な顔で私を見据えている。
「もし合格出来たら、その曲を弾いてもらえないかな? もう一度でいいから、その歌が聞きたくて」
「いいよ」
「えっ、いいの!?」
「え? いいよ」
ノアは心底驚いたとでも言いたげに目を真ん丸にしている。
別にピアノを弾くくらいお安い御用だし、そもそも弾いてほしくてこの楽譜を持ってきたんだと思ってたから普通に弾く気満々だったのだが。
「じゃあ俺、試験頑張る!」
「おう頑張れ」
ノアがあまりにも嬉しそうに言うものだから、私も笑ってしまった。作り笑顔でも嫌味な笑顔でもない普通の笑顔は久しぶりかもしれない。
「試験受けるってことは、訓練は順調なの?」
私のそんな問いに、ノアは少しだけ迷いを見せたけれど、しっかりと頷いた。
「まだ痛みには慣れてないけど、一応順調」
「そうすぐに慣れるもんじゃないしねぇ」
「そうだよねぇ」
さっきの嬉しそうな表情が嘘のようにしょんぼりしてしまった。可哀想に。まぁ話を振ったのは私なんだけども。
「じゃあ一つ、痛みについて教えようか」
「なになに?」
さっきのしょんぼり顔がまたすぐに明るくなる。ノアは本当に、犬のようだな。
「人間はね、肉が薄い部分を殴られるととても痛い」
「肉が薄い……?」
「そう。骨が目立つところって言ったら分かりやすいかな。腕でも筋肉が付いてる部分を殴られるより、手首のあたりとか、骨っぽくて固いところを殴られたほうが痛い。だから相手の攻撃を避けることが出来ないと思ったら肉付きのいいところで受けたほうが痛みが若干少ない」
人に習ったわけではなく、私がやんちゃだった頃に独学で身に着けた知恵なのであまり鵜呑みにしないほうがいいかもしれないけど。
「なるほど?」
「若干だけどね。ほら腕より、鎖骨とか殴られると痛いでしょ」
「い゛!?」
ノアがすげぇ声を出した。カエルが踏みつぶされたみたいな。
ちょっと試しに腕と鎖骨をぽんぽんと殴っただけなのに。
「ごめん、そんなに痛かった?」
私が問いかけると、ノアはこくこくと何度もうなずく。そりゃあ申し訳なかった。
「おかしいな、そんなに力入れてないのに。利き手でもないし」
「だ、大丈夫、俺が油断してただけだよ……。でも、ありがとう。今身をもって分かった。肉が薄いところを殴られたら痛い」
「でしょ」
まさか本当に殴られるとは思わなかったけどね、とノアが極々小さな声で言った気がする。
そりゃそうだよな。殴るよ、って一言断ればよかったか。本当に申し訳ない。
「次からはノアが油断しないように殴るねって言ってから殴るね」
「普通の令嬢はそもそも殴ってきたりしないんだよなぁ」
「ちょっと何言ってるか分かりませんわね」
「今更語尾だけ令嬢っぽくしても無駄なんだよなぁ」
確かになぁ。
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ある日、婚約者である殿下が妹へ愛を語っている所を目撃したニナ。ここが乙女ゲームの世界であり、自分が悪役令嬢、妹がヒロインだということを知っていたけれど、好きな人が妹に愛を語る所を見ていると流石にショックを受けた。
乙女ゲームである死亡エンドは絶対に嫌だし、殿下から婚約破棄を告げられるのも嫌だ。そんな辛いことは耐えられない!
婚約破棄は私から!
※大幅な修正が入っています。登場人物の立ち位置変更など。
◆3/20 恋愛ランキング、人気ランキング7位
◆3/20 HOT6位
短編&拙い私の作品でここまでいけるなんて…!読んでくれた皆さん、感謝感激雨あられです〜!!(´;ω;`)
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