75 / 112
番外編「とある狩人を愛した、横暴領主の話」
5 大樹の下で
しおりを挟む
女児として扱われることも、鞭で打たれることもなくなったが、ラズラウディアにとって家族と住まう城での暮らしが、息の詰まるものであることに変化はなかった。
ずっと苦境にあった自分を労わってくれた侍従や、厳しくも実直な剣術指南の騎士らなど、ラズラウディアに忠義を尽くしてくれる者はいたが、それすらも両親の掌中である気がして、気を抜けるときなどなかった。
――寒々しく息苦しい空気の漂う城にいたくない。もっと自由になりたい。
そんな気持ちが抑えられなくなり城を抜け出したのは、十歳の誕生日から半年後のことだった。
父が治める辺境にある森の闇には魔獣が棲んでいて、幼い子供などあっと言う間に喰われてしまうらしい。森の奥には入らず陽の射す明るい小道を選んで足早に進む。しばらく歩けば城は遠ざかり、どこまでも広がる森の木々と空だけが視界を包み込む。
ここには、父の目も母の目もない。
城では味わえない清々しい解放感に心を躍らせながら、細く長く続く道をひたすら歩いた。そして、辿り着いたのは大樹が座す広場だった。
「綺麗なところだな……」
花々と蝶に彩られた広場の中を、何者かに誘われるような足取りで大樹の根元へと歩んでいく。天に向かい広がる枝々のなんと大きなことか。誰に造られたものでもない、壮大で美しい光景に陶然と見惚れた。
「――なにしてるの?」
唐突に背後から掛けられた、あどけない声。
素早く振り返ると、矢筒と弓を背負った少年が佇んでいた。黒みを帯びた銀髪に木漏れ日が当たって眩く輝いている。甘い蜂蜜を思わせる色をした瞳は少し目尻が垂れ気味で、優しい顔立ちをしていた。年のころは、ラズラウディアよりもやや年上だろうか。背ばかりが高く肉付きが悪い体は細く頼りないものに見えた。
「大きな木だと思って、見ていただけだ。……お前は、何しに来たんだ」
「弓の練習に来たんだよ」
少しかすれた……、だが柔らかい声で少年は答えた。傍らまで歩み寄って来て、瞳を伏せて大樹に祈りを捧げる。洗いざらしの粗末な麻の服を纏い、使い古した矢筒を背負った少年は悪い言い方をすればみすぼらしいが、清貧で純朴な印象も抱かせる。
髪と同じく、木漏れ日によって輝く銀色の豊かな睫毛が綺麗だ。祈りを捧げる姿が神聖なものに見えて、目が離せなかった。
「変わった祈り方だな」
気付けば、そう話しかけていた。この少年に自分を見て欲しい一心で。
「俺のとこで伝わってるお祈りだよ。他はどうかしらないけど」
「なるほど。この土地の特別な祈りなんだな。面白いな」
少年の声を聞いていると気持ちが落ち着く。侍従も言葉遣いは違えどもこれに近い心地がするが、どこか一歩引いたものだ。見下ろすでも見上げるでもない、同じ立ち位置で話をしてくれる相手など城にはいない。
「良い獲物が捕れますようにとか、無事に帰れますようにとか、そういう事を祈るんだよ」
甘い蜂蜜色の瞳が自分を映しているのが嬉しい。もっと声を聞きたい。ずっと話していたい。今までに感じたことのない欲求をラズラウディアは強く感じた。
「そうか。それなら僕もそうしておこう」
少年の真似をして、同じ様に指で印を結んで大樹に祈りを捧げた。
――『どうか、この子と親しくなれますように……』と。
ずっと苦境にあった自分を労わってくれた侍従や、厳しくも実直な剣術指南の騎士らなど、ラズラウディアに忠義を尽くしてくれる者はいたが、それすらも両親の掌中である気がして、気を抜けるときなどなかった。
――寒々しく息苦しい空気の漂う城にいたくない。もっと自由になりたい。
そんな気持ちが抑えられなくなり城を抜け出したのは、十歳の誕生日から半年後のことだった。
父が治める辺境にある森の闇には魔獣が棲んでいて、幼い子供などあっと言う間に喰われてしまうらしい。森の奥には入らず陽の射す明るい小道を選んで足早に進む。しばらく歩けば城は遠ざかり、どこまでも広がる森の木々と空だけが視界を包み込む。
ここには、父の目も母の目もない。
城では味わえない清々しい解放感に心を躍らせながら、細く長く続く道をひたすら歩いた。そして、辿り着いたのは大樹が座す広場だった。
「綺麗なところだな……」
花々と蝶に彩られた広場の中を、何者かに誘われるような足取りで大樹の根元へと歩んでいく。天に向かい広がる枝々のなんと大きなことか。誰に造られたものでもない、壮大で美しい光景に陶然と見惚れた。
「――なにしてるの?」
唐突に背後から掛けられた、あどけない声。
素早く振り返ると、矢筒と弓を背負った少年が佇んでいた。黒みを帯びた銀髪に木漏れ日が当たって眩く輝いている。甘い蜂蜜を思わせる色をした瞳は少し目尻が垂れ気味で、優しい顔立ちをしていた。年のころは、ラズラウディアよりもやや年上だろうか。背ばかりが高く肉付きが悪い体は細く頼りないものに見えた。
「大きな木だと思って、見ていただけだ。……お前は、何しに来たんだ」
「弓の練習に来たんだよ」
少しかすれた……、だが柔らかい声で少年は答えた。傍らまで歩み寄って来て、瞳を伏せて大樹に祈りを捧げる。洗いざらしの粗末な麻の服を纏い、使い古した矢筒を背負った少年は悪い言い方をすればみすぼらしいが、清貧で純朴な印象も抱かせる。
髪と同じく、木漏れ日によって輝く銀色の豊かな睫毛が綺麗だ。祈りを捧げる姿が神聖なものに見えて、目が離せなかった。
「変わった祈り方だな」
気付けば、そう話しかけていた。この少年に自分を見て欲しい一心で。
「俺のとこで伝わってるお祈りだよ。他はどうかしらないけど」
「なるほど。この土地の特別な祈りなんだな。面白いな」
少年の声を聞いていると気持ちが落ち着く。侍従も言葉遣いは違えどもこれに近い心地がするが、どこか一歩引いたものだ。見下ろすでも見上げるでもない、同じ立ち位置で話をしてくれる相手など城にはいない。
「良い獲物が捕れますようにとか、無事に帰れますようにとか、そういう事を祈るんだよ」
甘い蜂蜜色の瞳が自分を映しているのが嬉しい。もっと声を聞きたい。ずっと話していたい。今までに感じたことのない欲求をラズラウディアは強く感じた。
「そうか。それなら僕もそうしておこう」
少年の真似をして、同じ様に指で印を結んで大樹に祈りを捧げた。
――『どうか、この子と親しくなれますように……』と。
0
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる