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番外編「とある狩人を愛した、横暴領主の話」
3 どうして
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――どうしてこんなことになってしまっているのだろう。
母は優しい。可愛いと褒めてくれて、ドレスなどを着せてくれる。それなのに、父はそれを良しとしていない。自分は女児ではないし、いずれ父の跡を継ぐ男児だから軟弱な真似などしてはいけないと言う。男児であるのに、ドレスを着るのはおかしいらしい。そのおかしいことを母はどうしてするのだろう。
どうして、母は男児である自分を女児として扱うのだろうか。
どうして、父は恐ろしい顔をして鞭で手を打つのか。
どうして、どうして……、こんなに苦しい思いをしなくてはいけなのか。
明らかに異常な環境なのだ。歪んだ愛情と、執拗なまでの体罰。女児として扱われながら、一方では男児としての自覚を痛みによって強いられる。正しい答えなどなく、両親が放つ正反対の指図に翻弄されるばかりの日々。
幼いラズラウディアの心は日々傷を増やし、癒え切らないそれからどす黒い膿が滴り始める。それは確実に彼を疲弊させていき、無邪気な愛らしさは影をひそめ、美しい顔からは感情が消えていった。
……あるとき、ラズラウディアは世話係である侍従にこう尋ねた。
「父上はラズラウディアと呼ぶのだけれど、母上はサフィアリアと呼ぶ。どうしてなの?」
年のころは父よりも少し上の穏やかな眼差しをした侍従は、表情もなく問うラズラウディアに対して労し気な表情を浮かべ、僅かに間を置いて口を開いた。
「サフィアリア様とは、数年前にお亡くなりになられた貴方様の姉上様です。ラズラウディア様は、姉上様によく似ておいでです。奥方様は、まだ姉上様がお亡くなりになられたことを、受け入れてはおられないのでしょう」
姉の存在を、このとき初めて知った。
「――この方が、貴方様の姉上様です」
人目を忍んで連れて行かれた部屋で、姉の肖像画を見せられた。まるで、ラズラウディアが描かれているように錯覚してしまうほど酷似した姉の姿にを見て、体が震えた。
怒りと、哀しみと、恐怖。絡み合った感情がラズラウディアの胸中で渦巻く。
「……そうなんだ……」
――自分は、母にとって姉の身代わりだったのだ。そして父は、姉に似た姿に生まれた息子を、真っ向から否定しているのだ。
そのことに気付いた瞬間から、どこかで両親の愛情を期待していた心が死んでいくのを感じた。
どこまでいっても、姉の影から逃れられない。姉こそが両親にとっては正しい姿で、ラズラウディアは間違っているのだろう。男児として生まれたのが間違いなのだろう。
――自分は、間違って生まれてきたのだ。
涙は出なかった。ただ、漠然とそう思っただけだった。
「旦那様も奥方様も、じきに……、今日明日とは申せませぬが、きっとお心を鎮められる日が訪れますでしょう。ご辛抱なさいませ。その間、私めに出来る事は、僅かではございますが……、出来得る限り、貴方様に尽くさせて頂きます」
「うん。ありがとう……」
両親の言動に怯え、息の詰まる生活を送りながらも、少年として、そして貴族の男としての自我を確立できたのは、世話係の侍従が彼の心の痛みを汲み取り、陰ながら寄り添っていたからに他ならなかった。彼がいなければ、ラズラウディアの成長はまた違ったものになっていただろう。
――そして、それからしばらくの後の、とある日。
「父上っ! や、やめて、……ひっ!」
その日も父の執務室へと呼び出されたラズラウディアは、腰まで伸ばされた黒髪を掴み上げられ、短刀で無残に切り刻まれた。
「じきに十歳になるのだ。そろそろ女のまま事は終わりにせねばな」
武人らしく節くれ立った手に握られた髪の房が、無造作に床へと振り撒かれた。
刃物を向けられた恐怖に細い身体を震わせて泣きじゃくるラズラウディアの姿に父は苛立ち、「泣くな。やはりお前は軟弱だ」と、いつものように何度も彼の手を鞭で叩いた。
母は優しい。可愛いと褒めてくれて、ドレスなどを着せてくれる。それなのに、父はそれを良しとしていない。自分は女児ではないし、いずれ父の跡を継ぐ男児だから軟弱な真似などしてはいけないと言う。男児であるのに、ドレスを着るのはおかしいらしい。そのおかしいことを母はどうしてするのだろう。
どうして、母は男児である自分を女児として扱うのだろうか。
どうして、父は恐ろしい顔をして鞭で手を打つのか。
どうして、どうして……、こんなに苦しい思いをしなくてはいけなのか。
明らかに異常な環境なのだ。歪んだ愛情と、執拗なまでの体罰。女児として扱われながら、一方では男児としての自覚を痛みによって強いられる。正しい答えなどなく、両親が放つ正反対の指図に翻弄されるばかりの日々。
幼いラズラウディアの心は日々傷を増やし、癒え切らないそれからどす黒い膿が滴り始める。それは確実に彼を疲弊させていき、無邪気な愛らしさは影をひそめ、美しい顔からは感情が消えていった。
……あるとき、ラズラウディアは世話係である侍従にこう尋ねた。
「父上はラズラウディアと呼ぶのだけれど、母上はサフィアリアと呼ぶ。どうしてなの?」
年のころは父よりも少し上の穏やかな眼差しをした侍従は、表情もなく問うラズラウディアに対して労し気な表情を浮かべ、僅かに間を置いて口を開いた。
「サフィアリア様とは、数年前にお亡くなりになられた貴方様の姉上様です。ラズラウディア様は、姉上様によく似ておいでです。奥方様は、まだ姉上様がお亡くなりになられたことを、受け入れてはおられないのでしょう」
姉の存在を、このとき初めて知った。
「――この方が、貴方様の姉上様です」
人目を忍んで連れて行かれた部屋で、姉の肖像画を見せられた。まるで、ラズラウディアが描かれているように錯覚してしまうほど酷似した姉の姿にを見て、体が震えた。
怒りと、哀しみと、恐怖。絡み合った感情がラズラウディアの胸中で渦巻く。
「……そうなんだ……」
――自分は、母にとって姉の身代わりだったのだ。そして父は、姉に似た姿に生まれた息子を、真っ向から否定しているのだ。
そのことに気付いた瞬間から、どこかで両親の愛情を期待していた心が死んでいくのを感じた。
どこまでいっても、姉の影から逃れられない。姉こそが両親にとっては正しい姿で、ラズラウディアは間違っているのだろう。男児として生まれたのが間違いなのだろう。
――自分は、間違って生まれてきたのだ。
涙は出なかった。ただ、漠然とそう思っただけだった。
「旦那様も奥方様も、じきに……、今日明日とは申せませぬが、きっとお心を鎮められる日が訪れますでしょう。ご辛抱なさいませ。その間、私めに出来る事は、僅かではございますが……、出来得る限り、貴方様に尽くさせて頂きます」
「うん。ありがとう……」
両親の言動に怯え、息の詰まる生活を送りながらも、少年として、そして貴族の男としての自我を確立できたのは、世話係の侍従が彼の心の痛みを汲み取り、陰ながら寄り添っていたからに他ならなかった。彼がいなければ、ラズラウディアの成長はまた違ったものになっていただろう。
――そして、それからしばらくの後の、とある日。
「父上っ! や、やめて、……ひっ!」
その日も父の執務室へと呼び出されたラズラウディアは、腰まで伸ばされた黒髪を掴み上げられ、短刀で無残に切り刻まれた。
「じきに十歳になるのだ。そろそろ女のまま事は終わりにせねばな」
武人らしく節くれ立った手に握られた髪の房が、無造作に床へと振り撒かれた。
刃物を向けられた恐怖に細い身体を震わせて泣きじゃくるラズラウディアの姿に父は苛立ち、「泣くな。やはりお前は軟弱だ」と、いつものように何度も彼の手を鞭で叩いた。
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