61 / 112
61 鈍臭いと言われてしまった
しおりを挟む
――そして、やや長い間を置いて朱い唇が薄く開いた。
「慰みなどでは……、ない」
鋭さが鳴りを潜めた、掠れ声だった。
「そんな風に思ったことなど、一度もない」
視線を逸らしたまま、こちらを見ようともせずに発せられたその言葉は、シタンの心には響かなかった。慰みでないのなら、なんだというのか。もっとはっきりと気持ちを言って欲しい。こんな答えは違う。
「だ、だったら、なんであんなことしたんだよ……」
シタンが勇気を振り絞って聞いても、領主は口を開くどころか眉根を寄せているばかりで、何も言わない。
「なんで……、俺なんかを……」
領主との関係は、ずっとシタンを苦しめてきた。誰にも言えずに悩んでいたときの不安や、ハイレリウスと出会って気付いた泣きたいほどの辛さ……。それらを忘れてはいない。
――もう限界だった。
積み重ねられてきた気持ちが、大きく膨らんで弾けてしまう。
「俺は、俺は……っ、対価だなんて言われて抱かれるのは、もう嫌だ!」
喉が裂けんばかりのシタンの叫びは部屋中に響き渡り、領主がはっと息を飲んでこちらを見た。一度弾けてしまえばもう気持ちを抑えることなど出来なかった。ずっと思い続けてきたことを、ぶつけてしまう。
「なんで……、俺がこんな、苦しい思いをしなくちゃいけないんだ! 俺がなにをしたっていうんだよ! さっさと捨ててくれ! もうたくさんだ!」
「捨てはしないっ! シタン、ずっと昔から……、お前だけが欲しかった!」
「ず、ずっと昔からって、なんだよ……。あんたのことなんか、俺は知らないのに!」
知り合いでもない初対面だったはずのこの男が、なにを知っているというのか。さっぱり意味が分からない。苛立ちながらきつく睨みつけると、領主は痛々しいまでに悲し気な表情で「まだわからないのか」と、言って小さく頭を振った。
「……やはりこんな姿になった私など、お前には受け入れられないのだな」
「どういう意味だよ……」
「憎んでも構わない。私から、逃げないでくれ」
紫紺の瞳から、涙が零れ落ちた。
儚いくらいに綺麗な泣き顔だった。震える唇が、消え入るような声音で「シタン……」と、切な気に名を呼ぶ。これが、あの恐ろしい領主だとはとても思えない弱々しい姿だった。
……ラズが泣いているみたいだ。
不意に、そう思った。あの日のラズとそっくりだ。潤んだ紫紺の瞳が凄く綺麗で、零れ落ちる涙も何か特別な物のように綺麗だ。触れたら壊れてしまいそうな綺麗さに魅入られながら、涙を流し続ける領主に近付いて濡れた頬に恐る恐る手を伸ばす。
「な、泣くことないだろ……」
頬をそっと手のひらで包み込んで親指で涙を拭うが、後から後から零れ落ちる涙は一向に止まらない。どうしてか、こちらまで泣きたくなってしまうような涙だった。
「あんたは……」
ラズに似ている、と言いかけて言葉を飲み込む。
……違う。似ているんじゃない。
「ラズなのか?」
――泣き濡れた瞳が大きく見開かれる。それが答えになった。
「ラズ!」
叫びながら抱き締めると、その体が微かに震えているのが分かった。柔らかな黒髪に覆われた頭を撫でて頬を摺り寄せると、小さな頃のラズと同じ良い匂いがした。
こんなふうに抱き締めたのは、小川で別れを告げられた時以来だ。どんなに行為に溺れ体を重ねていても、愛しさと親しみを込めて抱き締めたことなどなかった。
「……会いたかった。お前がいなくなって、寂しかった。なんで、言ってくれなかったんだよぉ……。こんな立派になってるなんて」
領主……いや、ラズラウドは無言だったが、背中に回された腕が強くシタンを抱き締め返してきて頬を摺り寄せられると、愛おしくて堪らない気持ちになった。
「……なんで、無理矢理したんだよ……。俺が気付けなかったから、怒ったのか?」
「そんな下らない仕返しのような理由で、私がお前を抱いたと思っているのか。何年経っても、お前はやはり鈍臭いというか、なんというか……」
……久しぶりに鈍臭いと言われてしまった。
「慰みなどでは……、ない」
鋭さが鳴りを潜めた、掠れ声だった。
「そんな風に思ったことなど、一度もない」
視線を逸らしたまま、こちらを見ようともせずに発せられたその言葉は、シタンの心には響かなかった。慰みでないのなら、なんだというのか。もっとはっきりと気持ちを言って欲しい。こんな答えは違う。
「だ、だったら、なんであんなことしたんだよ……」
シタンが勇気を振り絞って聞いても、領主は口を開くどころか眉根を寄せているばかりで、何も言わない。
「なんで……、俺なんかを……」
領主との関係は、ずっとシタンを苦しめてきた。誰にも言えずに悩んでいたときの不安や、ハイレリウスと出会って気付いた泣きたいほどの辛さ……。それらを忘れてはいない。
――もう限界だった。
積み重ねられてきた気持ちが、大きく膨らんで弾けてしまう。
「俺は、俺は……っ、対価だなんて言われて抱かれるのは、もう嫌だ!」
喉が裂けんばかりのシタンの叫びは部屋中に響き渡り、領主がはっと息を飲んでこちらを見た。一度弾けてしまえばもう気持ちを抑えることなど出来なかった。ずっと思い続けてきたことを、ぶつけてしまう。
「なんで……、俺がこんな、苦しい思いをしなくちゃいけないんだ! 俺がなにをしたっていうんだよ! さっさと捨ててくれ! もうたくさんだ!」
「捨てはしないっ! シタン、ずっと昔から……、お前だけが欲しかった!」
「ず、ずっと昔からって、なんだよ……。あんたのことなんか、俺は知らないのに!」
知り合いでもない初対面だったはずのこの男が、なにを知っているというのか。さっぱり意味が分からない。苛立ちながらきつく睨みつけると、領主は痛々しいまでに悲し気な表情で「まだわからないのか」と、言って小さく頭を振った。
「……やはりこんな姿になった私など、お前には受け入れられないのだな」
「どういう意味だよ……」
「憎んでも構わない。私から、逃げないでくれ」
紫紺の瞳から、涙が零れ落ちた。
儚いくらいに綺麗な泣き顔だった。震える唇が、消え入るような声音で「シタン……」と、切な気に名を呼ぶ。これが、あの恐ろしい領主だとはとても思えない弱々しい姿だった。
……ラズが泣いているみたいだ。
不意に、そう思った。あの日のラズとそっくりだ。潤んだ紫紺の瞳が凄く綺麗で、零れ落ちる涙も何か特別な物のように綺麗だ。触れたら壊れてしまいそうな綺麗さに魅入られながら、涙を流し続ける領主に近付いて濡れた頬に恐る恐る手を伸ばす。
「な、泣くことないだろ……」
頬をそっと手のひらで包み込んで親指で涙を拭うが、後から後から零れ落ちる涙は一向に止まらない。どうしてか、こちらまで泣きたくなってしまうような涙だった。
「あんたは……」
ラズに似ている、と言いかけて言葉を飲み込む。
……違う。似ているんじゃない。
「ラズなのか?」
――泣き濡れた瞳が大きく見開かれる。それが答えになった。
「ラズ!」
叫びながら抱き締めると、その体が微かに震えているのが分かった。柔らかな黒髪に覆われた頭を撫でて頬を摺り寄せると、小さな頃のラズと同じ良い匂いがした。
こんなふうに抱き締めたのは、小川で別れを告げられた時以来だ。どんなに行為に溺れ体を重ねていても、愛しさと親しみを込めて抱き締めたことなどなかった。
「……会いたかった。お前がいなくなって、寂しかった。なんで、言ってくれなかったんだよぉ……。こんな立派になってるなんて」
領主……いや、ラズラウドは無言だったが、背中に回された腕が強くシタンを抱き締め返してきて頬を摺り寄せられると、愛おしくて堪らない気持ちになった。
「……なんで、無理矢理したんだよ……。俺が気付けなかったから、怒ったのか?」
「そんな下らない仕返しのような理由で、私がお前を抱いたと思っているのか。何年経っても、お前はやはり鈍臭いというか、なんというか……」
……久しぶりに鈍臭いと言われてしまった。
10
お気に入りに追加
269
あなたにおすすめの小説
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?
藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。
結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの?
もう、みんな、うるさい!
私は私。好きに生きさせてよね。
この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。
彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。
私の人生に彩りをくれる、その人。
その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。
⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。
⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
【完結】塩対応の同室騎士は言葉が足らない
ゆうきぼし/優輝星
BL
騎士団養成の寄宿学校に通うアルベルトは幼いころのトラウマで閉所恐怖症の発作を抱えていた。やっと広い二人部屋に移動になるが同室のサミュエルは塩対応だった。実はサミュエルは継承争いで義母から命を狙われていたのだ。サミュエルは無口で無表情だがアルベルトの優しさにふれ少しづつ二人に変化が訪れる。
元のあらすじは塩彼氏アンソロ(2022年8月)寄稿作品です。公開終了後、大幅改稿+書き下ろし。
無口俺様攻め×美形世話好き
*マークがついた回には性的描写が含まれます。表紙はpome村さま
他サイトも転載してます。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる