42 / 112
42 ハイレリウス
しおりを挟む
ひとしきり泣き散らかして、やっと気分が落ち着いてきた。外はもうとっぷりと陽が暮れて、窓硝子越しに町の灯りが揺らめいている。
「目蓋が腫れてしまうから、少し冷やした方が良いね」と、青年が給仕を呼びつけて顔を洗う水を入れた白磁の器や布巾を用意してくれる。
「少し飲み過ぎてしまった。彼は泣き上戸だそうだよ」
冗談を混ぜてにこやかに話しながら酔い覚ましの水や果実水、軽い口当たりの菓子なども追加して頼んだ。
「……ほんと、すみません。こんなに泣くなんて。はぁ……」
細々と世話を焼かれて、有難いやら申し訳ないやら。思わずため息をつきながら背中を丸めて小さくなってしまう。泣くほど辛くて仕方がなかったとはいえ微笑む青年を前にしていると、さすがに羞恥を感じて顔が熱くなった。
「恥ずかしいことではないよ。すっきりした顔をしているのだから、楽になれた証拠だ。泣きたいときに泣けるのは、とても良い事だよ」
「まあ、すっきりはしましたがね……」
酔いもすっかり抜けている。もう一度酒を飲む気にはなれなくて、ちびちびと水を飲んから菓子を摘まむと、そのやんわりとした甘みに癒された。
「それなら良かった。遠慮なく甘えてくれれば良いよ。君は私の恩人なのだから」
「甘えるだなんてそんな……」
「気にしない気にしない。ああ、私は、ハイレリウスという。ハルとでも呼んでくれないか」
「あ、ああ、えっと、ハル様……?」
「様なんて要らないよ。私なんて貴族とはいえ端くれだから」
「いや、流石にまずいんで」
もしかしたら、愛称でもまずいのではと言いそうになったが、そうしても無駄な気がして言葉を飲み込む。青年――ハイレリウス――は、自分のことを『端くれ』とか言っているが、どの程度の端くれなのか分からないし、シタンからしてみれば雲上の存在には違いない。呼び捨てなんてとんでもないというやつなのだ。
「うーん。固いね。まあ、許してあげよう」
「はぁ……、どうも。あ、俺は、シタンです」
人懐っこいのは良いが、こっちは平民なのだから勘弁してほしい。そう思いながらも律儀に名乗りを返す。素材屋の店主にシタンと呼ばれていたのを聞いてただろうから、今さらだが。
「とても良い響きの名だね。君に似合っている」
「は、はぁ。そう、ですか。自分ではなんとも、思いませんが」
「ふうん。私はとても良いと思うよ。君の名前だからかな」
……『良い響き』って、『似合っている』って、なんだ。別嬪を口説く詩人みたいな言い回しだ。
とても自分には真似のできない返しに戸惑う。「ふふ。よろしく、シタン」と、甘く微笑む顔は見惚れるほど綺麗だ。整っていると最初に思いはしたものの、微笑み方ひとつで大きく変わる。領主も大概だが、ハイレリウスも相当な美形だと、今更だが意識した。
「目蓋が腫れてしまうから、少し冷やした方が良いね」と、青年が給仕を呼びつけて顔を洗う水を入れた白磁の器や布巾を用意してくれる。
「少し飲み過ぎてしまった。彼は泣き上戸だそうだよ」
冗談を混ぜてにこやかに話しながら酔い覚ましの水や果実水、軽い口当たりの菓子なども追加して頼んだ。
「……ほんと、すみません。こんなに泣くなんて。はぁ……」
細々と世話を焼かれて、有難いやら申し訳ないやら。思わずため息をつきながら背中を丸めて小さくなってしまう。泣くほど辛くて仕方がなかったとはいえ微笑む青年を前にしていると、さすがに羞恥を感じて顔が熱くなった。
「恥ずかしいことではないよ。すっきりした顔をしているのだから、楽になれた証拠だ。泣きたいときに泣けるのは、とても良い事だよ」
「まあ、すっきりはしましたがね……」
酔いもすっかり抜けている。もう一度酒を飲む気にはなれなくて、ちびちびと水を飲んから菓子を摘まむと、そのやんわりとした甘みに癒された。
「それなら良かった。遠慮なく甘えてくれれば良いよ。君は私の恩人なのだから」
「甘えるだなんてそんな……」
「気にしない気にしない。ああ、私は、ハイレリウスという。ハルとでも呼んでくれないか」
「あ、ああ、えっと、ハル様……?」
「様なんて要らないよ。私なんて貴族とはいえ端くれだから」
「いや、流石にまずいんで」
もしかしたら、愛称でもまずいのではと言いそうになったが、そうしても無駄な気がして言葉を飲み込む。青年――ハイレリウス――は、自分のことを『端くれ』とか言っているが、どの程度の端くれなのか分からないし、シタンからしてみれば雲上の存在には違いない。呼び捨てなんてとんでもないというやつなのだ。
「うーん。固いね。まあ、許してあげよう」
「はぁ……、どうも。あ、俺は、シタンです」
人懐っこいのは良いが、こっちは平民なのだから勘弁してほしい。そう思いながらも律儀に名乗りを返す。素材屋の店主にシタンと呼ばれていたのを聞いてただろうから、今さらだが。
「とても良い響きの名だね。君に似合っている」
「は、はぁ。そう、ですか。自分ではなんとも、思いませんが」
「ふうん。私はとても良いと思うよ。君の名前だからかな」
……『良い響き』って、『似合っている』って、なんだ。別嬪を口説く詩人みたいな言い回しだ。
とても自分には真似のできない返しに戸惑う。「ふふ。よろしく、シタン」と、甘く微笑む顔は見惚れるほど綺麗だ。整っていると最初に思いはしたものの、微笑み方ひとつで大きく変わる。領主も大概だが、ハイレリウスも相当な美形だと、今更だが意識した。
0
お気に入りに追加
269
あなたにおすすめの小説
【完結】生贄赤ずきんは森の中で狼に溺愛される
おのまとぺ
BL
生まれつき身体が弱く二十歳までは生きられないと宣告されていたヒューイ。そんなヒューイを村人たちは邪魔者とみなして、森に棲まう獰猛な狼の生贄「赤ずきん」として送り込むことにした。
しかし、暗い森の中で道に迷ったヒューイを助けた狼は端正な見た目をした男で、なぜかヒューイに「ここで一緒に生活してほしい」と言ってきて……
◆溺愛獣人攻め×メソメソ貧弱受け
◆R18は※
◆地雷要素:受けの女装/陵辱あり(少し)
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
【完結】金の王と美貌の旅人
ゆらり
BL
――あるところに、黄金色の髪を持つ優れた王が治める国があった。
その国の片隅にある酒場で、異国の旅人が出会ったのは商家の長男坊だという青年だった。互いに酒に強い二人は直ぐに意気投合し、飲み比べをし始めたのだが……。
残酷な描写には※R15、18禁には※R18がつきます。青年側の女性関係についてや主人公以外との婚礼等の話があります。そういった展開が苦手な方はご注意ください。ハッピーエンド保障。
ムーンライトノベルズにて完結した小説「金の王と不変の佳人(タイトル変更)」を加筆修正して連載。完結しました。アルファポリス版は番外編追加予定。※「王弟殿下と赤痣の闘士」と時間軸が繋がっています。よろしければそちらもお楽しみ頂ければ幸いです。
騎士団長である侯爵令息は年下の公爵令息に辺境の地で溺愛される
Matcha45
BL
第5王子の求婚を断ってしまった私は、密命という名の左遷で辺境の地へと飛ばされてしまう。部下のユリウスだけが、私についてきてくれるが、一緒にいるうちに何だか甘い雰囲気になって来て?!
※にはR-18の内容が含まれています。
※この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます
ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜
名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。
愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に…
「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」
美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。
🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶
応援していただいたみなさまのおかげです。
本当にありがとうございました!
聖女召喚!……って俺、男〜しかも兵士なんだけど?
バナナ男さん
BL
主人公の現在暮らす世界は化け物に蹂躙された地獄の様な世界であった。
嘘か誠かむかしむかしのお話、世界中を黒い雲が覆い赤い雨が降って生物を化け物に変えたのだとか。
そんな世界で兵士として暮らす大樹は突然見知らぬ場所に召喚され「 世界を救って下さい、聖女様 」と言われるが、俺男〜しかも兵士なんだけど??
異世界の王子様( 最初結構なクズ、後に溺愛、執着 )✕ 強化された平凡兵士( ノンケ、チート )
途中少々無理やり的な表現ありなので注意して下さいませm(。≧Д≦。)m
名前はどうか気にしないで下さい・・
召喚聖女が十歳だったので、古株の男聖女はまだ陛下の閨に呼ばれるようです
月歌(ツキウタ)
BL
十代半ばで異世界に聖女召喚されたセツ(♂)。聖女として陛下の閨の相手を務めながら、信頼を得て親友の立場を得たセツ。三十代になり寝所に呼ばれることも減ったセツは、自由気ままに異世界ライフを堪能していた。
なのだけれど、陛下は新たに聖女召喚を行ったらしい。もしかして、俺って陛下に捨てられるのかな?
★表紙絵はAIピカソで作成しました。
姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王
ミクリ21
BL
姫が拐われた!
……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。
しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。
誰が拐われたのかを調べる皆。
一方魔王は?
「姫じゃなくて勇者なんだが」
「え?」
姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる