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37 栗毛馬に乗った青年
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――禁猟期まで、あと数日を残すだけになった。
領主とのことで悩んでいても、することは変わらない。稼ぐために森へと狩りに出たシタンの耳に、悲痛な馬の嘶きが聞こえた。
「へっ?」
普段あまり聞く類でない鳴き声に驚きながらも、耳をそばだてる。森の奥の方から、馬の悲痛な鳴き声に混じって、若い男の悲鳴も気こえた。
「なんだ……?」
森の奥へ向かう道へと目を凝らすと、藪の向こうから栗毛の馬が飛び出してきた。口からわずかに泡を吹きながら、それでも必死に駆けてくる背には、身形の良い青年が乗っていた。手綱を握ってはいるが、繰っているというより辛うじて馬にしがみついている姿勢だ。
「ま、魔獣だっ! 魔獣がくるっ!」
悲鳴に近い叫びを上げながら、こちらへ突進してくる。
「うへぇっ!?」
馬を躱そうと横へ逃げるシタンの視界の隅で、背後の奥の藪が大きく揺れた。
ゴガアアアア! と、咆哮を周囲に響かせながら人の背丈ほどもある黒い獣が姿を現す。並みの獣よりも一回りも二回りも大きな体だというのに、かなり俊敏だ。あれよというまに迫ってくる。
まずい。これはもう背を向けて逃げても襲われるだけだ。
「そのまま向こうへ行って! 俺がなんとかするから!」
横を駆け抜けていく馬上の青年にそう叫んで、咄嗟に腰に下げた紐を外す。ブンッと、勢いをつけて先端に付けられた獣除けの笛を振り回した。人の耳には聞こえないが、獣が嫌う音が出る笛だ。
ゴア!と、近まで迫って来た獣が、両足で地面を踏み付け動きを止めた。不快気にグルグルと小さく唸り、尖った耳を伏せる。魔獣である証しの赤黒くぎらついた眼でシタンを睨み付け、牙をむき出しにしながらも近付いてはこない。
……興奮はしているが、笛が効いている。
ごくりと生唾を飲み込んで構え直し、笛を回しながら少しずつ後ずさって十分な距離を取る。いいところまで下がり切ったところで笛を放り出して、素早い動きで弓を背中から外して矢を番えた。急激に視界が狭められていき、狙う場所だけが鮮明に大きく目に映る。引き絞られた弦の立てる軋みの音が、限界まで引かれて止んだ瞬間。
「ふっ……!」
獣の頭へ狙いを定めて、迷いなく矢を放つ。
ギャッ! と、声が上がる。獣の眉間に深々と弓が突き刺さった。痛みに咆哮を上げ仁王立ちした獣の広い胸や太い首にも、矢を使い尽くす勢いで、急所という急所へ次々と射掛けていく。瞬きもせずに一心不乱に。
鋭い牙がびっしりと並ぶ口を大きく開けて力なく唸ったのを最後に、何本もの矢を生やした巨躯が鈍い音を立てて仰向けに倒れた。
「はっ、はぁっ、はぁっ……。し、仕留められてよかった」
緊張と高揚感が体中を巡り、どっと汗が噴き出した。こんな無茶な仕留め方など、普段はしない。獣の痕跡を追い、藪などに身を潜め気配を消して狙い撃ちする。興奮した獣とやり合うなんて、狩人のやることではないのだ。
「うまくいってよかったぁ……」
額に噴き出た汗を袖口で拭い、大きく息をついて脱力する。笛が効いたからこそなんとかなったが、獣を長年相手にしている狩人でも、下手を打つと命を失うのだ。
草の上にへたり込み、水筒の水を飲んでいると、「大丈夫か!」と、背後で声がしたので振り返ると、栗毛の馬に乗った青年が戻って来ていた。
「なんとか仕留めましたんで、大丈夫です」
そう応えながら立ち上がり、鼻面を押し付けてきた馬を撫でる。毛艶が良くて綺麗な馬だ。その背中で安堵の表情を浮かべてシタンを見下ろしている青年は、とても身形が良い。
……この青年は絶対、貴族だ。
領主とのことで悩んでいても、することは変わらない。稼ぐために森へと狩りに出たシタンの耳に、悲痛な馬の嘶きが聞こえた。
「へっ?」
普段あまり聞く類でない鳴き声に驚きながらも、耳をそばだてる。森の奥の方から、馬の悲痛な鳴き声に混じって、若い男の悲鳴も気こえた。
「なんだ……?」
森の奥へ向かう道へと目を凝らすと、藪の向こうから栗毛の馬が飛び出してきた。口からわずかに泡を吹きながら、それでも必死に駆けてくる背には、身形の良い青年が乗っていた。手綱を握ってはいるが、繰っているというより辛うじて馬にしがみついている姿勢だ。
「ま、魔獣だっ! 魔獣がくるっ!」
悲鳴に近い叫びを上げながら、こちらへ突進してくる。
「うへぇっ!?」
馬を躱そうと横へ逃げるシタンの視界の隅で、背後の奥の藪が大きく揺れた。
ゴガアアアア! と、咆哮を周囲に響かせながら人の背丈ほどもある黒い獣が姿を現す。並みの獣よりも一回りも二回りも大きな体だというのに、かなり俊敏だ。あれよというまに迫ってくる。
まずい。これはもう背を向けて逃げても襲われるだけだ。
「そのまま向こうへ行って! 俺がなんとかするから!」
横を駆け抜けていく馬上の青年にそう叫んで、咄嗟に腰に下げた紐を外す。ブンッと、勢いをつけて先端に付けられた獣除けの笛を振り回した。人の耳には聞こえないが、獣が嫌う音が出る笛だ。
ゴア!と、近まで迫って来た獣が、両足で地面を踏み付け動きを止めた。不快気にグルグルと小さく唸り、尖った耳を伏せる。魔獣である証しの赤黒くぎらついた眼でシタンを睨み付け、牙をむき出しにしながらも近付いてはこない。
……興奮はしているが、笛が効いている。
ごくりと生唾を飲み込んで構え直し、笛を回しながら少しずつ後ずさって十分な距離を取る。いいところまで下がり切ったところで笛を放り出して、素早い動きで弓を背中から外して矢を番えた。急激に視界が狭められていき、狙う場所だけが鮮明に大きく目に映る。引き絞られた弦の立てる軋みの音が、限界まで引かれて止んだ瞬間。
「ふっ……!」
獣の頭へ狙いを定めて、迷いなく矢を放つ。
ギャッ! と、声が上がる。獣の眉間に深々と弓が突き刺さった。痛みに咆哮を上げ仁王立ちした獣の広い胸や太い首にも、矢を使い尽くす勢いで、急所という急所へ次々と射掛けていく。瞬きもせずに一心不乱に。
鋭い牙がびっしりと並ぶ口を大きく開けて力なく唸ったのを最後に、何本もの矢を生やした巨躯が鈍い音を立てて仰向けに倒れた。
「はっ、はぁっ、はぁっ……。し、仕留められてよかった」
緊張と高揚感が体中を巡り、どっと汗が噴き出した。こんな無茶な仕留め方など、普段はしない。獣の痕跡を追い、藪などに身を潜め気配を消して狙い撃ちする。興奮した獣とやり合うなんて、狩人のやることではないのだ。
「うまくいってよかったぁ……」
額に噴き出た汗を袖口で拭い、大きく息をついて脱力する。笛が効いたからこそなんとかなったが、獣を長年相手にしている狩人でも、下手を打つと命を失うのだ。
草の上にへたり込み、水筒の水を飲んでいると、「大丈夫か!」と、背後で声がしたので振り返ると、栗毛の馬に乗った青年が戻って来ていた。
「なんとか仕留めましたんで、大丈夫です」
そう応えながら立ち上がり、鼻面を押し付けてきた馬を撫でる。毛艶が良くて綺麗な馬だ。その背中で安堵の表情を浮かべてシタンを見下ろしている青年は、とても身形が良い。
……この青年は絶対、貴族だ。
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