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9 森の大樹
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――ろくに寝付けないまま夜が明けて朝になっても、領主は姿を現さなかった。
逃げれば腕を斬り落とすとまで脅しておきながら、この落差は何だろうか。顔を合わせずに済んだのだから清々しても良いところだが、なぜか放り出されたような感覚の方が強い。
また尻を掘られたいわけでは断じてないが、なんとかいう態度の取り方があるだろうと思ってしまう。拒絶されたことを気にしているのかとも考えたが、あんな酷い貴族に、傷付く神経があるとは思えない。
「――どうぞお気を付けて」
「うん……。ありがと」
なんとも言えなずもやついた気分を抱えたまま、にこやかに微笑む老人に見送られて城を出た。恐ろしい思いをしながらも、やっと自分の住まいに帰ることができたその日は、なにもする気にならず早々と寝てしまった。
――次の日。
目覚めたのは、夜が明けきらずまだ空に薄闇の広がる時間。
いつもならすっと起き上がれるのだが、硬く粗末な寝床から身を起こすのが億劫で仕方がない。
城の柔らかい寝床が少し恋しくなってしまう。肌触りが良くて良い匂いがして、とても気持ち良かった。
酷い目にはあったが、普段の暮らしからはかけ離れた贅沢な経験は、シタンの心身をかなり我儘にしてしまっていた。
「なんか、体が重いなぁ」
あんなものに味を占めてしまったが最後、真っ当に働けない駄目人間になってしまうだろう。しっかりしろと内心で自分自身を叱り倒して、粗末な寝床から勢い良く起き上がる。
「……朝飯、作らないと……」
空腹では狩りもできない。
のそのそと水瓶から竈に置いた鍋に水を入れ、ちまちまと火を起こす。小刀で適当に刻んだ塩漬けの干し肉や野菜を放り込んで汁物を作り、薄切りの黒麺麭と一緒に平らげてから、手早く狩りの支度をして森へと向かう。
昨晩に雨が降ったらしく、道端の草に露がたっぷりと乗っていた。晴れていてほとんど風が吹いていない。良い天気だ。雨に洗われた森のまっさらな清々しい匂いを胸いっぱいに吸い込むと、気分が澄み渡って引き締まる。
「うん、やっぱり森に来ると落ち着くなぁ」
歩き慣れた森の細道を暫く進むと、大きく開けた場所に辿り着く。
そこには森の守り神とされている大樹が、豊かに葉を茂らせた長大な枝を天へと広げて立っている。
大人が数人掛かりでも抱えきれないほど太く育った幹の根元に立ち、両手で印を結んで祈りを捧げた。
森の端に位置し魔獣の寄り付かない大樹の広場は、苔生した地面のところどころに清楚な色合いの草花が咲いていて、蝶の舞う姿が美しい。
ここは、子供の頃からずっと変わらず綺麗な場所だ。長い年月を生き抜いてきた大樹がそうさせるのか、侵し難い清浄な気配を感じる。
なに気なく大樹を見上げていると、ふと友人のラズのことを思い出してしまった。森は、ラズとの思い出が沢山残っている。この場所は特に、思い出が深い。
――もう何年も会えていないラズと初めて出会ったのは、この場所だった。
逃げれば腕を斬り落とすとまで脅しておきながら、この落差は何だろうか。顔を合わせずに済んだのだから清々しても良いところだが、なぜか放り出されたような感覚の方が強い。
また尻を掘られたいわけでは断じてないが、なんとかいう態度の取り方があるだろうと思ってしまう。拒絶されたことを気にしているのかとも考えたが、あんな酷い貴族に、傷付く神経があるとは思えない。
「――どうぞお気を付けて」
「うん……。ありがと」
なんとも言えなずもやついた気分を抱えたまま、にこやかに微笑む老人に見送られて城を出た。恐ろしい思いをしながらも、やっと自分の住まいに帰ることができたその日は、なにもする気にならず早々と寝てしまった。
――次の日。
目覚めたのは、夜が明けきらずまだ空に薄闇の広がる時間。
いつもならすっと起き上がれるのだが、硬く粗末な寝床から身を起こすのが億劫で仕方がない。
城の柔らかい寝床が少し恋しくなってしまう。肌触りが良くて良い匂いがして、とても気持ち良かった。
酷い目にはあったが、普段の暮らしからはかけ離れた贅沢な経験は、シタンの心身をかなり我儘にしてしまっていた。
「なんか、体が重いなぁ」
あんなものに味を占めてしまったが最後、真っ当に働けない駄目人間になってしまうだろう。しっかりしろと内心で自分自身を叱り倒して、粗末な寝床から勢い良く起き上がる。
「……朝飯、作らないと……」
空腹では狩りもできない。
のそのそと水瓶から竈に置いた鍋に水を入れ、ちまちまと火を起こす。小刀で適当に刻んだ塩漬けの干し肉や野菜を放り込んで汁物を作り、薄切りの黒麺麭と一緒に平らげてから、手早く狩りの支度をして森へと向かう。
昨晩に雨が降ったらしく、道端の草に露がたっぷりと乗っていた。晴れていてほとんど風が吹いていない。良い天気だ。雨に洗われた森のまっさらな清々しい匂いを胸いっぱいに吸い込むと、気分が澄み渡って引き締まる。
「うん、やっぱり森に来ると落ち着くなぁ」
歩き慣れた森の細道を暫く進むと、大きく開けた場所に辿り着く。
そこには森の守り神とされている大樹が、豊かに葉を茂らせた長大な枝を天へと広げて立っている。
大人が数人掛かりでも抱えきれないほど太く育った幹の根元に立ち、両手で印を結んで祈りを捧げた。
森の端に位置し魔獣の寄り付かない大樹の広場は、苔生した地面のところどころに清楚な色合いの草花が咲いていて、蝶の舞う姿が美しい。
ここは、子供の頃からずっと変わらず綺麗な場所だ。長い年月を生き抜いてきた大樹がそうさせるのか、侵し難い清浄な気配を感じる。
なに気なく大樹を見上げていると、ふと友人のラズのことを思い出してしまった。森は、ラズとの思い出が沢山残っている。この場所は特に、思い出が深い。
――もう何年も会えていないラズと初めて出会ったのは、この場所だった。
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