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本編第一部「金の王と美貌の旅人」
16 化け物
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――痛い。苦しい。私は今、どこに居るのだろう。
腹に突き刺さった刃の痛みは焼け付く熱に変わり、血を失い過ぎた体は傷の熱さとは真逆に、体温を失い冷たくなっていった。混濁した意識の中で、私は誰かの声を途切れ途切れに聞いていた。
他人を傷つけることでしか喜びを見出せない、哀れな男の喚き声だった気もするし、友であるリヤの怒号と、悲痛な叫びだった気もする。記憶があやふやで今がいつなのかすらわからない。
指ひとつ、まぶたひとつ動かせないほどに力を失い、誰かに小刀を腹から引き抜かれたときだけは悲鳴を上げたが、呼吸すらもままならない状態だった。
明け方に石台の上で、幻聴のような小鳥達の囁きを聞いたのは今日のことなのか。それとも、ずっと前のことなのか。大男はどうしているだろうか。鍛錬を忘れていなければいいが。酒場に行けていないが、リヤスーダが心配してはいないだろうか。
様々な記憶と意識が切れ切れに浮かんでは消えていく。やがて意識を保てなくなり、苦痛を感じている時間が短くて済んだのは幸いだった。
――どのくらいそうして、意識を途切れさせていただろうか。
不意に誰かの声がして、意識をそちらに傾けた。
「……キュリオ。…………俺がもっと早く、お前を守っていれば、こんなことにならなかったのに」
――ああ、これはリヤの声だ。
酷く悲し気な声に、胸の奥がわずかに痛みを覚えた。大きな手が私の手を包み込むようにして握っている。力強い命の熱がとても温かくて、切ないくらいに愛おしい。決してこの温もりを離すまいと強く握り返しながら、意識を少しずつ引き上げていく。
「リ、ヤ……」
名を呼ぼうと口を開くも、最初に出たのは酷く掠れて皺枯れた声だった。
「キュリオ……!」
霞む視界に見えた涙が滲む空色に、思わず深い安堵の吐息が漏れる。
「げほっ……、どうやら、助けられたよう、だな……」
咳き込みながら喋ると、水飲みが口元に当てられる。ゆっくりと僅かずつ注がれる水は、まるで甘露のように美味なものだった。乾いていた喉が潤い、咳は直ぐに治まった。
「……すまない。世話を掛けた」
「お前は、謝るようなことはしていない。今すぐ医者を呼ぶ」
「それは待ってくれ」
そばを離れようとするリヤの手を、強く引いて止める。
「呼ぶ必要などない」
このときになってようやく、自分が清潔な夜着姿で柔らかな寝床の上に寝かされていることに気付いた。血まみれの私を救い出して、出来得る限りの手を尽くしてくれたのだろう。有難いことだ。
握りしめた手を離さず身を起こし、「無理をするな。死にかけていたのだぞ」と、体を支えようと身を乗り出してくるリヤスーダに縋り付いて寝台から下りた。
「もう平気だ」
「そんなはずはない」と、狼狽えながら寝台へ戻そうとする彼の手を退けて距離を取ってから、夜着を脱ぎ捨て素肌に巻かれた包帯を手早く解いていく。
「お、おい、なにをしているんだ!」
白い包帯が足元に落ち切ったとき、リヤは鮮やかな空色の瞳をこれ以上なく見開いた。
「傷が、消えている……」
彼の驚きは最もだ。常人ならば死んでいたであろうほど深い傷だったことは覚えている。心配も露わな彼の前で不謹慎なことだが、目を丸くして驚く顔に少年の様な可愛気を感じて思わず小さく笑ってしまう。
「死ねないのだよ。だから……、呼ばないでくれ」
両手で撫でて上げて見せた腹や胸板に、既に傷は残っていなかった。殴られた顔に当てられていた薬草の匂いのする軟膏の湿布も剥がして見せる。こちらも痛みを感じないので、傷はもう癒えているだろう。
どんな過酷な責め苦を受けても、私は死ねないのだ。心が狂うこともなく、体の限界を迎えると眠りに落ちて傷が癒え、覚めると何事もなかったかのように体は真っ新に戻っているのだ。
「化け物め!」と叫びながら私を刺した男の声が耳に蘇った。ああ、そうだ。そうだとも。化け物だ。そんなことはとうに知っているとも。
自嘲気味に薄く笑みを浮かべながら友に向けて「私は、化け物なのだよ」と、告げた。
その証拠を目の前で見せつけたというのに、リヤは今にも泣きだしそうな顔で首を横に振る。そればかりか、脱ぎ捨てた夜着を拾い上げて私の裸体を包み込むと、強く抱き締めてくれた。
「哀しいことを言うなキュリオ。お前は、化け物などであるはずがない……」
肩口に顔を埋めたリヤスーダの声は、泣いているかのような響きを含んでいた。
私を私として、受け入れてくれる人間がここにいる。力強く抱き締めてくれる彼の温かい腕と言葉に、胸の中が溢れんばかりの歓喜で満たされていく。
「その言葉を貰えただけで、嬉しい。少し血を失い過ぎた。もう少しだけ、ここで休ませてくれないかね」
「構わない。いくらでも、休んでくれ」
「ありがとう……」
目が覚めたら街で温かい食事を食べよう。そして出来るだけ早く旅支度を始めたい
この国に辿り着いてからの自分は、身を弁えずに随分と浮かれていた。期せずして心を許せる友を得て、共に酒を飲み穏やかに語らえる楽しさに一時の儚い夢を見ていたのだ。
ここで過ごした日々は、とても眩しく楽しかった。夢の終わりを告げるように哀れな男の凶刃に切り刻まれはしたが、理不尽な目に遭うのは今更だ。死ぬことが出来ず人と同じ時を刻んでいけない私は、どこであろうとも長く留まれはしない。どうにもし難い程になごり惜しいが、この都から去らねばならない。
リヤスーダの心地良い体温に身を委ねながら、先のことにつらつらと考えを巡らした。そして、温かい彼の手によって寝台に戻された私の意識は、眠りの底へと滑り落ちて溶けていった。
腹に突き刺さった刃の痛みは焼け付く熱に変わり、血を失い過ぎた体は傷の熱さとは真逆に、体温を失い冷たくなっていった。混濁した意識の中で、私は誰かの声を途切れ途切れに聞いていた。
他人を傷つけることでしか喜びを見出せない、哀れな男の喚き声だった気もするし、友であるリヤの怒号と、悲痛な叫びだった気もする。記憶があやふやで今がいつなのかすらわからない。
指ひとつ、まぶたひとつ動かせないほどに力を失い、誰かに小刀を腹から引き抜かれたときだけは悲鳴を上げたが、呼吸すらもままならない状態だった。
明け方に石台の上で、幻聴のような小鳥達の囁きを聞いたのは今日のことなのか。それとも、ずっと前のことなのか。大男はどうしているだろうか。鍛錬を忘れていなければいいが。酒場に行けていないが、リヤスーダが心配してはいないだろうか。
様々な記憶と意識が切れ切れに浮かんでは消えていく。やがて意識を保てなくなり、苦痛を感じている時間が短くて済んだのは幸いだった。
――どのくらいそうして、意識を途切れさせていただろうか。
不意に誰かの声がして、意識をそちらに傾けた。
「……キュリオ。…………俺がもっと早く、お前を守っていれば、こんなことにならなかったのに」
――ああ、これはリヤの声だ。
酷く悲し気な声に、胸の奥がわずかに痛みを覚えた。大きな手が私の手を包み込むようにして握っている。力強い命の熱がとても温かくて、切ないくらいに愛おしい。決してこの温もりを離すまいと強く握り返しながら、意識を少しずつ引き上げていく。
「リ、ヤ……」
名を呼ぼうと口を開くも、最初に出たのは酷く掠れて皺枯れた声だった。
「キュリオ……!」
霞む視界に見えた涙が滲む空色に、思わず深い安堵の吐息が漏れる。
「げほっ……、どうやら、助けられたよう、だな……」
咳き込みながら喋ると、水飲みが口元に当てられる。ゆっくりと僅かずつ注がれる水は、まるで甘露のように美味なものだった。乾いていた喉が潤い、咳は直ぐに治まった。
「……すまない。世話を掛けた」
「お前は、謝るようなことはしていない。今すぐ医者を呼ぶ」
「それは待ってくれ」
そばを離れようとするリヤの手を、強く引いて止める。
「呼ぶ必要などない」
このときになってようやく、自分が清潔な夜着姿で柔らかな寝床の上に寝かされていることに気付いた。血まみれの私を救い出して、出来得る限りの手を尽くしてくれたのだろう。有難いことだ。
握りしめた手を離さず身を起こし、「無理をするな。死にかけていたのだぞ」と、体を支えようと身を乗り出してくるリヤスーダに縋り付いて寝台から下りた。
「もう平気だ」
「そんなはずはない」と、狼狽えながら寝台へ戻そうとする彼の手を退けて距離を取ってから、夜着を脱ぎ捨て素肌に巻かれた包帯を手早く解いていく。
「お、おい、なにをしているんだ!」
白い包帯が足元に落ち切ったとき、リヤは鮮やかな空色の瞳をこれ以上なく見開いた。
「傷が、消えている……」
彼の驚きは最もだ。常人ならば死んでいたであろうほど深い傷だったことは覚えている。心配も露わな彼の前で不謹慎なことだが、目を丸くして驚く顔に少年の様な可愛気を感じて思わず小さく笑ってしまう。
「死ねないのだよ。だから……、呼ばないでくれ」
両手で撫でて上げて見せた腹や胸板に、既に傷は残っていなかった。殴られた顔に当てられていた薬草の匂いのする軟膏の湿布も剥がして見せる。こちらも痛みを感じないので、傷はもう癒えているだろう。
どんな過酷な責め苦を受けても、私は死ねないのだ。心が狂うこともなく、体の限界を迎えると眠りに落ちて傷が癒え、覚めると何事もなかったかのように体は真っ新に戻っているのだ。
「化け物め!」と叫びながら私を刺した男の声が耳に蘇った。ああ、そうだ。そうだとも。化け物だ。そんなことはとうに知っているとも。
自嘲気味に薄く笑みを浮かべながら友に向けて「私は、化け物なのだよ」と、告げた。
その証拠を目の前で見せつけたというのに、リヤは今にも泣きだしそうな顔で首を横に振る。そればかりか、脱ぎ捨てた夜着を拾い上げて私の裸体を包み込むと、強く抱き締めてくれた。
「哀しいことを言うなキュリオ。お前は、化け物などであるはずがない……」
肩口に顔を埋めたリヤスーダの声は、泣いているかのような響きを含んでいた。
私を私として、受け入れてくれる人間がここにいる。力強く抱き締めてくれる彼の温かい腕と言葉に、胸の中が溢れんばかりの歓喜で満たされていく。
「その言葉を貰えただけで、嬉しい。少し血を失い過ぎた。もう少しだけ、ここで休ませてくれないかね」
「構わない。いくらでも、休んでくれ」
「ありがとう……」
目が覚めたら街で温かい食事を食べよう。そして出来るだけ早く旅支度を始めたい
この国に辿り着いてからの自分は、身を弁えずに随分と浮かれていた。期せずして心を許せる友を得て、共に酒を飲み穏やかに語らえる楽しさに一時の儚い夢を見ていたのだ。
ここで過ごした日々は、とても眩しく楽しかった。夢の終わりを告げるように哀れな男の凶刃に切り刻まれはしたが、理不尽な目に遭うのは今更だ。死ぬことが出来ず人と同じ時を刻んでいけない私は、どこであろうとも長く留まれはしない。どうにもし難い程になごり惜しいが、この都から去らねばならない。
リヤスーダの心地良い体温に身を委ねながら、先のことにつらつらと考えを巡らした。そして、温かい彼の手によって寝台に戻された私の意識は、眠りの底へと滑り落ちて溶けていった。
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