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本編第一部「金の王と美貌の旅人」
8 扉の先の別世界
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――扉の先にあったのは石造りの大広間だった。
天井は見上げる程に高く、窓がなくとも不思議と息苦しさはない。丹念に磨かれた床や柱には装飾は施されていないが、それだからこその品のある趣が感じられる。あの廃屋を思えば、この場は別世界だ。
さすがのキュリオも、呆気にとられて口を開けてしまう。
「こっそり客を招くにも、ひと苦労だ」
あの入り組んだ通路も、扉の仕掛けも、この別世界のような場を守るためだと思えば過剰でも何でもないことだ。ここが、リヤの自宅だとすれば……、彼は一体、何者なのだろうか? 単なる商家の次男坊とは思えない。
「君は此処に住んでいるのかね」
ようやく口を開いて、ありきたりな質問をしたキュリオに対して、リヤは「まあ、別宅だがな」と、またしても驚愕するようなことを言い、悪戯が成功した子どものように無邪気に笑って「ようこそ我が家へ」と、道化じみた身振りで両手を広げた。
「さて……、だれかいるか! 客人を連れて来た」
両手を下ろして大広間の奥に声を掛けた瞬間に、リヤの雰囲気が変わった。キュリオは息を飲んでリヤを見上げる。傍らに立つ男から放たれる雰囲気は、慣れ親しんだ気やすい若者のそれではなく硬質な支配者の貫録があったのだ。
揃いの衣装を纏った侍女が数名、広間の右手側の扉から現れて足早に進み出てくると優雅に頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、リヤスーダ様。お客様、ようこそいらっしゃいました」
「大切な友人だ。名をキュリオと言う。身なりを整えてやってくれ。キュリオ、また後で会おう」
「承知致しました。それではキュリオ様、どうぞ此方へ」
真っ先に前に進み出て頭を垂れていた年長の侍女にそう命じ、颯爽と去って行くリヤを唖然としながら見送るキュリオを取り囲んで侍女らは別室へと誘う。
「や、そんな、大層な扱いはいらないのだよ。このままで……」
「遠慮なさらないでください」
年長の侍女に真顔で言い切られて渋々ながら彼女に従って連れて行かれた先は、広く贅沢な湯殿だった。キュリオが恐る恐る背後を振り返ると、微笑む侍女らの姿が目に入る。
「一人にして貰えるのだろうか?」
「とんでもございません。介添えさせて頂きます」
腕まくりをして手に手に海綿や手桶を持ち支度をする彼女らには、明らかに退出する気などない。口元を引きつらせながらそれは遠慮願いたいと言ってはみるものの、これまた年長の侍女が真顔でこう返す。
「隅々までお手入れさせて頂きます。ご容赦を」
次いで他の侍女らに視線を向けると、同じように真顔だ。
「磨き上げるまでは、お部屋までお通し出来ませんので」
「リヤスーダ様に叱られてしまいます」
「私共、湯殿でのお世話に慣れておりますのでご安心を」
「お気遣い為さらなくて宜しいのですよ。キュリオ様」
口々に言い始めて取り付く島もない。
寄ってたかって腕を取られて湯殿の奥へと連れて行かれた。あれよと言う間に顔を隠すフードのついた外套を含めて、全てを剥ぎ取られて裸にされてしまう。
抜ける様な白さのしなやかな裸身を目の前にしても動じることもなく、桶に湯を汲み石鹸を海綿に付けて丁寧に泡立て始める。剥ぎ取った諸々は籠に入れて、下働きの者を呼んで手渡しする。
「お帰りになるまでには、洗濯をしてお返し致しますので」
返して欲しいと訴える暇もなく、先手を打たれてしまった。あまりの手際の良さと裸にされたことに動揺している隙に、丁度良い加減の湯を優しく掛けられて海綿で体中を隈なく洗われた。
「あっ、ま、待て、やめ」
拒む暇などなかった。
「楽にして下さいましな」
「痛いことはしませんからね」
「安心してくださいね」
「いや、そういう問題では」
――子供をあやすように言われながら洗われ続けて暫くの後。
分厚く柔らかな敷物に腰布一枚の姿で、目を閉じてぐったりと横たわるキュリオの姿があった。芳しい匂いのする香油を惜しみなく髪や肌に擦り込まれて、全身を徹底的に手入れされていく。
「御髪を切るのは毛先だけにしましょうね。勿体ないですから」
「肌の肌理が細かくて、羨ましいです」
「綺麗な手をしていらっしゃいますね」
「折角ですから爪に艶を出しましょう」
姦しい侍女らに、言葉を返す気力すら削がれたのかキュリオは終始、無言だった。
どうにか手入れが終わると黒染めの絹で仕立てられた長衣を着せられ、端に銀糸で草花の刺繍がされた翡翠色の平帯で腰をキュッと締められた。
「……悪目立ちではないかな」
「そのようなことは、ございません。キュリオ様、とても素敵でございますよ」
うっとり満足そうに仕上がりを見る彼女らの言葉に悪気は全くないのだが、キュリオは益々疲れ果てた面持ちになりながら、姿見に映った己を眺める。
伸ばし放題だった黒髪は、念入りに梳られて艶やかさを増され真っすぐに肩に流されていた。繊細な皮細工のサンダルを履かされた足元近くまである長衣は、襟ぐりが広く袖も短めで白い首筋としなやかな二の腕が剥き出しだ。更には存外に細い体の線が、しっかりと締め上げた腰帯で強調されてしまっていた。
「一体……、何なのだね此処は……」
激変した自らの姿に、キュリオは落ち着かない様子で視線を彷徨わせて呟いた。
「それにつきましては、リヤスーダ様にお聞きくださいませ」
「……そうするよ。しかし、これは私には過ぎた扱いだ。何だか申し訳ないな」
「キュリオ様はリヤスーダ様の大切な御友人でございますし、とてもお綺麗でいらっしゃいます。少しも過ぎた扱いなどではありません。私共に磨かせて頂き有難うございました」
「そういうものかな。……こちらこそ、ありがとう」
誠心誠意仕事をやり遂げた侍女らの、好意的な笑顔は眩しいばかり。そんな彼女らに文句など言える訳もなく、キュリオは少しだけ苦笑しながら礼を返した。
「さ、リヤスーダ様がお待ちですので、参りましょう」
――こうして、徹底的に磨き上げられた己の姿に戸惑いながらも、キュリオは年長の侍女に連れられてリヤの待つ部屋へと向かうことになった。
天井は見上げる程に高く、窓がなくとも不思議と息苦しさはない。丹念に磨かれた床や柱には装飾は施されていないが、それだからこその品のある趣が感じられる。あの廃屋を思えば、この場は別世界だ。
さすがのキュリオも、呆気にとられて口を開けてしまう。
「こっそり客を招くにも、ひと苦労だ」
あの入り組んだ通路も、扉の仕掛けも、この別世界のような場を守るためだと思えば過剰でも何でもないことだ。ここが、リヤの自宅だとすれば……、彼は一体、何者なのだろうか? 単なる商家の次男坊とは思えない。
「君は此処に住んでいるのかね」
ようやく口を開いて、ありきたりな質問をしたキュリオに対して、リヤは「まあ、別宅だがな」と、またしても驚愕するようなことを言い、悪戯が成功した子どものように無邪気に笑って「ようこそ我が家へ」と、道化じみた身振りで両手を広げた。
「さて……、だれかいるか! 客人を連れて来た」
両手を下ろして大広間の奥に声を掛けた瞬間に、リヤの雰囲気が変わった。キュリオは息を飲んでリヤを見上げる。傍らに立つ男から放たれる雰囲気は、慣れ親しんだ気やすい若者のそれではなく硬質な支配者の貫録があったのだ。
揃いの衣装を纏った侍女が数名、広間の右手側の扉から現れて足早に進み出てくると優雅に頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、リヤスーダ様。お客様、ようこそいらっしゃいました」
「大切な友人だ。名をキュリオと言う。身なりを整えてやってくれ。キュリオ、また後で会おう」
「承知致しました。それではキュリオ様、どうぞ此方へ」
真っ先に前に進み出て頭を垂れていた年長の侍女にそう命じ、颯爽と去って行くリヤを唖然としながら見送るキュリオを取り囲んで侍女らは別室へと誘う。
「や、そんな、大層な扱いはいらないのだよ。このままで……」
「遠慮なさらないでください」
年長の侍女に真顔で言い切られて渋々ながら彼女に従って連れて行かれた先は、広く贅沢な湯殿だった。キュリオが恐る恐る背後を振り返ると、微笑む侍女らの姿が目に入る。
「一人にして貰えるのだろうか?」
「とんでもございません。介添えさせて頂きます」
腕まくりをして手に手に海綿や手桶を持ち支度をする彼女らには、明らかに退出する気などない。口元を引きつらせながらそれは遠慮願いたいと言ってはみるものの、これまた年長の侍女が真顔でこう返す。
「隅々までお手入れさせて頂きます。ご容赦を」
次いで他の侍女らに視線を向けると、同じように真顔だ。
「磨き上げるまでは、お部屋までお通し出来ませんので」
「リヤスーダ様に叱られてしまいます」
「私共、湯殿でのお世話に慣れておりますのでご安心を」
「お気遣い為さらなくて宜しいのですよ。キュリオ様」
口々に言い始めて取り付く島もない。
寄ってたかって腕を取られて湯殿の奥へと連れて行かれた。あれよと言う間に顔を隠すフードのついた外套を含めて、全てを剥ぎ取られて裸にされてしまう。
抜ける様な白さのしなやかな裸身を目の前にしても動じることもなく、桶に湯を汲み石鹸を海綿に付けて丁寧に泡立て始める。剥ぎ取った諸々は籠に入れて、下働きの者を呼んで手渡しする。
「お帰りになるまでには、洗濯をしてお返し致しますので」
返して欲しいと訴える暇もなく、先手を打たれてしまった。あまりの手際の良さと裸にされたことに動揺している隙に、丁度良い加減の湯を優しく掛けられて海綿で体中を隈なく洗われた。
「あっ、ま、待て、やめ」
拒む暇などなかった。
「楽にして下さいましな」
「痛いことはしませんからね」
「安心してくださいね」
「いや、そういう問題では」
――子供をあやすように言われながら洗われ続けて暫くの後。
分厚く柔らかな敷物に腰布一枚の姿で、目を閉じてぐったりと横たわるキュリオの姿があった。芳しい匂いのする香油を惜しみなく髪や肌に擦り込まれて、全身を徹底的に手入れされていく。
「御髪を切るのは毛先だけにしましょうね。勿体ないですから」
「肌の肌理が細かくて、羨ましいです」
「綺麗な手をしていらっしゃいますね」
「折角ですから爪に艶を出しましょう」
姦しい侍女らに、言葉を返す気力すら削がれたのかキュリオは終始、無言だった。
どうにか手入れが終わると黒染めの絹で仕立てられた長衣を着せられ、端に銀糸で草花の刺繍がされた翡翠色の平帯で腰をキュッと締められた。
「……悪目立ちではないかな」
「そのようなことは、ございません。キュリオ様、とても素敵でございますよ」
うっとり満足そうに仕上がりを見る彼女らの言葉に悪気は全くないのだが、キュリオは益々疲れ果てた面持ちになりながら、姿見に映った己を眺める。
伸ばし放題だった黒髪は、念入りに梳られて艶やかさを増され真っすぐに肩に流されていた。繊細な皮細工のサンダルを履かされた足元近くまである長衣は、襟ぐりが広く袖も短めで白い首筋としなやかな二の腕が剥き出しだ。更には存外に細い体の線が、しっかりと締め上げた腰帯で強調されてしまっていた。
「一体……、何なのだね此処は……」
激変した自らの姿に、キュリオは落ち着かない様子で視線を彷徨わせて呟いた。
「それにつきましては、リヤスーダ様にお聞きくださいませ」
「……そうするよ。しかし、これは私には過ぎた扱いだ。何だか申し訳ないな」
「キュリオ様はリヤスーダ様の大切な御友人でございますし、とてもお綺麗でいらっしゃいます。少しも過ぎた扱いなどではありません。私共に磨かせて頂き有難うございました」
「そういうものかな。……こちらこそ、ありがとう」
誠心誠意仕事をやり遂げた侍女らの、好意的な笑顔は眩しいばかり。そんな彼女らに文句など言える訳もなく、キュリオは少しだけ苦笑しながら礼を返した。
「さ、リヤスーダ様がお待ちですので、参りましょう」
――こうして、徹底的に磨き上げられた己の姿に戸惑いながらも、キュリオは年長の侍女に連れられてリヤの待つ部屋へと向かうことになった。
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