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一筋の光
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療養を始めて7日目。僕はここから抜け出すことを決めた。
目を覚ましてから皆とは一度も会っていない。来ないで欲しいと、源四郎を追い出した件が御館様の耳に入ったことは明白だった。
それでも人は来ていたが話好きの医者から色々なことを教えてもらうだけだった。
僕に構う理由がわからない。僕なんかより、もっと苦しんでいる民草がいるじゃないか。
変化のない縁側に小動物たちの鳴き声と、人の足音と会話が聞こえるだけの日々。
どうして生きているのか。なぜ息をし空気を体に取り入れるのか。どれだけ考えても、分からなかった。
唯一辿り着いた答えは早くいなくなればいい。それだけだった。
(ここにいるわけにはいかない)
医者の目を盗み、日の出を前に数少ない荷物とともに外へ出た。
*
昔の僕は誰よりも早く出世しようと人一倍努力した。武田家では実力がある者は認めてくれる。そう思ってたんだ。
でも現実は違った。農民出身の僕が30日ほどで奥近習に抜擢されるのは異例だと批判され、家中からたくさん嫌がらせを受けた。
心も身体も、疲れ切ってしまった。それでも明日からまた、出仕しなければならない。
なんで生きてるんだ。
死んでくれればよかったのに。
早く辞めなよ。
農民のくせに。
全部響いてる。全部聞こえているよ。
いつもの変わらない日常の始まりだ。消えない鎖に苦しまないといけない。
もう疲れた。
早くそっち側へ、行きたいよ。
*
どのくらい歩いたのだろう。裏口を出た時は真っ暗だった空が少しだけ明るい。しかしすぐ暗い雲に覆われ、ほたほたと雨が降り出した。
山と森に囲まれた場所だけど、どこにいるかは分からない。裸足になっていた足が傷だらけであることにようやく気付く。
歩いてきた道が雨でかき消され、身体が濡れてしまっても、足が血に汚れても、無意識のまま歩き続けた。
雨と涙で濡れた視界は、霞んでほとんど見えない。けれど、ここから先の道がない。それだけは分かった。
今頃大騒ぎかな。でも僕がいなくなってたとしても誰も気付かない。気付いたとしてもそのまま流れて終わり。僕の命は、それだけ軽いんだ。
(……ほんっとに、馬鹿だよね。自分で苦しい道を選ぶなんて)
目も当てられないような凄惨な人生だったけど、未練はない。
地面を踏むことのない足を進める。
山の切り立った崖の下へと引っ張られるように傾け、なすすべもなく落ちていった。
「ばかああああ!」
遠くから叫び声が聞こえ、落ちる方向と反対に戻される。目を開けると、縁を切ったはずの源四郎がいた。
「な、んで、」
手を掴んだと思ったら今度は胸ぐらを掴まれる。しかしそれをうざったそうに押し返す。
「いいじゃないですか。僕がいなくても」
「んなわけないだろ!」
しかし逆に『死なせまい』と強く抱きしめられた。
「ったく、こんなになるまで自分を追い込んで……」
「別に……誰も、困らない、よ。僕がいなく、ても」
「だからって自分を傷つけるなんて、まして勝手に死ぬことなど……! どれだけ嫌われてもどんな事があっても、俺はお前の味方だからな!」
あの日、痛みと苦しみの中にいた僕を真っ直ぐに見た、源四郎の明るい顔。助けようと伸ばされた手。そんなもの、最初は信じなかった。いずれ届かないものになると思っていた。だから一人を貫いた。
でも確信した。源四郎は、僕を嫌わない。僕を一人の人間として見ているんだって。
(そうか。僕は……)
雨が降る森の中、お互いに抱き合い、泣きながら謝った。
目を覚ましてから皆とは一度も会っていない。来ないで欲しいと、源四郎を追い出した件が御館様の耳に入ったことは明白だった。
それでも人は来ていたが話好きの医者から色々なことを教えてもらうだけだった。
僕に構う理由がわからない。僕なんかより、もっと苦しんでいる民草がいるじゃないか。
変化のない縁側に小動物たちの鳴き声と、人の足音と会話が聞こえるだけの日々。
どうして生きているのか。なぜ息をし空気を体に取り入れるのか。どれだけ考えても、分からなかった。
唯一辿り着いた答えは早くいなくなればいい。それだけだった。
(ここにいるわけにはいかない)
医者の目を盗み、日の出を前に数少ない荷物とともに外へ出た。
*
昔の僕は誰よりも早く出世しようと人一倍努力した。武田家では実力がある者は認めてくれる。そう思ってたんだ。
でも現実は違った。農民出身の僕が30日ほどで奥近習に抜擢されるのは異例だと批判され、家中からたくさん嫌がらせを受けた。
心も身体も、疲れ切ってしまった。それでも明日からまた、出仕しなければならない。
なんで生きてるんだ。
死んでくれればよかったのに。
早く辞めなよ。
農民のくせに。
全部響いてる。全部聞こえているよ。
いつもの変わらない日常の始まりだ。消えない鎖に苦しまないといけない。
もう疲れた。
早くそっち側へ、行きたいよ。
*
どのくらい歩いたのだろう。裏口を出た時は真っ暗だった空が少しだけ明るい。しかしすぐ暗い雲に覆われ、ほたほたと雨が降り出した。
山と森に囲まれた場所だけど、どこにいるかは分からない。裸足になっていた足が傷だらけであることにようやく気付く。
歩いてきた道が雨でかき消され、身体が濡れてしまっても、足が血に汚れても、無意識のまま歩き続けた。
雨と涙で濡れた視界は、霞んでほとんど見えない。けれど、ここから先の道がない。それだけは分かった。
今頃大騒ぎかな。でも僕がいなくなってたとしても誰も気付かない。気付いたとしてもそのまま流れて終わり。僕の命は、それだけ軽いんだ。
(……ほんっとに、馬鹿だよね。自分で苦しい道を選ぶなんて)
目も当てられないような凄惨な人生だったけど、未練はない。
地面を踏むことのない足を進める。
山の切り立った崖の下へと引っ張られるように傾け、なすすべもなく落ちていった。
「ばかああああ!」
遠くから叫び声が聞こえ、落ちる方向と反対に戻される。目を開けると、縁を切ったはずの源四郎がいた。
「な、んで、」
手を掴んだと思ったら今度は胸ぐらを掴まれる。しかしそれをうざったそうに押し返す。
「いいじゃないですか。僕がいなくても」
「んなわけないだろ!」
しかし逆に『死なせまい』と強く抱きしめられた。
「ったく、こんなになるまで自分を追い込んで……」
「別に……誰も、困らない、よ。僕がいなく、ても」
「だからって自分を傷つけるなんて、まして勝手に死ぬことなど……! どれだけ嫌われてもどんな事があっても、俺はお前の味方だからな!」
あの日、痛みと苦しみの中にいた僕を真っ直ぐに見た、源四郎の明るい顔。助けようと伸ばされた手。そんなもの、最初は信じなかった。いずれ届かないものになると思っていた。だから一人を貫いた。
でも確信した。源四郎は、僕を嫌わない。僕を一人の人間として見ているんだって。
(そうか。僕は……)
雨が降る森の中、お互いに抱き合い、泣きながら謝った。
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