3 / 10
生きる意味は
しおりを挟む
朝から始まったお勤めはようやく終わり、自宅へ戻った。
「おかえりなさいませ。お風呂の支度が出来ております」
水をかけられたり足を滑らせたりと、今日も散々だった。先に風呂に入り、その後夕餉を食べる。
僕の家で働いている下男はもともと躑躅ヶ崎館で働いていた。
大抵の家では下男下女を雇ったり部下を持っているが僕はそれをする余裕がないし部下もいない。なので身の回りの家事については御館様からの派遣という形で、その下男は僕の家で働いている。僕が雇っているわけではないので彼の給金は御館様持ち。
このような配慮はありがたいけれど、嫉妬に駆られた誰かさんからの矛先がまた向けられてしまう。それにいつかは自分で雇わなければならないから、将来のためにも早く出世したい。
皿の片付けを終えて下男の帰宅許可を出した。玄関先で見送り、姿が見えたくなったのを確認して自室に向かった。
(いつものように兵法の勉強でもしようか)
なけなしのお金で買った孫氏の兵法書を開いて朗読し、古今東西の軍法を学ぶ。時に陣形図も描く。家中で一番になるためなら何でもすると決めたから。どんな努力だって惜しまない。
集中が切れてふと外を見ると戌の刻が近づいてきたことに気付く。
明日は午後からだから朝には余裕があるけれど夜更かしはしない主義。すぐに本を片付け、寝茣蓙を敷いて横になった。
真っ暗の部屋の中で、自分の「素」戻れる時間。皆の前で演じている自分や、学を得ようとするのとはまた違う自分。
*
カタ、カタと何かが揺れる音がする。それは徐々に大きくなっていき、家全体を揺らした。
(まずい!)
急いで起き上がり、大事な物を取って外に出るも想像以上に揺れが激しく、家が倒壊してしまった。
「いたた……」
運悪く瓦礫に挟まれてしまい、動くことができない。もう少し早く気付いていればと後悔するも遅かった。
(誰か……)
おーい、と遠くから声が聞こえる。運良く源四郎がこちらに向かってきた。
「あぁ良かった。生きてたんだね」
状況を察して、瓦礫の山から脱出しようと助けてくれた。
しかし何を思ったのか、半分だけ挟まったまま手を離してしまう。
「……ごめんね」
「ど、どういうこと? 僕を助けてくれるんじゃなかったの?」
何でと聞いても黙ったまま。しかし突然、ニヤリと笑いだす。
「この時を待ってたんだ。ここで死ぬんだよ」
「あぁぁぁぁ!!」
殺される! と思い、叫び声をあげる。
しかし狂気的な笑顔を向けていた源四郎と向けられた刃はそこになく、真っ暗な部屋に寝茣蓙と自分があるだけだった。
(ゆ、夢、か……)
はぁ、はぁ、と肩で息をする。身体中が汗でベタついていて気持ち悪い。
(こんなの初めてだ。あの不気味な笑みは何だったんだ? 姿は源四郎に似ていたが、そんな事をする人じゃないと信じたい。でも……)
夢の中に出てきた男が本当に源四郎だったとしたら。
(近いうちにあいつらと同じ立場になる。そうでなかったとしても、あいつとは関わるなと云いたいのか)
再び寝茣蓙で横になろうとするも目は開き、頭は冴えたまま。これ以上眠れそうにない。
(いやだ、嫌われたくない、生きていたい、でも、捨てられる運命なら、もういっそ……)
机の隣にある引き出しの戸を開け、木彫りに使っていた小刀を手に取る。右手に刀を持ち、左腕を横切るように動かすとピリッとした痛みが走り、顔を歪めた。
月明かりが差し込んでいる部屋で、腕に浮かぶのは赤黒い液体。1本だけでも鮮明に浮かんでいた。
(これが、醜いながらも生きている証拠か)
こんな姿、御館様が見たらどう思うだろう。
(きっと、失望する。それだけではすまないこもしれない)
その思いとは反面に、スッキリしていく。
朝がやって来る残りわずかな時間で寝てしまおう。
*
その日以来、寝床に入っても寝付けないまま朝を迎えることが増えた。単純に睡眠時間が減ったので日中も睡魔に襲われることも多くなった。
当直がある日は寝床に呼ばれても徹底的に拒み、腕を隠して御館様の寝所の見張りをする。疑問に思われても仕方ないがあの夢のせいで『人間』という生き物が怖い。
こんな生活が数ヶ月続けば日常と化すのは当然だった。
そんなある日、次の戦に関する軍議が行われた。今回は僕も出陣することになっているから末席ながらも参加していた。しかし聴いてはいるものの、ぼんやりして頭に入ってこない。
「……ろう、源五郎!」
「え、あ、はい、なんでしょうか……?」
完全に油断してた。僕に発言が回ってくるとは思わず、ぼうっとしてしまった。皆の視線が厳しいのが見なくても分かる。
「大丈夫か? もうすぐ信濃侵攻を再開するというのに、ぼうっとしているわけにはいかないぞ」
「も、申し訳ございません」
ここ最近はほとんど寝てないからか頭が痛い。でも迷惑なんてかけられない。
(あれ、今の僕はどっちだ……?)
切り替えて集中しようにもできず、何を話しているのか理解できないまま時が過ぎていった。
軍議が終わり、皆々が退出する。その後ろ姿を捉え、源四郎に声をかけた。
「えっと、あの、辞めたいことがあるのに辞められない時、どうしたらいいでしょうか」
「……いきなりどうしたんだ?」
具体的な行動は言わず、やや遠回しに聞く。
「まぁ、俺だったら皆の手を借りる。御館様や叔父上の手を借りて、なんとか辞めようとするな」
(そっか。君はそういう人だったね。信用できる仲間が多いって素晴らしいことだよ)
人脈が多い源四郎と比べて僕は、誰も頼れない。いま目の前にいるのが信用できる人だとしても、一人で何とかしないといけないんだ。
「なにか辞めたいことでもあるのか? そういえばお前、さっきの」
「知り合いが、ですけどね。僕のことは心配しないでください。大丈夫ですから」
深入りされると判断した僕は疲れた顔で無理矢理笑顔を作り、そのまま別れて廊下を歩き、城の外に出た。
(言えるわけないでしょう。辞めたいのは僕なんですよ)
という呟きは誰にも聞かれず、空へ消えていった。
「おかえりなさいませ。お風呂の支度が出来ております」
水をかけられたり足を滑らせたりと、今日も散々だった。先に風呂に入り、その後夕餉を食べる。
僕の家で働いている下男はもともと躑躅ヶ崎館で働いていた。
大抵の家では下男下女を雇ったり部下を持っているが僕はそれをする余裕がないし部下もいない。なので身の回りの家事については御館様からの派遣という形で、その下男は僕の家で働いている。僕が雇っているわけではないので彼の給金は御館様持ち。
このような配慮はありがたいけれど、嫉妬に駆られた誰かさんからの矛先がまた向けられてしまう。それにいつかは自分で雇わなければならないから、将来のためにも早く出世したい。
皿の片付けを終えて下男の帰宅許可を出した。玄関先で見送り、姿が見えたくなったのを確認して自室に向かった。
(いつものように兵法の勉強でもしようか)
なけなしのお金で買った孫氏の兵法書を開いて朗読し、古今東西の軍法を学ぶ。時に陣形図も描く。家中で一番になるためなら何でもすると決めたから。どんな努力だって惜しまない。
集中が切れてふと外を見ると戌の刻が近づいてきたことに気付く。
明日は午後からだから朝には余裕があるけれど夜更かしはしない主義。すぐに本を片付け、寝茣蓙を敷いて横になった。
真っ暗の部屋の中で、自分の「素」戻れる時間。皆の前で演じている自分や、学を得ようとするのとはまた違う自分。
*
カタ、カタと何かが揺れる音がする。それは徐々に大きくなっていき、家全体を揺らした。
(まずい!)
急いで起き上がり、大事な物を取って外に出るも想像以上に揺れが激しく、家が倒壊してしまった。
「いたた……」
運悪く瓦礫に挟まれてしまい、動くことができない。もう少し早く気付いていればと後悔するも遅かった。
(誰か……)
おーい、と遠くから声が聞こえる。運良く源四郎がこちらに向かってきた。
「あぁ良かった。生きてたんだね」
状況を察して、瓦礫の山から脱出しようと助けてくれた。
しかし何を思ったのか、半分だけ挟まったまま手を離してしまう。
「……ごめんね」
「ど、どういうこと? 僕を助けてくれるんじゃなかったの?」
何でと聞いても黙ったまま。しかし突然、ニヤリと笑いだす。
「この時を待ってたんだ。ここで死ぬんだよ」
「あぁぁぁぁ!!」
殺される! と思い、叫び声をあげる。
しかし狂気的な笑顔を向けていた源四郎と向けられた刃はそこになく、真っ暗な部屋に寝茣蓙と自分があるだけだった。
(ゆ、夢、か……)
はぁ、はぁ、と肩で息をする。身体中が汗でベタついていて気持ち悪い。
(こんなの初めてだ。あの不気味な笑みは何だったんだ? 姿は源四郎に似ていたが、そんな事をする人じゃないと信じたい。でも……)
夢の中に出てきた男が本当に源四郎だったとしたら。
(近いうちにあいつらと同じ立場になる。そうでなかったとしても、あいつとは関わるなと云いたいのか)
再び寝茣蓙で横になろうとするも目は開き、頭は冴えたまま。これ以上眠れそうにない。
(いやだ、嫌われたくない、生きていたい、でも、捨てられる運命なら、もういっそ……)
机の隣にある引き出しの戸を開け、木彫りに使っていた小刀を手に取る。右手に刀を持ち、左腕を横切るように動かすとピリッとした痛みが走り、顔を歪めた。
月明かりが差し込んでいる部屋で、腕に浮かぶのは赤黒い液体。1本だけでも鮮明に浮かんでいた。
(これが、醜いながらも生きている証拠か)
こんな姿、御館様が見たらどう思うだろう。
(きっと、失望する。それだけではすまないこもしれない)
その思いとは反面に、スッキリしていく。
朝がやって来る残りわずかな時間で寝てしまおう。
*
その日以来、寝床に入っても寝付けないまま朝を迎えることが増えた。単純に睡眠時間が減ったので日中も睡魔に襲われることも多くなった。
当直がある日は寝床に呼ばれても徹底的に拒み、腕を隠して御館様の寝所の見張りをする。疑問に思われても仕方ないがあの夢のせいで『人間』という生き物が怖い。
こんな生活が数ヶ月続けば日常と化すのは当然だった。
そんなある日、次の戦に関する軍議が行われた。今回は僕も出陣することになっているから末席ながらも参加していた。しかし聴いてはいるものの、ぼんやりして頭に入ってこない。
「……ろう、源五郎!」
「え、あ、はい、なんでしょうか……?」
完全に油断してた。僕に発言が回ってくるとは思わず、ぼうっとしてしまった。皆の視線が厳しいのが見なくても分かる。
「大丈夫か? もうすぐ信濃侵攻を再開するというのに、ぼうっとしているわけにはいかないぞ」
「も、申し訳ございません」
ここ最近はほとんど寝てないからか頭が痛い。でも迷惑なんてかけられない。
(あれ、今の僕はどっちだ……?)
切り替えて集中しようにもできず、何を話しているのか理解できないまま時が過ぎていった。
軍議が終わり、皆々が退出する。その後ろ姿を捉え、源四郎に声をかけた。
「えっと、あの、辞めたいことがあるのに辞められない時、どうしたらいいでしょうか」
「……いきなりどうしたんだ?」
具体的な行動は言わず、やや遠回しに聞く。
「まぁ、俺だったら皆の手を借りる。御館様や叔父上の手を借りて、なんとか辞めようとするな」
(そっか。君はそういう人だったね。信用できる仲間が多いって素晴らしいことだよ)
人脈が多い源四郎と比べて僕は、誰も頼れない。いま目の前にいるのが信用できる人だとしても、一人で何とかしないといけないんだ。
「なにか辞めたいことでもあるのか? そういえばお前、さっきの」
「知り合いが、ですけどね。僕のことは心配しないでください。大丈夫ですから」
深入りされると判断した僕は疲れた顔で無理矢理笑顔を作り、そのまま別れて廊下を歩き、城の外に出た。
(言えるわけないでしょう。辞めたいのは僕なんですよ)
という呟きは誰にも聞かれず、空へ消えていった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
宵江戸に猫は踊る
佐竹梅子
歴史・時代
宵に出歩いてはいけない。
――江戸の夜、それは『ねこ』たちの仄暗い領域なのだ。
白手袋をはめた白ねこ・白妙
黄金の毛並みの虎ねこ・金剛
艶やかな娼婦の黒ねこ・濡鴉
彼らをはじめとした、宵江戸に踊るねこたちの群像劇。
※この物語は一個人の創作です。実在の人物、団体、地名など一切関係ございません。
※作品に登場する事柄に関して、書き手が肯定・推奨している意図はございません。
信長の秘書
たも吉
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。
それは、武家の秘書役を行う文官のことである。
文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。
この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。
などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。
日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―
優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!―
栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。
それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。
焔の牡丹
水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の続きです。先にそちらをお読みになってから閲覧よろしくお願いします。
織田信長の嫡男として、正室・帰蝶の養子となっている奇妙丸。ある日、かねてより伏せていた実母・吉乃が病により世を去ったとの報せが届く。当然嫡男として実母の喪主を務められると思っていた奇妙丸だったが、信長から「喪主は弟の茶筅丸に任せる」との決定を告げられ……。
短編歴史小説集
永瀬 史乃
歴史・時代
徒然なるままに日暮らしスマホに向かひて書いた歴史物をまとめました。
一作品2000〜4000字程度。日本史・東洋史混ざっています。
以前、投稿済みの作品もまとめて短編集とすることにしました。
準中華風、遊郭、大奥ものが多くなるかと思います。
表紙は「かんたん表紙メーカー」様HP
にて作成しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる