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最悪は最悪のまま
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「うわっ!」
夏の暑い暑い日。東曲輪から離れ、水屋の近くを歩いていたところ突然バシャと冷たい水がかけられた。
近習に昇進してから約数か月、これで3回目だ。
「誰か……あぁ保科弾正か。悪いな」
(あぁまたか)
クスクスと笑い声がさざなみのように広がる。横を見ると奥近習内では最年長の、名前は、虎丸がいる。それに三郎や天馬などもいた。
「ほーんっとにお前は、鈍臭いなぁ」
やーいやーいと、悪い歓声があがる。彼らは、早すぎる出世を成し遂げた僕がひどく気に入らないという。
ちなみに虎丸は信虎様から仕えている古参の家臣の息子、しかも長男だ。要領が良く、優秀な才を買われて仕えている。
彼は近習をまとめる立場にありながら、特別な日に行う御館様の食事の毒見役らしい。
(毒見を担ってる時点で訳ありでは?)
あとは自尊心が高すぎる故に外部者を疎む態度をとっているところ。無論、御館様の前では誉めそやしているからとても嫌な人である。
「晴信様の寵愛があるとご苦労が多いことで」
(君たちのせいでしょう)
挨拶しても無視されるのは当然のことながら、何かあるごとに『御館様の目は間違っている』だの『保科弾正』と悪口や皮肉を言ってくる。
(確かに虎丸たちの言う通り、昇進するには早すぎたし、御館様が僕を大切にしているという噂は聞いている。でも僕だって、好きで寵愛を得ているわけじゃない)
でもこれは序の口。
最近では私物を盗まれたり、捨てられることもあった。さらにはある時、苦手な酒を無理矢理飲まされ、醜態を晒されかけたこともある。
(あの時は誰かが止めてくれたから事なきを得たけれど……)
「駿河の浪人やら農民やら、最近は素性の分からない者が増えている。晴信様は何を考えているのだろうか。あんな者たち、目通りもせず捨てておけば良かったものを。ところでお前はいつ暇をもらうんだ?」
彼みたいな人は家中では比較的多く、外部者に理解がある人は少ない。一部を除いてこんな者ばかりだから、最近は無視したり距離をとるようにしている。
「暇をもらう気はありませんよ。……仕事がありますので失礼します」
言い返したところで状況は良くならないので、さっさと横を通り過ぎた。
*
(もし僕が武家出身だったら、こんな運命を歩まなくても済むのだろうか。それとも、御館様に仕え、大切にされていることがいけないのか。いや、そもそも僕が生きていること自体、間違いなのだろうか)
そして、考えるのをやめた。
近習の人たちは、僕を人として見ていないことには変わりないのだから。
先の事で服がびしょ濡れにされたので、急いで着替えに戻ろうと歩き出す。屋敷がある通りを小走りに駆け、曲がり角にぶつかりそうになったところで声がして顔を上げた。
「おい、またやられたのか?」
夏の暑い暑い日。東曲輪から離れ、水屋の近くを歩いていたところ突然バシャと冷たい水がかけられた。
近習に昇進してから約数か月、これで3回目だ。
「誰か……あぁ保科弾正か。悪いな」
(あぁまたか)
クスクスと笑い声がさざなみのように広がる。横を見ると奥近習内では最年長の、名前は、虎丸がいる。それに三郎や天馬などもいた。
「ほーんっとにお前は、鈍臭いなぁ」
やーいやーいと、悪い歓声があがる。彼らは、早すぎる出世を成し遂げた僕がひどく気に入らないという。
ちなみに虎丸は信虎様から仕えている古参の家臣の息子、しかも長男だ。要領が良く、優秀な才を買われて仕えている。
彼は近習をまとめる立場にありながら、特別な日に行う御館様の食事の毒見役らしい。
(毒見を担ってる時点で訳ありでは?)
あとは自尊心が高すぎる故に外部者を疎む態度をとっているところ。無論、御館様の前では誉めそやしているからとても嫌な人である。
「晴信様の寵愛があるとご苦労が多いことで」
(君たちのせいでしょう)
挨拶しても無視されるのは当然のことながら、何かあるごとに『御館様の目は間違っている』だの『保科弾正』と悪口や皮肉を言ってくる。
(確かに虎丸たちの言う通り、昇進するには早すぎたし、御館様が僕を大切にしているという噂は聞いている。でも僕だって、好きで寵愛を得ているわけじゃない)
でもこれは序の口。
最近では私物を盗まれたり、捨てられることもあった。さらにはある時、苦手な酒を無理矢理飲まされ、醜態を晒されかけたこともある。
(あの時は誰かが止めてくれたから事なきを得たけれど……)
「駿河の浪人やら農民やら、最近は素性の分からない者が増えている。晴信様は何を考えているのだろうか。あんな者たち、目通りもせず捨てておけば良かったものを。ところでお前はいつ暇をもらうんだ?」
彼みたいな人は家中では比較的多く、外部者に理解がある人は少ない。一部を除いてこんな者ばかりだから、最近は無視したり距離をとるようにしている。
「暇をもらう気はありませんよ。……仕事がありますので失礼します」
言い返したところで状況は良くならないので、さっさと横を通り過ぎた。
*
(もし僕が武家出身だったら、こんな運命を歩まなくても済むのだろうか。それとも、御館様に仕え、大切にされていることがいけないのか。いや、そもそも僕が生きていること自体、間違いなのだろうか)
そして、考えるのをやめた。
近習の人たちは、僕を人として見ていないことには変わりないのだから。
先の事で服がびしょ濡れにされたので、急いで着替えに戻ろうと歩き出す。屋敷がある通りを小走りに駆け、曲がり角にぶつかりそうになったところで声がして顔を上げた。
「おい、またやられたのか?」
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