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二章【亡霊教会編】

第十九話:優先順位

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 ――戦い、とも呼べない蹂躙劇は一方的なものだった。
 亡霊教会を襲撃した女は、人の反応速度を優に超えた肉体技で数々の門徒を撃破した。人の膂力では女の肌に傷は着かず、人の動体視力では女の動きを視界に収めることすらできなかった。
 まるで、暴力を纏った突風。瞬く間に、教会戦力は大半は半壊した。
 そして女――“竜人”は、最後に残った亡霊教会のボスを睨みつける。

「あとはお前だけだな、小娘」
「……」

 直立不動で微笑めいたものを浮かべるルピスは、倒れ伏す名前の身体には目もくれず、襲撃者の竜人だけをただ見据えていた。

「ルピスの家を滅茶苦茶にして……死にたいのです? というか死ぬのです。殺すのです。決定事項なのです」
「そうか。しかし安心しろ。私はお前の意識を刈り取るだけに抑えてやる」

 竜人の言葉を示すように、積み重なった教徒たちが唸りながら蠢いた。数十人の猛者を嬲っておいて、敢えて殺さないという余裕を見るあたり、竜人の戦力は尋常でないと推察できる。
 しかしルピスは欠片ほども怯えた様子を見せず、女に問うた。

「改めて聞くのです。目的は何なのです?」
「魔人と会わせろ。ここは奴の匂いが強い。いることは分かっている」
「では尚更さようならなのです」

 魔人を拝謁する栄誉など、無礼者に与える筈がない。
 ルピスの即答を受けて、侮られていると悟った竜人はたいそう気分を害したのか。

「粋がるなよ――小娘がッ!!」

 まるで刃のような爪と牙を剥き出しにして、獰猛に吠えたてながら特攻する。

「『反重力装甲シュベア・フォールド』」

 すると、ルピスの周囲に展開された斥力の塊に勢いよく衝突し、竜人の額に血が流れた。 

「ッッ!?」
 
 竜人は、ルピスが重力魔法を使ったことに驚いたというよりは、自分が流血した事実に驚愕したようだった。

「テメェに死に方は選ばせてやらねぇのです」
「バカ、な……! 重力魔法――“シュベア”の基本節だと……! しかも、この強度は……!」
「うるせぇのです。ミンチになぁれ♪」

 ルピスを中心とする、もはや可視化して見える膨大な魔力の奔流があった。狂猛な竜人もその密度を感じて流石に肝を冷やしたのか、冷や汗を滲ませる。
 街を一つ圧し潰しかねない力が結集していた。
 回避行動を取らんと四肢を広げる竜人と、依然として不吉な笑みを崩さないルピス。
 死者が出ようというその一歩手前で、その間にデオドラが神速で割り込んだ。 

「待てルピス!! 殺すな!!」
「……魔人様」

 諫言されてルピスは練り上げた魔力を消散させた。

「どうして止めるのか教えていただけるのです? ルピスは蠅を潰そうとしているだけなのです」

 あっけらかんとそう言うルピスには、殺意こそ感じられたが悪意を感じなかった。本当に事務的に、まるで害虫を駆除するかのような感覚で、竜人を殺害しようとしている。
 それは人間として危険な感性だった。デオドラは強い口調で少女を諫めた。

「頭を冷やせ。彼女はこの俺の客だ。頼むから下がってくれ」
「……そう言われるのでしたら、ルピスには是非もないのです」

 藍色の少女は呆気なく引き下がり、デオドラは安堵の息を吐く。

「そちらさんも落ち着いてくれ。冷静に話し合おう。俺に用があるんだろ?」
「……ああ」

 竜人の方も、最優先は戦闘でなく対話であると自認出来ているらしい。しかし、それでも危険な女二人を前に油断は出来ない。デオドラは二人の間を遮る位置で立ち塞がり、会話を続けた。

「で、俺と話したいんだっけ? 何? 結婚したくなった?」
「死にたいのか」

 冷淡に一蹴する竜人は、底冷えのするような瞳でデオドラを蔑視した。厳しい反応にデオドラが乾いた笑いを溢すと、真に受けたルピスが憤慨する。

「なッ、聞いていないのです魔人様! ルピスは認めないのですこんな女! 魔人様の伴侶に相応しいものがいるとしたら、それはこのルピスを置いて他にいないのです!!」
「……女児の趣味があるとは驚きだ」
「ああ!? 魔人様を侮辱するのは許さねぇのです!!」
「ごめん俺が変な冗談言ったせいだな!? もう良いからさっさと本題入ろうか!?」

 些細な理由を見つけるとすぐに諍いを起こそうとする二人に辟易しつつ、デオドラは半ば強引に話を前進させる。 
 
「……では率直に言おうか。竜王様がお前と話したがっている。お前には私と一緒に来てもらう」
「は? 竜王?」

 その存在が完全に念頭から抜けていたデオドラは、“竜王”の名を聞いた途端に思考が停止する。
 種族王は代替わりする。その代の者が死ねば次代に王権を譲渡し、種を持続させていくものだ。竜族が存在しているなら、その長たる竜王だっていて当然なのだ。

「――へぇ、種族王。竜王とはとんでもない大物の名が出たのです」

 ルピスも強く興味を引かれている様子だった。

「魔人様、どうかここは一つ、この蠅を拷問して竜王の居場所を吐かせるのです。竜王の肉体を売り捌けば、国すら買える程の大金が手に入るのです」
「嫌だよ、おっかねぇな」

 種族王と激闘に興じたデオドラは、その脅威の程を認知している。アレは生物の姿をした神そのものである。その全てに辛勝したとはいえ、完勝した訳ではないのだ。デオドラの魂には確かに畏敬と恐怖が刻まれており、竜王を商売道具として見るルピスの感想は共有できなかった。
 そして勿論、竜族に属する竜人の女も、ルピスの物言いには苛立ちを隠せない。

「不遜な小娘め。恥を知れ。それにさっきから蠅とは何だ、蠅とは。私にはリエスという立派な名がある」 
「へぇ、リエスか! 名前すら美しい!」
「……この好色漢が。あまり私を照れさせるな。竜王様からの命が無ければお前を惨殺している所だ」

 顔色一つ変えないリエスだが、賛美を受けて少しは羞恥しているようだった。

「無駄口はいいのです。さっさと竜王の居場所を吐かせるのです」
「無論だが、お前たち人間なら、竜王様のことを知った途端にそう来るだろうと分かっていた。しかしそのリスクを承知の上で、竜王様はデオドラ・ロイーゼであれば信用できると仰ったのだ」

 リエスの言い方から察するに、当代の竜王はデオドラに一定の信を置いているらしい。不審に思ったデオドラは即座に問い質した。

「……竜王は俺を知っているのか?」
「当たり前だ。当代の竜王様は、お前が殺した初代竜王ジオニドラの実の息子であり――名をバディスべロムと言う」
「な……ッ!?」

 想像を超える大物の名前に、言葉が詰まる。
 デオドラが千年前に殺した初代竜王の名は、紛うことなくジオ二ドラである。そして、己の死期を悟ってジオニドラが成した息子の名こそ、バディスべロムで相違ない。
 記憶違いでなければ、バディスべロムは千年前に生まれた児竜だ。それが現代まで生き永らえたと言うのか。

「俺が殺した、竜王の息子……!? 生きているのか!?」
「竜の寿命を舐めるな。千年だろうと万年だろうと、外的要因がなければ普通に存命できる」

 初代竜王の血を引いているのなら、違和感のない理屈だった。

(確かにあの竜王の息子なら、何万年と生きてても不思議じゃない。いや、改めて考えると、たったの千年くらいで死ぬ訳がない)

 時間すら超越した神獣であったからこそ、大苦戦した後に致命傷と引き換えにどうにか勝利を掴めたのだ。その末裔が寿命で死ぬくらいなら、デオドラは命を落とさず初代竜王に圧勝できていた筈である。
 一つ一つ噛み砕きながら納得していくデオドラだが、傍から聞いていたリエスは、理解できない竜人と魔人の会話に懊悩していた。

「魔人様が、初代竜王を殺した……? 災厄の魔人が、災厄の王を殺した、と? 馬鹿な。意味が分からないのです。何を言っているのですかテメェは。妄言もここに極まれりなのです」
「現代の人間は哀れだな。そんな偽りを刷り込まれているとは」
「え」

 ……今、リエスは現代に伝わる事実を、“偽り”と称さなかったか?
 デオドラは静かに、期待に胸を膨らませる。 

「……まさか」
「そうだ。竜王様は全て知っておられる。お前の知りたい全てを。知識としてではなく、経験としてな」
「ッ――!」

 声のない歓喜だった。
 この瞬間、証明されたのだ。デオドラの記憶は狂ってなどいなかったと。
 しかも、直接過去を見てきた歴史の証人が、なんとこの時代にまだ生きている。
 ――答え合わせが出来る。
 そう考えると、デオドラの鼓動が強くなった。

「よし、今すぐ会いに行こう! 何処にいる!?」
「待ってください、魔人様。ルピスにも説明が欲しいのです」

 欠片も納得も共感も出来ていない少女が異を唱えた。
 真実を明かすことが、教会内での自分の立場を悪化させると踏まえていたデオドラは、今まで意図的に自分の過去にまつわる情報を伏せていたのだ。釈然としないルピスの感想は正当だった。

「……あ、いや、その」

 言葉を探るように、デオドラは黙り入った。
 すると、リエスは挑発的に笑い、

「フ、事情は知らないが、お前はその小娘に真実を隠していると見える。私から言ってやろうか?」
「やめろ、無駄だ。どうせ信じない」

 咄嗟にリエスの口を塞いでしまったのが悪手だった。
 どのような事柄であれ、明らかに秘め事と抱えていることを仄めかしてしまった。それが開示されない以上、ルピスは自分が信頼されていないと感じてしまう。そして、魔人から不信に思われている事実を受け止められるような心の器を、彼女は持っていないのだ。
 その結果。

「ッ、ルピスを差し置いて、亜人と隠し事なのです……!? あんまりなのです。ルピスたちは、貴方様を千年間もお慕いしてきたというのに……!」
「い、いや、お前は千年も生きてないでしょ……?」
「ルピスの何が足りないのですか!! どうして魔人様は!!」

 発狂と言えた。
 不安定な情緒をそのまま剥き出しに発散されて、女性を重んじるあまりデオドラは、適切な対応を見い出せなかった。
 憤るルピスと、慌てるデオドラの図が気に入ったのか、リエスは口元を綻ばせる。

「狂った童子の相手とは酷だな、デオドラ」
「……ッ! テメェ、気安くこのお方の名前を口にするんじゃねぇのです!! 魔人様と、どういう関係なのです!?」
「私たちの関係は、あの時、デオドラが私を強く求めてきた所から始まった。お子様には理解できないだろうな。男と女の逢引に口を挟むな、小娘」
「がっ、があぁあああああッッッッ!!」

 限界だったのだろう。
 復活した魔人の中身が想定したものと違っていた矢先、魔人が明瞭な好意を向ける女が登場し、まるで、人生をかけて追い求めていた宝物を掠め取られたかのような錯覚に陥ってしまう。
 ルピスの抱いた感情はまさに、嫉妬という名前が相応しかった。

「そうか……そうか。そうか! テメェの所為だ! 全部きっと、そうだテメェが悪いんだ! 魔人様がおかしくなったのは、貴様と会ったと仰られた直後からなのです!! お前が、アンタが、殺す、貴様のおかげで! 許さない!! 魔人様をおかしくしたのは、テメェに違いねぇのです!」
「はぁ!? 俺がおかしく、って……そんな訳あるか! 俺は俺だ! 大丈夫だから、落ち着けルピス!」

 ルピスの身体を背後から羽交い絞めにするも、少女の狂乱が鎮まる様子はなかった。

「くそっ、悪く、思うなよ……!」

 やむを得ない。
 デオドラはルピスの両目を覆うと、小声で数節の呪文を呟き、催眠魔法を発動させる。
 数秒と待たずに少女は意識を失い、デオドラの腕の中で沈黙した。

「……眠らせたのか?」
「話せるような状態じゃなかったろ」
「良かったのか」
「仕方ないさ」

 今回ばかりは、他人よりも優先すべき個人的目標がある。
 この世界に生まれなおした本当の意味を、見つけられるかもしれないのだ。

「竜王との面会には謹んで応じよう。願ったり叶ったりだ」
「利口な判断だな。ああ、そうだとも、余計な悶着は時間の無駄だ」
「じゃ、竜の巣まで案内してくれるか?」
「巣ではななく“里”だ。ったく、愚昧めが。行くぞ、着いてこい」

 二人は、荒れ果て、静まり返った教会堂に背を向ける。後始末を完全に放棄してしまうことになるが、今は一刻も早く答えを知りたいという欲望が、デオドラを突き動かしていた。

(戻ったら、皆に謝らないとな)

 デオドラはそんな漠然とした考えを頭の隅に抱えながら、リエスと共に竜の里へと向かった。
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