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短編キャラエピソード

悩める元英雄・アラウンドサーティーのこと2(終)

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「兄さん……私はいつでも準備オッケーですよ?」
 -グラビティフェイクシスター・右大鏡花-

 南郷十字は、人生に執着がない。
 青春も恨みもとうに燃え尽きて、後はどうでも良い人生を送っている──
 のだが、なんの因果か呪いなのか、人間関係に縛りつけられるようになった。
 出来るだけ人と関わりたくないのに、結果的に人と関わって、妙な因果で結ばれてしまう。
 呪縛の一つが、右大鏡花という女だ。
 園衛の秘書をしている女性で、年齢は南郷より4つ年下。
 見た目は眼鏡をかけたクールな大人といった感じだが、とある理由で髪は銀色に染めている。
 この女と南郷が交わした契約により半月に一回、その日はやってくる。
 朝──南郷が離れの宿舎跡で寝ていると、鏡花の足音がした。
 南郷の神経は針の落ちるほどの気配でも覚醒するが、鏡花のそれは独特だった。
(うう……来た……!)
 布団の中で、南郷は丸くなる。
 ぐずる子供のように、ああ起きたくねぇ、永遠に寝ていたい……という欲求が湧きあがる。
 立てつけの悪いドアを叩く音がする。
「おはようございます、兄さん」
 とんとん、と鏡花がドアを叩いている。
 今日は南郷が恐れていた日。
 今日は鏡花が待ちに待った月に二回の〈兄さん好き好きデー〉だった。
 この日だけ、アカの他人の右大鏡花は、南郷十字の自称妹と化す。
「兄さん、起きてますよね? 開けてくださーい。朝ごはん作ってきたんですよ~?」
 どんどんどん、と鏡花がドアを叩いている。
 色々あって、鏡花と南郷はこういうワケの分からない関係になっている。
 鏡花の恨みを鎮めるために南郷自身が提示した妥協案の結果だ。
 二週間に一度、一日だけ家族に、お兄ちゃんになってやると。
 だが──いざ本当に兄を演じるのは、色々としんどいのが現実だった。
 ちょっと重い……いや、かなりグラビティな成人女性のお兄ちゃんになってやるというのは、口で言うのは簡単だが実行するのは凄まじい負担となる。
「兄さん兄さん、寝たふりは止めてくださいよぉぉぉぉぉぉ……。や・く・そ・くぅ! 守ってくださいよぉぉぉぉぉぉ!」
 ガンガンガンと、命と家に火が付くような勢いでドアを蹴り始めた。
 つらい。
 人生は、とてもつらい。
「あぁぁぁぁ……分かった。分かったよ。寝てても何も変わらない。起きる……起きなきゃな……!」
 南郷は自分に言い聞かせて、布団を蹴り飛ばして起き上がった。
 そしてドアの前まで行って、外にいる荒ぶる神を鎮める。
「準備するから待ってろ!」
「お顔洗うんですか? それともシャワーですか? お着替え? 私、手伝いますよ?」
「必要ない」
「一緒に! お風呂入りましょう!」
「あのな、鏡花。普通のお兄ちゃんは妹とお風呂に入らないんだ」
 どうにか説得をして、南郷は身支度を整えた。
 渋々ドアを開けると、鏡花が満面の笑みで待っていたのだが──
「おはようございます、兄さん! 今日もいい朝ですね!」
 なんとも爽やかな挨拶に似つかわしくない格好をしていた。
 まだ肌寒いのでジャケットを羽織っているが、体のラインを強調するニットセーター、タイトのミニスカート、素足、派手めの化粧、アクセサリー、そして噎せ返るほどの香水。
 眩暈がするほどに自分をアピールする女。
 どう見たって兄に接する妹の姿ではない。
「ううう……」
 南郷はコメントに困った。
 ツッコんだら負けだ。
 実戦の間境と同じだ。南郷の見切りは正確だった。
 鏡花は確実にカウンターを狙っている。
 チラチラと南郷に目線を送って「私を見てください! 違いに気付いてください!」と無言で主張している。
 加えて、鏡花は弁当箱の包みを持ってきていた。
 包みから、凄まじいプレッシャーが放たれている。愛情を超えた怨念が篭っている。
 鏡花の料理は、お世辞にも美味いとはいえない。
「あああ……」
 辛い。
 人生は、とても辛い。
 最悪の朝食と共に、南郷の呪われた一日が始まった。
 今日は運悪く園衛がいない。
 オフの日だから鏡花も〈兄さん好き好きデー〉を開催できる。
 もう誰にも止められない。
 鏡花がめかしつけて来た理由なぞ、考えなくても分かる。
「今日もデートしましょう、兄さんっ!」
 〈兄さん好き好きデー〉は約50%の確率でデートが発生する。
 驚異的イベント発生率である。
 南郷は思うところはあっても、結局は自分が招いた事態なので、黙ってそれに付き合ってやる。
 隣のつくし市まで車で移動して、長い長い買い物が始まる。
 ショッピングモールの服屋を手当たり次第に物色──
「あっ、これなんてどうですか~? 可愛くないですか~?」
「俺に言われてもな……」
 1時間、2時間、3時間、1店舗平均30分。
 鏡花は服をとっかえひっかえ、見比べ試着して、南郷に見せつけてくる。
「兄さんはどんなの好きですか~?」
「どれも同じ服にしか見えない」
 率直な感想であった。
 関心のない人間にとっては、電車や戦車が全て同じデザインに見えるようなものだ。
 女の買い物に付き合う時の術は心得ている。
 読心能力を持つ敵との戦いと同じだ。
 心を殺して、全てを他人事として受け流して、何も考えないようにするのだ。
 口だけは動かして、会話しているように振る舞うのがコツである。
 無念無想が始まって9時間後──
 夜になって、鏡花の買い物はようやく終わった。
 南郷は買い物袋の運搬をしていた。
 兄として当然の行いだからだ。
「なんだか兄さんって……女の子との買い物に馴れてませんか?」
 鏡花が訝しむように南郷を見た。
 疑いと嫉妬が少し含まれた目だった。
「別に馴れてるってわけじゃない」
 ぼそり、と南郷は俯き加減で答えた。
「妹がいた頃を……思い出しただけだ。女の子の買い物は長いと」
「あっ、実の妹さん……。ああ、はい……。ご、ごめんなさい……」
 鏡花は気勢を挫かれて、しゅんと萎縮した。
 南郷は妹も含めた家族全員を亡くしている。
 デートは別に楽しくもないが、かといって葬式のようなムードはよろしくない。
「気にしなくて良い。今日はお前が妹だ」
「あっ……はい! ありがとうございます!」
 鏡花のテンションが元に戻った。
 こうして自分の一日を対価にすることで、鏡花の心が癒されるなら呪縛も悪くはない。
 園衛が言っていたように、誰かを救うことが自分を救うことになる……のかも知れないと、南郷は現状を受け入れる。
 ショッピングモールを出てから、レストランで食事を取ることになった。
 和食レストランチェーン〈大井川〉。
 しゃぶしゃぶをメインに信州料理などを提供する、やや高級路線のファミリーレストランだ。
「兄さんはこういうサッパリしたお料理が良いですよね~?」
「そうだな」
 鏡花は妹らしく、南郷の体調に配慮した店を選んでくれた。
 南郷は脂っこいものは苦手だが小食ではない。
 トッピングの異なる信州そばが連想魚雷ランチャーのごとく多数連なる〈名物・北上御前〉を注文した。
 一方、鏡花は朴葉味噌で牛肉とキノコを七輪と炭火で焼いて頂く〈木曽・暴流焼きセット〉を注文。
 南郷は、つるつるとソバを頂きながら店内の時計に目をやった。
 もう午後9時に近い。
 園衛の屋敷には門限がある。
 別に門限を越しても屋敷内に入る方法はあるのだが、居候の身としてはどうも気まずい。
 いっそ、鏡花を送った後は朝まで車でブラブラして時間を過ごしてしまおうかと思っていると──
「あの、兄さん。もう夜遅いですよね……?」
 鏡花がチラチラと目線を送ってきた。
「これから……行きませんか?」
「えっ……ど、どこに……?」
 突然の謎の提案に、南郷の箸が止まった。
 鏡花は何も答えない。
 何故か気恥ずかしそうに、そして嬉しそうに眼を逸らして、七輪から焼けた炭を箸で取り出した。
 そして炭を七輪の上の牛肉に当てて……焼印のように何かの文字を書いていた。
「は?」
 南郷は困惑した。
 ジュワァァァァァッと音を立てて牛肉に文字が書かれているが、良く読めない。
「いや、口で言えよ……」
「いいいいっ、言えませんよぉぉぉぉぉぉ! 兄さんのバカァ!」
 鏡花が恥じらいで身もだえしながら、焼けた牛肉を箸で広げて見せた。
 朴葉味噌が芳しい赤身牛肉の表面には〈ホ テ ル〉の三文字が書かれていた。
 そして1時間後──
 南郷と鏡花は、ホテルに来ていた。
 ビジネスホテルでも普通の旅館でもない。
 郊外の川沿い、淋しい路地にある毒々しい外観の、ラブホテルに。
 既に部屋には入室済み。
 南郷はベッドに座って、頭を抱えていた。
「あのな、鏡花……」
 これは流石に説教するしかない。
「普通の兄妹はね、一緒にラブホに行かないんだよ……」
 呆れて疲れて、擦り切れそうな声になっていた。
 さしもの南郷も辛かった。
 とても辛かった。
 南郷の背後で、しゅるりと服の擦れる音がした。
 鏡花がジャケットを脱いで、やる気マンマンでベッドに寝そべっている。
「わたし……普通じゃなくても良いです!」
 女として歓喜に震える声。
 背を向けていても漂ってくる香水と甘い体臭。
 結界だ。
 結界が張られている。
 逃げられない。
 ここは既に、鏡花の展開した亜空間戦闘フィールド。
 結界内では、右大鏡花の戦闘力は3倍にアップする。
「兄さん……私、いつでも準備はできてますから……!」
 鏡花の息が荒い。
 妹ではない。女の吐息がする。
 パチリ……何か硬いものが外れる音がした。
 男の南郷は聞いたことのない音だ。
 シーツの擦れる音と共に、甘い吐息が近づいてくるのを南郷は感じた。
 ニットセーターに覆われた鏡花の胸がぴたり……と南郷の背中に密着した
 ぐにゃりぃ……と柔らかな感触と体温、そして心臓の鼓動が生々しく伝わってくる。
「うっ……お、お前……!」
 南郷は狼狽えた。
 先程のパチリという音も意味を理解した。
 鏡花は服を着たまま、ブラジャーのホックを外したのだ……!
「分かってください。私のドキドキ……」
 鏡花は更に背中に胸を押し付けて、自分の体温と匂いを南郷に刷り込もうとしている。マーキングのように。
「私、園衛様から兄さんを奪うなんて出来ません。あの方から兄さんの心は奪えない。だから、体だけでも……繋がりたいんです」
「鏡花……お、お前なぁ……」
 部屋の時計は午後10時を指している。
 〈兄さん好き好きデー〉が終わるまで、あと2時間。
「今日1日が終わっても……兄さんは兄さんでいてくれますか? それ以上の関係になってくれますか?」
 鏡花が、契約以上の関係を迫ってきている。
 南郷は苦しかった。
 人間関係の呪縛である。呪いである。
 人生は辛い。苦界である。
 ここで、鏡花を突き放すのは容易い。
 しかし、それでは南郷は契約を果たせない。
 鏡花が自立するまで兄の代わりになってやると、家族の穴埋めをしてやると約束をしたのだ。
 南郷のせいで独りぼっちになってしまった、この可哀想な女の支えになってやりたい。
 いつか自分から卒業して、誰にも依存せずに生きていけるようになるまでは。
 では、どうするのか?
 どうするのが最善なのか?
 南郷の頭の中に、複数の選択肢が浮かんだ。
 1.鏡花の愛を受け入れる。園衛さんには黙っていれば問題ない。
 2.非常階段で逃げ出す。問題の先送り。
 3.「え、なんだって?」とかほざいてスッとぼける。古典的引き伸ばしだが恐らく嫌われる。
「ううう……」
 煩悶する。
 どうすれば良いのか。
 悩んでいる間にも、背後から鏡花の腕がぬるりと体に絡んできた。
 もはや時間の猶予はなく、南郷は選択肢にない第四の道を選んだ。
「鏡花!」
 絡み付く蛇を払って、南郷は諭すように向き直った。
 上気した鏡花の顔と、間近に向き合う。
「鏡花、俺はな……園衛さんから、将来について相談されてるんだ」
「えっ?」
「将来的に、その……家に入ってくれるかどうかと……」
 大嘘である。
 園衛からそんな話はされていない。
「だから……お前のそういう気持ちには応えられない。俺は園衛さんを裏切りたくないから……」
 こんな嘘を吐いて、本当に申し訳ないとは思っている。
 だが穏便に事を済ませるための必要悪。最大限に優しい嘘なのだ。
 鏡花と爛れた関係になっても、それは鏡花の将来のためにならない。
 だから、園衛の名前を出せば仕方ないと諦めてくれるはずだ。
 なんという不誠実。まるで保身の言い訳。
 汚い大人だと思う。卑怯者だと思う。自分で自分を軽蔑する。
 鏡花の目から、涙が一筋こぼれ落ちた。
「ごめんさない。私、自分の気持ちを一方的に押し付けちゃって……」
「良いんだ。気の迷いは誰にでもあるから……」
「でも……っ!」
 鏡花が再び抱き着いてきた。
 南郷が気を抜いた一瞬の出来事だった。
「うっおおっ?」
「妹として……一晩だけ、兄さんに甘えさせてください……!」
「あのな、鏡花……。普通の兄妹はここまでベタベタしない……」
「もう十分! 普通の妹じゃないです!」
 それは確かにそうである。
 結局、南郷は0時を回るまで、たっぷり2時間ベタベタされた。
 スキンシップの範疇でそれ以上にはエスカレートしなかったが、猫のようにベタベタされた。
 〈兄さん好き好きデー〉は日付の変わる午前0時で終了。
 ホテルから出た時、南郷はボロボロだった。
「うぐぐぐぐ……」
 それでも、なんとか鏡花を自宅まで送った。
「南郷さん……今日はありがとうございました」
「どういたしまして……」
「また2週間後、よろしくお願いします!」
「うううう……」
 人生は辛い。
 とても辛い。
 鏡花と別れた後、南郷は車をコンビニの駐車場に停めていた。
「死ぬ……死ぬほど疲れた……」
 生命の危機を感じるほどの精神的疲労……!
 今まで戦ってきた、どんな敵よりも苦戦している。
 もうこのまま朝まで車中泊しようかと思っていた矢先、スマホに電話がかかってきた。
 園衛からだった。
「もしもし?」
 南郷の声には安堵があった。
 いつもなら煩わしい電話に、妙な安らぎを感じていた。
『おお、南郷くんか……。すまないが、迎えに来てくれないだろうか?』
 電話の向こうの園衛は、いまいち呂律が回っていない。
「酔ってますか?」
『ウン……ちょっとな』
「らしくないですね」
『私だって~~! ハメを外したい時はあーるっ!』
 人生が辛いのは、園衛も同じというわけだ。
「分かりました。駅まで行けば良いんですか?」
『ウン……。あと、ちょっと……愚痴に付き合ってくれるか?』
「人生相談?」
『ウン……。寝るまで人生相談』
「了解」
 南郷は電話を切って、スマホを置いた。
 鏡花の相手に比べれば、お悩み相談は大して難しい話ではない。
 面倒な1日の延長戦に不思議と安心感を覚えながら、南郷十字は車を発進させた。
 園衛から、更に面倒な相談事を持ちかけられるとは、夢にも思わずに──。
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