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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

-58-エンドオブロード(終)

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 -若木ウカというヒトカタの──道の終わり-


 日本政府が莫大な国家予算と年月を費やしたウ計画は、僅か三ヶ月で破壊された。
 この計画は、世界大戦と冷戦という二重の破滅に晒された、往時の権力者たちの抱いた恐怖の感情に起因していた。
 彼らは自分たちが住む国家国土、血脈、そして権益は儚く脆いものであると恐怖し、それらを永遠のものとするためにウ計画に飛びついた。
 数十年の時が過ぎ、ウ計画を国家的事業して継承した官僚たちは、計画が完成に近づいた時に……再び恐怖心を抱いた。
 政府の統制下にない、自分たちを打倒し得る力を持つ勢力への畏れ。
 ウカの原型となった旧型の人造神への畏れ。
 それらは放置すれば、万に一つでも計画を覆すかも知れない。
 自分達に取って代わるかも知れない。
 そんな恐怖心で──藪をつついてしまった。
 藪から出てきたのは、蛇よりも鬼よりも恐ろしいモノ。
 ウ計画を運用する人間たちは、疑心暗鬼で触れえざる神に触れ、祟り殺される結果となった。
 人の恐怖から生じたウ計画は、人の恐怖によって終わりを迎えた。
 AIが人に代わって社会生活の全てを代行し、思考する社会はその初期段階で潰えてしまった。
 旧き者が権力者に先導された急激な変化を良しとせず、社会の革新を否定した形になったわけで、それが吉と出るか凶と出るかは誰にも分からない。
 旧き者たち闘争に勝利したが、それで彼らが表舞台に立つとか、人生に成功するといったことは一切なかった。
 宮元園衛は今以上の権勢など求めていない。
 どんな栄華を誇ろうと自分の代が終わればそれまで、という盛者必衰の理は歴史が証明しているし、繁栄を永続させんとすればウ計画の二の舞にしかならないと十分に理解していた。
 南郷十字は俗世を厭い、栄光や名声になど興味はなかった。
 全てが儚く、空しいものであると知っていた。
 彼にとって、夢を見る時間はとうの昔に終わっているのだ。
 故に──
「いい加減に離れのほったて小屋ではなく、母屋で一緒に住もう、南郷くん!」
「いやです……。一人の方が気楽なので……」
 園衛は気を抜くと世捨て人になりそうな南郷に人並みの幸せを教えようと悪戦苦闘しながら、丁度いい家族に収まっていくのだろう。
 右大鏡花は、表面上は園衛の秘書を続けているが……隔週で「兄さん好き好きデー」を開催し、その度に狂気の妹と化す。
「兄さんとデート兄さんとデート……よ、夜まで引き延ばせば……ホ、ホっ→、ホっ↑、ホテルホテルホテル……兄ホォ!」
 南郷に義理の妹として依存する爛れた日々に、暫く終わりは来そうになかった。
 アズハと燐は南郷の嘱託忍者として給料を貰うことになったが──
「お前、いつになったら南郷さんに告白すんねん! いい加減にハッキリせぇやっ!」
「うー……だーかーらー、それはあーしがもっと、おにーさんの役に立った時っていうかぁ……。かっこ良くピンチを救った的なタイミングでぇ……」
 燐は何かと言い訳をして、問題を先延ばしにしている。
 依然として鏡花と燐の中に存在する辰野佳澄は、たまに顕在化しては南郷をからかう。
「キャハハハハ! その歳でラブコメ主人公とかありえないわ~~! 私、別に十字に女難の呪いとかかけてないんだけど~~?」
「ううう……」
 南郷は幼馴染の怨霊に取り憑かれたまま、複雑な感情に苛まれ続けるのだった。
 左大は、祖父の代の怨恨に因る復讐者が定期的に訪問してくるので、退屈しのぎには事欠かない生活を送っているのだが──
「おいジジイ! お前、いい加減に成仏しろや!」
『このラノベのアニメ……原作より面白イ。もッと見せロ……』
 祖父の魂がコピーされた傀儡が、流行りのライトノベルとそのコミカライズやアニメにハマったせいで、その介護もやらされる羽目になっていた。
 瀬織は、新学期にまた学校に通い始めた。
 始業式を終えた後、最初にやったのは良き友人にしてライバル関係にある少女、クローリク・タジマへの挨拶もとい──
「わたくしが不在の間、クローリクさんが景くんのお相手をしてくださった、せめてものお礼として──わたくし、今年度はこの学院を支配しようと思いますの」
「はぁぁぁぁぁぁ? ききききっ……貴様! なにを言っている!」
 宣戦布告だった。
「わたくしは、無為に青春の貴重な時間を浪費し、稀有な才能を陰謀論や怪奇との戯れに費やす哀れなクローリクさんに、明確な人生の目的を与えてさしあげるのです。わたくしという、学院の悪しき支配者を打倒する崇高な使命を」
「い、意味が分からんッ! おまえは私をバカにしてるのか! 東瀬織ーーッ!」
「ほほほほ……逆ですわ。褒めてるんですわよ」
 瀬織は、自分が珍しく知恵を認めた一人の少女との戯れを……暫し楽しむことにした。
 そして──戦いの敗者たちにも、結末がある。

 北海道での戦闘終了後──
 剣持弾は後方の指揮所の人員と共に、最寄の陸上自衛隊帯広駐屯地に保護を求めた。
 駐屯地の司令は諸々の事情を理解しており、表面上は剣持たちを受け入れた。
 しかし、剣持だけは他と切り離されて別室に案内された。
「剣持一尉には、こちらで暫くお待ち頂くよう司令から承っています」
 案内役の隊員は丁寧な物腰で言った。
 剣持の通されたのは、長い廊下の先にあった小さな部屋だった。
 長らく物置として使われていたようで、暖房器具の類は一切見当たらなかった。
 鍵も、外から掛けられるように出来ている。
「すぐ、ストーブをお持ちしますので……」
 この隊員は恐らく、嘘は言っていない。
 だがストーブは永遠に届かないだろうと、剣持には察しがついていた。
 戦闘前、剣持はウルから北部方面隊の内情について聞かされていた。
『北部方面隊の司令クラスには 宮元家の信奉者が 多いのです』
 なんでも10年前の禍津神とかいう怪物との戦役時に、旅団ごと全滅の危機に陥ったのを宮元園衛に救われたことがあるらしい。
『よって 北部方面隊の協力は 絶望的です』
 すなわち、今の剣持は狼の巣の中に放り込まれた哀れな供物なのである。
 ここの司令は剣持を意図的に真冬の個室に長時間放置し、凍死させる気なのだと悟った。
 本来ならいるはずのない習志野の隊員が伝達不足で死亡したという事故は、どうとでも処理できる。
 なにより剣持は防衛省の背広組、制服組の双方から睨まれている。
 厄介払いには、良い機会というわけだ。
(やろォ……)
 剣持の中で、イラァっ……と殺意の焔が立ち上った。
「すまん……ちょっとトイレいいか?」
 月並みだが、剣持は逃げ出す算段をした。
 暗殺の意図など知る由もない案内役は、何の疑いもなく対応してくれた。
「ああ、はい。それなら──」
「場所なら分かってる! 用を足したら部屋に入るから、キミは戻って良いぞ!」
 剣持は小走りで廊下の角を曲がった。
 まんまと逃走に成功したわけだが、このまま駐屯地から脱出しようとは思っていなかった。
「人を殺そうとしたんだからよぉ……テメェも殺されて文句ねぇよなぁぁぁぁぁぁ?」
 剣持は凶暴に権力に牙を剥く。
 左大との戦いに敗れても彼の戦意は折れていなかった。
 そのまま駐屯地の格納庫へ直行──。
「俺は習志野の剣持弾一等陸尉だ。俺が訓練の指導をするって連絡、聞いてるか?」
 さりげなく正規の命令を装って、隙を作った。
 剣持は有名人である。
「ああ、空挺団の剣持一尉ですか!」
「あの剣持一尉がまさかウチの機体に乗ってくれるなんて……うへへへへ!」
 隊員たちは無邪気にはしゃいで、何の疑いもなく剣持をデルタムーバーへと案内してくれた。
 〈スモーオロチ〉の一世代前のデルタムーバーであり、訓練用に格下げされた01式特車装輪機、通称〈ソーリン〉である。
 〈スモーオロチ〉よりも角ばった機体形状で、白い冬季迷彩に塗られた機体。
 そのコクピットに、剣持は易々と乗り込むことに成功。
「エンジン始動! 足元注意! いいか! 動かすぞォ!」
 外部スピーカーから大声を発して、機体を始動させた。
 当惑気味の隊員たちを尻目に格納庫からでると、司令のいる部屋に向かって機関砲をロックオン。
 3点バーストで訓練弾を発射した。
「クソ司令ェェェェェェッッッ! 出てこいやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 訓練弾が窓ガラスを割り、司令の悲鳴が外まで聞こえてきた。
 剣持がカメラを望遠モードにして部屋の中を確認すると、当の司令は頭を抱えて床に伏せていた。弾は当たっていないようだ。
「おいおい、どうした司令~~? 俺を殺りたいんじゃなかったのか? あ? だったら出てきて男らしく勝負せんかいっ!」
 剣持は堂々と決闘を申し込んだ。
 一見、明らかな犯罪行為であるが──自衛隊の実戦派部隊にそんな理屈は通用しない。
 自衛隊とは、体育会系社会の頂点であり極北である。
 そこに小賢しく甘ったれた、言い訳じみた弱者救済のお優しい法律なぞは介入できない。
 すなわち、力こそが第一。権力、腕力、財力etc、他者を屈服させる力こそ全ての社会なのだ。
 そんな世界で部下にナメられるのは上官失格。
 決闘から逃げる腰抜けの司令には、学級崩壊ならぬ駐屯地崩壊が待っている。
 否が応にも、帯広駐屯地の司令は剣持とのデルタムーバー戦による決闘を受けるしか──ないのであった。
 剣持は防衛大時代から、この方法でパワハラを仕掛けてくる先輩、教官、教授、上官の全てをことごとく始末してきた経験がある。
 ハンデとして、司令は剣持の〈ソーリン〉と比較して新型の〈スモーオロチ〉への搭乗を許可された。
 司令の乗った〈スモーオロチ〉をスクラップにするのは容易かったが、その辺りの分別はついている。
 剣持は敢えて互角の戦いを演じ、司令にも華を持たせる形で格闘戦で勝利。
 司令は自分が終始掌の上で踊らされていたことを悟り、敗北を認めて剣持を解放した。
 そうして北海道から習志野に戻った剣持に下されたのは、一週間の自宅待機命令だった。
 要するに、上層部も混乱していて、剣持に対する処分を決めあぐねているというわけだ。
(ま、良くて左遷だろうなァ……)
 敗軍の士の末路など大体決まっている。
 実際、ニュースでは連日のようにウ計画崩壊の余波が報じられていた。
『与党幹事長の中島議員ほか三名が移動中、誤って車が崖から転落して、今朝病院で死亡が確認されました。生存者の運転手は軽傷。同乗していた井戸松議員は重傷ですが、命に別状はないとのことで──』
 テレビから物騒な話題が聞こえたかと思えば、すぐに別の他愛のないニュースに切り替わった。
 そして、どこのマスコミもそれ以上は深入りしない。
 つまるところ、ウ計画に深く関わっていた議員や官僚の粛清が始まったのだ。
(ま、相手を殺そうとしたんだから、自分らが殺されても仕方ねぇだろうよ)
 剣持は醒めた目でニュースを見ていた。
 死ぬ議員と重傷で済んだ議員との差は……恐らく覚悟の差なのだろう。
 決闘に馴れた剣持なら分かる。
「ビビったまま殺されるか、覚悟をキメて抵抗するかを選ばせた。左大の野郎がやったのと同じ……いや、ちょっと違うか」
 左大の場合は相手を確実に殺すつもりで相手を弄び、生き残るチャンスは与えないだろう。
 この粛清を執行した何者かは、戦う覚悟を決めた相手にはやり直すチャンスを与えたように思えた。
 尤も、制裁として腕の一本くらいは切断されたのだろうが。
「は、俺もどうなることやら」
 明るい未来など想像できないが、今は自宅で久しぶりに家族との触れ合いを楽しむことにした。
「パーパー! わたち、わんこ欲しい!」
 4歳の娘の意外なおねだりに、剣持は目を丸くした。
「え~、犬ぅ?」
「うん、わんこ~!」
 娘は剣持の膝の上で、柴犬のぬいぐるみをこね回していた。
「私もわんこなら、家族に迎えてもいいかな~?」
 妻もチラチラと剣持におねだりの視線を向けていた。
 母子そろって犬好きなのだ。
「うーん、犬かぁ~……」
 剣持は悩んだ。
 犬は小学生の頃に飼っていたが、それから20年近く経過している。
 どう接すれば良いのか、飼育の仕方も忘れてしまっている。
 なんとなくスマホを取り出して検索しようとすると
「ん……」
 検索結果の候補が散々だった。
 妙に長ったらしい前置きと広告ばかりの、くだらない記事ばかりが表示される。
「こういう時、あいつなら……」
 ウカなら、適切な回答を簡潔に提示してくれたのかも知れない。
 スマホにプリセットインストールされていたアプリの通知には、AIサポートアプリ〈UKA〉と、それに提携するアプリのサービス終了告知が大量に並んでいた。
 一週間の自宅待機は終わり、剣持に辞令が下った。
 〈富士駐屯地の仮設待機所の撤収作業の後、原隊に復帰せよ〉。
 以上である。
 つまりは、ほぼ無罪放免。
 その理由については、上司の金剛寺一佐がそれとなく話してくれた。
「ここだけの話な、剣持。かなり上の方から、お前さんの能力を惜しむ声があってな」
「はあ? 陸自で俺のことを評価する奴なんて……」
「自衛隊じゃねぇんだよ。影響力のある外部のお偉いさん……としか言えん。その人は大局的な視点から、お前が陸自にいた方が日本国民のためになる……と判断したそうだぜ?」
 なんとなく、誰なのかは察しがついた。
 恐らくは、ウ計画を打倒した宮元家だろう。
「ウチの大将は正義の味方……ね」
 左大の言葉を思い出して、剣持は複雑な溜息を吐いた。
 それから、剣持は富士駐屯地に赴いた。
 一人で仮設待機所の片づけをしろと言われた。
 富士駐屯地からも手伝いの人員は誰もいなかった。彼らはウ計画にかこつけて押しかけ、敷地の一部を乗っ取った剣持に良い印象などない。当然のことだ。
 待機所の中は、散々な有様だった。
 監査に押しかけた連中に荒らされ、書類や事務用品がそこら中に散乱していた。
「ま、そうなるわな」
 自嘲気味に笑って、剣持は現状をささやかな懲罰として受け入れた。
 季節は春。暦は四月。
 外では生温い雨が……桜の花をじっとりと濡らしていた。
 待機所には、剣持が一人ぼっち。
 既視感のある光景だが、決定的に違う点がある。
「もう、あいつはいないんだもんな……」
 電源の落ちたパソコンを一瞥する。
 生死を共にした戦術支援AIウルは、あの戦場で消滅した。
 ウ計画の崩壊と共にウルの存在は忌避され、自衛隊に残存していたインストール済端末からも消去された。
 あの奇妙な相棒は、名実ともに死んでしまったのだ。
 ドアの窓から、外の格納庫に目をやる。
 愛機も機材も何も残っていない。全てが幻のように消えてしまった。
「でもな……俺だけは憶えてるぜ。お前のことを……」
 ぽつりと呟いて、淋しい作業に戻ろうとした
 そのとき──
 とんとんとん、とドアを叩く軽い音がした。
「んん?」
 あまりにも既視感がある状況に、剣持は自分の正気を疑った。
 夢でも見ているのかと頭を振って、ドアの外を見る。
 窓の外には見覚えのある……薄茶色の髪の毛の頭があった。
「剣持一尉~~……わたし、わたしです~……」
 聞き覚えのある、少女の声が──
「あけてください~~……剣持一尉~~……」
「はぁぁぁぁぁ?」
 剣持は半ば錯乱状態でドアを開けた。
 そこには、いるはずのない存在が、死んだはずの少女が立っていた。
「お、おまえ……!」
「お、お久しぶりです剣持一尉っ! 私です! 若木ウカですっ!」
 いつかと同じように、場違いな巫女服を着たウカがいた。
 服も髪もしっとりと濡れて、また敗残兵のような風体だった。
「AIの幽霊なんて……あり得ないだろ」
「その表現、半分は正解かもですぅ……」
 いつかの日の再現のように……ウカは待機所に迎え入れられ、ストーブの前に座った。
 そして苦笑いを浮かべて、事情の説明を始めた。
「私は地上のバックアップを全て破壊され、人々に忌避され、宇宙にある本体も破壊されました。AIとしても神としても……完全な死を迎えたんです」
「じゃあ、今のお前はなんだ?」
「ただの……残りカスです。廃棄予定だった広報用端末が、偶然再起動してしまった。もう大したことは出来ません。居場所も、どこにもなくって……」
 ウカは酷く沈んだ……まるで人間のように打ちひしがれた顔をしていた。
「だから……ここしか……ここに来れば、剣持一尉とまた会えるかもって……」
「分かっていて、来たのか?」
「いえ……。私はもうデータを閲覧する権限もありません。曖昧な希望……ちっぽけな願いでした」
 今のウカは無力な、神のヒトカケラでしかない。
 剣持は、彼女を哀れんでいた。
 ウカが頼れる人間は、この地上にもう剣持しかいない。
 出来れば救ってやりたいと思う。
 だが──
「俺は……何もしてやれん」
「図々しいとは思います。剣持一尉には仕事もご家庭もあります。私は、この姿のままではご迷惑をかけてしまいます。でも、別の姿なら……」
「……あん?」
 ウカは妙なことを口走った。
 聞き返すより早く、ウカは申し訳なさそうな顔で剣持を見上げた。
「あのぉ……剣持一尉って、どんな動物がお好きですか?」
「はぁ?」
「確かデータでは、小学校の頃には犬を飼っていたと……」
「お前、何を言って……?」
「実は私、動物型の広報用ボディも持ってるんです。えへへ……」
 ウカは、複雑な照れ笑いを浮かべた。
 剣持に対する、すまないという気持ち、どうか自分を拾ってほしいという切なる気持ちが入り混じった、人間のような表情だった。
 数時間後──
 片づけを終えて富士駐屯地を後にした剣持は、そのまま着替えてマイカーで帰宅すると見せかけて、沿岸部のレンタルコンテナに向かった。
 剣持とウカは、人目を避けて、防犯カメラに映らないようにコンテナの中に入って、暫くすると──
 剣持が一人で、子犬を抱えて出てきた。
 子犬は、どことなくキツネに似た毛皮の、ふんわりした豆芝だった。
「お前……ほんとコレ、大丈夫なのか?」
「ご心配なく。わたし、ちゃんとわんことして生活できますからっ!」
 子犬のボディになったウカが、少し舌足らずな口調で剣持と会話していた。
「娘さんと奥さん、わんこ大丈夫な人ですよね?」
「ああ、わんこ好きだよ」
「娘さんの名前は確か……みこちゃんでしたよね?」
「ああ、そうだよ剣持未子。未来の子供と書いてみこだよ」
 剣持は呆れがちに答えて、車に乗り込んだ。
 ウカを助手席に置いて、スマホで妻に電話をかけた。
「ああ、もしもし? 俺だよ。パパだよ。今からね~、家に……わんこ連れていきます! はいっ、わんこ欲しかったでしょ? ママも未子ちゃんも待っててねっ! 通信終わりっ!」
 やや投げ槍に、一方的に新しい家族が出来ることを告げて、電話を切った。
 そして助手席のウカに向かって、指で命令を出した。
「お前、その体ちっこいんだから……椅子の下にでも寝てろっ!」
「はぁい。わかりました、ごしゅじん~♪」
「その声でご主人とか言うな! 他の呼び方にしてくれっ!」
 甘ったるい女の子の声でのご主人様呼ばわりは、剣持には耐えがたい。
 零落した女神の成れの果てを乗せて、車が夜の道を帰路につく。
 これは──悪意の箱に残された、ささやかな救済なのかも知れない。
 砕け散った夢の欠片、敗者たちのほんのり甘いエピローグは幕を閉じ、ヒトカタの物語はこれにて終わる。
 二柱の女神は共に人の願いに応え、共に生きることを選んだ。
 ここは、彼女たちの物語の道の果て。
 そしてまだ、人生の道の途中。
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