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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

魔女と十字星、愛打つのこと

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「突撃! 隣に住んでた幼馴染の修羅場~~! 私に黙って幸せになろうなんてズルいゾ~! キャハハハハハ!」
-魔女に体を奪われたJK忍者・碓氷燐-


 北海道上空、青天に幾つもの白い航跡が見えた。
 航跡の主は既に遥か彼方に飛び去って、大気の中で燃え尽きていた。
 それらは、低軌道上の瀬織とウカとの戦闘に巻き込まれ、大気圏内に落下した人工衛星だった。
 夜間なら、空を貫く数十もの流星に見えたことだろう。
 複数の通信衛星や気象衛星がとばっちりを食った形で、世間では結構な騒ぎになり始めているのだが、そんなことはどうでも良い。
 少なくとも、地上にいる関係者もとい、衛星落下の共犯者たちにとっては。
「おーし、そろそろ飛ばすぞ~?」
 2メートル近い巨漢、左大が格納庫に向かって両手の指を向けた。
 ダウジングのようにぐるぐると指を回して、思念を送る。
 今朝までロケットや各機動兵器が収まっていた大型格納庫の奥から、大きな足音が響いてきた。
 重金属の塊がコンクリートを踏みしめる、重く、硬い足音。
 やがて、格納庫から全高5メートルの翼竜型戦闘機械傀儡が顔を出した。
「カリュウゴウ・火星型。F‐2と同型のエンジンを積んでるから、スペック上は高度2万までは飛ばせる。尤も、こんなミッションは初めてだがね~?」
 左大は楽しげに笑っていた。
 この男は生死をかけた極限の戦いを好む。
 困難にして前人未到の挑戦にしても同様。
 左大にとってはピリリと辛く、そして真っ赤に人生を彩る唐辛子のようなものだ。
 その後には、一見するとコスプレめいた男女が控えていた。
 黒い装甲服をまとい、フルフェイスのヘルメットを着けた南郷十字。
 巫女めいた千早と緋袴、青白く発光する長髪をなびかせる、宮元園衛。
 二人ともに未だ戦闘態勢だった。
 完全に作戦が終わるまでは油断しない。
 特に南郷は気を抜いた一瞬に死にかけたばかりなので、警戒の色は強かった。
 彼らの支援機である支援ドロイド〈タケハヤ〉、空繰である〈雷王牙〉及び(綾鞍馬)も索敵を怠っていない。
「……左大さん」
 園衛が、冷たい目で左大を見た。
 正確には、その横に立つティラノサウルス型戦闘機械傀儡〈ジゾライド改二〉を見ていた。
 〈ジゾライド改二〉の脚部は土で汚れている。
 特に右足には、何かをこそぎ落とそうと地面に擦りつけたような痕跡があった。
 湿った土と枯草の中に、赤黒く湿った……何かが混じっている。
「あまり無駄な死体は増やさないで頂きたい」
「そうかい?」
 左大は首を傾げて、おどけてみせた。
「悪党には何やっても良いだろう?」
「良いわけがないでしょう……! あなたは、昔からそうやって……やり過ぎる!」
 語気を強めた園衛の横で、南郷がバイザーの奥で右目を丸くした。
 昔と今のことで何やら揉めているが、部外者の南郷には分からない話だ。
 かといって詮索する気もないので口を閉ざしていると、園衛が南郷の様子に気付いた。
「む……南郷くん、これはまあ……家の事情でな」
「はあ」
「昔の……禍津神との戦役の頃、左大の爺さんは力ずくで反対勢力を制圧していたんだ。『人類存亡の危機に一致団結せずゴチャゴチャとゴネる奴、内ゲバを引き起こす奴は悪党だから何をやっても良い』とお触れを出してな」
「はあ」
「それで我が家の配下が、汚職官僚やら俗物の国会議員を何人も血祭りに上げたり、家族ごと拉致して脅迫したりで、財産を略奪していた過去があるのだ」
 武家らしい、それも鎌倉以前の荒っぽさの復古のような行い。
 というより、これでは単なる野党か山賊の類だ。
 南郷はコメントに困り、「ンン……」と言葉に詰まった。
 園衛はやや悪びれた様子で、話を続けた。
「さすがにやり過ぎて政府が泣き付いてきたので、50人くらい殺した所で略奪は中止された。そのせいで、今でも古株の議員はトラウマになってるようだが……」
「はああ……」
「しかし血気盛んな若い連中の暴走は止められず、仕方なく略奪の矛先を変えることにした。殺しても誰にも文句を言われないような連中……ヤクザや暗殺集団の類にな」
「ン……?」
 南郷は、バイザーの奥で目を細めた。
 何か頭の片隅で引っかかるものがあった。
「要するに、私が言いたいのは……殺す相手、責任を取らせる人間を選んでほしいということだ。既に戦闘力を喪失した敵の指揮官など、せいぜい半殺しで勘弁してやって良いだろう」
 園衛の物言いも穏便とは言い難いが、これでも比較的分別がある方だ。
 話している最中にも、〈カリュウゴウ〉の発進の準備は進んでいた。
 機体背面のターボファンエンジンが始動し、静かに駆動音を放っている。
 南郷は、上空を見上げた
「アレで……宇宙から落っこちてくるアレを……」
「ああ。瀬織をキャッチする」
 かなり無茶なことを、園衛はさらりと言った。
「減速と誘導は瀬織の方でやると言った。我々はもう何も出来ん。ただ、見守るしか──」
 言葉の途中で、園衛の雰囲気が鋭く変わった。
 外から自分に向けられる殺気を感じ取ったのだ。
 南郷はそういったものを探知する能力はないが、代わりに〈タケハヤ〉がそれを補完する。
『攻撃魔力関知 対応します』
 〈タケハヤ〉が頭部レーザーを空中に照射した。
 何もない空中に複数の破裂音が響き、集束中の魔力が火花となって拡散した。
 それとは別に、地を這うように不可視の呪殺力が高速で園衛に迫っていたが──
「フン……!」
 園衛は鼻で笑って、呪殺力を素手で打ち砕いた。
 精神力と生命力で全ての魔を粉砕する園衛にとっては、探知も破壊も何の造作もない対処だった。
「なんだ、この小娘は?」
 園衛は攻撃の放出地点を睨んだ。
 殺気のこもった視線が空間を射抜き、何も存在しない風景にノイズが走った。
 幻術による光学迷彩が……崩壊していく。
「うっわマジ? なんで素手でアレ打ち落とせるのよ……。それに見ただけで幻術破るとかァ……」
 建物の影に、槍を構えた銀髪ロングヘアの制服少女が──碓氷燐が現れた。
 園衛とは初対面であるが、二人の間には異様な雰囲気が充満していた。
「初めて見る顔だが……お前、マトモじゃないな?」
「あら~? そういうの分かるのって年の功ってやつ~? オ・バ・サ・ン♪」
「はて? お前の中身は、私と大して歳が変わらんように見えるが?」
「げっ、マジかよ……なんで分かるのよ……」
 正体を見抜かれた燐はうげぇ、と舌を出して南郷の方を見た。
「アンタの今カノって、洒落になんないわね十字~?」
 声色も、馴れ馴れしい口調も本来の燐とは違う。
 中身が別人に入れ替わっていると、南郷は察知した。
「これは……」
「反応に困ってるね~、十字~~? キャハハハハ! 今カノの前で前カノとご対面なんて、修羅場すぎだもんね~? 昼ドラみたぁ~~い♪ キャハハハハハ!」
 他人の体で馬鹿笑いをする魔女が、長い銀髪を掻き上げた。
「始めまして、宮元園衛さん? 私は辰野佳澄。今の体は別人だけど、名前は知ってるでしょ?」
「ああ。南郷くんから聞いた。全て私に話してくれた」
「そう~? でも、私の方がずーーーっと、彼のこと知ってるのよ? 子供の頃から。それこそ生まれた時から。一緒の病院で産まれたんだもんね~~? 幼稚園も小学校も中学も高校も、ずーーーっと一緒の幼馴染なのよ、私たち」
「だが、今は私の家に住んでいる」
 園衛と燐との間の異様な空気が更に強まった。
 女と女の生臭いマウント合戦。放出される強烈なプレッシャー。重力×重力=重力崩壊ブラックホール。
 互いの妖気と闘気がぶつかり合って、ぐにゃりと空間を歪めている。
「南郷くんの幼馴染だか知らんが、とっくに死んだ過去の人間だ。墓に入っていてほしいものだな。墓がないのなら建ててやろうか?」
「おー、おー、煽りますねぇ~? 残念だけど、私は今も十字と一緒よ? ほらァ……」
 燐が妖しい視線を南郷に向けた。
 妖気の篭った視線が、南郷の首に巻かれた赤いマフラーをふわりと宙に浮かべた。
 そのマフラーは、かつて辰野佳澄が身に着けていた衣の切れ端であり、魔女の怨念のこもった呪布でもある。
「彼の心も体も、私が呪いで縛っているのよ。永遠に……」
「彼の人生を弄ぶ権利がお前にあるのか?」
「あるわよ~? だって、私は彼に殺されたんだもの。だから代わりに、私は彼の心を殺してあげたの」
 燐が手をぐっ……と握りしめた。
 呪怨の熱が篭った掌握が、南郷のマフラーを締め上げる。
「うっ……」
 南郷は俄かに首に圧を感じた。
 燐が加減しているのか、あるいは南郷が精神干渉に抗っているのか、耐えられないほどではない。
「彼はずーーっと、心が死んだ生きる屍だった。10年もずーーっと死ぬために一人ぼっちで彷徨っていた。私は彼が生き地獄で苦しみ続けるのを眺めていられて幸せだった。彼は私のために地獄に堕ちてくれたんだもの……。でも、あなたのせいで彼は生き返っちゃった。死体から人間に戻っちゃった。なんてことしてくれたのよ。返しなさいよ、私の十字を」
「私は私の意志で彼を救った。死人の分際で文句あるのか? 私はこれからも彼を救い続けるぞ? 悔しいか? 私は彼を社会復帰させるぞ。生涯をかけてでもな。羨ましいか? 南郷くんの人生、お前にはもうくれてやらんぞ。ん?」
 これが普通の女と女のネチっこいぶつかり合いなら半分笑い話で済むのだが、二人とも普通の人間ではない。
 強烈な魔女の妖気と戦姫の闘気が物理的なエネルギーを生じ、比喩でなく電光と火花が散った。
「実力行使……やっちゃう? やっちゃう? ねぇ、宮元園衛さァァァァん?」
「ほぉ~? 元のお前ならいざ知らず、どこの誰とも分からぬ小娘の体で……この面子に勝てると思っているのか?」
 園衛は、一対一で戦うつもりはなかった。
 多少の消耗はあるとはいえ、南郷も左大も〈ジゾライド改二〉も健在である。
 いかに魔女の力が強大でも最強クラスの三人が相手では、どう足掻いても正攻法では勝ち目がない。
「うぅっ……こ、この体は無関係な女の子のモノなんだけど~~? あなたに斬れるかしら~~?」
「人質作戦なぞ通用せんぞ? 私には中身のお前だけをブチ殺せる技がある。その娘も無事では済まんが……まあ死にはせんだろう」
 園衛は両手に霊剣フツノミタマを召喚した。これは霊体に対する殲滅武装である。
 策が通じる相手ではなかった。
 燐はひきつった顔でじり……と後退を始めた。
「あ、あなた……正義の味方なんでしょ? 知ってる~? 十字ったら、戦闘に勝つために民間人を巻き込んで、特攻の爆弾に使って──」
「だからどうした? 私は南郷くんの判断を信じている。人間を爆弾に使った? そいつらは、どうせ死んで当然のゴミクズだったのだろう。ならば問題ない」
「えっ、だからあなた……正規の味方じゃ──」
「優しさだけで人は救えない。愛だけで悪は倒せない。世の中には言葉の通じぬ、人の皮を被ったケダモノがいる。人を欺く物の怪もいる。だから殺すものは殺すし、焼くものは焼くと決断する。私は優柔不断で甘っちょろい正義の味方ではないのだよ」
 園衛の鬼迫が、燐の表情から余裕を消した。
 人の精神は単純な一面に非ず。
 南郷を救おうとする慈愛の顔も、悪を断じる鬼神の顔も、どちらも宮元園衛の本質であった。
 園衛が殺の決断を下し、撃発の間合いに踏み込もうとした瞬間──
 南郷が動いた。
「園衛さん……こいつとは、俺が話します」
 女二人の間に入り、南郷は燐の顔をした幼馴染へと歩み寄った。
 背後では、〈カリュウゴウ〉の発進シークエンスが最終段階に入っていた。
 ターボファンエンジンが回転数を上げ、アフターバーナーに点火。
 ゴォォォォ! という猛烈な爆音が空気を震わせ、〈カリュウゴウ〉が離陸のための助走を開始した。
「なんだ~? なんか知らんけどシュラバーか~~?」
 左大は揉め事の気配を感じて笑っていた。
 〈カリュウゴウ〉を操作しつつ、同時に〈ジゾライド改二〉をけしかける気配すらあった。
「なんでもない! こっちで処理する!」
 南郷は声を張り上げて、左大の介入を阻止した。
 珍しく大声を出したのは、〈カリュウゴウ〉のエンジン音に掻き消されないためだ。
「おお、そうかい。じゃ、こっちも仕事進めるぜ?」
 一際大きな爆音と共に、〈カリュウゴウ〉が空に飛び立った。
 翼長10メートルに達する主翼を展開し、羽ばたく形で揚力を発生。ふわりと機体を浮かばせて、エンジンの推力で上昇していく。
 機械仕掛けの翼竜が科学の力で飛翔する様は、まるで現実味のない魔法のような光景だった。
 南郷と燐は、二人だけで管理棟の影に入っていた。
 園衛も気を遣って距離を空けてくれたので、大声を出さない限り話の内容は聞こえない。
「なに~? こんなトコに連れ込んで~? 別れ話でもするの~~? うふふふ……」
 燐の顔で悪戯っぽく笑っている。
 危機的状況から解放されて気が緩んでいるのか、南郷を弄ぼうとしているのか、それとも両方なのか。
 南郷はヘルメットを被り、仮面に素顔を隠したままだった。
「何が目的……なんだ?」
 南郷は責めるわけでも問い詰めるわけでもなく、静かに問うた。
 気の置けない幼馴染としての、昔と変わらない対応だった。
 燐も悪い気はしないのか、壁に背をつけて「ふん♪」と鼻を鳴らした。
「私とこの子の願いを叶えたかったの」
「どういう?」
「さっきも見たでしょ? 私は宮元園衛から、あなたを取り戻したいの」
「俺は誰のものでもないよ」
「嘘よ。あなた、もうあの人のこと、かなり好きじゃない。そうでなかったら、他人の家にずっと住みついてるワケないじゃない」
 南郷は答えなかった。
 沈黙の意味は、燐には分かる。
 照れ隠しだ。
「妬けるわ~……病むわ~~。呪いてぇ~~……」
「キミじゃなくて、燐の方の願いはなんだ……?」
「この子の願いは複雑ね。まず一つは、仇を取りたいという潜在的な願い」
「仇? なんの?」
「この子の両親を殺したの、あの左大って人よ。さっきの宮元さんの話の通り。略奪のスケープゴートにされたのよ」
 南郷の中の引っかかりが解けた。
 燐が邪忍の家系で両親を早くに亡くしている、という話は聞いていた。
 その真相、真犯人はすぐ近くにいたというわけだ。
「燐は割り切っているように見えたが……」
「心の奥底の恐怖や恨みは消えないものよ。でも、この願いはちょっと無理ね。あの恐竜のバケモノには勝てそうにないもの。アレは私たち魔物とか神様とか……そういうモノが及ばない存在。完全に専門外よ」
「他の願いは?」
「うーーん……今さら、それ聞く?」
 燐は唇に指を当てて、物憂いげに首を傾げた。
「十字ってさ、昔っから勘が良いじゃん? 私の考えてること、思ってること、ぜーーんぶ分かってくれてた」
「そうかな……」
「そうだよ。全然鈍感じゃないから、ラブコメの主人公にはなれないタイプ。この子の気持ちだって、分かってるでしょ?」
「分かっていても……こんな経験、俺にはないから……」
 バイザーの奥で、南郷は目を伏せた。
 燐の好意は、薄々感づいていた。
 だが、ウ計画との戦いの最中で関係を拗らせたくなかった。
 同時に、10歳も歳の離れた少女に恋愛感情を抱かれることも、対応に関しても、南郷には未知の領域だった。
 そんな人間臭い戸惑いを見て、燐の顔で佳澄は微笑んだ。
「正直に答えれば良いじゃん。そうすればスッキリするよ。この子だって傷つくかも知れないけどさ、そういうの込みで青春だよ。それに燐ちゃんは、一人じゃないもん。ね~、アズっち?」
 燐は元の声色で、管理棟の裏側に声をかけた。
 観念したのか、物陰から音もなく、金髪のアズハが顔を出した。
「あの……すんません、南郷さん。こんなことになってもうて……」
「キミの責任じゃないだろう」
「あの、宮元園衛にはウチのこと内緒で……」
 アズハは軽く頭を下げる仕草をして、また影に引っ込んだ。
 プライベートな会話を盗み聞きする気もないだろうし、気を利かせて離れてくれたようだった。
 燐は柔らかい表情で南郷を見上げていた。
 魔女ではなく、懐かしい幼馴染の顔をしていた。
「一人だけ大人になっちゃって……ズルいぞっ」
「そうだね……」
「私から離れていっちゃうんだね」
 彼女は寂しげに呟く。
 南郷の心に傷痕を遺したこと。呪いで縛りつけていたこと。
 それら邪な行為の奥にある永遠の少女の心を、唯一理解している人間がいる。
「俺にとって、思い出は──」
 南郷はヘルメットのロックに手をかけた。
 被り続けた仮面を外して、素顔になって、昔と少し変わった表情を晒した。
「──過去であり、今でもあるんだ」
「なにそれ? 哲学?」
「捨てられない俺の一部だから……ずっと首に巻き付いてるんだ」
 首に巻いた赤いマフラーは、人生の遠い思い出と傷痕。
 少年時代に幼馴染からプレゼントされたのに、恥ずかしがってつけられなかった赤いマフラー。
 少年時代に魔女から送られた、彼女と自分を結ぶ呪いと絆だった赤い呪布。
 温かい思い出と忌まわしい記憶の象徴。
「辛かったことも、楽しかったことも、忘れたくないんだ。佳澄ちゃんのことは……全部」
「そっかぁ……」
 燐は壁から背中をばっと放して、跳ね起きた。
 何かの未練から解き放たれたように。
「あーっ、キモッ! 重ッ! 男の恋愛観ってマジで切り替えできないんだね~~? そういうことさ、私以外に言わない方が良いよ? 引かれるからさ!」
「うう……」
「あー、困ってる困ってる♪ 十字のそういう顔見れるのってさ、私くらいだよね? 幼馴染の特権♪ キャハハハ! 勝った! 宮元園衛に勝った♪」
 優越感に浸って、燐の体で軽やかなステップを踏む魔女の足が……不意にもつれた。
「おおっ……と」
 転びかけた燐を、とっさに南郷が抱き留めた。
「どうした? らしくない……」
「あー……眩暈する」
「仮病か?」
「ちーがーうよ。もう保健室でサボりできないんだから……。時間切れ……ってやつ」
 燐の目から、妖気から消えつつあった。
 魔女とは思えない弱々しい表情で、佳澄は薄く笑った。
「あのロボットの魔力分解光線? アレくらったせい……。私が顕在化できなくなってきてる……」
「じゃあ元の燐に戻るのか?」
「そ。でも私が消えるワケじゃない。そういう契約だから……たまには出てくるかも。ああ、でもねぇ……」
 佳澄はぐっと首を起こして、南郷の顔に額を密着させた。
「告白くらい自分でやれ……って、この子には言っておくわ」
 そして唇が触れそうな距離で、思い出の中の幼馴染の声で、辰野佳澄は悪戯っぽく囁いた。
「うふふ……魔法が解けた、私はシンデレラ~♪ またね、十字……」
 辰野佳澄は暫しの別れを告げて、燐の体は眠りに落ちた。
 南郷の腕の中の少女の薄い体からは、もう妖気は感じられなかった。
「あの、南郷さん……話、終わりました?」
 物陰からアズハの声がした。
「ああ、全部終わったよ。燐も元通りだ」
「おぅわ、さすが南郷さん。またしても交渉成功ですか!」
「ああ……。後は頼む」
 南郷は燐を寝せると、再びヘルメットを被った。
 思い出を首に巻き付けて、仮面の下に素顔を隠して。
 少しだけ明日の方向に足を向ける。
 上空には、二つの白い航跡が走っていた。
 良く見れば、高空からの落下軌道と低空からの上昇軌道とが、互いに交錯して一つに混ざって、捻じれるような航跡を描いているのだが──
 それが宇宙からの帰還を意味していると知る者は、この地上にほとんどいない。
 人外のヒトカタがどうなろうとも、そんなことは南郷十字にとって、どうでも良いことだった。
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