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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

大恐竜の後始末のこと

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 〈ジゾライド改二〉のフロギストンモードの発動による被害は、戦術核兵器の爆発に等しかった。
 発動地点を中心に半径200メートルの地表は溶解。発生した荷電粒子を帯びた衝撃波は半径500メートルの構造物を破壊し、輻射熱とプラズマは1キロメートル以内の全ての物体を炎上させた。
 更に〈ジゾライド改二〉を起点とした高重力の発生により、段差状のクレーターが発生。
 地盤は最深で5メートル以上も沈下し、炎上した建物は次々と倒壊していく。
 世界の全てが燃えている。
 急激な気圧の変化で突風が生じ、黒煙が巻き上がって大気が黒く染まっている。
 炎の赤と、死の黒に塗り潰された二色の世界。
 小さな漁港は、一瞬にして完全な焦土と化した。
 これでも〈ヤマタオロチ〉とウルが自らを犠牲にエネルギーを抑え込んで、最小限に被害を留めた結果だった。
 完全にエネルギーが放出されていれば、被害範囲はこの程度では済まなかったろう。
 突風の吹きすさぶ、燃える原野の中で──〈スモ―オロチ〉が蹲っていた。
「う……ぐ、ぬううう……」
 剣持が、〈スモーオロチ〉のマニピュレーターの隙間から這いだしてきた。
 全身が泥と煤に塗れ、側頭部からの出血と混ざって、顔面は赤黒く染まっていた。
 ウルによって遠隔操作された〈スモーオロチ〉は、完全に機能を停止していた。
 プラズマの余波を受けた影響か、背部コクピットが煙を上げて燻っているのが見えた。電子機器が焼かれ、ショートして出火したのだろう。
「あいつ……」
 剣持は肩を落として、座り込んだ。
 ウルは人を欺くようには作られていない。人の命令にも逆らえない。
 SFで描かれるような安易なシンギュラリティだの自我だのに目覚めたわけでもない。
 ただ、剣持から言質を取る形で命令を実行したのだ。
 剣持を生かし、日本国民にとって最善の形で被害を最小限に抑えるために……ウルは自らを犠牲にした。
 周囲を見渡す。
 上空から強風が吹きおろし、火災が広範囲に拡大していた。
 火の粉が枯草に引火し、乾燥した冬の空気が延焼に拍車をかける。
 剣持のいる野原にも、火の手が迫っていた。
「ああ……くそっ!」
 どうやら悲観する暇もないらしい。
 剣持は立ち上がると、西に向かって県道を走り出した。
 これからどうするのか? どこかの民家で助けを求めるのか? どう説明すれば良い? どこに連絡する? 陸自の北部方面隊に電話をしても、事情を知っているのは司令クラスだけだ。話が投じるとは思えない。
 遠くから……消防のサイレン音が聞こえる。
 考えがまとまらないまま暫く走って……剣持は足を止めた。
 見知った車が、道路で立ち往生していた。
 陸自の軽装甲機動車。
 タイヤが溶けて走行不能になっていた。エンジンも停止している。
 先程のプラズマの余波を受けたのなら、通信機器もエンジン制御用の電子機器も破壊されていると見て良い。
 近寄って、運転席を覗くと
 見知った顔がいた。
「あんた……!」
 剣持の眉間に皺が寄った。
 運転席では、菰池が頭を抱えて突っ伏していた。
 剣持はドアを開けようとノブに触れたが、未だ高熱を帯びていた。
「あつっ!」
 思わず手を引っ込めると、運転席の菰池がこちらに気付いた。
「うぅ……剣持一尉か……」
 怯えた表情で、窓越しに剣持を見る。
 剣持の表情は対照的に、怒りに満ちていた。
「後方の指揮所にいるんじゃなかったのかね、総指揮官様は!」
「そ、その指揮所が襲撃されて……」
「だから逃げ出してきたのか! 一人でっ!」
 剣持はドアを蹴った。
 感情のままに体と唇が動いていた。
「あんたが責任者だろう、菰池さん! 残してきた連中はどうなった!」
「し、し……知らんよ! 知るものか!」
「あぁ?」
 この期に及んでの責任逃れを目の当たりにして、剣持の表情筋がピクリと歪んだ。
 しかし、ロックされたドアと防弾ガラスという薄い壁は極限状況の菰池にとっては絶対防壁に感じられたのだろう。
「あ、あんな下っ端のことなんぞ知ったことかァ! 私はなァ! あーーーん、な! 替えの効く消耗品どもとは違うんだ! 立場も学歴も経歴も、お前らみたいな使い捨てとは違うんだ! その程度のことも分からないのか、この低能! バカ! 無能!」
「なぁにィ……?」
「クズ! クズ! カスッ! どうなってるのか見にきたら! お前がちゃんと仕事しないせいで負けたんだろうが! 言われた通りの仕事も出来ないんだから無能だよ、無能! 私はちゃんと指示した! その通りに仕事できないお前らのせいで負けた! 無能のせいで戦争に負けた! お前らが! 悪いぃぃぃぃっっっっ!」
 堰を切ったように溢れ出す菰池の悪態、歪んだエリート意識、責任転嫁の言葉の洪水。
 その悪意と汚濁を至近距離からまともに受けて、剣持は我慢の限界を超えた。
 剣持の殺気は、窓ガラスの向こうの菰池には伝わらない。他人の感情に敏感なら官僚にはなれない。
 残念なことに、剣持には防弾ガラスを破れる手段はなかった。拳銃すら持っていなかった。
 さて、どうやってこのガラスをぶち割ろうかと考えていると──
 背後から、大きな足音が聞こえてきた。
 大地を揺らして、巨大な物体が近づいてくる。
「よぉ~、剣持?」
 そして竜使いの狂人の声が、真横から聞こえてきた。
 目を向けると、ガタイの良い巨漢がいた。
 ついさっきまで戦っていた〈ジゾライド改二〉の操者、左大億三郎だった。
「直に顔合わせんのは三ヶ月ぶりだな~? さっきは気持ち良ぃ~~戦いだったぜ?」
「何しに来た……」
 馴れ馴れしく話す左大に対して、剣持は険悪だった。これが当然の対応だ。
 左大は肩をすくめて、勝ち誇るように息を吐いた。
「フッ……戦争の後始末だ。分かるだろ? 責任者には責任を取らせなくちゃな?」
「ああ……そうだな」
 それだけで、剣持は全てを理解した。
 もう、ここに残る理由はなくなった。
 しかし左大に背中を見せるのは逃げるようで癪に思えたので、対向する形で歩き始めた。
 ずかずかと、道路を踏みしめて、一触即発の空気のまま二人の男がすれ違う。
「な? 戦争はいいだろ? ムカつく奴を始末できる」
 すれ違った一瞬、左大が囁いた。
 剣持は、その言葉に無意識に共感を覚えてしまった。
「チッ……!」
 忌々しい同意を舌打ちで跳ね飛ばして、剣持は西の方向に立ち去った。
 全ての後始末を、狂人と竜に押し付けて。
 竜の足音が、近づいてくる。
 大地が足音に同調して、ズン、ズン……と揺れている。
 異常に気付いた菰池がドアを開けようとした矢先、剛腕の掌底が防弾ガラスを打ち砕いた。
「恐竜酔拳! ティラノ掌!」
「うわあああああああ!」
 悲鳴を上げる菰池を、左大の腕が車外に引きずり出した。
「さーあ、人生のラストバトルといこうぜぇ~~っ!」
 路上に投げ出された菰池へと、拳銃が放り投げられた。
 オートマチック式の拳銃だが、陸自が採用している9mmの小口径拳銃ではない。
 一撃で人間を殺傷できる、11.4mm大口径の拳銃だった。
「ひぇっ、なっ、なっ、んなっ、なに! なにが……っ!」
「ほぉ~れ、ハジキだぜ。取れよ?」
 困惑する菰池が、左大と拳銃を交互に見た。
 困惑している。状況を理解できていない。
「なんだ、なんだこれ? なに、なにを……っ」
「素手じゃ俺に勝てないだろ。だからハンデだ。武器があれば、俺に勝てるかも知れないぜ?」
「はっ、はっ、はっ……?」
「俺はお前をここで殺す。お前は戦争犯罪人の処刑第一号だ。死にたくなければ銃を取れ。お前、頭良いんだろ? 分かれよ~~……そ・れ・く・ら・ぃ~~?」
 狂人のぐるぐると渦巻いた殺意と歓喜の目が、菰池を見下ろす。
 敗戦した国の司令官や政治家の末路は決まっている。
 それは菰池も分かる。歴史くらい知っている。当たり前のことだ。
 だが──自分までそんな責任を負わされるなんて、露ほどにも思っていなかった。
「ちっ、違う! 違うんです! 私はなし崩し的に! こういう立場になっただけで! 計画には全然、その、浅くしか関わってなくって!」
「じゃあ、とっとと逃げれば良かったんじゃね? 仕事なんて辞めれば良かったんじゃね? なんでお前、ここにいんの?」
「あぅっ……そ、それは──」
「おいおい、さっきの勢いはどうした~? あん? 負けそうになったら被害者面か? 欲が出たんだろ? もしかしたら勝てるかも知れないって? 自分が何もかも総取りに出来るかもってな?」
 核心を突かれて、菰池は固まった。
 もう何の言い訳も通用しない。隠しようもなく、菰池は引き際を誤った責任者の一人だった。
 恐竜の足音が、どんどん近づいてくる。
 処刑のタイムリミットが目前であることを、菰池は本能で悟った。
「あ、あああああああ!」
 菰池は狂乱して拳銃を取った。唯一の、最後の生きるチャンスに縋るしかなかった。
 死に絶望せず戦いを選んだ男を目の当たりにして、左大は嬉鬼狂凶と嗤った。
「安全装置を外せ。撃鉄を起こせ。狙いを真っ直ぐ向けろ!」
「うああああああああああ!」
 自分を殺す指示をする左大。言われた通りに操作する菰池。
 菰池は一切の逡巡なく、ただただ生き残りたいという本能のままに引き金を、思いきり、轢く。
 人生で最初で最後の発射は──
 未遂に
 終わった。
 撃鉄が銃弾の信管を打つ寸前、左大の巨大な右手が拳銃を掴んで、そのまま握り潰していた。
 拳銃は菰池の両手ごと、破砕機にかけられたクズ鉄のように、ぐしゃりと潰れて破壊されていた。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 痛みを感じるよりも早く、菰池は死を自覚して発狂、絶叫。
「ざーんねん! お前の人生は! 終わってしまったァ!」
 左大は死の宣告と共に、菰池を掴んで大きく放り投げた。
「あー、あー! あぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!」
 菰池の断末魔の悲鳴が、空中を回転しながら響き渡る。
 今まで何十年と積み重ねてきた人生の一切が徒労であり無意味であり、一瞬で砕け散ったのを自覚すると、もう正気ではいられなかった。
 今まさに、菰池を構築していた人格と世界の全てが崩壊したのだ。
 壊れた楽器のように叫びながら、菰池はぐるぐると回転しながら地面に落下して、
 巨大な竜の足に踏み潰されて、全てが終わった。
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