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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

番外編・陽なる剣者のこと

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「南郷くんがいないと、稽古の相手もいなくてな……」
“金持ちかつ最強戦力の片割れ”
宮元園衛


 遡って、2月初旬――
 早朝、宮元園衛は日課の鍛錬をこなしていた。
 長い黒髪を結って、小豆色のジャージ姿で人目を気にせず、冷気の中に立つ。
 ここは屋敷の裏手、竹林を抜けた先の庭園。
 木刀を手に、下段に沿える。
 形ありて形なき無形の構え。
 対手の攻撃を誘うために、敢えて隙を作るカウンター狙いの構えである。
 園衛は冬の朝靄の奥に、幻の対手を幻視した。
 戦場に身を置くこと15年。数多の戦闘経験から創出されるは幻の強敵。
 イメージトレーニングの極致である。
「切り結ぶ、刃の下こそ地獄なれ。踏み込みゆけば、先は極楽――」
 無心に歌うは剣者の心得、剣術歌。
 虚ろな視線は対手に殺気も狙いも悟らせない。
 朝靄の中、踏み込み、木刀を振るう。
 一閃が空を切り、僅かに遅れてシャッ……と霜踏みの音が響いた。
 神速の二連撃――
 幻の対手は攻撃を繰り出す寸前に、園衛に手首と胴体を切断されて霧散した。
 常人では目視不能。並の剣者でも一撃しか確認できないだろう。
 超音速の二連撃は流水のごとく滑らかに空間を削り取って、キュンキュンッと金属的な空裂音が残心ごとく二回弾けた。
「はァ――」
 白い吐息が清浄な大気を蒸らす。
 極限の集中を解すと、竹林の方向から無防備な気配が近づいてくるのを感じた。
「姉上~、まーた木刀振り回してんの~?」
 妹の空理恵だった。
 パジャマにカーディガンを羽織った格好で、玉砂利の上をとんとんと跳んできた。
「毎日やってるけどさぁ……なーんか日ごとにハードになってない? キュンキュンッ! ってジェット機みたいな音したんだけど……」
「私の剣閃が音速を超えた音だな」
「えっ、なにそれは……」
 平然と超人技を解説する姉に、空理恵が青ざめた。
 ドン引きだった。
 やや特殊な生い立ちとはいえ空理恵は普通の女子中学生なわけで、そんなバトル漫画か昔の伝奇ラノベのような世界観を披露されても反応に困るのだった。
 しかし興味はあるようで、空理恵は園衛の木刀をじろじろと眺めた。
「ねー、姉上ってさ、時代劇みたいな練習はしないの?」
「時代劇?」
「ほら、竹にゴザみたいなの巻いて、ズバーーッて斬るやつ」
「ああ、巻き藁か」
 竹を備え付けた台座に藁や使い古した畳を巻いて、人体に見立てた試し切りのことだと園衛は理解した。
「確かに濡らした巻き藁は人の胴体一つ分になるが……」
「用意すんのめんどい?」
「それもあるが、実戦的ではない。ガチッと固まって突っ立ったままの敵なんているか? 小学生の整列! 気をつけ! じゃないんだから。巻き藁斬りな……あれは刀の切れ味を試したり、見せ物にする演武だよ」
「へぇー……」
 言われてみれば確かにそうだと、空理恵も納得した。
 定点に固まって動かず、攻撃もしてこないカカシよりはイメージトレーニングで切り結ぶ方が実のある鍛錬といえる。
 実戦を積み重ねた園衛の言葉に、空理恵は説得力を感じた。
「姉上って、若い頃はどんな風に戦ってたの?」
「む……私は今だって若いぞ」
「え~? でも姉上って、今年でさんじゅ――」
「私の剣術は! 臨機応変!」
 空理恵の話題を遮って、園衛が声を少し張り上げた。
「今のは人を斬る剣だ。刃さえ当ててしまえば人体は容易に切断できるので、過剰な力も大きな振りも必要ない。派手な動きは弱点になる」
「それ以外にも……敵はいたんでしょ? アニキが戦ってたみたいな……」
 空理恵が言っているのは、南郷が戦っていた異形の改造人間のことだ。
「まあな。主な相手は妖魔に取りつかれた生物や器物。もしくは禍津神の分身体……。いずれも異形異類にして姿形も千差万別。普通の刀、普通の剣技で戦っても――」
「勝てない?」
「カボチャを箸でつつくようなものだ。百回、千回と突き続ければ割れるだろうが、疲れるし箸も折れる。実際、この間も普通の刀を何本もダメにした。お爺様が生前集めたコレクションだったが、致し方なし」
 それは瀬織が目覚めた直後の荒神との戦いのことで、対人用に鍛えられた古刀は傀儡の切断には適さず、数度の斬撃でことごとく使用不能となった。
 人体を切断した場合、業物の刀剣ならば適切な技で振るえば切れ味は落ちることはない。
 たとえば肉包丁で豚肉を切ったところで刃に油が付着しても切れ味が鈍らないように、刀剣も血や脂がついた程度では切断力の低下はない。
 下手者が使えば刀身の固定がズレたり、不適切な対象に当てたことで刃こぼれが起きる。
 園衛ほどの達人とて、刀が本来想定していない木材とカルシウムの塊を切り続ければ、使い物にならなくなるのは当たり前のことだ。
「装甲化された敵、心臓と首を同時に潰さなければ死なない敵、そういうバケモノには相応の武器と技とで挑むものだ」
「たとえば?」
「火薬で穂先を撃ち出す槍。ブースターつきのハンマーやブーメラン。電流の流れるワイヤー。色々だ。銃も使う」
「それって……剣術なの?」
「愚直に剣一本に拘るのは、命知らずか愚か者といえよう。誠の兵法とは敵に勝つ技だ。武器など選ばぬ。いかなる得物も十全に使ってこそ――」
 言いかけて、園衛は木刀を杖に溜息を吐いた。
「――と、言いたいところだが……私は射撃が苦手だ。あまり鍛錬もできなかったしな」
「なんで?」
「音がうるさい。山の採石場で練習したって音は麓まで響くだろう? 街の人の迷惑になる。だから、ずっと射撃だけは不得手なんだ」
 鬼神のような技を繰り出す割に人間臭い姉の言い訳を聞いて、空理恵が吹き出した。
「ぶっ! じゃあ、鉄砲はアニキに撃ってもらうんだ?」
「そうだな。銃に関しては南郷くんの方が遥かに上手だ」
「アニキの剣の腕前は? 強いの?」
「うーむ……」
 園衛は朝雲の空を見上げて、少し考えた。
 南郷の剣技というより、戦技全般についてだ。
「南郷くんは……剣とか銃とかより……戦術が上手いんだ」
「どゆこと?」
「確実に勝つための状況を作る、ということだ。敵が多数なら戦力を分断し、動揺を誘い、有利に戦える場を作り出す。そうすることで、単純な戦闘力で上回る敵にも勝ってみせる。単なる力や技比べではない。前線指揮官と兵士の両方の資質を兼ね備えた……実戦的なツワモノといえよう」
 饒舌に語る姉を見て、空理恵は目を丸くした。
「ほぇー……姉上、アニキのことめっちゃ褒めてるじゃん……」
「事実を言ってるだけだぞ?」
「それ、本人に言ってあげたら?」
「こんなこと言うと彼は厭な顔をする。彼は虚飾を嫌う人間だ」
「おだてられるのが苦手ってこと?」
「そうだな。だから……私はいつでも行動で示す」
 園衛はぐっっと両手を伸ばして、深呼吸をした。
 気分を剣から人に転換する。
「はぁーー……朝食の支度をしよう」
「へ? ご飯なら、家の人がもう作ってるじゃん?」
 使用人たちが料理を作るのはいつものことだ。
 園衛も毎朝、他人が作った料理を食べている。
 なのに、わざわざ自分で仕度をする、というのは妙な話だ。
 空理恵が首を傾げる横を、園衛は爽やかな風と共に通り過ぎた。
「そろそろ――南郷くんが帰ってくる気がするんだ」
「連絡……あったの?」
「いいや。電話も繋がらんよ」
「悪い奴から隠れてるんだっけ?」
 園衛たちが敵との抗争中で、南郷が負傷の治療のために雲隠れしているということは、空理恵にもざっくりと伝えてある。最低限のことは教えておかないと、却って余計な心配を与えると判断してのことだ。
 そして、隠遁中の南郷とは園衛も連絡を断っている。
 治療がどこまで進んだのか、いつ帰ってくるかなとは知る由もないのだが、
 園衛の足は家の裏手に向いていた。
「南郷くんのことだからな。自分は居候で肩身が狭くて、他人で外様だと思ってるから、真正面から門を潜ろうとはせんだろう。帰ってくるとしたら――」
「えっ、裏口?」
「だろうな」
「うわ、相変わらずの陰キャ~……!」
 姉妹二人、ニタニタと笑いながら裏口に向かう。
 手入れの届かない林を抜けると、錆びついた裏門が見えた。
 真新しいワイヤーで補強され、侵入者を知らせる鳴子も設置されているが、それらは南郷が保安用に仕掛けたものだ。
 当然、仕掛けた本人の南郷は抜け方も分かっているわけで――
「ほうら、やっぱり帰ってきてたじゃないか!」
 園衛は門の外、木の上の人影を指差した。
 朝靄の奥の影は「ああ……」と観念したような疲れた溜息を吐いて、裏門を飛び越えてきた。
「おかえり、南郷くん」
「えーっ! マジでアニキなのぉ~~?」
 姉妹が待ち焦がれていた男は、木陰の下で肩を落として黙っている。
 言葉に詰まる男に、園衛は腕を組んで笑って睨みを効かせた。
「こういう時は『ただいま』だろう?」
「ううう……」
「あいさつは礼儀だぞ、南郷くん?」
「た、ただいま……」
 ぼそり、と呟く南郷十字。
「ん、よろしい」
 園衛は陰から南郷を引っ張り出すと、強引に自分の家族の輪中に引きこんでいった。

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