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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと31-炎上編-

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 サザンクロス――南郷十字の異名だ。
 一部の裏社会の人間は、彼をそう呼ぶ。
「ヘーーイ、サザンクロス~~? 最初に言っておくけどォ~~? ワタシ、どっちかというと悪人だと思うンだよネ? そこんとこオーケェー?」
 エデン・ザ・ファー・イーストなる仮面の男は、かぶった登山帽をクイクイと弄りながら言った。
 要するに仕事に際して前歴、人格などを不問とするか否かという問いである。
「オーケーだ」
 南郷は即答した。
 エデン・ザ・ファー・イーストはベンチに座り、無貌の仮面で南郷を見上げている。
 雇い主を試すために、敢えて礼を弁えない態度を取っているのだろう。
「これまで何百人と人間の精神を弄ったり、その結果として死んじゃったりもしてるけど? 本当にイイのぉ~~?」
「あんたが望んでやったことか?」
「イェスだネ。ワタシ、この仕事が楽しいからやってるのネ。尤も~? 仕事として頼まれたからやっただけなんだケド~~?」
「そうか。なら構わない」
 南郷は簡潔に、淡々と非道をも肯定した。
 さしものエデン・ザ・ファー・イーストも首を傾げた。
「意外だネ、サザンクロス。キミは今、正義の味方に雇われてるって聞いてたケド?」
「昔の汚れ仕事に難癖つけるほど俺は綺麗好きじゃない。あんた自身は快楽殺人者ってワケでもないんだろう?」
「イェース。手段と目的を間違えば、待っているのは破滅だからネ。正義の味方に目を付けられない程度には……弁えてるつもりサ」
 狂人のようでいて、急に賢人のように理性的にもなる。
 エデン・ザ・ファー・イーストは掴みどころのない人間……というより物の怪の類だった。
 南郷の後で、燐がアズハに耳打ちした。
「あの人のお面……なんなの?」
「さあ……? 仕事と関係あらへんから、別にツッコミ入れんかったけど……」
 二人の小声が聞こえたのか、エデン・ザ・ファー・イーストが手を振った。
「ハハハ~~! このマスクは、いわゆるハッタリだよガールたちィ! 商売柄、神秘性を高めておくと色々と有利なんだネ~~?」
 確かに魔術的な裏世界に生きる彼にとっては、神秘性という箔付けは重要なのかも知れない。
 正体不明なら、性別や年齢、国籍で偏見を持たれることもない。
 神秘的な外見に実力が伴えば、逆に仮面の憑かせ屋として名声が高まるというもの。
「だから、このマスクは外せない。それにキミは外せ、なんて野暮な要求はしないだろゥ? サザンロス?」
「あんたの中身になんて興味はないし、仕事にも関係ないからな」
「そういうドライなところ……ナイスだネ。これで金払いも良ければ尚のことグッッッド」
 すかさず、南郷はポケットから一枚のメモを取り出して見せた。
「ギャラの相場は……後の彼女から聞いた。それに上乗せして……」
「フーーン♪」
 エデン・ザ・ファー・イーストはメモに書かれた数字を見て、上機嫌に鼻を鳴らした。
 報酬には納得したようだ。
「で、仕事の内容は?」
「憑かせ屋ってのは……ハッキングの真似事も出来るそうだな」
「イェス。なんにでも、と言ったことに偽りはナッシング。人間にでもコンピューターにでも、なんならこのベンチにでも――」
「たとえば……一般に普及しているスマホのアプリには?」
「穴さえあれば――ネ」
 エデン・ザ・ファー・イーストが足を組んで、顎に手を置いた。声色は真剣だった。
「人の心にも、物体にも、入り込むのための穴というか――隙間があるんだネ。そこにドロリ、と物の怪を注ぎ込むんダ。もちろんコンピューターとかの電子的なものにも。大体、それはシステム上の欠陥……」
「セキュリティホールか」
「イェス。だがアクセスするための権限が必要だネ。たとえば管理者が意図的にユーザーの情報を抜くために仕込んでおいたような――」
 南郷の背後で、アズハが挙手した。
「それならありまっせ。ウチの方で調べておきましたわ」
 それにエデン・ザ・ファー・イーストが、ポンと手袋ごしに拍手で応えた。
「グッド。流石だァ~~、ニンジャガール♪」
 そのまま続くジェスチャーで、指で〇を作った。
 承諾のサインである。
「オーケー。仕事は引き受けたよう、サザンクロス。契約書は?」
「これだ」
 南郷が懐から書類を取り出して、エデン・ザ・ファー・イーストに渡した。
「オーケー。ああ、それと――」
 書類を受け取って、仮面越しに読みながら、エデン・ザ・ファー・イーストは何気なく会話を続けた。
「――ワタシの祖父は日本人でネ~~?」
 何の脈絡もなく身の上話を切り出したと思いきや
「神様を作りたかった~~とか、いつもワケわかんないこと言ってたんだよね~~?」
 不穏な内容の話に、南郷たちの空気が変わった。
 南郷はやや冷たい表情の奥に殺気が篭り、アズハは少し混乱して首を傾げ、燐は別人のように不敵な笑みを浮かべた。
 エデン・ザ・ファー・イーストは空気の変化を明確に感じている。
 彼としても意図しての発言だったようだ。
「若い頃に神様の首を見つけて、あとは種を植えて芽吹くのを待ったと……言ってたねぇ? ワタシも父も、年寄りの戯言だと思ってたヨ。祖父が言ってたことがマジだって分かったのは、割と最近サ。日本政府は人造の神を作ろうとしている……ってネ」
「あんた……」
 何者だ、と南郷が続けようとしたのをエデン・ザ・ファー・イーストは指で制止した。
「祖父の本名は、リューキ・アズマ。普段は偽名を使ってたがネ。むかーし日本でなんかやらかしてヨーロッパまで逃げてきたってことくらいしか知らない。キミは自分の爺さんが若い頃に何をしてたかなんて、細かいことまで知ってるかい?」
「どうして……そんなことを俺に話す」
「仕事柄、祖父の家系図くらいは調べたからサ。キミの雇い主の正義の味方の実家とは、ちょーーっと面倒臭い関係らしいからネ? 面倒を避けるために話しておこうと思ったノ。ムーフフフフ」
 南郷は園衛から東隆輝が何をやったのか聞かされている。
 人造神のスペアパーツの頭部を探し当て、それを餌に当時の政府要人と接触して、ウ計画の基礎を作った男だと。
 要するに諸悪の根源の孫を名乗る人物が、偶然にも目の前にいる。
 いや、そもそも話をどこまで信じられるだろうか。
 この仮面の下は東隆輝という老人そのもので、自分の作ろうとした神の完成を見届けに来日したという可能性すらある。
 南郷の無言の疑念に、エデン・ザ・ファー・イーストは肩をすくめた。
「ヘイヘイヘーイ♪ ワタシがキミに嘘を吐く必要があるかネ? わざわざキミにターゲットにされるようなリスクのある嘘を?」
「俺たちの敵のことを――」
「知らないヨ。ただ漠然と、祖父の言っていた通りに世界が変わっていくのは分かったネ。仕事で来たのに何カ月も日本に居残ってるのは、それを観察するのが半分、もう半分はただの観光だヨ」
 エデン・ザ・ファー・イーストは、そもそもの来日の理由を語っていないことに気付いて、話題を変えた。
「ああ、それとネー。ワタシの前の前の仕事も、前の仕事も、キミたちの敵を作る仕事だったんだけどォ――」
「過去のことは気にしない」
「ああ、そう? サザンクロスは意外と寛大だネ……?」
 エデン・ザ・ファー・イーストの仮面がちらりと背後のアズハを一瞥した。
 アズハは苦笑いで目を逸らした。
「たはは……」
 前の仕事で作った敵というのが、南郷を瀕死にまで追い込んだ改造人間エイリアスビートルだと知られたら、話がこじれそうなので――言わぬが仏であった。
 一方で燐は何故か、口元に薄い笑みをたたえている。
「ふふふふ……ああ、そうだったんだ……くすくす……」
 燐は、口の中で何やらぶつぶつと呟いていた。
 エデン・ザ・ファー・イーストは祖父の話を再開した。
「祖父は利己的な人間だった。だから身内の父もワタシも油断していなかった。神様を作りたい――という欲求がいつか、完成した神様を自分の目で確かめたい、という欲求に変わることを予測していた。祖父が神様の種を植えたのは――」
「70年近く前だと聞いた」
「イェス。完成までは到底、祖父の寿命は保たない。だから、自己の意識を継続させようとしたのネ。憑かせ屋としての技術で――。」
 エデン・ザ・ファー・イーストの手袋が、無貌の仮面に包まれた自分の頭をトントン、と叩いた。
「――忌の際にワタシか、父の脳ミソに自分の魂を憑かせようと考えた」
「実行は……したのか?」
「もちろんしたサ。でもォォォォォ? そんなことは父もワタシも予測済み! 先手を打って妨害した! ので! 祖父はそのままゴートゥーヘーール♪ サヨナラ♪ グッバイ♪ フォ~~エヴァ~~♪」
 エデン・ザ・ファー・イーストはベンチの上で立ち上がり、高らかに歌い始めた。
「ロクデナシの~~末路~~♪ 同情なんて~~しないモーーン♪ 科学の勝利だエデン・ザ・ファーーーーーー!」
 その奇ッ怪な甲高い歌声が次第に大きくなってきたので、南郷は舌打ちした。
「うるっせぇよ……! 声!」
「オオゥ、ソーリソーリィ♪ ど~~も、ウチの家系は声がデカくってねぇ! 祖父の血のせいだねぇ、こりゃあ!」
 仮面の下で笑いながら、エデン・ザ・ファー・イーストはすとんとベンチに腰を落とした。
「というワケで、祖父はもう20年くらい前に死んだヨ。黒幕はもういないから、安心したまえ」
「だが……計画はもう自動的に進んでる」
「それにワタシが引導を渡すというのも、奇妙な縁を感じるねぇ~~?」
 エデン・ザ・ファー・イーストはポケットからペンを出すと、サッと契約書にサインをした。
「エキサイティングな仕事になると期待しているヨ、サザンクロス」
 面接と契約の承諾を終えて、仮面の男が腰を上げた。
「エキサイティングな仲間も……いるようだし、ネ?」
 無貌の仮面が、南郷と、アズハと、燐を見まわした。
 誰を指した発言なのかは、南郷たちは知る由もなかった。
 仮面は再び登山客の中年男性の顔に変わり、エデン・ザ・ファー・イーストは去っていった。
 日は落ちて、山中は薄闇に包まれ始めていた。
「な? 言った通り、変なオッサンやろ?」
 そう言って、アズハが燐に顔を向けると――
「うん……そうだねぇ? うふふふふふ……エキサイティング? 私が? うふふふふふ……」
 燐は聞き馴れない声色で笑い、肩を震わせていた。
 長い髪と闇に隠れて、燐の顔は見えない。
 一体、何がそんなに可笑しいのか。
 いや、そもそも――碓氷燐はこんな声だったろうか……?
 アズハは違和感を覚えつつも、なにか思考にモヤがかかったような気分になって――
(ま、どうでもええか……)
 気づかぬうちに違和感の原因すら忘れていた。
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