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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと18

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 南郷十字が隠れ家で療養を始めて一ヶ月。
 朝の食堂で、南郷は困惑の状況に直面した。
「おはようございます、兄さん」
 世話役の右大鏡花は今日も変わらず馴れ馴れしく、お世辞にも美味いとは言えない朝食を張り切って並べているのだが、彼女の外見が問題だった。
 昨日まで黒かった髪が銀色に染まっている。
 加えて、ニットセーターの胸元が開いている。
 明らかに南郷にアピールするために開放された谷間だった。
(こんなもん……どう反応しろってんだ……)
 あの服、自分で加工したのか、それとも買ってきたのか、いやそもそもこんな服どこで売ってるんだ等、思うことは数あれど南郷は無言で席に着いた。
 気まずい。
 ただ、ただ、気まずい。
 沈黙の食卓に突入。
 鏡花は絶望的に料理のセンスがない。
 毎朝炊きたてなのにパサパサの白米。焦げたのを誤魔化すために雑に醤油を投入された卵焼き。栄養があるからという安直な理由で節操なくイモや根菜を入れまくったドロドロの味噌汁。謎の付け合せとして添えられたモヤシとキュウリとツナの脂ぎったマリネ。
 こんなものを、善意で作られた愛情たっぷりの悪意なき餌を、南郷は毎日食っている。
 南郷は利き手である右腕が未だ欠損したままなので、フォークとスプーンを使って食べるわけだが、これがまた和食には不釣り合いだった。
 気まずい空気だから、飯も更にまずくなる。
 南郷が無言かつ無反応で食事を始めると、鏡花がテーブルの反対側に座った。
「あの……兄さん?」
 チラチラと南郷の顔色を伺いながら、胸に視線を誘導しようとしている。
「私の見た目……ちょっと変わったと思いませんか?」
 ちょっとどころではない。
「ああ……そうだな」
 反射的に素っ気ない受け答えをして、南郷はしまったと思った。
 選択を誤った。一種の目くらましにかけられて判断を惑わされた。
 ここは適当に話題に乗っておくのが妥当だった。
「やだなあ……兄さんったら、照れてますね?」
 鏡花に曲解された。
 こういう手合いは、突き放すと余計に粘りついてくるのだ。
 南郷の背中に冷や汗が滲んだ。
 鏡花は銀色に染まった髪を指で弄りながら、上機嫌に南郷に見せつけてきた。
「イメチェンしてみたんですよ、この髪♪」
「そ、そう……」
「高校の頃は金髪だったんですよ、私。ほらぁ……」
 言うと、鏡花はスマホを取り出して見せてきた。
 ディスプレイ上には、ツインテール金髪の派手な少女が映っていた。
 高校の制服を改造して大量の蝶のアクセサリーを装着している、かなり先鋭的なファッションセンスの少女が挑発的なポーズを決める写真だった。
「この頃は私、オカルトサークルみたいなのやっててぇ……」
「あー……園衛さんから聞いた」
 当時の鏡花は霊媒体質で、神を自称する悪霊を自分に憑依させて、オカサーの姫として君臨していた云々と、以前に園衛から教えてもらった。
 しかし実情は南郷の想像より、だいぶ斜め上だった。
 もっとミステリアスで湿っぽいジャパニーズ・ホラーなビジュアルを想像していたのだが、現実はゴシックとパンクのジョイント&プログレスといったところか。
 どちらにせよ、反応に困るのだが……。
「なんだか髪の色変えたら、昔に戻ったような気持ちになれるんですよね~。あの頃みたいに大胆で、自信に満ちて、なんでも出来るような気分になるんです……♪」
 それは錯覚だ。
(大体、料理すら全然出来てないだろ……)
 口に出したいツッコミを、南郷は腹中に押し込めた。
 気の持ち方は重要だが、それだけで劇的に実力が向上するのなら誰も苦労はしない。
 しかし本人が満足なら――と、南郷が適当に納得しようとした矢先
「それに兄さんって、派手な格好の女の子……好きって言いましたもんね♪」
 鏡花が妙なことを口走った。
「いや……? そんなこと言った覚えはない」
「え~~? そうでしたっけ~~? くすくす……♪」
 とぼけたように肩をすくめて、鏡花は悪戯っぽく笑った。
 歳不相応に、小悪魔めいた少女のような顔で笑っていた。
 鏡花の銀色の髪と、邪気のこもった色のある笑みに……南郷は既視感を覚えた。
 イメージチェンジで済ませるには度が過ぎている。
(そろそろ……潮時かな)
 南郷は冷たく思考しながら、無惨な卵焼きにフォークを伸ばした。
 口に入れるとポロリと崩れる、焦げた卵焼き。
 苦く、まずい。一か月間馴れ親しんだ、忌まわしき料理。
 味わうことなく飲み込んだ。


「あーしね~、ちっちゃい頃はお花屋さんになりたかったんだ~」
 碓氷燐が突拍子もないことを言い出したのは、定例ミーティングの時だった。
「なんやねん、いきなり……」
 アズハは相棒を呆れがちに見ながら、オレンジジュースをすすった。
 ここはアズハ達忍者御用達のファミレス。
 混雑時でない限り、秘密の談話OKの治外法権の店だった。
 アズハと燐は週に一度、この店で放課後にミーティングを行う。
 断じてガールズトークな雑談の場ではない。
「アズっちだって夢あるじゃーん? 叶えようとしても叶えられなかった夢!」
「まあ、あるっちゃあるけど……」
「それがモチベの原動力ってことよ~! この仕事が終わったら、あーしマジで毒とか薬とか無関係の花の勉強しようかなーって思ってんの」
「死亡フラグとちゃうか、それ……?」
 フィクションめいたジンクスというわけではない。
 未来への希望は時として足元を掬う。
 目先の障害に全力で当たらず、その先に意識が向いてしまうのは実戦では危険だ。命の温存は決死の覚悟を鈍らせ、致命的敗北に繋がる。
 とはいえ――
「ま、ウチらがこないなコト考えられるようになったのは……」
「おにーさんのオカゲだよね~~?」
 アズハと燐が明日より先の未来を夢想できるようになったのは、南郷が忍として真っ当な仕事を斡旋してくれたからだ。
 内偵や工作活動は、暗殺や拉致に比べれば明るい仕事だ。何より大義がある。
 アズハとしては宮元園衛に与すること、作戦の司令官にあたる東瀬織の底知れなさ等、色々と思うところはあるが、南郷は信用に足る人物だと思っている。
 燐はそれに輪をかけて南郷を信頼している。
 いや信頼の感情をとうに超えていのは、一目瞭然だった。
「ねー、アズっち~? おにーさんてさ~、彼女とかいんのかな~~?」
「南郷さんに入れ込みすぎやで自分……」
「ぜってーモテねーよね、あの人~~? なのに、なんであの鏡花って人、おにーさんにベタベタベタベタ……あんな根暗な人のこと分かってやれんのあーしくらいだし……」
「それより仕事の話せいっ!」
 アズハはノロケ話を一喝した。
 燐は不満気に口をすぼめつつ、本題のミーティングに入ることにした。
「えーーっと……あーしらの仕事仲間を増やすって話だっけ?」
「せや。諜報活動っちゅうのは関わる人間が増えるほど機密が漏れやすくなる。せやから少人数でやるのが望ましいが……流石にウチら二人じゃオーバーワークや」
「それで? 東瀬織さんに相談したんでしょ?」
「増員に関しては、南郷さんに許可貰えって返答やった。採用したら予算は都合つけると」
「それで、人材のアテをつけろ……って話だったよね?」
 裏の世界での人脈に関しては、アズハも燐もそれなりにある。
 しかし人格、能力、信用等をふるいにかけると、使えそうな人材は限られる。
 特に情報を漏らさず、裏切らず、それなりに手段を選んで任務を実行できるコンプライアンス面が重要だった。
「ウチの方は……一人、心当たりがある。前に一緒に仕事をした電子関係に強い術者。外人やから日本政府に肩入れする義理はないし、金さえ払えば仕事はキッチリやる」
「信用できる人なん?」
「見た目はめっちゃ怪しいけどな……」
 アズハは口内に広がる一抹の不安をジュースと一緒に飲み込んだ。
 続いて、燐がおもむろにスマホを弄り始めた。
「あーしはね~、やーーっぱショーコちゃんかなーって?」
「ショーコ……川路翔子かい」
「そ。正義のJK忍者、呼隠流正統のショーコちゃ~~ん♪」
 燐がスマホの画面をアズハに見せた。
 映っているのは、有名動画サイトのチャンネル〈呼隠流正統! ショーコのニンニン忍者チャンネル〉。女子高生忍者の川路翔子が体を張って現代忍術を広める動画チャンネルだった。
 ご覧の通り、川路翔子は表の世界に生きる忍者だ。
 アズハ達とは何もかも正反対なのだ。
「ショーコちゃんとは前にも何回か一緒に仕事したっしょ?」
「せやけどなぁ……」
「ショーコちゃん結構強いしさ、あーしら今回一応正義の戦いしてるんっしょ? イケるイケる! 仲間になってくれるって!」
 燐は乗り気だが、アズハは翔子の勧誘に難色を示していた。
「あいつは……融通が効かんのや。清濁併せ呑む度量がないっちゅうか……」
「えー? じゃ、ダメなの?」
「うーん……とりあえず南郷さんに相談やな」
 アズハ達に決定権はないので、これ以上の議論は意味がない。
 南郷との詳細な連絡は電話では無理なので、直接面会となる。
 燐は何かを思い出したのか、不安げな表情になった。
「そういやさ、アズっち……おにーさんのこと東さんに相談してくれた?」
「あー……なんか付き添いの人と揉めてるっていう? それなら言っといたで」
「なんて?」
「『南郷さんが自分で解決するだろう』やて」
 アズハが事もなげに言うと、燐は青い顔をして頭を抱えた。
「……ンなワケないじゃんっ!」
 燐は項垂れて悶々としている。
 どうして他人の揉め事にここまで悩み苦しむのか……?
 事情を知らぬアズハは困惑するしかなかった。
「な、なんやねん一体……?」
「このままじゃ……おにーさん殺されちゃうよぉ……!」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
 アズハは全く事態が飲み込めずに更に困惑した。
 情報が欠落し過ぎている。
「な、南郷さんが殺されるて……だ、誰に?」
「右大鏡花……あのメンヘラ女……毒……毒盛ってんの……おにーさんに……」
「は? はぁぁぁぁぁぁぁ?」
 アズハは頭を抱えて、悲鳴のような混乱の声を上げた。
 常軌を逸した人間関係の迷走は燐に説明されても理解が追いつかず、原因も経過も何もかも理解し難かった。
 どうして自ら介護役に名乗り出た鏡花が南郷を殺そうとしているのか。
 南郷はそれを知りながら、どうして抵抗も脱出もせず、虜囚同然の状況に甘んじているのか。
 何もかも分からないので
 アズハは燐と共に、即座に南郷の隠れ家に向かった。
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