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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと13
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アズハが次の指令を受け取ったのは、3日前のことだ。
「議員先生を――拉致ってくださいませ」
上司にあたる東瀬織に、平然と命令された。
隠れ家の庭園で、少女の形をした怪物が書類を読みながら、まるで簡単な買い物でも頼むような調子で、とんでもない命令を出したのだ。
「えっ……議員?」
アズハは青ざめて聞き直した。
「はい。国会議員です」
瀬織は別のファイルのページを抜き取ると、指で弾いてアズハへと投げ渡した。
「江田島まさよし衆議院議員。ま、詳しいことは書いてありますので」
書類には白髪頭の男性議員の顔写真と、プロフィールが記載されていた。
その日から、アズハは学校を休んで拉致の下準備に取りかかった。
そして3日後、すなわち現在――
「冗談やないで……」
アズハは暗澹たる表情で呟いた。
目の下には徹夜に起因するクマが生じ、強靭な肉体と若さでも抑えきれない疲労が浮き出ていた。
ここは入り組んだ路地に建つ雑居ビルの屋上。日本海からの冬風が容赦なく吹き付けている。
「さむぅっ……! た、たまらん……っ」
着ているのは、偽装用に調達した現地の高校の制服。剥き出しの生足を擦る。こんなことならタイツでも履いてくれば良かったと後悔する。
アズハは忍務のために、新潟県J市に来ていた。
1月の日本海側、空は曇り、午後にも関わらず最高気温は3℃以下。
関西育ち、関東在住の女子高生の生足にかける意地が折れ掛けていた。
「今日は別に男に見せるワケでもないし、意地張ることないじゃーん? ぎゃひひひひひ」
相棒の碓氷燐は対照的に余裕だった。
あろうことか、制服のスカートの下にジャージを履いている。
「裏切りモンがぁ……っ!」
「アズっち、こういうコトに関しては割り切りザコいよね~? あーしら忍者なんだからサ~? 装備くらい状況に応じて変えなきゃダメっしょ~?」
「うっさいわ! 仕事パパッと済ませりゃええだけやろ!」
「せっかく新潟来たのに~? 遊ぶ暇もないとか、人遣い荒すぎっしょマジで~?」
燐は肩をすくめて、人を人とを思わぬ人でなしの上司について愚痴を吐いた。
瀬織が本当の意味で人間でないことは燐も承知の上だが
「ほんと、あーしらの上司って……マジで相談し難くて困るわ」
少しだけ真顔の愚痴を重ね塗りした。
燐の悩みはアズハの知るところではないが、今はかかずらっている暇はなかった。
ポケットからスマホを取り出して、電波状態を確認する。
電波のインジケーターは市中にも関わらず圏外を示していた。
「オッケー、通話不能。監視カメラは?」
「ぜーんぶブッ壊してあるよん♪」
燐は仕事に使ったレーザーポインターとヨーヨー型キネティック・デバイスを見せた。
日本では規制されている高出力レーザーポインターは照射点の温度が数百度に達するため、防犯カメラのレンズに照射すれば内部部品を焼き切ることが可能だ。
キネティック・デバイスはアズハも使用している戦闘用ツールで、指の操作で本体が空気圧で姿勢制御を行い、単分子ワイヤーで対象を切断する。
燐はこれを用いて、監視カメラの電源コードなどを切断した。
作戦のために、この周囲の全てのカメラを使用不能にしてある。
「あとは……」
アズハは無線機を取り出した。
一般的な小型のトランシーバーだ。
「こちら直江津。頼んだラーメン、どんな感じ?」
関西訛りを消した暗号での通話だった。
軽いノイズの後、相手方から返信がきた。
『こちら上杉 出前が 出発 しました』
合成された無機質な男の声だった。
人間の声ではない。
AIで自律行動する支援戦闘ロボット〈タケハヤ〉の声だった。
〈タケハヤ〉は現在、単独行動でターゲットを監視している。駐車中の軽トラックの荷台にシートを被された状態で待機。作戦の進行に応じて行動を起こす手筈になっている。
そして『出前』という暗号は、料理であるターゲットが車で移動を開始したことを意味している。
「はぁぁぁぁ……」
アズハは重い溜息を吐いた。
責任が重い。色々な意味で重すぎる忍務だった。
「なーにキンチョ―してんのよアズっち? 別にあーしら拉致る仕事なんて初めてじゃないっしょ?」
燐は軽い調子だった。
こういう浅慮な阿呆っぷりを見せられると、アズハは余計に気が重くなる。
「あのなぁ……今日の忍務のこと理解しとんのか?」
「わーってるよ~? 議員センセー拉致るんっしょ?」
「拉致っつーか、正確にはちっと違う。ターゲットは江田島まさよし……どんな議員か知っとるか?」
「知ってるワケないじゃーん。ニュースなんか見ねーしー♪」
燐はこういう人間だ。
忍者らしい刹那的な人生観と、忍者らしからぬ不真面目さ、普通の少女らしい興味外への無関心、そういったものが同居した性格だ。
今回の仕事の重大さを全く理解していないのだ。
燐の性格に馴れたアズハでも、とてもつらい。
アズハはげっそりとした表情で、仕方なく説明をすることにした。
「ターゲットは江田島まさよし。大臣経験もある閣僚級の与党議員。簡単に言えば上級の国会議員やな。世襲の多い閣僚級の中にあって、このオッサンは珍しく叩き上げなんや」
「ええと……どういうこと?」
「江田島センセは派閥の偉い先生の下で働いて、のし上がってきた。それは裏を返せば政界での地盤が弱いってことでもある。周りが親の代から金持ちのお坊ちゃん達なのに一人だけ庶民の成金みたいなモンや」
「仲悪いってこと? それがどうかしたの?」
「この江田島センセをウチらの側に引き込む心理工作。それが今日の忍務の本質や。ホンマに拉致る必要はない」
誘拐あるいは脅迫した議員を味方に引き込むとは、それだけ聞けば理解できないのも無理はない。
燐は首を傾げた。
「あの東瀬織って人がセンノーでもすんの? 妖術とか使えるんだっけ?」
「洗脳って点では正しいかも知れへん。でも、もっと頭を使った心理的な追い込みやな」
「つまり……どういうこと?」
説明を簡潔にするために、アズハはスマホのブラウザを起動。
電波が切れる前に事前に開いていた、百科事典サイトの江田島議員に関するページを表示した。
「江田島センセは息子絡みのスキャンダルが過去に何回かあったんや。ほら、この辺に書いてあるやろ」
「ええと……うわ、息子が痴漢、暴行、監禁、その他下半身がらみの事件……この10年間で5回も? うわ、まじひくー」
「その全てが不起訴、あるいは示談で済んでるんやが、流石にこれ以上は派閥のセンセイも庇い切れへん。党全体のイメージダウンになるから、次にやったら辞職か離党勧告やな」
「つまり江田島って人は疎まれていて、立場も危うい?」
「つーか、もう崖っぷちや」
アズハはスマホを操作して画像フォルダを展開。その中の画像を選択して憐に見せた。
画像は、SNSアプリ〈シュリンクス〉のダイレクトメッセージのチャット画面のスクリーンショットだった。
日付は昨年の11月下旬。
チャットの内容は――
「なにこれ……? パパ活のやりとり?」
「江田島センセの息子がまたやらかしたっちゅうワケや。相手は女子中学生。SNSで有名なTheoryっちゅうお天気占い師のファンが集まるコミニュティで知り合ったそうや。ファンのみんなでオフ会しようって話から発展して、息子さんが女の子にコナかけてパパ活に発展したっちゅう流れや」
「やけに詳しいの、なんで……?」
「東瀬織さんからの情報提供や。このスクショも、どういうルートで手に入れたかは知らん。まだ公にはなっとらんが、スクショは昨日に江田島センセの携帯のメアドに送信済みなんやと」
アズハは情報の出所について興味はない。詮索も無用だ。
スクリーンショット内の女子中学生のハンドルネームは〈ウィロー〉。
英語で柳を指す言葉だが、旧日本海軍の練習機〈赤とんぼ〉の連合軍側コードネームでもある。
〈赤とんぼ〉――すなわちアキアカネ。
その正体に関してもアズハは興味はなかった。
下っ端の忍が深く物事を考えても何も変わらない。意味はない。
「ゴチャっとしたことは……もうどうでもええ。どうでもええわ……」
燐に説明するためとはいえ、ガラにもなく頭を使った説明をしてしまった。もう何もかも忘れることにした。
後がどうなろうと知ったことではない。目の前の忍務に全力を注ぐのみ。
無線機に、〈タケハヤ〉から入電があった
『出前は もう到着します お金の用意を お願いします』
「オーケー。1000円ピッタリ用意しときます」
件の江田島議員の乗った車が追い込みポイントに近づいている、という連絡だった。
ここ新潟は江田島議員の地元選挙区だ。
彼は今や地元の名士なので、大きなイベントに出席することがある。
今日は地元唯一のボウリング場のイベントの開会式に出席をした。
ボウリング場では、プロ同士の対決イベントが開催されていた。
〈因縁の女流ボウラー対決! ゴッドストライカー澪vsレディーヘギソバ!〉と題されたイベントはボウリングファンの間で話題になって、前日からボウリング場に長蛇の列が出来ていたとネットニュースでも記事になっていた。
ズン……と地鳴りがした。
地震ではない。
ボウリングの試合の音なのだと、事前に消防から周辺に通知があった。
下手をするとボウリング場が全壊する恐れもあると。
プロボウラー同士の全力全開勝負は、そういう世界なのだと。
だから、多少の騒音があっても怪しまれない。
この路地はボウリング場が面する国道から外れているが、高速道路のインターチェンジへのショートカットルートになる。
江田島議員は選挙活動等で公用車をする場合、この道路を使うことが多い。
また国会の開会が明後日に迫っているギリギリのスケジュールのため、近道を使う可能性も高い。
それでも100%こちらの思惑通りに動くとは限らないので、少し細工をした。
ある人物の協力で、国道に落下物を置いて一時的な渋滞を発生させている。
そして周辺道路にも偽装の工事標識を立てて通行止めとし、この路地へと江田島議員の車を誘導。
そして――
作戦通りの、事故が発生した。
車に何かが衝突する轟音が響いた。
軽金属の外装がひしゃげ、1トンの車体が転倒し、ガードレールが折れ曲がる複合破壊音。
「始まったなぁ……?」
アズハは屋上の淵に身を屈めて、携帯式のハンドスコープで事故現場を確認した。
江田島議員の公用車が襲撃されている。
襲撃者は人間ではない。
偽装用のカバーをつけられ、一部パーツを正式採用型に換装した〈タケハヤ〉だった。
スタンディングモードに変型し、横合いから公用車に体当たりを食らわせて転倒させたのだ。
その見た目は、灰色のマントを被った暗殺機械といったところか。
倒れた公用車の後部ドアが開き、江田島議員が這い出てきた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ! な、なんだぁぁぁぁぁ! なんだお前はぁぁぁぁ……っ!」
人外の暗殺者に狼狽しつつも、江田島議員は必死にスマホを操作していた。
連絡するのは党本部か警察か、どちらにしても今は繋がらない。
「つながら……えぇぇぇ……っ?」
『江田島さん あなたは もう我々に 必要 ない』
〈タケハヤ〉が事前に入力された台詞を出力した。
これは党本部が江田島議員を用済みとして切り捨てたように思わせる演出だ。
電話が不通なのも、自衛隊のロボット兵器が暗殺に差し向けられたのも、全てが自分を始末するために仕組まれた陰謀なのだと。
江田島議員に更なる恐怖を植え付けるための演技は続く。
『抵抗は 無意味 です』
〈タケハヤ〉が江田島議員の開いた後部ドアを軽々と剥ぎ取り、これみよがしに放り投げた。
この人工筋肉駆動の腕に捕まれば、人間の首など一瞬で捩じ切られる。
「あぁ! あぁぁ! あぁぁぁぁぁぁ……っっ!」
実戦、暗殺、襲撃、そんなものとは無縁の日本の政治家に覚悟も胆力もあるはずがない。
眼前に迫るのは避けようのない死の現実。
〈タケハヤ〉の無機質なバイザーと、その下の複合センサーユニットは命乞いの希望を無慈悲に反射する。
恐怖と絶望に声は擦れ、江田島議員はもはや失神寸前だった。
その時、横合いから何かが〈タケハヤ〉の鼻先に投げ込まれた。
それが発火済の船舶用大型発煙筒だとは、江田島議員に分かるはずがなかった。
「江田島さん! 今の内に脱出を!」
知らない男の叫びが響き、発煙筒は猛烈な赤い火花を吹き始めた。
船舶用発煙筒の火力は車両用の100倍に達する。さながら大型のロケット花火を地上で爆発させるようなもので、〈タケハヤ〉の機体を瞬く間に煙と火花で包んでいく。
「うあぁぁぁぁぁぁ! もう、なんなんだよぉぉぉぉぉぉ!」
江田島議員は半狂乱になりながら、横転した車から抜け出し、煙幕を突っ切って逃走に成功した。
これも全て演出の内だ。
本当に〈タケハヤ〉が殺す気なら即座に江田島議員の首は捩じ切られていたし、この程度の煙幕で追撃を止めることも出来なかった。
江田島議員の逃走を確認して、アズハはスマホを取り出した。
「さーて、次の段階にGOや」
電波状態は回復している。
この周囲には一時的に携帯電話用のジャミング装置を仕掛けただけだ。ごく狭い領域でしか使えない、一般業務用のジャミング装置だ。特に珍しいものでもない。
アズハは非通知設定で電話をかけた。
そして1コールで電話を切った。
それが、協力者への合図だった。
江田島に逃げ込んだ路地には、フードを被った大男が待ち構えていた。
「エダジマセンセイデスカ」
ボイスチェンジャーで変声した男が呼びかける。
江田島は興奮状態だった。
「だっ、だれっ……誰だよぉぉぉ……もぉっ』
本来ならこんな怪しい男など無視するだろうに、こんな状況だから対応せざるを得ない。
大男は、この心理作戦の締めに入った。
「オチツイテクダサイ、センセイ。ワレワレハ、センセイノミカタデス」
「み、味方? ということは、さっき助けてくれたのも……」
「ハイ。ワレワレノメンバーデス」
それについては半分は嘘だ。
多数の構成員を抱える巨大な組織が江田島を助けたと思い込ませるための話術だ。
嘘というのは事実を混ぜ込むことで説得力が増す。
「センセイ、アナタハキリステラレマシタ。リユウハ……ワカリマスネ」
「ああ、くそ……そうだ……その通りだ……ちくしょう! 今まで俺がどれだけ国に貢献してきたと……くそっ!」
思惑通り、江田島議員は息子のスキャンダルを口実に党内派閥から排除されたと思い込んでいる。
知り過ぎた人間が事故や自殺に見せかけて始末されるのは、政治の世界では良くあることだ。江田島自身、かつては邪魔者を始末する側だったのかも知れない。
この様子だと、単に息子の件だけが理由だとは思っていない。
もっと大きな、公にされると困る情報を握っている可能性もある。
江田島議員との会話に、手応えがあった。
「センセイ。ワレワレナラ、アナタヲマモルコトガデキマス。ムスコサンニカンシテモ……」
「きみたちは……いったい誰だ?」
「イズレ、レンラクシマス。コノコトハナイミツニ。センセイト、ムスコサンノタメニモ」
大男は、巨体に見合わぬ俊足で走り去った。
暗殺寸前だった江田島議員に、それを追う気力は残っていなかった。
これにて危機感と恐怖心で人間の精神を追い込み、救済し、こちらに都合の良い情報を刷り込んで細胞に変える、拉致あるいは暗殺に見せかけた心理工作作戦は完遂された。
アズハ達も屋上を引き払って、撤収にかかる。
雑居ビルの裏手で少し待っていると、ワンボックスカーが停車した。
スモークフィルムの貼られた助手席のガラスが少し開いて、運転手が手招きをするのが見えた。
「迎えの車や」
「あー、まーた何時間も下の道路かぁ~~」
燐はうんざりした様子で脱力しながら、ワンボックスの後部座席に入った。
監視カメラを出来るだけ避けるため、行きも帰りも高速道路ではなく長い長い一般道の走行となる。
「しくよろおねがいしゃーーっす」
砕けた挨拶をして運転席に目をやると、コート姿の大男がいた。
先程、江田島議員救出を演じて見せた協力者だった。
その顔には、アズハも見覚えがある。
「ああ、年末ん時のオッチャンですか。またどうも、お世話んなります」
アズハは狭い車内で会釈をして、ドアを閉めた。
協力者とは宮元家の関係者、左大億三郎だった。
「ぬはははは! 丁度、爺さんの遺産探しで新潟にいたからな。そのついでみたいなモンよ」
「あのバイクロボットはどうするんですか? 南郷さんの使ってたロボですよね?」
「ボウリング場で試合してるのがウチの身内なんでな。そいつに回収手続きは頼んである」
「ボウリングの……? あの、ヘギソバなんとかっていう……」
「そっちじゃなくて、ゴッドストライカーの方だな。若い頃は、ボウリングのボールを超音速でブン投げて戦ってた子でな~? 中々強かったぜ~?」
冗談なのか本気なのか、よく分からない世界観の話をされて、アズハは苦笑いを返すしかなかった。
一方、燐は怪訝な表情で左大の横顔を伺っていた。
「あのさ……おじさん。前にも会ったことある……?」
「前って? お嬢ちゃんとは年末に会ったろ?」
「いや、それよりも前っていうか、そんな気が……」
「あ~~ん? 知らないねぇ~? 大体、俺がお嬢ちゃんたちみたいな若い子と知り合う機会あると思う? 俺は自営業で一人暮らしの貧乏人! 出会いなんて! 全く! ないぜ~~? ぬはははははは!」
自分の身の上を豪快に笑い飛ばしながら、左大はゆっくりと車を発進させた。
アズハはシートベルトを締めて、座席を倒した。
「ふう……ウチはちっと休むわ……」
徹夜と寒さで体力の限界だった。睡眠が必要だった。
それに、長い旅路も寝ていれば苦にならない。
「燐も寝てまえ……。明日も明後日も仕事あるんやから……」
「うん……」
燐の煮え切らない態度が気になったが、今は話を出来る余裕がなかった。
どうせ少しすれば燐も寝るだろうし、起きた時には悩みも忘れているかも知れない。
楽観的に考えながら、アズハは暖房とエンジンの駆動音を子守唄に、深い眠りに沈んでいった。
「議員先生を――拉致ってくださいませ」
上司にあたる東瀬織に、平然と命令された。
隠れ家の庭園で、少女の形をした怪物が書類を読みながら、まるで簡単な買い物でも頼むような調子で、とんでもない命令を出したのだ。
「えっ……議員?」
アズハは青ざめて聞き直した。
「はい。国会議員です」
瀬織は別のファイルのページを抜き取ると、指で弾いてアズハへと投げ渡した。
「江田島まさよし衆議院議員。ま、詳しいことは書いてありますので」
書類には白髪頭の男性議員の顔写真と、プロフィールが記載されていた。
その日から、アズハは学校を休んで拉致の下準備に取りかかった。
そして3日後、すなわち現在――
「冗談やないで……」
アズハは暗澹たる表情で呟いた。
目の下には徹夜に起因するクマが生じ、強靭な肉体と若さでも抑えきれない疲労が浮き出ていた。
ここは入り組んだ路地に建つ雑居ビルの屋上。日本海からの冬風が容赦なく吹き付けている。
「さむぅっ……! た、たまらん……っ」
着ているのは、偽装用に調達した現地の高校の制服。剥き出しの生足を擦る。こんなことならタイツでも履いてくれば良かったと後悔する。
アズハは忍務のために、新潟県J市に来ていた。
1月の日本海側、空は曇り、午後にも関わらず最高気温は3℃以下。
関西育ち、関東在住の女子高生の生足にかける意地が折れ掛けていた。
「今日は別に男に見せるワケでもないし、意地張ることないじゃーん? ぎゃひひひひひ」
相棒の碓氷燐は対照的に余裕だった。
あろうことか、制服のスカートの下にジャージを履いている。
「裏切りモンがぁ……っ!」
「アズっち、こういうコトに関しては割り切りザコいよね~? あーしら忍者なんだからサ~? 装備くらい状況に応じて変えなきゃダメっしょ~?」
「うっさいわ! 仕事パパッと済ませりゃええだけやろ!」
「せっかく新潟来たのに~? 遊ぶ暇もないとか、人遣い荒すぎっしょマジで~?」
燐は肩をすくめて、人を人とを思わぬ人でなしの上司について愚痴を吐いた。
瀬織が本当の意味で人間でないことは燐も承知の上だが
「ほんと、あーしらの上司って……マジで相談し難くて困るわ」
少しだけ真顔の愚痴を重ね塗りした。
燐の悩みはアズハの知るところではないが、今はかかずらっている暇はなかった。
ポケットからスマホを取り出して、電波状態を確認する。
電波のインジケーターは市中にも関わらず圏外を示していた。
「オッケー、通話不能。監視カメラは?」
「ぜーんぶブッ壊してあるよん♪」
燐は仕事に使ったレーザーポインターとヨーヨー型キネティック・デバイスを見せた。
日本では規制されている高出力レーザーポインターは照射点の温度が数百度に達するため、防犯カメラのレンズに照射すれば内部部品を焼き切ることが可能だ。
キネティック・デバイスはアズハも使用している戦闘用ツールで、指の操作で本体が空気圧で姿勢制御を行い、単分子ワイヤーで対象を切断する。
燐はこれを用いて、監視カメラの電源コードなどを切断した。
作戦のために、この周囲の全てのカメラを使用不能にしてある。
「あとは……」
アズハは無線機を取り出した。
一般的な小型のトランシーバーだ。
「こちら直江津。頼んだラーメン、どんな感じ?」
関西訛りを消した暗号での通話だった。
軽いノイズの後、相手方から返信がきた。
『こちら上杉 出前が 出発 しました』
合成された無機質な男の声だった。
人間の声ではない。
AIで自律行動する支援戦闘ロボット〈タケハヤ〉の声だった。
〈タケハヤ〉は現在、単独行動でターゲットを監視している。駐車中の軽トラックの荷台にシートを被された状態で待機。作戦の進行に応じて行動を起こす手筈になっている。
そして『出前』という暗号は、料理であるターゲットが車で移動を開始したことを意味している。
「はぁぁぁぁ……」
アズハは重い溜息を吐いた。
責任が重い。色々な意味で重すぎる忍務だった。
「なーにキンチョ―してんのよアズっち? 別にあーしら拉致る仕事なんて初めてじゃないっしょ?」
燐は軽い調子だった。
こういう浅慮な阿呆っぷりを見せられると、アズハは余計に気が重くなる。
「あのなぁ……今日の忍務のこと理解しとんのか?」
「わーってるよ~? 議員センセー拉致るんっしょ?」
「拉致っつーか、正確にはちっと違う。ターゲットは江田島まさよし……どんな議員か知っとるか?」
「知ってるワケないじゃーん。ニュースなんか見ねーしー♪」
燐はこういう人間だ。
忍者らしい刹那的な人生観と、忍者らしからぬ不真面目さ、普通の少女らしい興味外への無関心、そういったものが同居した性格だ。
今回の仕事の重大さを全く理解していないのだ。
燐の性格に馴れたアズハでも、とてもつらい。
アズハはげっそりとした表情で、仕方なく説明をすることにした。
「ターゲットは江田島まさよし。大臣経験もある閣僚級の与党議員。簡単に言えば上級の国会議員やな。世襲の多い閣僚級の中にあって、このオッサンは珍しく叩き上げなんや」
「ええと……どういうこと?」
「江田島センセは派閥の偉い先生の下で働いて、のし上がってきた。それは裏を返せば政界での地盤が弱いってことでもある。周りが親の代から金持ちのお坊ちゃん達なのに一人だけ庶民の成金みたいなモンや」
「仲悪いってこと? それがどうかしたの?」
「この江田島センセをウチらの側に引き込む心理工作。それが今日の忍務の本質や。ホンマに拉致る必要はない」
誘拐あるいは脅迫した議員を味方に引き込むとは、それだけ聞けば理解できないのも無理はない。
燐は首を傾げた。
「あの東瀬織って人がセンノーでもすんの? 妖術とか使えるんだっけ?」
「洗脳って点では正しいかも知れへん。でも、もっと頭を使った心理的な追い込みやな」
「つまり……どういうこと?」
説明を簡潔にするために、アズハはスマホのブラウザを起動。
電波が切れる前に事前に開いていた、百科事典サイトの江田島議員に関するページを表示した。
「江田島センセは息子絡みのスキャンダルが過去に何回かあったんや。ほら、この辺に書いてあるやろ」
「ええと……うわ、息子が痴漢、暴行、監禁、その他下半身がらみの事件……この10年間で5回も? うわ、まじひくー」
「その全てが不起訴、あるいは示談で済んでるんやが、流石にこれ以上は派閥のセンセイも庇い切れへん。党全体のイメージダウンになるから、次にやったら辞職か離党勧告やな」
「つまり江田島って人は疎まれていて、立場も危うい?」
「つーか、もう崖っぷちや」
アズハはスマホを操作して画像フォルダを展開。その中の画像を選択して憐に見せた。
画像は、SNSアプリ〈シュリンクス〉のダイレクトメッセージのチャット画面のスクリーンショットだった。
日付は昨年の11月下旬。
チャットの内容は――
「なにこれ……? パパ活のやりとり?」
「江田島センセの息子がまたやらかしたっちゅうワケや。相手は女子中学生。SNSで有名なTheoryっちゅうお天気占い師のファンが集まるコミニュティで知り合ったそうや。ファンのみんなでオフ会しようって話から発展して、息子さんが女の子にコナかけてパパ活に発展したっちゅう流れや」
「やけに詳しいの、なんで……?」
「東瀬織さんからの情報提供や。このスクショも、どういうルートで手に入れたかは知らん。まだ公にはなっとらんが、スクショは昨日に江田島センセの携帯のメアドに送信済みなんやと」
アズハは情報の出所について興味はない。詮索も無用だ。
スクリーンショット内の女子中学生のハンドルネームは〈ウィロー〉。
英語で柳を指す言葉だが、旧日本海軍の練習機〈赤とんぼ〉の連合軍側コードネームでもある。
〈赤とんぼ〉――すなわちアキアカネ。
その正体に関してもアズハは興味はなかった。
下っ端の忍が深く物事を考えても何も変わらない。意味はない。
「ゴチャっとしたことは……もうどうでもええ。どうでもええわ……」
燐に説明するためとはいえ、ガラにもなく頭を使った説明をしてしまった。もう何もかも忘れることにした。
後がどうなろうと知ったことではない。目の前の忍務に全力を注ぐのみ。
無線機に、〈タケハヤ〉から入電があった
『出前は もう到着します お金の用意を お願いします』
「オーケー。1000円ピッタリ用意しときます」
件の江田島議員の乗った車が追い込みポイントに近づいている、という連絡だった。
ここ新潟は江田島議員の地元選挙区だ。
彼は今や地元の名士なので、大きなイベントに出席することがある。
今日は地元唯一のボウリング場のイベントの開会式に出席をした。
ボウリング場では、プロ同士の対決イベントが開催されていた。
〈因縁の女流ボウラー対決! ゴッドストライカー澪vsレディーヘギソバ!〉と題されたイベントはボウリングファンの間で話題になって、前日からボウリング場に長蛇の列が出来ていたとネットニュースでも記事になっていた。
ズン……と地鳴りがした。
地震ではない。
ボウリングの試合の音なのだと、事前に消防から周辺に通知があった。
下手をするとボウリング場が全壊する恐れもあると。
プロボウラー同士の全力全開勝負は、そういう世界なのだと。
だから、多少の騒音があっても怪しまれない。
この路地はボウリング場が面する国道から外れているが、高速道路のインターチェンジへのショートカットルートになる。
江田島議員は選挙活動等で公用車をする場合、この道路を使うことが多い。
また国会の開会が明後日に迫っているギリギリのスケジュールのため、近道を使う可能性も高い。
それでも100%こちらの思惑通りに動くとは限らないので、少し細工をした。
ある人物の協力で、国道に落下物を置いて一時的な渋滞を発生させている。
そして周辺道路にも偽装の工事標識を立てて通行止めとし、この路地へと江田島議員の車を誘導。
そして――
作戦通りの、事故が発生した。
車に何かが衝突する轟音が響いた。
軽金属の外装がひしゃげ、1トンの車体が転倒し、ガードレールが折れ曲がる複合破壊音。
「始まったなぁ……?」
アズハは屋上の淵に身を屈めて、携帯式のハンドスコープで事故現場を確認した。
江田島議員の公用車が襲撃されている。
襲撃者は人間ではない。
偽装用のカバーをつけられ、一部パーツを正式採用型に換装した〈タケハヤ〉だった。
スタンディングモードに変型し、横合いから公用車に体当たりを食らわせて転倒させたのだ。
その見た目は、灰色のマントを被った暗殺機械といったところか。
倒れた公用車の後部ドアが開き、江田島議員が這い出てきた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ! な、なんだぁぁぁぁぁ! なんだお前はぁぁぁぁ……っ!」
人外の暗殺者に狼狽しつつも、江田島議員は必死にスマホを操作していた。
連絡するのは党本部か警察か、どちらにしても今は繋がらない。
「つながら……えぇぇぇ……っ?」
『江田島さん あなたは もう我々に 必要 ない』
〈タケハヤ〉が事前に入力された台詞を出力した。
これは党本部が江田島議員を用済みとして切り捨てたように思わせる演出だ。
電話が不通なのも、自衛隊のロボット兵器が暗殺に差し向けられたのも、全てが自分を始末するために仕組まれた陰謀なのだと。
江田島議員に更なる恐怖を植え付けるための演技は続く。
『抵抗は 無意味 です』
〈タケハヤ〉が江田島議員の開いた後部ドアを軽々と剥ぎ取り、これみよがしに放り投げた。
この人工筋肉駆動の腕に捕まれば、人間の首など一瞬で捩じ切られる。
「あぁ! あぁぁ! あぁぁぁぁぁぁ……っっ!」
実戦、暗殺、襲撃、そんなものとは無縁の日本の政治家に覚悟も胆力もあるはずがない。
眼前に迫るのは避けようのない死の現実。
〈タケハヤ〉の無機質なバイザーと、その下の複合センサーユニットは命乞いの希望を無慈悲に反射する。
恐怖と絶望に声は擦れ、江田島議員はもはや失神寸前だった。
その時、横合いから何かが〈タケハヤ〉の鼻先に投げ込まれた。
それが発火済の船舶用大型発煙筒だとは、江田島議員に分かるはずがなかった。
「江田島さん! 今の内に脱出を!」
知らない男の叫びが響き、発煙筒は猛烈な赤い火花を吹き始めた。
船舶用発煙筒の火力は車両用の100倍に達する。さながら大型のロケット花火を地上で爆発させるようなもので、〈タケハヤ〉の機体を瞬く間に煙と火花で包んでいく。
「うあぁぁぁぁぁぁ! もう、なんなんだよぉぉぉぉぉぉ!」
江田島議員は半狂乱になりながら、横転した車から抜け出し、煙幕を突っ切って逃走に成功した。
これも全て演出の内だ。
本当に〈タケハヤ〉が殺す気なら即座に江田島議員の首は捩じ切られていたし、この程度の煙幕で追撃を止めることも出来なかった。
江田島議員の逃走を確認して、アズハはスマホを取り出した。
「さーて、次の段階にGOや」
電波状態は回復している。
この周囲には一時的に携帯電話用のジャミング装置を仕掛けただけだ。ごく狭い領域でしか使えない、一般業務用のジャミング装置だ。特に珍しいものでもない。
アズハは非通知設定で電話をかけた。
そして1コールで電話を切った。
それが、協力者への合図だった。
江田島に逃げ込んだ路地には、フードを被った大男が待ち構えていた。
「エダジマセンセイデスカ」
ボイスチェンジャーで変声した男が呼びかける。
江田島は興奮状態だった。
「だっ、だれっ……誰だよぉぉぉ……もぉっ』
本来ならこんな怪しい男など無視するだろうに、こんな状況だから対応せざるを得ない。
大男は、この心理作戦の締めに入った。
「オチツイテクダサイ、センセイ。ワレワレハ、センセイノミカタデス」
「み、味方? ということは、さっき助けてくれたのも……」
「ハイ。ワレワレノメンバーデス」
それについては半分は嘘だ。
多数の構成員を抱える巨大な組織が江田島を助けたと思い込ませるための話術だ。
嘘というのは事実を混ぜ込むことで説得力が増す。
「センセイ、アナタハキリステラレマシタ。リユウハ……ワカリマスネ」
「ああ、くそ……そうだ……その通りだ……ちくしょう! 今まで俺がどれだけ国に貢献してきたと……くそっ!」
思惑通り、江田島議員は息子のスキャンダルを口実に党内派閥から排除されたと思い込んでいる。
知り過ぎた人間が事故や自殺に見せかけて始末されるのは、政治の世界では良くあることだ。江田島自身、かつては邪魔者を始末する側だったのかも知れない。
この様子だと、単に息子の件だけが理由だとは思っていない。
もっと大きな、公にされると困る情報を握っている可能性もある。
江田島議員との会話に、手応えがあった。
「センセイ。ワレワレナラ、アナタヲマモルコトガデキマス。ムスコサンニカンシテモ……」
「きみたちは……いったい誰だ?」
「イズレ、レンラクシマス。コノコトハナイミツニ。センセイト、ムスコサンノタメニモ」
大男は、巨体に見合わぬ俊足で走り去った。
暗殺寸前だった江田島議員に、それを追う気力は残っていなかった。
これにて危機感と恐怖心で人間の精神を追い込み、救済し、こちらに都合の良い情報を刷り込んで細胞に変える、拉致あるいは暗殺に見せかけた心理工作作戦は完遂された。
アズハ達も屋上を引き払って、撤収にかかる。
雑居ビルの裏手で少し待っていると、ワンボックスカーが停車した。
スモークフィルムの貼られた助手席のガラスが少し開いて、運転手が手招きをするのが見えた。
「迎えの車や」
「あー、まーた何時間も下の道路かぁ~~」
燐はうんざりした様子で脱力しながら、ワンボックスの後部座席に入った。
監視カメラを出来るだけ避けるため、行きも帰りも高速道路ではなく長い長い一般道の走行となる。
「しくよろおねがいしゃーーっす」
砕けた挨拶をして運転席に目をやると、コート姿の大男がいた。
先程、江田島議員救出を演じて見せた協力者だった。
その顔には、アズハも見覚えがある。
「ああ、年末ん時のオッチャンですか。またどうも、お世話んなります」
アズハは狭い車内で会釈をして、ドアを閉めた。
協力者とは宮元家の関係者、左大億三郎だった。
「ぬはははは! 丁度、爺さんの遺産探しで新潟にいたからな。そのついでみたいなモンよ」
「あのバイクロボットはどうするんですか? 南郷さんの使ってたロボですよね?」
「ボウリング場で試合してるのがウチの身内なんでな。そいつに回収手続きは頼んである」
「ボウリングの……? あの、ヘギソバなんとかっていう……」
「そっちじゃなくて、ゴッドストライカーの方だな。若い頃は、ボウリングのボールを超音速でブン投げて戦ってた子でな~? 中々強かったぜ~?」
冗談なのか本気なのか、よく分からない世界観の話をされて、アズハは苦笑いを返すしかなかった。
一方、燐は怪訝な表情で左大の横顔を伺っていた。
「あのさ……おじさん。前にも会ったことある……?」
「前って? お嬢ちゃんとは年末に会ったろ?」
「いや、それよりも前っていうか、そんな気が……」
「あ~~ん? 知らないねぇ~? 大体、俺がお嬢ちゃんたちみたいな若い子と知り合う機会あると思う? 俺は自営業で一人暮らしの貧乏人! 出会いなんて! 全く! ないぜ~~? ぬはははははは!」
自分の身の上を豪快に笑い飛ばしながら、左大はゆっくりと車を発進させた。
アズハはシートベルトを締めて、座席を倒した。
「ふう……ウチはちっと休むわ……」
徹夜と寒さで体力の限界だった。睡眠が必要だった。
それに、長い旅路も寝ていれば苦にならない。
「燐も寝てまえ……。明日も明後日も仕事あるんやから……」
「うん……」
燐の煮え切らない態度が気になったが、今は話を出来る余裕がなかった。
どうせ少しすれば燐も寝るだろうし、起きた時には悩みも忘れているかも知れない。
楽観的に考えながら、アズハは暖房とエンジンの駆動音を子守唄に、深い眠りに沈んでいった。
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