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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと12

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 1月下旬、東京都千代田区霞が関、中央合同庁舎第6号館。
 内、A棟。
 法務省、応接室。
 ソファに、背広姿の痩せた男が座っていた。
 菰池志郎という男だ。
 内閣府直轄の研究機関で人造神となるAIと、その筐体を開発している部署の責任者だ。
 菰池は萎縮していた。
 相対するのは、法務省の役人だった。
 刑事法制に関わる局長級の人物だった。
 その地位に比例するかのように、巨大な男だった。
 お茶の置かれたテーブルを挟んで、菰池を圧迫するほどに巨大な男だった。
 プレッシャーが大きいとか、権力が大きいとかの比喩ではない。
 物理的に、巨大な男だった。
 背広の首から下が、異様に膨れている。気球のように膨らんでいる。目算にして直径約2メートル。
 そして胴体から下は縮んでいる。いや通常のサイズだ。背広から伸びる両腕も通常のサイズだった。
 正しく気球に手足が生えたような見た目だ。
 気球が椅子に座っているのだ。
 まるでアメリカの古いカートゥーンのデフォルメキャラクターだ。
 冗談のような男だが、雰囲気は冗談ではなかった。
 今開かれるのは非公式の会談ゆえに、法務省側の男は本名を隠している。
 仮に気球局長としよう。
 菰池は胃痛と恐怖を抑えながら、気球局長に本題を切り出した。
「何度も要請している通り、AIの人格権を認めた上で、人間と同じ法適用が可能な法改正を――」
「ぶふぅ」
 気球のガスが抜けるような吐息が、菰池の言葉を遮った。
 嘲笑うような、吐き捨てるような、気球局長の呼吸音だった。
「あのさぁ、梅山くん」
 気球局長の声は見た目に反して普通だった。
 だが菰池の名前を間違えている。
「AIに人格権だの人間と同じ扱いだの、そういうご冗談は何度来ても取り合えないんだよね、ウチでは」
「ですから、これは冗談ではなく内閣府からの要請で……」
「ほーん……?」
 気球局長がお茶を飲んだ。
 菰池は自分の名前を訂正するチャンスを掴めなかった。下手にそんなことを言い出したら機嫌を損ねてしまいそうだ。
 気球局長の気球胴体の上の首が、ころりと横に傾いた。
「じゃあ、書類出してよ。総理のハンコがある書類」
「いえ、ですから我々は機密上、そういうものは……」
「じゃダメだわ。帰って」
 なんとも軽い扱いで、気球局長は出入り口を指差した。
 おかえりはあちら、だと。
 菰池の背筋が怒りと屈辱でぶるり震えた。
(こぉんのクソデブがァァァ~~! 俺を誰だと思ってんだ、あ? 新たな神の創造にたずさわる超絶理系研課長様だぞ、お? お? テメーごとき頭でっかちクソ文系とは仕事の重み、公務員としての次元が違うんだよォォォ~~~~!)
 怒りを腹中で沸騰させていた。
 やはり文系など一人残らず省庁から放逐すべきだ。技術を理解しない蒙昧な文系こそが国を滅ぼすのだと良く分かる。
 菰池は、ここに来るのは今日が初めてだ。
 前任の担当者も、その前の担当者も、前の前の担当者も気球局長との交渉に失敗し、上と横からの重圧で精神が壊れて休職してしまった。
 だが菰池は違う。
 自分は他の連中とは違う。
 自分は選ばれたエリートなのだ。バックには内閣府がいるのだ。
 他の省庁の木端役人どもなど、政治的圧力で叩き潰してやる自信があるのだ。
「いえ、それは呑めませんな……」
 菰池は平静の仮面で踏みとどまった。
 こちらの方が立場は上だと気球局長に分からせねばならない。
「局長、あなたは私たちの仕事を理解されていますか?」
「あー、キミの前任者から何回も聞いたよ。夢のような話だ。内閣府のホームページにも載ってるな? ええと? フォックス・ライス構想だっけ?」
 気球局長は笑っていた。
 完全にコケにされている。
「ぶふっ、そもそもフォックス・ライスってなによ? キツネうどんの親戚? いや、イナリ寿司?」
「いえ、ウカノミタマという神様のことでして……。その神様は稲荷信仰、つまりキツネと稲穂の……」
「あ、ごめんね。名前の由来とかどうでも良いんだわ」
 じゃあ聞くなよ……!
 菰池は俯き、気球局長に見えないように歯を食いしばった。
「我々の仕事内容を……ご、ご理解されていると考えて……良いのですね?」
「ええと? 人間の知覚や認識をAIで拡張してどうのこうのを20年以内に達成するとか? ぶふっ……夢みたいな話だね。まるで中学生の妄想ノート……。これで良く予算貰えたね」
 いちいち皮肉が癪に障る……!
 菰池は平静に、余裕の笑みを作って顔を上げた。
「局長、笑い話ではなく構想は実用段階にきているのです」
「知ってるよ。キミの前任者や前の前の担当者から女の子の格好をしたロボットも、自衛隊の新型警備ロボットも説明された。ウンザリするほどにね」
「なら……法改正の必要性は承知のはずでしょう!」
「ぶふっ……ははははは」
 気球局長がガスを噴き出した。
 苦笑いを通り越し、呆れてように気球の頭部が首を傾げた。
「キミたちはこう言いたいワケだ。『我々の使用するAIは人格を有している。だからこれに人格権を認めることで、現行の名誉棄損、侮辱罪等を適用。彼らに対する批判を封じ込めたい。そのために法改正をしろ』と」
「そうです。現に我々がサポートアプリに使用しているAIが中傷に晒され、学習に支障が――」
「却下だ」
 まるで部下の使えない企画を没するような気安さで、気球局長は菰池を両断した。
 気球局長が、またお茶を飲んだ。
「ロボットに人格、人権を認める。まるでSFだな? で、そのSFの中でロボットの権利を認めたらどうなる? 大体ロクな結果にならないわな~?」
「ですから、これはSFではなく――」
「梅山くん。お前――私を想像力のない役人だと思ってバカにしてんのか? おん?」
 気球局長の声色が一変した。
 菰池の名前を間違えたまま、威圧的な巨体の影が膨らんだ。
「なあ梅山よ。私とお前が座ってる、このソファ。こいつにもし意識があってだ、人権を与えたら、どうなる? こうして気軽に圧し掛かることも出来んし、壊れたら捨てることも出来ない」
 気球局長の体重が、ソファをミシミシと鳴らしていた。
 物言わぬ道具の悲鳴を無視して、話は進行。
「それどころかソファにテーブル、事務用品の数々が権利を主張してストでも起こしたら? 世の中はメチャクチャだわな~? どうして便利に使える道具に人間と同じ権利を与えにゃならんのだ? 頭湧いてんのか、お?」
「いえ、我々のAIは事務用品では……」
「同じだよ。知性のあるなしの線引き? そんな曖昧な定義で法律を変えられると思っとんのか? そんな下らんことで我々、法務省の仕事を増やすのか? あ~~、それともぉ~~?」
 気球局長がコキコキと首を鳴らして、巨大なる胴体の上から菰池を見下ろした。
「お前らぁ……自分たちの使ってるAIだけ特別扱いの超法規扱いしてほしいってのが、本音なんじゃないか?」
 核心を撃ち抜かれて、菰池は固まった。
 完全に先手を取られた。交渉のペースを掌握された。
 いや、最初から菰池が有利だったターンなどない。
 気球局長は、あまりにも巨大な敵だった。
 いや、冷静になれ。冷静になるのだ菰池――。
(ふざけるな……! ウカが完成すれば、こいつのような法務関係の役人なぞ全員お払い箱だ。司法もAIが制定し管理する時代になる。人間は合法的に全員クビか窓際送りだ。そのあたりを分からせてやる……!)
 自分で自分に言い聞かせ、菰池は捲土重来。
 気球局長の物理的サイズに負けじと、椅子から立ち上がった。
 野生動物がマウント合戦、あるいは威嚇のために自己のサイズを大きく見せるのと同じだ。
「きょ……局長。あなたは何も分かってない。既に法務省一つが意固地になっても全体の流れは止められないのです。あなたも将来のポストが大事なら、時流を見あやま――」
「ほぉぉぉ~~~~ん?」
 遮って、気球局長が立ち上がった。
 巨大な男だった。
 物理的に、巨大すぎる男だった。
 身長的には菰池と大して変わらないはずなのに、前後左右の幅が違い過ぎる。
 壁だった。
 気球局長の腹は、球体の壁だった。
 その壁が、菰池の視界を完全に埋めていた。
「あーのーよォ~~、梅山ァ? お前、こうしてウチに頭下げにきてんのに『お前らなんぞ問題じゃない』って矛盾してねーか? じゃあ、ウチ抜きでAIだのロボットだの回転寿司計画だの進めりゃ良いんじゃねーの? あ? 自分の言ってること分かってんのか、お?」
「あ、いやだから、その、か、回転じゃなくて……。あな、あなたの立場……立場が……」
「あ~~? ナニ言ってのんか聞こえねぇよぉ~~!」
 壁が……気球局長の壁が迫ってくる!
 テーブルを乗り越えて、巨大なる気球腹が菰池に迫ってくる!
「うひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
 菰池は悲鳴を上げた。
 巨大なるものに潰されることへの、本能的恐怖だった。
 かつて人類がもっと非力な原始生物であった頃、自分達より大型の類人猿に追い立てられ、平野で巨大肉食獣に襲われていた頃の遺伝子に刻印された恐怖が蘇ったのだ。
「う、あああああああああああ!」
 迫りくる気球腹に菰池が腕を突き立て、押し留めようとすると――妙な感触がした。
 気球局長の腹は、脂肪の感触がしなかった。
 ざらりとした、紙の感触。
 何十枚、何百枚、いや何千枚と積層した何かの書類の塊に、腕が飲み込まれていく!
「ああ! なに、なにこれぇぇぇぇぇぇ!」
「俺の腹が脂肪だと思ったか間抜けェ! 俺のスーツの中には何千という刑事裁判の判例がプリントアウトして格納されとるのだァ! お前のように権力を自分の力と勘違いした小僧を完膚なきまでに叩き潰すための物理的理論武装としてなァ~~!」
 なんということか、気球局長は正しく法の鎧で完全武装していたのだ!
 恐らく菰池の前任者も、前々任者も、この法の鎧に敗れて論理的に精神を破壊されたのだろう。
「俺は法務省の局長だぞ? 法で我が身を固めるのは当たり前だろうがァァァァ~~!」
「ウオオオオ! 負けん、負けんぞぉ~~!」
 そうだ、菰池。
 菰池志郎、お前は他の奴らと違う。
(俺は強い俺は強い俺は強い!)
 何度も何度も心で心に言い聞かせ、負けそうな自分を奮い立たせる。
(俺はこんな暗記だけが得意な文系野郎とは違うゥ! Aラン大学工学部卒! ガチガチの理系エリートォ! こんな所で終わる男じゃあねェェェェェェェェ~~!)
 菰池の脳裏に、受験勉強の辛さ、発狂寸前で臨んだ入試、レベルの高い授業に取り残されかかった恐怖心、アイドル系アーケードゲームにハマりすぎて奨学金を使い切り更に単位を落としかけた焦燥感、卒論が書けずに死にかけた絶望、哀しく辛い過去が一斉にフラッシュバック。
 それら全てを乗り越えて、今こうして国家国民の未来をかけた新たな人造神の創造に関わった自分がいる! という自信が気力となり、両の拳に熱がこもるのを感じた。
「たかが判例文のプリントアウト! 我が練りに練ったインテリジェンスで押し返してくれるわァ~~! 破ァァァァ!」
 両手に科学のオーラを込めて、菰池の掌底が気球局長の腹を突き破った。
 無数の判例の積層装甲を貫通し、ついに気球局長の胴体本体に拳が到達!
(勝った! 勝ったぞッッッッ!)
 菰池が勝利を確信した瞬間――掌に硬い感触が触れた。
 ごつん、と厚みのある何かに菰池の掌が止められていた。
 菰池の表情は一転、絶望と恐怖にぐにゃりと歪んだ。
「な、なにぃ~~? なんじゃこりゃぁぁぁ~~~~!」
「愚か者がァ~~! 法曹関係者なら誰でも携帯しとる基本装備を知らんかったようだなァ~~!」
「な、なにを~~ッ?」
「ポケット六法じゃあ~~!」
 ホケット六法の一般的サイズは縦19cm×横13cm、厚さ4.5cm、重量910グラム。
 法務局長の身を守る最終装甲としては十分すぎる代物である。
 法の厚みと厚力に、菰池志郎――敗北ッ!
「お帰りはあちらァ!」
 気球局長の一声で、菰池は合同庁舎から叩き出された。
「ぐっはァ!」
 ズタボロの体で霞が関の歩道に負け犬が転がった。
 それを見た別の庁舎の前に立つ警備員が笑いを押し殺していた。良くある光景なのだろう。
「うぅぅぅ~~……ちくしょォォォ……ちくしょォォォォォ~~!」
 菰池、悔し泣き。
 官僚社会に横の繋がりはない。ウ計画が国家的計画とはいえ、バラバラに作られた部品のパッチワークに過ぎず、一枚岩の計画ではないのだ。
 全くの別部署、別省庁の意思統合は今日のように困難を極める。
 菰池の所属する研究機関も表向きは機密費で運営されているため、内閣府の表だった力添えは得られないのだ。
「こ、こうなったら……」
 菰池は屈辱の汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら、ポケットから携帯電話を出した。
「縦の繋がりでぇ……政治家先生の圧力でェェェェェ……ぶっ潰してやらァ木端役人がァァァァァ~~……!」
 ウ計画に親や祖父の代から関わる世襲議員の閣僚先生に協力をお願いするのだ。
 彼らも計画の全ては知らない。
 ただ漠然と自分達の権力構造を子孫まで強固にするための遠大な計画だと、議員になる際に知らされているだけだ。
 議員との交渉は最終手段である。
 あまり連中の俗っぽい意思に振り回されたくないからだ。あいつらはノイズでしかないからだ。
 菰池たち、選ばれた一握りのエリートだけがウ計画を正しく導かねばならない。
 その強い意思で政治家を利用してやろうと電話をかけたのだが――
「な・ん・で! 繋がらねぇんだよぉ~~~~っ!」
 相手は一向に出る気配がなく、菰池はスマホを放り投げた。
 アスファルトにバウンドして、ヒビ割れたスマホが宙を舞う。
 ディスプレイに表示された電話アプリ。
 連絡相手は〈えだじま先生〉と表示されていた。
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