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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと10
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その日、碓氷燐はいつもより身だしなみに時間をかけた。
女の子のお化粧というのは、男性が考えているよりも遥かに時間がかかるもので、念入りにやると1時間や2時間はくだらない。
なので、燐は朝の5時に起きてシャワーを浴びて、長い髪を整え、まつ毛やらリップやらマニキュアやら多種多様な自己整備に3時間を費やし、鏡に向かって笑顔を作って
「おっはよー、おにーさぁ~ん♪ あーしと会えなくて寂しかったっしょ? ぎゃひひひひ……」
と、いつも通りの小生意気かつ下品な調子で挨拶を練習しては
「あー、ダメダメダメダメ……顔作れてねーし……。あーしらしく、おにーさん相手に優勢でいないと……」
顔面を覆って表情の再錬成に挑むこと更に1時間。
時計と現実と自分の理想とにとりあえずの妥協をして、燐はアパートの自室を出た。
私服を着て、ショルダーバッグに満杯の荷物を詰めて、栃木県某所の南郷の隠れ家に出発した。
燐は忍者である。
穏行の心得は基本技能であり、監視カメラの死角を縫って駅前まで移動。
そこからバスとタクシーを何度も乗り継いで、都内から栃木県まで北上した。この辺りの交通費はバカにならないが経費に計上するので問題ない。
数時間後、目的地近くの道の駅でバスを降り、トイレで着替える。
トイレから出ると、憐は現地の高校の制服を着ていた。
寒冷地に合った厚手の生地のセーラータイプの冬服だった。
防刃仕様ではない普通の制服だが、事前にスカート丈だけは詰めてある。
もさっと長いままでは却って不自然だし、なにより可愛くない。
学生という身分は隠密行動に向いている。どこの街を歩いていても不審に思われない。
そこから更にバスに乗って20分ほどで、山中の温泉街に着いた。
バス停から暫く歩いて、坂を上って、辿りついた目的地は――
湿度の高い家だった。
『帰ってください……』
インターホンの向こうから、冬の霙のような女の声がした。
「いやちょっ……帰れって……?」
燐が困惑する中、インターホンは一方的に切断された。
「はぁぁぁぁぁぁぁ?」
なんやねんこの応対――。
意味が分からなかった。
燐はインターホンをピンポンピンポンピンピンポンポン連打した。
「帰って、じゃねーーんだけどッッ! あーしはおにーさんに呼ばれたから来たの!」
『兄さんはあなたには会わないそうです』
「なワケねぇ~~だろ! なーに勝手に代弁してんのさ! ってか、『兄さん』てナニよ『兄さん』て! あんたアカの他人じゃんかよ!」
『前にも言った通り、私は兄さんの精・神・的・妹です』
頭湧いてんのかハッ倒すぞこのBBA――と、憐は口に出しかけドアを蹴りかけた。
その時、インターホンの向こうで物音がした。
『えっ、ちょ……兄さ――』
インターホンが切られてから間を置かず、玄関のドアが内側から開いた。
「すまない。上がってくれ」
南郷が隙間から憐を招いた。
燐はホッと一息安堵したが、南郷の顔色が悪いのが気になった。
二階の南郷に部屋に上がると、憐は脱力して椅子にもたれかかった。
「あ~~っ……もっ疲れたぁぁぁぁぁ! ここまで何時間もかけて来たのに、なによあのお出迎え!」
「すまなかったな……」
南郷はベッドに腰掛けて、少し息を切らしていた。
「ぐっ……」
療養中とはいえ、あまり回復しているようには見えなかった。
「ねえ、おにーさん……だいじょぶ?」
やや不安げに尋ねてから、憐はしまったと思った。
(やべっ……あーし、いつもの調子じゃねーし……)
散々練習した笑顔と不遜な態度を実行できなかった。
自分は今どんな顔をしているだろうか。笑顔でなければ自分らしくない。南郷に対して有利でいられない。会話の主導権を取れない。というか、キャラが違うとか何とか変な印象を持たれてしまう――。
燐があたふたと落ち着きなく髪と顔面を弄っていると、南郷が床を指差した。
「風邪薬、米とおかず……」
ぼそり、と呟いた三つの単語。
それは昨日、電話で要請された補給物資の暗号だ。
燐は我に返って、足元に置いたバッグを漁った。
「あぁ、はいっ! か、風邪薬……ね!」
まず出したのは、薬の紙袋だった。
燐が調合した外傷用の塗り薬と内服薬である。
「それと、お米とおかず……っと」
続いて、高カロリーの携帯食とビタミン剤等のサプリメント。米の暗号はこれら実用的な食糧を指す。
そして、おかず――こちらは複数のタッパーに入ったお手製弁当であった。
ショルダーバッグの容積は、ほとんどこのタッパーが占有していた。
「このお弁当……さ。あ、あーしが作ったの。うひひひひひ……」
燐が照れ笑いを漏らしながらも誇らしげに出したタッパーの山だったが、南郷は困惑気味だった。
「いや……おかずというのは確かに普通の食い物の暗号なんだが……。別にコンビニの弁当で――」
「だーめっ! 良くない!」
燐は強い口調で遮った。
「コンビニ弁当とかさ、添加物だらけでイマイチ体に良くないじゃん? だから、あーしが健康に気を使って美味しい薬膳作ったんだから♪」
「はあ、薬膳……」
「あっ、いま漢方薬的な? 薬臭い料理想像したっしょ? ちーがうんだな~~、コレがっ!」
タッパーの一つを開封して見せる。
中身は黒酢餡をかけた酢豚で、黄色と赤のパプリカが見た目にも鮮やかだった。薬臭さは全く無い。
「薬膳っていってもさ、あからさまに薬草ポンポン入れるワケじゃないんだよね~? 胃腸の弱った人でも食べやすく、栄養満点に作る気遣いが大事じゃん?」
「ン……」
「あっ、意外と思ったっしょ? あーしが料理なんて出来るワケない! と思ってたっしょ?」
「まあ……」
「あーしの碓氷流活殺法は毒殺もお手のモノ。どんな料理にも決してバレずに毒を仕込むために、料理の腕も鍛えられるってワケ。あ、もちろん毒なんて入れてないよ? うひひひひ……」
笑いながら、燐は南郷の顔色の悪さに意識が留まった。
療養中なのに、どうしてこうも具合が悪そうなのか。
そもそも食事に困っていないはずなのに、なぜ食糧を要求してきたのか。
燐の表情は、ゆっくりと真顔になっていった。
「ねえ、おにーさん……ご飯、ちゃんと食べてる?」
「食ってるが……鏡花の料理はな……」
「料理が……?」
「いまいち口に合わない……」
申し訳なさそうに言っているが、要するにあの女――右大鏡花の料理は不味いということだ。
この様子では南郷はマトモに食事を摂れてない。顔色が悪いのもそのせいだろうか。
だから燐に食糧を持ってきてほしいとSOSを出した……?
そう考えると、燐の中で二つの感情が同時に吹きあがった。
「なにさ、それ……最ッ悪!」
鏡花に対する怒りと
「じゃあ、ここよりあーしの家のが……良くない?」
南郷に対する強烈な保護欲である。
いや、むしろチャンスとさえ思った。
食事がマズいという明確な理由があれば鏡花を言い負かすのは容易いだろうし、南郷を家に呼んで直に治療できる。
というか――同居を正当化できる。
怪我人の看護をするなら学校を休まなければならないが、仕方のないことだ。出席日数は少しピンチなので最悪留年するかも知れない。いや、南郷のためなら別に留年なんて大した問題ではない。むしろ、もう一年長く制服を着られると思えばお得かも知れない。そこまでして南郷に尽くすということは恩を売ることにもなるわけで、その負い目を利用すればもっともっと親密に濃密に――
「……燐」
「うえっ?」
南郷に名前を呼ばれて、燐の意識は現実に返った。
目が渦巻いて半ば狂気の世界に入りかけていた。
「あははは……ゴメンゴメン、なんでもねーし……。でも、おにーさんが良いならさ……マジ、うちに来ても……」
「いや、ここで十分だ」
南郷はぽつり、と俯き加減に言った。
今にも折れそうな枯れ木のように見えた。
ほんの半月前に、敵サイボーグとたった一人で死闘を繰り広げた戦鬼とはまるで別人であった。
単に怪我をして、食事が不味いというだけで、ここまで弱るものだろうか……?
燐は、それとなく部屋を見渡した。
部屋というより病院の個室に近い間取りで、飾り気はない。
掃除は良く行き届いている。
テレビはあるがパソコンやオーディオの類はない。
ベッドの枕元には、分厚いファイルが置かれていた。
「なにそれ?」
「これは……新兵器のマニュアルだ。この前使ってた増加装甲の強化型の……」
武骨というか物騒というか、非常にコメントに困る代物だった。
武器の説明書からどう会話を膨らませろっちゅうねん。
女子高生としてはドン引きだが、忍者として考えれば会話は不可能ではない。
「そういや、おにーさんさ……前の戦いの時、敵の攻撃を避けもせずに食らった……って聞いたけど? どうして?」
「ああ……それは、なんていうかな……」
南郷は少し考える素振りをした。
「敵に隙がない場合は、攻撃のチャンスを作るしかない。つまり、敢えて敵の攻撃を受けてカウンターを狙う」
「なにそれ? 誰に習ったの?」
「習ったんじゃない。自分で考えて、この結論に至った」
それは恐らく、達人の技だ。
直接戦闘には消極的な燐でも、実戦の駆け引きの何たるかは座学で学んでいる。
隙のない敵の包囲、構えに綻びが生じるとしたら、それは攻撃の瞬間のみ。
そこを狙うのは死中に活を見出す、死と紙一重の反撃法だ。
頭では理解できても、なまじの覚悟と技量では実現し得ない戦法だ。
南郷は長きに渡る強敵との実戦の中で、独力で達人の域に達したのだろう。
(アズっちが惚れ込むのも分かるわー……)
燐は感心した。
大人を信用しなかったアズハが、戦士として南郷を認めたのも分かる話だ。
同様に燐のリスペクトも更に強まった。
それは浮かれた恋かも知れないし、幼い憧れかも知れないし、単純に死線に立つ忍び者としての尊敬の念かも知れない。
(おにーさん、マジすっげ……)
ぼーーっと浮かれた気分で部屋を見ていると、やや離れた机の上にラップのかかった皿が目に入った。
「ん……?」
それは手つかずのクッキーだった。
「あれ? なにそれ、食べないの?」
「ああ、それは……」
南郷が言葉を濁した。
燐はクッキーが妙に気になった。
女の勘が、忍の嗅覚が、不自然に手つかずのクッキーと南郷の体調不良とを磁石のように結びつけていた。
「このお菓子……」
気が付けば、燐は椅子から立って、卓上の皿を取り上げていた。
ラップを外して、臭いを嗅いで、直感の疑念は知性の解答に至った。
「……毒入りじゃん、これ……っ」
燐は慄き、声を押し殺した。
療養の世話役の女が、看護対象に毒を盛るという理解不能の状況。
しかし、南郷は平然と佇んでいた。
「ああ、そうだな……」
全てを承知済みだったかのように冷静に、しかし哀れむような声で、南郷十字は呟いた。
女の子のお化粧というのは、男性が考えているよりも遥かに時間がかかるもので、念入りにやると1時間や2時間はくだらない。
なので、燐は朝の5時に起きてシャワーを浴びて、長い髪を整え、まつ毛やらリップやらマニキュアやら多種多様な自己整備に3時間を費やし、鏡に向かって笑顔を作って
「おっはよー、おにーさぁ~ん♪ あーしと会えなくて寂しかったっしょ? ぎゃひひひひ……」
と、いつも通りの小生意気かつ下品な調子で挨拶を練習しては
「あー、ダメダメダメダメ……顔作れてねーし……。あーしらしく、おにーさん相手に優勢でいないと……」
顔面を覆って表情の再錬成に挑むこと更に1時間。
時計と現実と自分の理想とにとりあえずの妥協をして、燐はアパートの自室を出た。
私服を着て、ショルダーバッグに満杯の荷物を詰めて、栃木県某所の南郷の隠れ家に出発した。
燐は忍者である。
穏行の心得は基本技能であり、監視カメラの死角を縫って駅前まで移動。
そこからバスとタクシーを何度も乗り継いで、都内から栃木県まで北上した。この辺りの交通費はバカにならないが経費に計上するので問題ない。
数時間後、目的地近くの道の駅でバスを降り、トイレで着替える。
トイレから出ると、憐は現地の高校の制服を着ていた。
寒冷地に合った厚手の生地のセーラータイプの冬服だった。
防刃仕様ではない普通の制服だが、事前にスカート丈だけは詰めてある。
もさっと長いままでは却って不自然だし、なにより可愛くない。
学生という身分は隠密行動に向いている。どこの街を歩いていても不審に思われない。
そこから更にバスに乗って20分ほどで、山中の温泉街に着いた。
バス停から暫く歩いて、坂を上って、辿りついた目的地は――
湿度の高い家だった。
『帰ってください……』
インターホンの向こうから、冬の霙のような女の声がした。
「いやちょっ……帰れって……?」
燐が困惑する中、インターホンは一方的に切断された。
「はぁぁぁぁぁぁぁ?」
なんやねんこの応対――。
意味が分からなかった。
燐はインターホンをピンポンピンポンピンピンポンポン連打した。
「帰って、じゃねーーんだけどッッ! あーしはおにーさんに呼ばれたから来たの!」
『兄さんはあなたには会わないそうです』
「なワケねぇ~~だろ! なーに勝手に代弁してんのさ! ってか、『兄さん』てナニよ『兄さん』て! あんたアカの他人じゃんかよ!」
『前にも言った通り、私は兄さんの精・神・的・妹です』
頭湧いてんのかハッ倒すぞこのBBA――と、憐は口に出しかけドアを蹴りかけた。
その時、インターホンの向こうで物音がした。
『えっ、ちょ……兄さ――』
インターホンが切られてから間を置かず、玄関のドアが内側から開いた。
「すまない。上がってくれ」
南郷が隙間から憐を招いた。
燐はホッと一息安堵したが、南郷の顔色が悪いのが気になった。
二階の南郷に部屋に上がると、憐は脱力して椅子にもたれかかった。
「あ~~っ……もっ疲れたぁぁぁぁぁ! ここまで何時間もかけて来たのに、なによあのお出迎え!」
「すまなかったな……」
南郷はベッドに腰掛けて、少し息を切らしていた。
「ぐっ……」
療養中とはいえ、あまり回復しているようには見えなかった。
「ねえ、おにーさん……だいじょぶ?」
やや不安げに尋ねてから、憐はしまったと思った。
(やべっ……あーし、いつもの調子じゃねーし……)
散々練習した笑顔と不遜な態度を実行できなかった。
自分は今どんな顔をしているだろうか。笑顔でなければ自分らしくない。南郷に対して有利でいられない。会話の主導権を取れない。というか、キャラが違うとか何とか変な印象を持たれてしまう――。
燐があたふたと落ち着きなく髪と顔面を弄っていると、南郷が床を指差した。
「風邪薬、米とおかず……」
ぼそり、と呟いた三つの単語。
それは昨日、電話で要請された補給物資の暗号だ。
燐は我に返って、足元に置いたバッグを漁った。
「あぁ、はいっ! か、風邪薬……ね!」
まず出したのは、薬の紙袋だった。
燐が調合した外傷用の塗り薬と内服薬である。
「それと、お米とおかず……っと」
続いて、高カロリーの携帯食とビタミン剤等のサプリメント。米の暗号はこれら実用的な食糧を指す。
そして、おかず――こちらは複数のタッパーに入ったお手製弁当であった。
ショルダーバッグの容積は、ほとんどこのタッパーが占有していた。
「このお弁当……さ。あ、あーしが作ったの。うひひひひひ……」
燐が照れ笑いを漏らしながらも誇らしげに出したタッパーの山だったが、南郷は困惑気味だった。
「いや……おかずというのは確かに普通の食い物の暗号なんだが……。別にコンビニの弁当で――」
「だーめっ! 良くない!」
燐は強い口調で遮った。
「コンビニ弁当とかさ、添加物だらけでイマイチ体に良くないじゃん? だから、あーしが健康に気を使って美味しい薬膳作ったんだから♪」
「はあ、薬膳……」
「あっ、いま漢方薬的な? 薬臭い料理想像したっしょ? ちーがうんだな~~、コレがっ!」
タッパーの一つを開封して見せる。
中身は黒酢餡をかけた酢豚で、黄色と赤のパプリカが見た目にも鮮やかだった。薬臭さは全く無い。
「薬膳っていってもさ、あからさまに薬草ポンポン入れるワケじゃないんだよね~? 胃腸の弱った人でも食べやすく、栄養満点に作る気遣いが大事じゃん?」
「ン……」
「あっ、意外と思ったっしょ? あーしが料理なんて出来るワケない! と思ってたっしょ?」
「まあ……」
「あーしの碓氷流活殺法は毒殺もお手のモノ。どんな料理にも決してバレずに毒を仕込むために、料理の腕も鍛えられるってワケ。あ、もちろん毒なんて入れてないよ? うひひひひ……」
笑いながら、燐は南郷の顔色の悪さに意識が留まった。
療養中なのに、どうしてこうも具合が悪そうなのか。
そもそも食事に困っていないはずなのに、なぜ食糧を要求してきたのか。
燐の表情は、ゆっくりと真顔になっていった。
「ねえ、おにーさん……ご飯、ちゃんと食べてる?」
「食ってるが……鏡花の料理はな……」
「料理が……?」
「いまいち口に合わない……」
申し訳なさそうに言っているが、要するにあの女――右大鏡花の料理は不味いということだ。
この様子では南郷はマトモに食事を摂れてない。顔色が悪いのもそのせいだろうか。
だから燐に食糧を持ってきてほしいとSOSを出した……?
そう考えると、燐の中で二つの感情が同時に吹きあがった。
「なにさ、それ……最ッ悪!」
鏡花に対する怒りと
「じゃあ、ここよりあーしの家のが……良くない?」
南郷に対する強烈な保護欲である。
いや、むしろチャンスとさえ思った。
食事がマズいという明確な理由があれば鏡花を言い負かすのは容易いだろうし、南郷を家に呼んで直に治療できる。
というか――同居を正当化できる。
怪我人の看護をするなら学校を休まなければならないが、仕方のないことだ。出席日数は少しピンチなので最悪留年するかも知れない。いや、南郷のためなら別に留年なんて大した問題ではない。むしろ、もう一年長く制服を着られると思えばお得かも知れない。そこまでして南郷に尽くすということは恩を売ることにもなるわけで、その負い目を利用すればもっともっと親密に濃密に――
「……燐」
「うえっ?」
南郷に名前を呼ばれて、燐の意識は現実に返った。
目が渦巻いて半ば狂気の世界に入りかけていた。
「あははは……ゴメンゴメン、なんでもねーし……。でも、おにーさんが良いならさ……マジ、うちに来ても……」
「いや、ここで十分だ」
南郷はぽつり、と俯き加減に言った。
今にも折れそうな枯れ木のように見えた。
ほんの半月前に、敵サイボーグとたった一人で死闘を繰り広げた戦鬼とはまるで別人であった。
単に怪我をして、食事が不味いというだけで、ここまで弱るものだろうか……?
燐は、それとなく部屋を見渡した。
部屋というより病院の個室に近い間取りで、飾り気はない。
掃除は良く行き届いている。
テレビはあるがパソコンやオーディオの類はない。
ベッドの枕元には、分厚いファイルが置かれていた。
「なにそれ?」
「これは……新兵器のマニュアルだ。この前使ってた増加装甲の強化型の……」
武骨というか物騒というか、非常にコメントに困る代物だった。
武器の説明書からどう会話を膨らませろっちゅうねん。
女子高生としてはドン引きだが、忍者として考えれば会話は不可能ではない。
「そういや、おにーさんさ……前の戦いの時、敵の攻撃を避けもせずに食らった……って聞いたけど? どうして?」
「ああ……それは、なんていうかな……」
南郷は少し考える素振りをした。
「敵に隙がない場合は、攻撃のチャンスを作るしかない。つまり、敢えて敵の攻撃を受けてカウンターを狙う」
「なにそれ? 誰に習ったの?」
「習ったんじゃない。自分で考えて、この結論に至った」
それは恐らく、達人の技だ。
直接戦闘には消極的な燐でも、実戦の駆け引きの何たるかは座学で学んでいる。
隙のない敵の包囲、構えに綻びが生じるとしたら、それは攻撃の瞬間のみ。
そこを狙うのは死中に活を見出す、死と紙一重の反撃法だ。
頭では理解できても、なまじの覚悟と技量では実現し得ない戦法だ。
南郷は長きに渡る強敵との実戦の中で、独力で達人の域に達したのだろう。
(アズっちが惚れ込むのも分かるわー……)
燐は感心した。
大人を信用しなかったアズハが、戦士として南郷を認めたのも分かる話だ。
同様に燐のリスペクトも更に強まった。
それは浮かれた恋かも知れないし、幼い憧れかも知れないし、単純に死線に立つ忍び者としての尊敬の念かも知れない。
(おにーさん、マジすっげ……)
ぼーーっと浮かれた気分で部屋を見ていると、やや離れた机の上にラップのかかった皿が目に入った。
「ん……?」
それは手つかずのクッキーだった。
「あれ? なにそれ、食べないの?」
「ああ、それは……」
南郷が言葉を濁した。
燐はクッキーが妙に気になった。
女の勘が、忍の嗅覚が、不自然に手つかずのクッキーと南郷の体調不良とを磁石のように結びつけていた。
「このお菓子……」
気が付けば、燐は椅子から立って、卓上の皿を取り上げていた。
ラップを外して、臭いを嗅いで、直感の疑念は知性の解答に至った。
「……毒入りじゃん、これ……っ」
燐は慄き、声を押し殺した。
療養の世話役の女が、看護対象に毒を盛るという理解不能の状況。
しかし、南郷は平然と佇んでいた。
「ああ、そうだな……」
全てを承知済みだったかのように冷静に、しかし哀れむような声で、南郷十字は呟いた。
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