上 下
150 / 235
国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと3

しおりを挟む
「今世のいんたーねっと……というモノは確かに便利ですが、人類には過ぎた道具でございます」
 瀬織は横文字の発音に、独特の甘ったるいイントネーションがある。
 その過ぎたる文明の利器をスマホで閲覧しつつ、人外の堕ちたる女神がアプリケーションを開いた。
「特にこの――しゅりんくす」
 SNSアプリ〈シュリンクス〉。
 日本最大の利用者数を誇るSNSであり、アジア圏や欧米でも類似のサービスとの提携が始まっているという代物だ。
 今やカチナも利用者の一人なので、良く知っている。
「おぉ、我も使っちょるぞ」
「なら、お話が早い」
 瀬織は検索ワードを入れて、あるアカウントを表示した。
 AIサポートアプリ〈UKA〉の公式アカウントだった。
「単刀直入に言います。カチナさん、これに関わるあかうんとを……炎上させてください」
「はあ?」
 やけに勿体ぶって何を話すかと思えば、あまりにもくだらない依頼で、カチナはずるりと椅子から落ちかけた。
「荒らし要請かぁ? ふざけとんのかっ!」
「あら? わたくし真面目ですわよ?」
「だいたい……我のアカウントは閲覧専門じゃ! フォロワー数は0じゃぞ0! そいつのフォロワー数を見てみぃ!」
 カチナはスマホの画面、〈UKA〉のアカウントに表示されているフォロワー数を指差した。
「5000万ッッッ! この国の人口の半分近いじゃないかッッッ!」
「はい。このあぷり、日本人の7割が利用しているそうですので」
「算数苦手か!0が5000万相手にどうせぇっちゅうんじゃ! 戦いにすらならんわっ!」
 無名のアカウントには無謀すぎる挑戦である。
 だが、瀬織は小首を傾げて笑っていた。
「あらぁ? カチナさんはふぉろわー数を戦闘力か何かと勘違いしてますわねぇ?」
「ち、違うのか……?」
「要はキレ味でございますよ。キレのある一撃、それも捨て身の特攻ならば身一つでも相手を燃やすことは難しくありませんわ。実際、何回か試したことがあるんですの」
「はぁ?」
「予行演習という奴ですわ。こんなこともあろうかと、今世の人間がどれだけ進歩しているか……試してみたんです」
 要するに、過去に意図的な炎上を起こしたことがあるのだという。
 カチナが言えた義理ではないが、ロクでもない奴だと思う。
「だから、我にも自爆覚悟でやれと……?」
「さすがに徒手空拳というのは分が悪いですからね。初期装備くらいは整えてあります」
 言うと、瀬織は別のスマホをポケットから取り出した。
「今回の商売道具を支給いたします」
「はあ……?」
 どうにも意図が飲み込めず、カチナはスマホをスリープモードから復帰させた。
 ホーム画面の背景には、見知らぬ女が映っていた。
 芸能人ではない。どう見ても素人の自撮写真であった。
「だ、誰じゃ……?」
「このすまほの持ち主のぉ……誰なんでしょうね?」
「はぁ?」
「このすまほ、気前のいい殿方から譲ってもらいましたの。もちろん、名義はそのままで。うふふふふ……」
 瀬織はとても不穏な内容を、笑いを嚙み殺しながら続けた。
「つまり、このすまほで何をやろうとも……ふふふ、カチナさん達が法的に追及されることはありませんので、安心して特攻してくださいな♪」
 とんでもないことを言っている。
 おそらく以前に炎上を試した云々も、同様に他人から奪ったスマホを使ったのだろう。
 犯罪組織の頭領を名目上やっているカチナですら、唖然とした。
 加えて、聞き捨てならない一言もあった。
「ちょっと待てい! 今、『達』と言うたな!」
「はい。カチナさんの一族全員分のすまほ、用意してありますわよ?」
 瀬織は平然と言った。
 すなわち仕事内容とは、カチナ達の一族総出でスマホを使ったネット工作をしろということだ。
 確かに汚れ仕事である。しかも落ち度のない相手の悪口を書き込めというのだから、まともな人間のやる仕事ではない。
「ね、ネガキャンっちゅうやつかい……」
「あら? 欧米では選挙活動で相手の粗探しをするのは、珍しいことではないそうですが?」
「で、でものう……」
「それにぃ……相手は人間ではないので、遠慮はいりませんわよぉ~~?」
 瀬織がまた奇妙なことを言った。
 アプリの運営アカウントとはいえ、その奥にいるのは人間だ。
 いきすぎたクレームは中傷になり、デマを流せば業務妨害になる。つまりは犯罪。刑事と民事の両方で立件される可能性がある。
 その程度のリテラシーは、カチナでも知っている。
 現代に蘇った黒竜とて、二ヶ月もあれば知恵もつく。
「おぬし……我を無知だと侮って鉄砲玉に使えると思っとらんか?」
「誤解がありますわね? 実際。今回ブッ叩く相手に人権はないんですよ」
 瀬織はスマホを操作して、ブラウザのタブを展開した。
 最初に見せられた、ナントカというバーチャルキャラクターのアンチスレッドが表示された。
「コレはいわゆる配信者を中傷する集まりなんですが、このように長いこと放置されています。なぜだか分かりますか?」
「この国でも中傷は犯罪じゃろ? なんでじゃ……?」
「中傷してる誰かさんを起訴しようにも、原告が物理的に存在しないのですよ」
「はあ?」
「このウカという小娘ェ……人間ではなく人工知能なので」
 カチナは、瀬織の説明がいまいち理解できなかった。
「ほぇ?」
「人間が演じているタイプの配信者と違って、正真正銘の人工知能には現行法では人格や人権は認められておりません」
「だから……このウカちゃんというの、そういう設定なのではないか?」
「ところが一度も名誉棄損や侮辱で訴えられた人がいないのですよ。あるのは運営企業が原告になった、偽計業務妨害の訴えくらいですかね? それもウカに対する中傷ではなく、企業に関するデマを流布したから――というのが理由でした」
 カチナはスマホの画面を凝視した。
 スレッド内では朝から晩までウカなるバーチャルアイドルに対する誹謗中傷罵詈雑言が書き込まれている。人間のアイドルなら警察沙汰になりそうな犯罪予告まであったが、それも日常茶飯事のようで特に話題にもならずスレッドは流れていく。
 なるほど、確かに色々と異常な状況だ。
 更にスレッドを読み進めていくと、今度はウカのファンらしき書き込みが現れ、住人と言い争いを始めた。
「なにやっとんじゃコイツら?」
「ですから、宗教戦争ですわ」
「他人事なのに、どうしてここまでムキになるんじゃ?」
「うふふふ……それをこの人達に言ったらマジギレされちゃいますよ~?」
 瀬織は唇をなぞって、足を組み直した。
「ウカが本当に人工知能なのか、それとも頑なに設定を守っているのか――いずれにしても何を言っても訴えられないので、中傷はどんどん過激になっていきました。この掲示板、元々は否定的意見と肯定意見は仲良く住み分けしていたのですが、状況が複雑になった結果、相手側の拠点に攻め込む小競り合いが頻発するようになったみたいですね?」
「つまり信者はウカちゃんがサンドバッグにされてるのが許せなくて、アンチスレに殴り込むと?」
「逆もまたしかり。大嫌いなウカを盲目的に拝んでいる連中が許せないから論破しくに行く――というのもありますね。後は終わりなき報復合戦ですわ」
「一銭にもならんのに?」
「はい。ですから、宗教対立というほかありませんわ」
 神を崇拝する者と、排斥しようとする者、立場は違えども両者は等しく神に依存していると言える。目障りで不愉快なら、存在自体を見なければ良いのだが、それが出来ない――つまり神の存在を認めてしまっている。
 排斥者がどれだけ神の偶像を嫌っていようが、既に宗教に取り込まれているということだ。
 カチナはネット上の対立構造を概ね理解できた。
「ふぅむ……なるほどのう」
「人間とは、あらゆるモノに信仰を見出す生き物です。雨風や偶像に留まらず、どこかの誰かが作った文章を拝む人達もおりますし、漫画の設定を神格化する人もおります。人思うに神あり。神ありて人あり。神代から今も変わらぬ業でございます」
 カチナも竜であった頃は神として信仰対象だった。
 人と信仰に関しては、分かる話である。
 瀬織はスマホの画面を再び操作して、〈シュリンクス〉に検索ワードを打ち込んだ。
「人は考える葦と言います。神を持たぬ人間は悲惨であり、神を持つ人間は幸福であるとも。しかし際限なく伸びる草というのは、ある意味で害でございます。たとえば、会ったこともない人間を『なんて良い人なのだろう』と勝手に拝み始めたり、『こいつはなんて酷い奴なんだろう』と勝手に憎み始める。そして人は生き生きと信仰と闘争を始めるのです」
 瀬織は検索結果の画面をカチナに見せた。
 最初に見えたのは、あるアカウント名だった。
「theory? お天気予報の個人アカウントじゃのう?」
「はい。淡々と天気予報をするだけの人です。でも的中率が高いので、予言者扱いする人もいれば、勝手に聖人認定する人もいます」
 そのtheoryなるアカウントのフォロワーは日本だけに留まらず、世界中にいるようだった。
 ある者は「テレビの天気予報より当たる!」と持ち上げ、ある者は「地球意思の代弁者!」とまで褒め称えていた。
 フォロワー数は60万人を超えている。
 数的な影響力は大したものだし、質的にも軽視できなかった。
「ん~~? クァラルン・サルサヴァ―ン? このフォロワー、どっかで見たような……?」
「はい。欧州で活躍されている環境保護の過激派さんですね」
「んぁ?」
 カチナはクァラルン・サルサヴァ―ンなるアカウントを二度見した。
 エコロジストという割には恰幅が良い中年女性だった。簡単に言えば、毎日脂身たっぷりのステーキを1ポンドは食っていそうな見た目なのだ。
(この女、たしかニュースで……)
 ドイツ政府の高官と組んで推し進めた極端な環境保護と電化政策が裏目に出て、災害発生時にガソリン発電機が使えずに犠牲者が増えたとかで遺族に告発されていたのだ。
 その原告団を前に「緑を大切にしない奴は死ぬべきなのよォーーーーッッ!」と逆ギレして遺族をスモーレスラー的体当たりでブッ飛ばしていたニュース映像を見たことがある。
「で……そのtheoryがどうしたんじゃ?」
「これは一例でございます。このtheoryさんがもし天気以外の予言を始めたら……信仰とは、使い方次第で毒にも薬にもなる。それは人が愚かしき生き物だからでございます。この愚かしき思考する葦は、自らの思考と像象力によって滅ぶのですよ」
「我に……その手伝いをしろと?」
「はい。人の信仰を利用し、憎悪を膨らませてほしいのです。はち切れんばかりに」
「叩く対象はウカではなく、それを信仰する両者……。アンチと信者を焚きつけろ、と」
「うふふふふ……」
 馬鹿げた仕事の馬鹿げた問いに、瀬織は嫣然たる微笑で応えた。
 こんなことを何のために? と問うても答えてはくれないだろう。末端が全てを知る必要はない。イリーガルな情報工作、あるいは組織犯罪とは、そういうものだ。
 カチナは「ふぅ……」と溜息を吐いて、瀬織に向き直った。
「報酬は?」
「前金で5億。成功報酬で更に10億」
「ネット工作にしちゃ破格じゃのう? 信用できるのか?」
「口約束で借金から差し引く――と言っても信用できないでしょう? ですから、前金だけは仮想通貨で振り込んでおきます」
「なぜ、我らを選んだ? 都合が悪くなったら切り捨てる気ではないのか?」
 表ざたに出来ない仕事に犯罪者の虜囚を徴用するのだ。相応の理由があると見て当然だ。
 真意を測れぬ限り、カチナは首を縦に振る気は無かった。
 数は減ってしまったとはいえ、一族はまだ数十人いる。カチナは、彼らの命の責任を負う立場にいるのだ。金に釣られて一族郎党地獄行きなど冗談ではない。
 瀬織は「ふん」と軽く鼻を鳴らして、頷いた。
「理由は簡単ですわ。カチナさん達もまた、法的に宙に浮いた人間だからですよ」
「ふん? つまり、あのウカとかいうAIと同じか?」
「はい。魔術的機動兵器を持ち込んだ犯罪組織? 邪竜の魂を定着させた巫女? そんなワケの分からない存在を、現代の日本の法律でどう立証しますか? 存在を立証できない人達だから監視の目が及ばないのです」
「我らが、お前たちの情報を敵に売るとは思わんのか?」
「カチナさんに限って、それは無いですね」
「なぜ?」
 カチナたちは宮元家に義理も人情もない。
 借金を帳消しにして逃げられるのなら、喜んで敵対勢力に情報を売る。
 それらの叛意を封じ込める映像を、瀬織はスマホの動画プレイヤーで再生した。
「ん……これは?」
 プレイヤーに映るのは、夜間の戦闘記録映像だった。
『私は 怪物相手には 容赦 しない』
 誰かの主観映像で、人間サイズのロボットに攻撃されている。
 映像内でロボットが赤い破魔の光を放つのを見て、カチナは目を細めた。
 魔の存在たる黒竜には、いささか酷な内容だった。
「マガツチの戦闘記録です。ご覧の通り、敵は人外の存在を許しません。わたくしやカチナさんは、排除対象というワケです」
「ふぅむ……逃げ場ナシか? それがおぬしの交渉術か?」
「必要な情報は開示いたしました。少なくとも、わたくし達にとって契約とは絶対です。契約とは、神の存在を定義する根源であり、枷でもあります」、
 カチナに近しい魔の存在……東瀬織が、整然と理屈を語った。
 近しいからこそ、共感し得る契約論だった。
「さあ、カチナさん。契約の是非はあなたの裁量次第でございます」
 スマホを閉じて、瀬織が椅子の上で姿勢を正した。
 カチナ、選択の時である。
 このぬるま湯の牢獄で、いつ終わるとも知れぬ労働で一族の命運を磨り潰すか。
 危険な賭けにベットして、解放に至るルーレットを回すか。
 背骨が締め付けられるような、重責の痛みがあった。
 人の身で初めて味わう苦痛の中で、カチナが選んだのは――
しおりを挟む

処理中です...