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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと46

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 碓氷憐が7歳の時、両親は自宅で撲殺された。
 憐の目の前で、殴り殺された。
「悪党にはよ~~ッ! 何しても良い~~んだよッッッ!」
 犯人の男は、そんなことを叫んでいた。
 正論だと思う。
 事実、憐の両親は殺されて当然のことを生業にしてきた。
 碓氷家は代々、毒物を扱う邪忍の家系である。
 金さえ貰えばどんな人間でも、何人でも何十人でも何百人でも殺してきた。
 父は特殊な毒を調合して、省庁の汚職を告発しようとした職員を心不全に見せかけて殺したこともある。
 母は大企業の会計担当者を毒針で刺して昏倒させ、電車への飛び込み自殺に見せかけて殺したこともある。
 両親は特に悪びれず、夕食時の日常的な会話で殺人の成果を語っていた。
 幼い憐にとっても殺人談話は日常の一部だったので、善悪の区別などつかなかった。
 怨念返しが形となって、拳となって、両親の頭部を粉砕するまでは。
 夜半、家の扉を蹴破って押し入ってきた見知らぬ男。
 彼は憐の両親か、あるいは祖父母に親類縁者を殺された被害者だったのかも知れない。
「なっ……なんだねキミは!」
 父は一般人を装って毒針で奇襲しようとしたが、失敗した。
 問答無用で顔面を一撃で粉砕された。
「きゃあーーーっ! たっ、たすけてぇ~~っ!」
 母は怯えて逃げるフリをしながら吹き矢で攻撃しようとしたが、通用しなかった。
 男は座布団で吹き矢を防御しつつ、拳骨で母の頭部を打ち砕いた。
 その男は強かった。
 男の事情は今に至るまで知る由もないが、名もなき一般復讐者が忍者より強い、ということもあるのだろう。
 憐は世界の広さを知り、因果応報を知った。
「加害者が被害者面してんじゃねぇぞコラァ! 人殺して稼いだ金で育ったんだからよォ~~ッ! ガキも同罪だろうァァァァッッッ!」
 男は幼い憐にも容赦しなかった。
 首根っこを掴まれて、家の窓ガラスをぶち破って外に放り投げられた。
 家は川辺にあり、その日は昨夜の雨で増水していた。
 濁流に呑まれた憐が助かったのは、単なる幸運だった。
 はるか下流に流されて、丸一日かけて徒歩で帰宅した時には、家の中は空っぽになっていた。
 家財も何もかもあの男が戦利品として持ち去ったのか、あるいは碓氷家を警察に捜査されると困る依頼者たちが後始末をしたのかは、定かではない。
 それからずっと、憐は一人ぼっちで生きてきた。
 分家に引き取られて碓氷流活殺術の伝承者として訓練は受けたが、愛情を注がれたことはなかった。
 憐は単に、宗家の血脈と技術を受け継がせるための器でしかなかった。
 気の合う邪忍の仲間とつるんでも、お互いの関係は割とドライで、忍務でどちらかが死ねばそれで終わりだ。死と共に友情も何もかも儚く消える。
 色々な男とも付き合ってきた。
 中学の時に出会った、少し年上のチャラい男。
 顔が良いだけの軽薄な奴で、「愛してる」とか「好きだぜ」とか口にしても、憐の仕事に巻き込まれると血相を変えて逃げていった。
 高校に上がった時に世話になった、裏社会の男。
 どこかのヤクザの若頭だなんだとイキがっていた。優しくて面倒看が良い大人の男、みたいな顔をしていたが、憐のことは情婦兼都合のいい手駒として飼い慣らす気でいたのは見え見えだった。
 ある時、本心を試すつもりで「ヤバい奴らに追われてる。匿って」と言ってみたら「自分のケツくらい自分で拭け」と手切れ金10万円を渡されたので、それで関係は終わった。
 後になって男は組の内部抗争に負けたとかで「助けてくれ」と何度もメールと電話を送ってきたが、もう知ったことではなかった。
 男なんて、大人なんて、人間なんて、
 どいつもこいつもくだらない。
 人生もつまらない。
 どうでもいい。
 だから拘りなんて捨てて、自由に、適当に、日々を適度に楽しく過ごして、いつかどこかで何の未練もなく死んでしまおう。
 人殺しを生業としている以上、いつか自分も両親のように怨念返しで殺されたとしても、それは当然の結果だ。
 仕方のないことだ。
 悲しい過去? 哀しい現在? 未来が見えない? そんな被害者面なんてしない。
 人殺しの金を使って生まれて、人を殺した金で育ってきた、最初から真っ暗なこの人生には何も期待していないし、拘りもない。
 そんな風に思っていたのに――星が見えてしまった。
 無明の夜空に浮かんだ南十字星に、憐は希望を見てしまった。
「おにーさんが死んだら……あーし、また真っ暗になっちゃうじゃん……」
 柄にもなく、憐は悲痛に呻いた。
 トレーラーの狭い寝台で、憐は意識不明の南郷を看護していた。
 あぐらを組んだ足を南郷の枕にして、見下ろす形で応急処置を続けていた。
 南郷の右腕は上腕から粉砕、喪失していた。
 ここは元から義手だったので出血もなく、人工筋肉の潤滑液流出はゴムバンドできつく締めることで止めた。
 胸に刺さった針は極低温だったらしく、傷の周囲は凍傷になっていた。
 心臓に刺さらなかったのは南郷の技量によるものか偶然かは定かではないが、傷は呼吸器系に達して、南郷の息を心細いものにしていた。
 極低温攻撃の外傷のため、出血が少ないのが不幸中の幸いといえる。
「死なせたくない……おにーさんだけは……生きててほしいの……っ」
 祈るように小さく呟きながら、憐は傷口に軟膏を塗って、ガーゼとテープで抑えた。
 こんな気持ちになるのは、生まれて初めてだった。
 勝手に南郷に救いを求めている。ただの独善なのかも知れない。
 子供じみた憧れなのかも知れない。初めて出会う、口だけじゃない本物の大人にそういう感情を抱いているだけなのかも知れない。
 もしかしたら――生まれて初めて、異性に女の子らしい恋心を抱いているのかも知れない。
 彼のことはロクにに知りもしないのに、身勝手に燻る感情で自家中毒を起こしかけている。
(ああでも……こんなコト、おにーさんに言えるワケないじゃん!)
 まるで生娘みたいに悶々と悩む。
 南郷にはきっと、自分はアバズレだと思われている。
 そんな自分が急に普通の女の子みたいなことを言い出しても、怪訝な顔をされるか、冗談だと思われるだけだ。
 もしくは、「お前は好みじゃない」とか「そういう対象に見れない」とか、バッサリと切り捨てられるかも知れない。
 人に拒絶されるのが怖いだなんて、思ったこともなかった。
 自分の感情を整理できなくて、頭の中がごちゃごちゃになって、憐は熱い溜息を吐いた。
「どういう“好き”なのか分かんない……。でも、大好きなのは……マジなんだからね……」
 憐は長い髪で南郷の顔を覆うように俯いて、彼の冷たい頬を両手で抱いた。
 看護という体裁の中で、凛が出来る最大限の我儘だった。
 ここは所詮、薄いカーテン一枚で隔てられた仮初の密室。隠し事なんて、睦み事なんて、出来る場所ではない。
 車は揺れる。
 シートベルトで固定されていない南郷を支えるには、こうして抱くしかない。
 これは仕方ないこと。必要なこと。
 そういう卑怯な言い訳が成立する、限界ぎりぎりの一線だった。
 トレーラーは、どれくらい走り続けただろうか。
 体感できる速度は大して変わらず、一般道を走っていたことは分かった。
 カーブと坂道がやたらと多かったので、きっと山道を走っていたのだろう。
 トレーラーがブレーキをかけて、運転席でギアがパーキングに入る音がして、憐は目的地についたのを悟った。
「着いたの、アズっち……?」
 憐はカーテンに手をかけた。
 その手に、南郷の指が触れた。
 冷たく、体温のない指だった。
「どこだ……ここは」
 虚ろな目のまま、南郷は意識を取り戻していた。
「っ! お、おにーさんっ!」
 憐は驚きと歓喜、そして南郷を膝枕しているという状況をどう説明すべきかと混乱した。
 だが南郷の真っ青な顔を見て、冷静さを取り戻した。
 未だ予断を許さぬ状況なのだと。
「く、車の中だよ。左大って人が回収に来てくれて……」
「あぁ……また、死に損なったのか……」
 無念そうに呟く南郷の言葉が、自分の生をぞんざいに扱うような言葉がとても悲しくて……憐は両手で南郷の手を握りしめた。
「死なせないよ……あーしが絶対死なせないから……っ」
「あぁ……そうかい」
 呆れるような、突き放すような南郷の言葉の真意は分からなかった。
 まだ、彼のことは何も分からなかった。
 寝台のカーテンは、助手席のアズハが開けてくれた。
「合流地点……らしいで?」
 窓から見える外の風景は、ライトに照らされた雪景色。
 木々に雪が降り積もり、しっとりと濡れたアスファルトには薄く雪がかかっている。
 どこかの山中の駐車場に、トレーラーは停まっていた。
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