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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと42

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 山を隔てて20キロメートル離れた戦場で、凍れる地獄が敗れて墜ち、嵐の竜が吼えた頃、冬月の照らす山中にて儀式が始まっていた。
 異形の者たちが、月下に相対す。
 かたや、機械じかけの人造天使〈ウリエル・セカンド〉。
 かたや、人でなしの狐面の巫女、氷川朱音。
 そして蚊帳の外には、ただの人間。東景が、成す術なく事の始末を見守っていた。
 景の客観的な視点からでは、朱音と〈セカンド〉は何もかも対照的な異色の対決に見えた。
『警告する 氷川朱音くん バカげたことは 止めなさい キミに必要なのは 適切な メンタルケアだ』
 〈セカンド〉が男の合成音声で理性的に呼びかけた。
 イミテーションの無表情の口は微動だにせず、スピーカーからの発声だ。
 全身を装甲に覆われたヒロイックなデザインといい、〈セカンド〉はまるで児童向け特撮ドラマに登場するロボットヒーローのように見えた。
 対する朱音は――
「はぁ? 機械のくせに分かったような口効くの止めてもらえる? 私はとっくに救われてるの。解放されてるのよ。キャハハハハハ!」
 黒い蟲の装甲をまとい、毒づいて笑う様は、完全に悪役だ。
 考えてみれば、〈セカンド〉は体制側の守護者である。
 それに反抗する園衛や瀬織、そして朱音の方こそが社会的には悪なのではないか……?
 景の疑念を見透かしたように、〈セカンド〉が首をこちらに向けた。
『東景くん キミは 本当に これで 良いのかい?』
「えっ?」
 急に話を振られて戸惑う景に、〈セカンド〉は説得するように続けた。
『友人は悪の道に染まり キミもまた 悪に加担しようとしている 法的にも 倫理的にも 良くない結果になるだろう』
「お、脅してるんですか……僕を」
『事実を言っているんだ キミの将来に きっと大きく影を落とす 社会に敵対した人間が どんな一生を送るのか 想像してみたまえ きっと キミのためにはならない』
「うぅ……」
 萎縮する。
 実際、これからの自分の一生を想像すると恐ろしくなる。
 戦いの始まりも終わりも景には関係のないことだ。そんな他人事に関わったせいで、死ぬまで監視され、冷遇され、迫害されるような人生を強いられるとしたら……。
 それでも、景は歯を食いしばって、〈セカンド〉を見据えた。
「そうだとしても……僕は、家族に帰ってきてほしいんです!」
『カゾク? 東瀬織の ことかね? あんな 怪物が? 家族?』
「あなたが何と言おうと……瀬織は僕の家族です!」
 景はありのままの感情を露わに叫んだ。
 その様子を横目で見て、朱音は肩を震わせた。
「ハハハ……珍しく男の子してるじゃん、東くぅん? コイツの詐欺臭いくっだらない勧誘に乗ったら、蹴っ飛ばしてやるつもりだったケド……ちょーーっと見直したかも?」
 説得を破談にされた〈セカンド〉は、俯き加減に佇んていた。
 困惑しているようにも見えた。
『キミたちは二人とも 病んでいる 健全では ない』
「あらぁ? 自分が理解できないからビョーニン扱い? 学習しなよ。人の幸せに他人がクチ挟むのはお節介だって。アンタ、たっかい税金で作られたロボットなんでしょぉ?」
 朱音は挑発しつつ、装甲のハードポイントから薙刀を引き抜いた。
「たくさんの大人があくせく働いて税金注いで、役人と学者の苦労の結晶みたいなアンタをブッ壊すぅ……。想像しただけでゾクゾクしちゃう♪」
『器物損壊 銃刀法違反 脅迫 キミの犯罪は 現行犯だ 逮捕の権限は 正規の警官ではない 今の私にも ある』
「あっそう!」
 一声と共に朱音が踏み込んだ。
 人工筋肉のパワーアシストによる脚力が枯草を蹴飛ばし、月下に白刃をひと薙ぎ!
 銀の残像奔る斬撃を、〈セカンド〉はバックステップで回避した。
『無駄なことは 止めなさい』
 〈セカンド〉の制止を無視して、朱音は跳躍、距離を詰める。
「無駄ァ? なめた口効いてんじゃないよ!」
 更なる斬撃、刺突があらゆる方向から〈セカンド〉に殺到するが、その全てが回避された。
 銀の空裂音は、ただ虚空を切断するのみ。
 朱音の攻撃は確かに速い。
 しかし、多少なりとも武術に精通した者なら、その欠点は一目で分かる。
『キミの攻撃は私には 当たらない それすらも分からないのかね』
「はぁぁぁぁぁ?」
 遠目に見ている素人の景ですら、瀬織や園衛といった戦闘経験者と比べて、朱音の動きの拙さは理解できた。
 決定的に、踏み込みが足りないのだ。
 武器を振るうにしても、腕の動きだけで振り回している。足さばき、体移動、どれを取っても達人はおろか、経験者には遠く及ばない。
『キミは所詮 武術のたしなみもない 素人の少女だ たまさか手に入れただけの異能を 闇雲に振り回したところで――』
 〈セカンド〉は回避ステップに変化を加え、自ら薙刀の間合いの内に踏み込んだ。
『――見切るのは 容易い』
 〈セカンド〉の手が薙刀の柄を受け止め、赤色メタマテリアルの爪によって切断。
 得物を破壊された朱音は、とっさに後に跳躍した。
「っ!」
『キミの身長は 155cm 平均的な女子中学生のそれだ 私に格闘戦を挑むには あまりにも小さい 間合いの短さを補うための武器だったのだろうが――』
 〈セカンド〉が手の甲の自由電子レーザー砲を朱音に向けた。
『――すべて 無意味だ』
 偏光レンズからレーザーが放たれる。
 跳躍中の朱音に回避する術はない。レーザーの着弾は一瞬だ。数秒の照射で装着している〈マガツチ〉の装甲は容易に焼き切られる。
 だが、朱音は不敵に笑った。
「あら、そう?」
 〈マガツチ〉のハードポイントに装備された小型の発射筒――スペルディスチャージャーの一つが発射された。
 スペルディスチャージャーとは、粉末化された呪符や霊符を発射。結界発生や解呪に用いる対妖魔兵装である。
 無論、レーザーに対して有効な防御力はない。
 放出された中身が、ただの札ならば。
『な に』
 〈セカンド〉の放ったレーザーは、朱音の直前で膨張した闇に飲まれた。
 スペルディスチャージャーが放ったのは、膨張する闇の雲。
 その雲の中から。無数の蟲が飛び出した。
 百足、蜘蛛、蟷螂、蚯蚓(みみず)といった悍ましき蟲を象った式神たちがレーザーを掻き消しながら、津波となって〈セカンド〉に殺到した。
「アハハハハハハ! 蟲の素晴らしさ……アンタにも、教えてあげる」
 うっとりとした表情で蟲の群れを眺めて、朱音は舌なめずりをした。
 既に〈セカンド〉は蟲津波に飲み込まれていた。
『東瀬織の眷族としての 力か その呪術適性で 式神を発現させたか ここまで用意するのは 想定外だった』
 ギチギチと蟲の牙が装甲に突き立てられ、微細な蟲が関節の隙間から〈セカンド〉の体内に潜り込もうとしている。
『だが それも 無意味』
 直後、蟲の群れの動きが止まった。
 そしてヒビ割れ、土くれとなって崩壊していく。
『マニドライブ 始動』
 崩れる蟲の中から、胸部を展開した〈セカンド〉が立ち上がった。
 その胸には、透明なシリンダの中で高速回転する積層ディスクがあった。
 マニドライブ――それはマニ車の概念を科学的に再現、発展させた電子仏具。全てのまやかしを打ち消し、払い清める強制除霊装置だった。
『この マニドライブは あらゆる悪霊を 消滅させる』
「だからぁ?」
『これで キミを 解放する』
 回転速度を上げるマニドライブを、〈セカンド〉の両手が包むように動いた。
 両手が涅槃の蓮華を象り、マニドライブを中心に見えない力場が集束していく。
 〈セカンド〉の額にあるカメラが、第三の目のごとく金色に輝いた。
『転輪せよ アナーハタ』
 力場解放のボイスコマンドと共に、真紅の閃光が闇を貫いた。
 身構え、回避しようとした朱音だったが、間に合わなかった。
「あっ、あああああああああああ!」
 真紅のチャクラに貫かれ、赤色の光に全身が飲み込まれた。
 甲高い何かの共振音が二重に響いている。
 これは仏道を極めた覚醒者、あるいは菩薩に至った者が発現し得るチャクラによる煩悩破壊の概念を、科学によって再現した霊的攻撃であった。
 以前の戦いで〈マガツチ改〉を灰塵とした除霊力場を、極限まで練り込んだ集束照射である。
 直撃すれば、瀬織のような人造神ですら分解されるほどの清浄な気光を朱音はまともに食らったのだった。
「あっ……朱音ちゃん!」
 景は慄きながら、瀬織の服が入った紙袋を抱きしめた。
 もうここにはない神に、遠くに逝ってしまった家族に、無意識にすがっていた。
(助けてよ……瀬織ぃ……)
 心の中で祈ってしまう。
 情けない。無力感。不安。絶望。
 そんな気持ちから救い出してくれる偶像を、景は切に求めてしまう。
 理不尽な苦しみに理由をつけるために、人は神を求める。
 無限の痛苦から逃れるために、人は神を作り出す。
 原始の神話が生み出された再現のように、景は強く祈っていた。
 そして――除霊の赤い光の中から、黒い一撃が飛び出した。
 それは神懸り的な力でも、奇跡でもなく、あまりにも現実的な物理攻撃だった。
 ビキッ……と音を立てて、〈セカンド〉肩関節に、ワイヤーアンカーが突き刺さっていた。
『ム これは――』
 〈セカンド〉が状況を理解するより早く、朱音が除霊力場から飛び出した。
 狐面が脱げているが、体にも装甲にも傷一つない。
「アッハハハハ! ざーーんねぇん!」
 人工筋肉のパワーアシストによる跳躍と、ワイヤーアンカーの巻き込み加速の勢いを乗せて、朱音はステンレス製の太刀を〈セカンド〉に叩きつけていた。
 ただ力任せにぶつけられた刀身は火花を上げて折れ飛び、衝撃で〈セカンド〉が揺らいだ。
『なぜ 動ける……?』
「私はまだ半分人間だから――除霊ビームは効かないみたいよぉ!」
 朱音は強引に肉弾戦に持ち込んだ。
 装甲に包まれた拳で〈セカンド〉を殴りつけ、朱音もまた〈セカンド〉からの反撃で打ちのめされる。
 弾着のごとき火花と金属音が響く泥臭い格闘戦の結果は――無惨なものだった。
「うぶっ……!」
 朱音は呻きと共に動きを止めた。
 腹部の薄い装甲が砕かれ、みぞおちに〈セカンド〉の拳が深々と突き刺さっていた。
「うっお……ぉぇぇぇぇぇぇ……」
 嘔吐に似た無様な声を吐き出す。
 ろくに鍛えられてない少女の生身に戦闘ドロイドの拳が打ち込まれたのだ。それも内臓への衝撃。耐えられるわけがない。
 勝負は、決した。
『想定外のアクシデントもあったが 結果は変わらない キミの戦闘練度では 私に勝利する可能性は ゼロだ』
「うぶっ……むっかつく言い方ァ……」
 無力化した朱音を〈セカンド〉が掴みあげた。
 巫女服の襟首を掴み、いつでも首に爪を立てられる形での拘束だった。
『不可解だ 私の監視に気付いていながら 無謀にも私に挑んできた まさか 本当に 私に勝利する気でいたのかね?』
「あったりまえ……じゃん」
『愚かな ことだ 東瀬織の 二の舞だ 同じことの 繰り返しだ』
「そう……同じこと、してるのよ? 分かってんじゃん。きゃは……」
 朱音は、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
 根拠のない虚勢――そうとしか見えない。
 常識的に、ここから逆転の目などあるわけがない。
 現実的に、都合良く援軍が来るわけもない。
 朱音の人脈と知識では、ここに何らかのトラップを仕込むことも出来ない。
 勝機など、ありはしないのだ。
 〈セカンド〉が従う、人の理の上では――。
 朱音の瞳に、月光とは別の光が反射している。
 朱音は淡い金色に輝く何かを見て、勝利を確信するように笑っている。
 〈セカンド〉がそれに気づいて振り向いた時には、“それ”は大きく成長していた。
 朱音たちから数十メートル離れた景の足元から、黄金に輝く桑の樹が生えていた。
『なんだ アレは』
 データにない超常現象を目の当たりにして、〈セカンド〉に混乱が生じた。
 記録されたあらゆる怪異のデータを検索しても該当はなし。対処方法にも該当なし。
 軍事作戦用に思考を特化させた〈アルティ〉と異なり、警察用試作機の〈セカンド〉の思考は即攻撃、即排除には移行できなかった。
 要調査、要協議というノイズが電子的な逡巡となり硬直。
 その間にも、桑の樹は異様な速度で成長していく。
 かつて散って果てたこの地にて種が芽吹き、人の思いを吸って成長する。
 神の発生と命の輪廻を再生する。
 黄金の枝葉が伸び、花が咲き、実をつける頃には、幹は人間一人をゆうに内包できるほどの太さに達し――不意に、亀裂が生じた。
 バキリ、と音を立てて幹が割れ、連鎖的に樹木の繊維が削られていく。
 それはまるで、樹が自らをあるべき姿に彫刻していくかのようだった。
「あっ……ああああ……!」
 景は、感嘆の声を上げていた。
 眼前の超常現象には恐怖を感じなかった。
 この黄金の樹には、言い知れぬ懐かしさを感じた。
 花は芳しく、樹の香りは優しく、全てに母に似た懐かしい温もりがあった。
 仏像を彫る仏師は形を創造するのではなく、木の中の仏をただ掘り返すのだという。
 そして今、目に見えぬ願いの手が、樹の中の女神を掘り起こす。
 はるか昔に扶桑樹から削り出された再現のように、一糸まとわぬ少女の姿で――
 東瀬織が再生した。
 金色の光を背に受け、長い黒髪を垂れる様は、神話に語られる太陽の女神そのものであった。
 それは、人の祈りと願いから生じた原初の神の再現。
 人の考え得る最大限の神性を備えた少女は、しかし人間臭い表情で笑った。
「東瀬織……ただいま戻りましたわ」
 自分を想う少年の願いに応え、女神は現世に再誕した。
 ただ一人の人間に寄り添い、共に生きるために、黄泉返ったのだ。
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