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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと39

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 霞ヶ浦大橋から東対岸に、直線距離にして約1kmも進むと、森に覆われた小高い丘がある。
 そこに、RWS(遠隔操作武装)化されたM2機関銃が1基設置されていた。
 RWSからは長々とコードがどこかへ伸びている。
 安心、安全の有線操作によって(タケハヤ)と同期し、同時射撃を行っていたのだ。
 そのコードが今、人の手によって取り外された。
「よいしょっと……」
 鉄火場に不釣り合いなコート姿の少女、アズハがおもむろに機銃を使用不可にした。
 もう用済みなので、事前の打ち合わせ通りの処理をしている。
「燐、戦況はどないな感じや」
 アズハは少し下の茂みに潜む、碓氷燐に声をかけた。
「ど、どうって……ヤバヤバだよぉ……!」
 燐は双眼鏡を覗きながら、声を震わせていた。
 あまり聞いたことのない声色だ。
 アズハが霞ヶ浦大橋に目を向けると、青い炎が見えた。
 1km離れたここからでも、橋の上が炎上しているのは分かる。
「お兄さん……南郷さんのこと、心配か?」
 燐に尋ねると
「あ……ぁ、当たり前じゃんっ!」
 上ずった声が返ってきた。
 アズハは燐との付き合いは割と長い方だが、ここまで感情的になるのは初めて見た。
 意外ではあるが――分かる話ではある。
 足元で、燐がぶつぶつと何か呟いているのが聞こえた。
「ぁぁ……ヤバいヤバいヤバい……ヤバいってぇ! あ、あんなの勝てるワケない……死んじゃう、お兄さん死んじゃう、死んじゃう……っ」
 肉眼では橋の上の様子は見えない。
 だが、燐の様子から南郷が苦戦しているのはアズハにも理解できた。
「燐、ウチらの仕事は終わりや。撤収するで」
「うぅ……そ、そうだけどぉ……」
「そう、だけど?」
 アズハはクールに返した。
 忍者として、しごく当たり前の反応をしている。
 個人業主に過ぎないアズハのような邪忍にとって、契約は絶対だ。
 そこに私情を挟めば、往々にしてロクでもない結末が待っている。
 実際、先日もアズハはそれで大損をした。
 今回、南郷に指示された任務は完璧に果たした。
 各種の内偵から、自衛隊駐屯地の偵察、そして今夜の戦場のセッティングと機材の撤収。それ以上のことは何も頼まれてない。
 だから、これで南郷との契約は終わりだ。
 それは、アズハよりも燐の方が良く分かっているはずだ。
「あ、あーしらが撤収したら……お、おにーさん……一人になっちゃうじゃん……!」
 なのに、燐は撤収を渋っている。
 らしくない行動だ。
 忍者らしくない。先祖代々の生粋の邪忍である。碓氷燐らしくない。
 アズハは責める気はない。
 ほんの少し、呆れがちに話を続ける。
「燐は……お兄さんのこと、好きになってもうたんか?」
「うっ……」
 図星だ。
 まるで生娘のように、燐は言葉に詰まった。
「うぅ……す、好きっていうか、なんていうか……」
「ラブとかライクっちゅうより、リスペクト……尊敬の気持ち。違うか?」
 少し間があった。
 燐は自分の感情を整理している。考えている。
 10秒ほど経って、ようやく答が茂みから返ってきた。
「……うん。たぶん、そうだと思う……」
「せやろな……」
 アズハは燐に同意した。
 実のところ、アズハも同じ気持ちなのだ。
「なあ、燐。南郷さんは……ウチらの頭領に相応しい人だと思わんか?」
「と、とーりょー……?」
「せや。あの人は、ウチらを使い捨ての道具やオモチャ扱いなんかせぇへん。あの人は、ウチらの心が分かる人や。ウチらの技を認めてくれる人や。綺麗事なんか言わん人や。現実主義で実力主義。あの人の下でなら……ウチらは、真っ当な忍の道を歩める気が……するんや」
 アズハは自分でも驚くほどに、清々しい気持ちで喋っていた。
 ずっと、絶望と悪意の泥の中で生きてきた。
 マトモな人生など夢物語でしかなかった。
 日の当たる普通の少女として生きることも、日陰で正当な忍者として生きることも、全ての可能性を閉ざされた人生だった。
 いつか忍務に失敗して、惨たらしく死ぬのが結末なのだと諦めながら、その日その日を生きてきた。
 昨日を思えば後悔に苛まれる。
 明日を思えば絶望に心が腐る。
 だから、アズハにも燐にも今日しかない。
 最底辺の邪忍は鉄砲玉。確実に生きていられるのは、死へと飛翔する装填寸前の今この瞬間しかあり得ない。
 そんな――刹那の極みに生きる儚き仇花に、南郷は結実する未来の可能性を夢見させてくれた。
 この一か月間は――忍者として、人間として、最も充実した時間だった。
「せやからな、ウチはこれからも……あの人の下で働きたいと思っとる。あの人となら、ウチは……」
 自分の夢を叶えられる。
 明日を、明後日を、その更に未来を生きていく自分を想像することが出来る。
 遠い昔に砕けて散って消えてしまった、正義のニンジャになるという夢に辿りつく自分を……!
 青臭くて、気恥ずかしくて、アズハはそれ以上を口に出来なかった。
 燐は、茂みの中で押し黙っていた。
「なあ、燐。いい加減に素直になりーや。ここで自分に嘘吐いたら、死ぬまで後悔するで……自分!」
「ぁ、あーし……は……」
「言え! 言うてまえ! どうせウチしか聞いとらん! お兄さんにも黙っとる! 秘密にしといたる! だから、吐き出してまえ!」
 友人として、忍者として、同じ境遇の人間として、愚図る燐をせっつく。
 茂みの中から「ぁぅぁぅ……」と唸るような声がして、碓氷燐の心の堰に亀裂が入った手応えがした。
 ぶつぶつと、燐が何かを呟いている。
「ぉ、おにーさんは……あーしを助けてくれるの……。こ、こんな……こんな真っ暗な所から連れ出してくれるの……。お星さま……夜空に浮かぶお星さまなの……。どこに行けば良いのか、教えてくれる道しるべなの……だから、だから……」
「だから……なんや!」
「た……助ける。あーしが……あーしが! おにーさんのこと! 助けるのっっっっっ! あの人の力になりたい! い、命……かけられるのっ!」
 亀裂から感情の熱湯が溢れて、心の堰を決壊させた。
 バサッと音を立てて、茂みの中から燐が立ち上がった。
「あーーー! 言っちった言っちったぁぁぁぁぁぁ! こんなん絶対おにーさんには聞かせらんねー! はっ、恥ずかしいぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!」
 絶叫が夜に響き渡る。
 燐がどんな表情をしているか、アズハの位置からでは見えない。大体の想像はつくが、そこは追及しないのが乙女心である。
「ほんなら、行くか!」
「行くのは良いケド……ど、どうするん?」
「ウチらは戦闘には不参加。それがお兄さんの通すスジってヤツや。だから、お兄さんが戦闘不能になったら回収、即撤退! それでええな?」
「や、やっぱ……おにーさん勝てないの?」
「負けるとは思わん。せやかて勝っても無傷っちゅうワケにはいかんやろ。だから、ウチらの出番や!」
 アズハはコートを脱いだ。
 コートの下はいつもの防刃制服である。一気に距離を駆け抜けるなら身軽な方が良い。
 燐もそれに倣ってコートを脱ごうとした矢先、周囲に気配を察知した。
「あ、ヤベっ……。アズっち……」
「バレたか……。燐、マスクつけろ」
 アズハと燐はとっさに上着のポケットからマスクを取り出し、着面した。
 これも制服同様、ただのマスクではない。
 茂みの小道から、無数の駆動音がした。
『不審者を 発見 聴取を 開始します』
 〈アルティ〉の声だった。
 狙撃の射点確認にやってきた班だろう。
 アズハが感じる気配は6体。
 忌々しいことに、アズハと燐は包囲されていた。
 顔のないロボットが姿を現し、アズハと3メートルほどの距離を空けて対面した。
『こちらは 陸上自衛隊です あなたは 訓練の 指定地域に 侵入しています』
「あ、あー? じ、自衛隊のロボット……さんですかぁ? う、ウチらは、その、高校の天文部で、星を見にぃ……」
 アズハは苦しい言い訳で適当にはぐらかす。
 〈アルティ〉のカメラがアズハの顔を確認しているが、見えていないはずだ。
 今しがた着けたマスクは磁気を帯びた特殊繊維と塗料で作られた、ジャミングマスクともいうべき現代忍具である。監視カメラの画像認識を阻むための装備であり、〈アルティ〉にも有効だと信じたい。
『顔認識の 画像が不鮮明です 身分証明書を 提示してください』
「あ、はぁい? 学生証でぇ――」
 アズハは上着の内側に手を入れて、学生証を出すと見せかけ、一瞬で攻撃に転じた。
「――ええですかぁ?」
 空裂音が鳴るより早く、翡翠色の剣閃が〈アルティ〉の首を切断していた。
 伸縮自在のメタマテリアル製変幻忍者刀〈次蕾夜〉による斬撃であった。
 ごとり、と音を立てて金属の頭部が落下。
 即、アズハと燐は茂みを飛び出した。
「逃げるでぇ、燐ッ!」
「って、逃げられんのぉぉぉぉぉぉ?」
「逃げながらブッ倒すんや! 手伝えぃ!」
「ろ、ロボに効く毒なんか持ってきてないんだけどぉぉぉぉぉぉぉ!」
 そんなモンあるんかい! というツッコミの衝動を抑えつつ、アズハは丘を駆け下りる。
 アズハと燐は忍者的脚力で藪を跳び越え、木々をつたって夜を走るが、人間の範疇は超えられない。
 〈アルティ〉の機動力に追いつかれつつあるのを感じた。
『不審者は 攻撃対象に変更 武装の使用制限なし 把捉 攻撃』
 無感情な声に続いて、小銃の発砲音が怒涛のように押し寄せた。
「あぁぁぁっ! くそっ! めんどくさぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 悪態を吐きつつ、アズハは木の幹を蹴って反転。
 闇の中に動く気配に飛びかかり、一撃で〈アルティ〉を切断した。
「ブッ壊すのがロボならセーフや、セーフ!」
 人殺しでないのなら南郷の思いは裏切らない――と自分と燐に言い聞かせて、戦いの正道に身を投じる邪忍少女の表情は、不思議と満足げであった。
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