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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと38

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 夜が更けて、時計が0時を過ぎて、人の作った暦が一つ進んだ頃――
 人間を半分辞めた少女と、人間のままの少年は、夜の山道を歩いていた。
 遠く離れた場所の戦いのことなど知ってか知らずか、十歩先を行く巫女服の少女、氷川朱音はコロコロと笑っていた。
「あっけましておめでとぉ~~って言うけどさぁ~? 年が明けるって、一つ年を取ることだよね? つまりは死に近づいていくってこと。一年間生きていくのも大変だった大昔ならともかくさ、今じゃなーんにもオメデタじゃなくない? バッカみたい! キャハハハハハ!」
 朱音は電灯一つない山道を、ライトも持たずにどんどん進んでいく。
 普通の女の子なら、真冬の夜歩きなんて怖くて仕方ないだろうに。
 まるで闇の中こそが、今の朱音がいるべき場所のように。
「一年間の成長が……おめでとうってことなんじゃないの」
 ぽつり、と景は自信なく反論した。
 景は、荷物運びをさせられていた。どこぞのデパートの店名が印刷された紙袋を持たされている。
 完全に使い走りである。格下扱いをされている。
 特に考えがあっての反論ではない。黙っていると、同い年のはずの朱音に、自分と同じ人間のはずの朱音に、言い負けたような気持ちになるからだ。
「へー? 東くんってさあ、花がしおれて枯れていくのって……オメデたいと思う?」
 返す朱音に、景は呆気に取られるしかなかった。
「えっ……?」
「花は咲き、実をつけ、種を落として、また芽吹く。瀬織様は命の輪廻が美しいと仰ったけど……私は枯れない花が好きなの。永遠の若さと青春を謳歌できるプリザードフラワー……とっっても素敵だと思うなあ~?」
 人間以上のものに憧れ、その念願たる領域に至った少女は、うっとりと闇に謳った。
 景は普通の人間だ。何の特別な力もない。
 それでも、今の朱音からは、とても良くない雰囲気を感じた。
「朱音ちゃん……本当にそれで良いの?」
 良いわけがない。
 まともな人間を辞めて、まともな人生を捨てるなんて、どう考えても――
「東くぅ~ん? 自分との戦いに負けた人間がどうなるかぁ……知ってる?」
「え……?」
「私みたいに、な・る・の♪」
 朱音は軽やかにぴょん、とスキップして、狐の面を半分被った。
「憧れには届かず、願いは叶わず、夢は砕けて、諦めで心は腐って、現実に押し潰されてぇ……どうにかなっちゃうの♪ でもね、心の闇に負けるってぇ――意外と、素敵なのよ? 綺麗は汚い、汚いは綺麗。私は正義の味方にはなれなかったけど、反対のモノにはなれた。こっち側に来て初めて、私は穢れた闇の美しさを理解できたの。うふ……♪」
 半人半神の狭間から、氷川朱音の笑いが響いた。
 狐面の隙間からは、人間だった頃の自分を嘲笑うような朱音の含み笑いが見えた。
 もう景の言葉は通じない。景の手は届かない。
 幼馴染がそういう場所に行ってしまったのだと思うと、景はとても淋しい気持ちになった。
 ずっと昔から知っている人が、また遠くに消えてしまったのだと――。
「んーー? そんなガックリされても、私は反応に困るかな~?」
 口に出していないのに、朱音に心を読まれた。
「えっ? な、なんで、僕の考えてること……?」
「私、瀬織様の眷族になったから。少しだけ同じ力があるの。ざっくりとだけど、人間の考えてることは分かっちゃうんだ」
「だからって、僕の心の中……の、覗かないでよ……!」
「ごめんねぇ~? まだオンとオフを上手く切り替えられないんだぁ。でもぉ……おかげで東くんがどれだけ瀬織様に恋焦がれているかも、分かっちゃった♪」
 朱音は笑いを嚙み殺すように続けた。
「私が返したその制服……瀬織様の香りがた~~っぷり染み込んでたもんねぇ~~?」
「うぅっ……!」
 景の肩がビクリと震えた。
 誰にも知ってほしくないことを、自分だけの時間を見透かされて、羞恥に顔を真っ赤にして、俯いた。
 景の持っている紙袋の中身は、瀬織の着ていた制服だった。
「キャハハハハハ! ダッサ! かっこわるぅ~~! 女の子に秘密を知られたくらいでビクビクして、ほぉ~~んとカワイイ~~♪ でも、今日は東くんのそういう一途でピュアな気持ちが必要なの」
 先を進む朱音は、開けた小道に出た。
 森の切れ間、壊れたフェンスの向こう側、真っ青な月明かりがフアスファルトを照らしていた。
 景にも、見覚えのある道だった。
 三ヶ月前、瀬織と一緒に朱音を助けるために登った、山頂に続く道だった。
「どうして……僕が必要で、ここに来なきゃならないのさ」
 今さらながら、景は理由を問いただした。
 ここまで、人間以外の理屈で動いている朱音に流されるまま来てしまった。なんとなく説得力を感じたからついてきたのだが……。
「それはね、東くんは瀬織様の唯一の信者だから」
 朱音の説明は説明になっていない。
 意味が分からない。
「瀬織の信者って……学校とか、シュリンクスにいっぱいいると思うけど」
「それは瀬織様の作られた偶像を崇めているだけ。瀬織様の本質を理解して、愛し愛されているのは……あなただけよ」
「なんで、そこで愛……?」
「愛っていうのは……なんていうのかな? 恋愛とかの愛じゃなくて、アガペーっていうのかな?」
「あじゃぱー?」
「うーん……私も上手く説明できないや。後でネットで検索して」
 結局、説明は良く分からないままだった。
 朱音は偉そうなことを言っているが、知識が増えたわけではないらしい。
 景は幼馴染がまだ身近な存在なのだと分かって、少し安心した。
「つまり、僕は何すれば良いのさ……?」
「神様っていうのは、信者がいて初めて成立するの。それに格式を与えるには、儀式を執り行う者も必要。つまり、東くんと私がいて、瀬織様は神として最小限成り立つことが出来る」
「だから……?」
「神が滅び、神が生まれたこの山の頂を舞台として、再び神降ろしを行う。分かり易く言えば、瀬織様を復活させるのよ。東くんはただ、そこにいて願ってくれれば良いの。瀬織様に、こちら側に帰ってきてほしい……とね」
 宗教的な理屈は良く理解できなかったが、瀬織が蘇るのだと聞かされて、景の胸は高鳴った。
 興奮と歓喜と、それと同じくらいの不安で、紙袋を持つ手が震えた
「で、でも……なんで、今日なの?」
「今日は人が決めた新年の日。初の日の出……って言うでしょ? つまり太陽が新しく生まれる日。瀬織様という水と太陽の女神が蘇るのに、最も都合が良いのよ」
「日取りとか、関係あるの? 結婚式とかお葬式みたいな……?」
「うん。大体そんな感じね。瀬織様は人の思いで生まれた神様だから、人のルールが影響するの」
 朱音は歩きながら、首をねじるように狐面で見返った。
 その仕草は景に振り返ったというより、もっと背後の何かを確認するための動きだった。
「役者さんもちゃあんと、ついてきてる……ね」
「え、なんて?」
「うふ……すぐに分かるよ♪」
 朱音は前に向き直って、また坂道をすいすい登り始めた。
 景は一瞬だけ振り返って後を見てみたが、無人の闇が広がるだけで何も見えなかった。
 少し歩くと、目的の山頂についた。
 こじんまりとした高原は、秋に来た時より荒涼としていた。
 沢は半分凍り付き、霜の降りた湿地帯には枯れた草と苔がこびりついている。
 地形は以前の戦いから更に破壊され、地面から岩盤が隆起している場所さえあった。
「東くんは知ってる? ここに彼岸花を植えたのは、東くんのひいお爺さんなんだって。瀬織様に殺された部下の兵隊さんを弔うために植えたそうよ。おかげで、秋になるととっても綺麗な風景になるんだけど……この分だと、植え直しかもね?」
 そんな雑談は、この際どうでも良かった。
「それより! 瀬織の復活さ! 早くやろうよ!」
「はぁ~~、これだから子供は……。段取りとかムードとか……わかんない?」
「そんなの分からないよ! 大体、朱音ちゃんは僕と同い年でしょ!」
「がっつかないでよウッザ……。瀬織様は、こういうガキが好みなのかしら……。まあ、良いケド」
 溜息まじりに朱音は肩をすくめて、狐面を頭の上に上げた。
 そして、すぅっと踵を返して、景の更に背後の夜闇に目を向けた。
 青白い鬼火に光る、人外の目で――。
「そろそろ登板願おうかしら、最後の役者さん?」
 朱音が、闇に呼びかけた。
 すると、機械的な駆動音が聞こえてきた。
 サーボモーターの静かな回転音。人工筋肉の関節はほとんど無音で、霜の混じった土を踏む。
 月明かりの下に、人間サイズのロボットが姿を現した。
『察知 されていましたか』
 ロボットは良く透る男声の合成音声を発した。
 人の形をしているが、ロボットには口もなければ顔もない。
 顔面は黒いカバーに覆われていた。
 このロボットは、景も知っている。
 瀬織に攻撃を加えてきた、あの無貌のロボットだ。
 だが、ロボットは手に持ったフェイスカバーを自らの顔面に装着した。
 カチリ、と金具がハマる音がして、ロボットはギリシャ彫刻の石像に似た、整った顔を新たに得た。
『私は ウリエル・セカンド より多くの学習を重ね 警察官としての任務を遂行するために 調整された試作2号機 です』
「ご丁寧な自己紹介どぉーも♪ オマワリさん♪」
 〈セカンド〉の抑揚に欠けた言葉の羅列を、朱音は嘲笑うように一蹴した。
 どうでも良い、と意に介さず。
 一方で、景は怯えていた。混乱していた。
 瀬織を倒した敵が、また現れたのだ。焦らない方がどうかしている。
「あ、ぁ……朱音ちゃん! ど、どうするのさ、これぇ!」
「どうも、こうも? 全ては予定の内よ」
「はぁぁぁぁぁ?」
「はっ、ビビりすぎ。東くんの家をずっと誰かが監視してたのは分かってたのよ。瀬織様が消えたからって、それで油断するほど敵はマヌケじゃない。こういう奴が来るのは分かり切ってたのよ」
 物怖じせず、一歩も退かず、朱音は堂々と〈セカンド〉と対峙していた。
 〈セカンド〉は直立不動、イミテーションの唇を閉じたまま、額のカメラで朱音を見返した。
『私の監視に気付いていながら キミは どうして逃げなかった』
「バカなのアンタ? ロボットのくせに、頭ポケすぎ……」
 朱音は主を殺したモノと同型の機体に毒づく。
 邪気を露わに、本性を露わに、夜闇に右手を掲げた。
 何かを、ここに誘うような仕草で――。
「アンタをここでブッ壊すのも、儀式の内だから――よ!」
 瞬間、朱音の足元の地面が爆ぜた。
 霜と泥とを吹き上げて、地中から何かが朱音の体を押し上げる。
 それは、巨大なサソリだった。
 戦闘機械傀儡〈マガツチ〉。その予備機だった。
 仕様は変更され、全身のハードポイントに刀剣と何かの投射ユニットを装備している。
(マガツチ)の背に乗り、朱音は狐面を被って、歓喜に震えながら、自分と同じ闇の眷族へと呼びかけた。
「さぁぁぁぁぁ、マガツチ! あの方のために、私に力を貸しなさいっ!」
『与力 承り 候』
「いざ! 重連……合・身!」
 朱音の言霊を受けて、〈マガツチ〉の機体が宙にバラけた。
 瘴気と粘液の繭に包まれ、朱音は今宵の戦舞台に相応しい衣装をまとうのだ。
 清らかな巫女服に穢れた菌糸が張り付き、人工筋肉繊維が呪術的に人間と神経接続する。
 すらりと伸びたうなじの柔肌に、蟲の節々とした触腕が入り込み、脊椎と電極で直結する。
 朱音の全身に複合装甲が外骨格として装着され、瀬織を真似たような疑似戦斗形態が完成した。
「キャハハハハハ! たまらなぁい! やっぱり人間辞めるのってぇ……さいっこーーーーーーっっ!」
 いま再び人間以上の力を取り戻した少女が、鬼火の瞳で月下に吼えた。

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