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第四話
ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと18
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人は事象に意味を求め、物語を欲する。
遥かな古より自然を畏れ、そこに超常的な存在を見出し、神を作り、魔を作った。
しかしながら、物語の流行も時と共に変化して、やがて小さき者たちが物語の主役になった。
地を這う塵芥のごとき儚き創造者たち――即ち汝ら人間なり。
人は剣を手に取り、神と魔に戦いを挑むようになった。
1000年前の、あの夜も――人間は神に挑んだ。
東瀬織と名付けられる以前の、名もなき穢れた荒ぶる神に。
当時、下総の地は水郷だった。
治水されるのはずっと後の時代になってからで、香取海と呼ばれる広大な内海と、そこに流れ込む大小の河川によって周囲は湿地となっていた。
如月の月夜にうっすらと、紫雲がかかる。
雅な月夜ではない。
毒の雲だった。
香取海に流れ込む、小さな支流の畔は今、穢れの沼と化していた。
無数の異形の蟲人形たちが、ぎちぎちと奇怪な音を立てて、泥の上で蠢いていた。
その中で、一際大きな蟲人形が巨大な芋虫のような体の端から、粘液に包まれた卵をボトボトと産み落としていた。
捕食した人間の骨肉を素材に、新たな分身たちを作り出しているのだ。
その女王ともいうべき蟲の胴体から、可憐な少女の上半身が生えている。
少女は人間ではなく、命ですらなく、
生命の循環から弾きだされた逸脱者であり、超越者だった。
少女は、人間を蹂躙する権利を与えられた神のはしくれだった。
自己を複製し、繁殖し、この地の山河を埋め尽くす快楽に酔い痴れ、震えながら、少女は腐った果実のような息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
紫色の毒の息が、冷えた大気中で湯気と化す。
禁足地と化したこの畔に、立ち入る人間の気配を感じた。
「今宵は月が綺麗ですねえ」
呆けたような、場違いな女の声がした。
平安の月夜は大体綺麗だ。
月が綺麗だ――とは、物騒な隠語だった。
お前たちを殺すのに日は選ばないので、今夜一晩で族滅してやる――という意味である。
小奇麗な、京の香りの出で立ちをした、若い女がやってきた。
「私ぃ……戦(いくさ)が好きなんですよねぇ~~」
物騒なことを、笑顔で言っている。
「内戦、上陸戦、攻城戦、殲滅戦、掃討戦、包囲戦、籠城戦、穿抜戦、消耗戦、撤退戦、なんでしたらサシの一騎打ちも上々でございますね~?」
紫の朧な月の下、ふらりふらりと揺れながら、女は湿った土と枯草を踏みしめている。
女は、何か巨大な物体を引き摺っていた。
「戦の中では、人は虚飾の皮を脱ぎ捨てられる。雑兵も将帥も、なんなら主上も関係なく、ただ一匹の二本足の獣となって正直に、一所懸命に殺し合うぅ~~↑……素敵ぃぃ~↑ぃ~↑ぃ↓じゃないですかあ~~? 迅き強きが生き、のろまな弱きがくたばる、単純で素晴らしい世界です~~? 京にいる女房の腐ったババァどもなんか~~、真っ先に血祭ですねぇ~? つーか、私あいつら全員殴り殺したいんですけど~~~~↑って?」
歌うような狂った独り言の女に、蟲人形が襲いかかった。
蟷螂と飛蝗の形の人形が、女体を一撃で引き裂く瞬間、女は引き摺っていた物体を無造作に振り上げた。
巨大な鉄塊が大気を払い、冷たい風が轟と吹く。
それだけで、二体の蟲人形は紫の血肉を撒き散らして霧散した。
「この武器が生まれた、天竺よりもずっと西にある国では……戦のことをウォー―と言うらしいですよぉ~? ウォ~~~♪ 喉の奥から湧きあがる、本能の叫びぃ~♪ ウォ~~~♪」
女が持っていたのは、巨大な棍棒だった。
それは、鉄の塊だった。
それは、質量の暴君だった。
それは、遥か西方より渡来したとされる〈滅威子〉と呼ばれる武器であった。
「でもでも私、人殺しって嫌いなんですよね~? だって人間、すぐに死んじゃうじゃないですか?頭一発ブン殴っただけで死ぬんですよ? つまらないですよねえ~? だから私、バケモノ殺すの大好きなんですよねぇ~~? 平均で五発くらいまで耐えてくれますから~」
女が、巨棍を肩に担いで笑っていた。
満面の笑みだった。
昏く輝く戦意と歓喜、深淵より湧き出でて人の器になみなみと満ちて溢れる。
京の貴族という皮を破り捨てた破壊者の笑み――すなわち破顔にて、荒ぶる神たる少女を見ていた。
「京にいた時から、私ずっと考えてたんです。あなたは、何回目まで耐えられるのかなあ~~って?」
「わたくしを……殺す? 人間の……ように? 殴って……?」
少女が人外の黒い目を細め、孤軍の女を睨みつけた。
女は、小首を傾げてころりと笑った。
「はい。今からあなたを、死ぬまで殴って殺します」
「思い上がりも甚だしい……! 人の身で? わたくしを?」
「はい、そうですが?」
永遠不滅の存在に向かって、女は事もなげに返した。
「ヒヒヒヒひひひひひひ!」
穢れた神の狂った笑いが月夜に響き、巨大な芋虫の胴体が、蠢きながら持ち上がった。
「神を人のように殺ス? 身の程ォ! シレェェェェェェッッッッ!」
のたうつ大蛇か、あるいは巨大なる鞭のように、胴体が地上を薙ぎ払った。
分身の蟲人形たち諸共、一切合切を轢き殺す攻撃であった。
しかし、女は羽根のような身軽さで跳躍。
月下にて、巨棍を振りかぶった。
「まァず! 一発……目ェ!」
反撃の滅威子、横凪ぎに芋虫の胴を打ち砕いた。
骨と木材で形成された外皮が弾け、おぞましい内臓と産卵管が肉片と化して吹き飛んだ。
「ハッハッハァ! 二発……目ェ!」
女が空いた左手を一閃。黄金の閃光が奔り、蟲人形の胴体がバラバラに解体されていく。
鋭利な爪の備わった手甲による肉弾攻撃だった。切削攻撃だった。
切断されていく。荒ぶる神の肉体が。
「ヒッ! ナッ! ナニィィィィィィィィッッッ!」
神の血を吐くような驚愕と、恐怖の叫びが、撹拌されていく。
ただの人間に、神である少女が、駆逐される。
討滅される、この一晩の月夜の下で――。
「今宵は……月が綺麗ですねえ? うっひひひひひひひ!」
歓喜の笑いに肩震わせて、女は巨棍を肩に担いだ。
その様は、絵巻の鬼神のごとし。
荒ぶる穢れた神を畏れず、己の死すら恐れず、殺戮のみを思考する。
この女、京では北門の鬼姫と呼ばれた傑物であった。
彼の源頼光の鬼退治に志願するも「鬼退治なのだから鬼みたいな奴は連れていけない」とお断りされた経験があるほどの、危険人物だった。
野蛮の極みに達したる、殺神鬼であった。
この鬼のような人間を前にして、神は悟った。
今宵の物語にて、主役に退治される役は――自分なのだと。
「死なぬなら! 死ぬまで殺ろう! 神殺しィ!」
平安の月に、殺神鬼が吼えた。
人間とは、いつの時代も前人未到に挑んで、その先に進み続ける。
人間とは、あらゆる事象の破壊に特化した、世界を征服する生き物なのだ。
狂リ狂リと万物流転の万華鏡。
その夜、時の止まった荒ぶる神は、物質的な死へと、強引に時計を進められた。
場裸罵羅に。
そして――1000年前のあの夜のように、今宵の月は綺麗だった。
尤も、ここは田舎なので大気汚染も少なく、晴れた日の月は大体綺麗なのだが。
(ああ……厭な感じですわね)
瀬織は、そういう雰囲気を感じた。
既視感……という人間臭い錯覚ではない。
荒ぶる神を鎮める舞とは、往々にして太古の戦いを再現するものだ。
悪しき神が、人によって滅ぼされた物語の――。
月光が、冬の澄んだ大気に透過して、山の頂を照らしていた。
ここは、1000年前に瀬織の残骸が埋葬された場所であり、70数年前に景の曽祖父に切断された場所でもある。
月下にて、瀬織は既に〈マガツチ改〉を纏っていた。
10メートルほどの間を空けて、〈ウリエル〉なる人型ロボットと対峙している。
ウカは、その更に50メートル以上後方に待機していた。夕刻の緩慢な反応といい、戦闘向きの個体ではないらしい。
〈マガツチ改〉のセンサーと電子的に接続された、神としての知覚で観察すると、電波の流れや繋がりを視認できる。
〈ウリエル〉から伸びる電波の糸は、遥か天上に繋がっていた。
(ウカとかいう小娘とは直に繋がっていない……。遠隔操作ではない……と)
つまり、ウカを先に殺しても意味がない。
単なる見届け人ということなのか。
瀬織は最初、闇に紛れた奇襲攻撃を狙っていたが、それは不可能と判断して、真正面から対峙する羽目になった。
敵の索敵能力は高く、そのレンジ外から攻撃する手段は瀬織にはなかった。
(ウリエル)の単眼カメラの脇、レーザーセンサーが時折チカチカと明滅している。
『攻撃対象 捕捉 実行コマンドを 承認 してください』
〈ウリエル〉は外部スピーカーの音声でウカに呼びかけた。
「では、始めますよ、瀬織さ――」
ウカが言い終わるより早く、雷の光輪が射出された。
瀬織の先制攻撃だった。
重連合体方術・矢矧。
電位の操作と増幅により形成した稲妻のカッターを投射する術である。
矢矧の光輪は命令待ち状態の〈ウリエル〉に直撃したが――
『レジスト 正常に稼働』
〈ウリエル〉は、片手で光輪を止めていた。
「な!」
驚愕する瀬織。
神としての知覚が、自らの方術力場の確実な消失を感知していた。
光輪は瞬く間に矮小化し、程なく俄かに弾けて、線香花火のように夜闇に消えた。
『タオレジスト 完了 当機の損傷 なし』
平然と立つ〈ウリエル〉の後方では、ウカがひっくり返っていた。
「ふわあっ! い、いきなり攻撃するなんてぇっ!」
「は! 卑怯ですかあ? あなた、戦争舐めてるんですか」
「そ、それがあなたの望む闘争なら……良いでしょう。ウリエル……アタック!」
主人の命令を受け、人造天使が本格的な駆動を開始した。
『イエス マム』
〈ウリエル〉が右手の背を瀬織に向けた。
手背に埋め込まれた偏光ミラーがレンズの下で輝きを放つ。
瀬織の霊的な直感と、電子的に拡張された知覚が危機を察知! 即座に横に跳ぶ!
が、間に合わなかった。
大気を一直線に陽炎が貫き、不可視の自由電子レーザーが瀬織の左肩に直撃。
肩に接合されていた〈マガツチ改〉の装甲が焼切、分解されて弾け飛んだ。
回避行動を取ったのが不幸中の幸いだった。レーザーの照射時間を短縮して、致命傷を避けることが出来た。
だが、状況が悪いことに変わりはない。
(こちらの攻撃は効かない……。敵の攻撃は直撃すれば一撃死……と考えるべき、ですわね)
跳びながら。冷静に彼我戦力を分析する。
〈ウリエル〉は、神を倒すために人が作った兵器だ。
神や魔との闘争に費やした人類史の集大成ともいうべき兵器だ。
園衛や南郷たちが行ってきた人外との果てしない抗争の戦闘データをも全てフィードバックされている、と見るべきだろう。
確実に神を殺せるコンパクトな兵器が完成したから、今日こうして単独で瀬織にぶつけてきたのだ。
武装は、メタマテリアルの爪、自由電子レーザー砲、どれも物理的に瀬織と〈マガツチ改〉を破壊するのに十分な威力がある。
当然、それ以外にも武器の仕込みはあると考えるべきだ。
物理兵器だけでなく、霊的な兵器も――。
『キネティックデバイス アクティブ 投射 開始』
〈ウリエル〉の両肩に増設された兵装コンテナが展開。
大量の小型チャクラムを空中にバラ撒いた。
翡翠色のメタマテリアル刃を備えたチャクラムは、円刃内のローターとマテリアルの電磁反発で自在に軌道を変えて飛翔する!
「チッ! 誘導方式解析!」
瀬織が〈マガツチ改〉のAIに指示を飛ばした。神の目で電波の糸は見えても、電子的にそれをジャミングするにはソフトウェアのサポートが必要だった。
『敵 電子防護確認 周波数解析 困難』
「なら! 物理で叩き落とす!」
瀬織、背面の〈天鬼輪〉を展開。12基中11基のワイヤーアンカーを一斉射出した。
迎撃攻撃である。
演算能力においては、瀬織が〈ウリエル〉を上回っていた。チャクラムの軌道を予測し、アンカー先端部を刃以外の部分にぶつけ、あるいはローター部を貫いて撃墜していく。
その間を突いて、瀬織は僅かに〈ウリエル〉との距離を詰めた。一跳躍、およそ1メートルの距離である。
射程内に捉えた人造天使へと、敢えて残した1基のワイヤーアンカーを射出。
チャクラムの操作に演算能力を割いていた〈ウリエル〉には隙が生じると予測しての一撃だった。
視認し難い低空を飛び、ワイヤーアンカーの先端、電子攻撃用端子が〈ウリエル〉の脚部を掠めた。
「とった……!」
一瞬の火花、一瞬の接触、〈ウリエル〉に電子的に介入するには、その一瞬で十分だった。
無線での攻撃が不可能なら、強引に有線接続するのみ。
敵制御系にクラッキングをかけて、あわよくば乗っ取るか、最低でも障害を引き起こす算段であったが――
『警告! 当機制御機構 負荷増大! 警告! 警告!』
「とって……ないッ?」
〈マガツチ改〉が瀬織の耳元で機械的悲鳴を上げた。
クラッキングに対する反撃機構であった。こちらから直結して介入できるということは、相手側からも侵入されるということ!
それは無意味な圧縮データファイルが無限にコピーされて〈マガツチ改〉の記憶領域に送信され、自動展開されていく一種のメールボム攻撃だった。
『警告! 第六電脳素子 切除要請! 要緊急切除! 警告! 警告!』
「じぃぃぃぃぃ……こっちが! 取られたぁ……ッッッ」
瀬織はワイヤーアンカーと、その基部に備わった疑似人格人工知能の勾玉を強制排除することでシステムへの浸食を堰き止めた。
敵に打撃を加えるつもりが、逆に痛手を負わされてしまった。
(さああ……どう、しますかねえ……)
まずい、
はっきり言って、相当まずい。
瀬織自身も〈マガツチ改〉も直接戦闘には適していない、だというのに、〈ウリエル〉は直接戦闘でも電子戦でもこちらを上回る性能を有している。
まともに戦えば、100%勝ち目はない。
相手は、神を殺すために人が作り出した人造天使。
物質的な性能面の優劣に留まらず、概念的な強弱でも瀬織に分はないと考えられる。
じゃんけんのグーがパーに勝てないように、人が縋るために作り出した神は、人が滅ぼすために用意した矛には勝てないのだ。
それも、信仰する者が一人もいなくなった、名前すらない大昔の神なぞ……。
「神としてのわたくしでは、絶対に勝てない……。ならば――」
瀬織は白く、熱い息を吐いた。
奇しくも、この地は70余年前に人が、何の特別な力もない唯の人が、巨大なる荒神を――瀬織を打ち倒した場所である。
神としての瀬織の死に場所としては、これ以上ないほどに相応しい。
故に、覚悟が決まった。
「――回れ、天鬼輪っ!」
瀬織の背面、〈天鬼輪〉が後光を成し、光速を超えるまでに加速したコロニウム素子が、まだ見ぬ未来の可能性を現世に顕現させる。
後光は高密度に圧縮され、宇宙開闢の原初のプラズマ状態に移行。黄金に輝く光の種に集束し、虚空にて発芽した。
芽は葉となり、枝となり、幹となり、黄金の扶桑樹となって、その身を七支の刃へと錬成した。
「重連方術剣! 扶桑ォッ!」
いつか辿りつく我が身の可能性の名を冠する黄金七支刀を、名を得た神の成れ果てが構える。
夜を照らす太陽の輝きを前にしても、遠くに控えるウカは哀れむような表情を浮かべていた。
「その武器も知っています。それが神の御業ならば……抵抗は無意味なんですよ、瀬織さん……」
ウカには結果は、分かり切っていた。
〈ウリエル〉のAIが、分かり切った攻撃への対処を始めた。
『タオレジスト スタンバイ』
両手を開いて、斬撃の時を迎え撃つ姿勢だった。かといって、単なる待ちの構えではない。ジリジリと、摺り足で瀬織との間合いを詰めていく。新陰流に伝わる無刀取りに近い、攻めのカウンター技だった。
瀬織の得物は大剣ゆえ、技の起こりが見えやすい。
剣術には不向きな武器だった。斬撃だろうが刺突だろうが、後の先を当てられるのは容易い。
ならば――剣術勝負なぞ最初から捨てる!
背中に大きく振りかぶり
「重連合体方術! 山城!」
大地に向かって、全力で刀身を振り下ろした。
直後、山頂の地面が盛大に隆起した。
地表の湿地を、土砂を、地層の花崗岩が突き上げていく。
地殻変動は〈ウリエル〉の足元にも発生。激しい振動と共に、白い山城の築城、城壁形成に人造天使が巻き込まれた。
『タオレジスト 不能』
術式自体は分解できても、二次的に発生した物理的事象まではレジスト不能。
それを読んでの、瀬織の一刀。
そして二の太刀を今、打ち込む。
山頂に吹き荒れる岩石嵐、破竹の築城を飛び越えて、扶桑の剣に全命を賭す。
姿勢を崩した〈ウリエル〉のカメラが砂塵の中に黄金の輝きを見た瞬間、勝負は決した。
稲妻が疾駆する音、金属が砕け散る音、そして血肉が弾ける音が重なり合い、
神と人造天使は重なるように、互いの体を貫いていた。
「ごふ……っ」
瀬織の胴体中心、心臓が、〈ウリエル〉の右の手刀によって貫通されていた。
『損傷 甚大』
〈ウリエル〉の腹部もまた、扶桑の剣に貫通されていた。
しかし、〈ウリエル〉は生物ではない。
致命傷では、なかった。
『攻撃対象 殲滅』
残る左手が、瀬織の首を切断せんと振り上げられた時、扶桑の剣に電光が奔った。
「今度こそ……とったァ!」
勝ち誇る瀬織の叫びが血飛沫を上げ、剣が雷の飛沫を発散させた。
体内に直接撃ち込まれた方術剣はレジスト不能であり、そこから放たれた電撃が〈ウリエル〉の回路を焼き、バッテリーを過負荷で燃やす!
『オ オ o o over オーバー ダメージ……』
人造天使の機械音声は途切れ、機体は炎上した。
花火のように火花を散らし、人造天使が崩れていく。
扶桑の剣は無へと還り、瀬織は岩石の山城を転げ落ちていった。
「がっ……か、あああああ……」
ぐしゃりと、湿った地面に無様に落ちる。
それは血と泥に塗れた、限界の勝利だった。
「そんな……相打ち狙いで……?」
ウカが真っ青な顔をして、瀬織を見ていた。
「こんなの……想定外です」
「そ、想像力の……不足ですわね……!」
息を切らし、血の溢れる胸を抑えて、瀬織はゆっくりと立ち上がった。
「わ……わたくしは神様ですけどねぇ……あ、あなたとは違うんですのよ……」
「こんな……まるで人間みたいな……我が身を捨てる特攻なんて……」
「明日を生きるために、今日の命を捨てて戦う……! わたくしは今、人として戦ったのですよ……! 東瀬織という、人間として! 愛する者と共に生きる……その、たった一つの願いのために……!」
「か、神とは万(よろず)の衆生を救うものです。一人の人間に拘るなんて、あってはならないことです!」
「わたくしは、人に寄り添い生きる扶桑の神! たとえ相手が一人であろうと、蔑ろにはしないッ!」
赤い血を、人のような熱い血を吐いて、瀬織は叫んだ。
「ウカさん……。人間一人の願いも叶えられないような神が、万の民を救うなどと……思い上がるな……ッ!」
瀬織の気迫に気圧されたのか、ウカは押し黙り、俯いた。
そして、思い噛み締めるように、こくりと……頷いた。
「私に足りないもの……理解できました。神としての振る舞い、人としての生き様……今宵は学ぶ所の多い戦いでした」
「敗者が殊勝なことを……。この戦いの勝利者は――」
「私です。瀬織さん」
遮って、ウカが言った。
自信を持って、だが少しだけ申し訳なさそうに。
じゃり……と、瀬織は背後の物音に気付いた。
人の足音、一人ではない。十人、いや百人。無人の山城に跫音が響く。
じゃり、じゃり、じゃり……隆起した岩盤の上に、軍勢の足音がした。
「はぁ、はあ、はぁ……」
厭な予感、息を切らして、振り向けば、岸壁の上に無数の影があった。
岩陰に月光が挿し、人造天使の群れが露わとなる。
100体を超える〈ウリエル〉の群れが――正確にはその正式採用型〈アルティ〉の大部隊が、瀬織を見下ろしていた。
「ふ……わたくし一人に、用心深いこと……!」
血まみれの口に、笑みが浮かぶ。
諦めの笑いだろうか、虚勢の笑いだろうか、それとも勇気を奮い立たせる戦意の笑いだったのだろうか。
自然と零れた人間のような捨て鉢の感情は、もう瀬織自身にも良く分からなかった。
静寂の古戦場に、サーボモーターの微かな駆動音が折り重なる、100体分。
『『『『攻撃対象 捕捉』』』』
人造天使の百の声が同時に響く。
それは、終局の宣告。
しかし、人はいつだって確率を覆す。
覚悟は可能性を塗り替える。征服する。凌駕する。
拳を握って、胸の奥から溢れる血を気迫で押し止めて、東瀬織は絶望に対峙する。
「うらあああああああああああああああああああッッッッ!!!」
1000年前の、あの女のように、
70余年前の、あの男のように。
孤軍にて。
叫んで、吼えて、血を吐いて、東瀬織は死の壁へと突っ込んでいった。
遥かな古より自然を畏れ、そこに超常的な存在を見出し、神を作り、魔を作った。
しかしながら、物語の流行も時と共に変化して、やがて小さき者たちが物語の主役になった。
地を這う塵芥のごとき儚き創造者たち――即ち汝ら人間なり。
人は剣を手に取り、神と魔に戦いを挑むようになった。
1000年前の、あの夜も――人間は神に挑んだ。
東瀬織と名付けられる以前の、名もなき穢れた荒ぶる神に。
当時、下総の地は水郷だった。
治水されるのはずっと後の時代になってからで、香取海と呼ばれる広大な内海と、そこに流れ込む大小の河川によって周囲は湿地となっていた。
如月の月夜にうっすらと、紫雲がかかる。
雅な月夜ではない。
毒の雲だった。
香取海に流れ込む、小さな支流の畔は今、穢れの沼と化していた。
無数の異形の蟲人形たちが、ぎちぎちと奇怪な音を立てて、泥の上で蠢いていた。
その中で、一際大きな蟲人形が巨大な芋虫のような体の端から、粘液に包まれた卵をボトボトと産み落としていた。
捕食した人間の骨肉を素材に、新たな分身たちを作り出しているのだ。
その女王ともいうべき蟲の胴体から、可憐な少女の上半身が生えている。
少女は人間ではなく、命ですらなく、
生命の循環から弾きだされた逸脱者であり、超越者だった。
少女は、人間を蹂躙する権利を与えられた神のはしくれだった。
自己を複製し、繁殖し、この地の山河を埋め尽くす快楽に酔い痴れ、震えながら、少女は腐った果実のような息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
紫色の毒の息が、冷えた大気中で湯気と化す。
禁足地と化したこの畔に、立ち入る人間の気配を感じた。
「今宵は月が綺麗ですねえ」
呆けたような、場違いな女の声がした。
平安の月夜は大体綺麗だ。
月が綺麗だ――とは、物騒な隠語だった。
お前たちを殺すのに日は選ばないので、今夜一晩で族滅してやる――という意味である。
小奇麗な、京の香りの出で立ちをした、若い女がやってきた。
「私ぃ……戦(いくさ)が好きなんですよねぇ~~」
物騒なことを、笑顔で言っている。
「内戦、上陸戦、攻城戦、殲滅戦、掃討戦、包囲戦、籠城戦、穿抜戦、消耗戦、撤退戦、なんでしたらサシの一騎打ちも上々でございますね~?」
紫の朧な月の下、ふらりふらりと揺れながら、女は湿った土と枯草を踏みしめている。
女は、何か巨大な物体を引き摺っていた。
「戦の中では、人は虚飾の皮を脱ぎ捨てられる。雑兵も将帥も、なんなら主上も関係なく、ただ一匹の二本足の獣となって正直に、一所懸命に殺し合うぅ~~↑……素敵ぃぃ~↑ぃ~↑ぃ↓じゃないですかあ~~? 迅き強きが生き、のろまな弱きがくたばる、単純で素晴らしい世界です~~? 京にいる女房の腐ったババァどもなんか~~、真っ先に血祭ですねぇ~? つーか、私あいつら全員殴り殺したいんですけど~~~~↑って?」
歌うような狂った独り言の女に、蟲人形が襲いかかった。
蟷螂と飛蝗の形の人形が、女体を一撃で引き裂く瞬間、女は引き摺っていた物体を無造作に振り上げた。
巨大な鉄塊が大気を払い、冷たい風が轟と吹く。
それだけで、二体の蟲人形は紫の血肉を撒き散らして霧散した。
「この武器が生まれた、天竺よりもずっと西にある国では……戦のことをウォー―と言うらしいですよぉ~? ウォ~~~♪ 喉の奥から湧きあがる、本能の叫びぃ~♪ ウォ~~~♪」
女が持っていたのは、巨大な棍棒だった。
それは、鉄の塊だった。
それは、質量の暴君だった。
それは、遥か西方より渡来したとされる〈滅威子〉と呼ばれる武器であった。
「でもでも私、人殺しって嫌いなんですよね~? だって人間、すぐに死んじゃうじゃないですか?頭一発ブン殴っただけで死ぬんですよ? つまらないですよねえ~? だから私、バケモノ殺すの大好きなんですよねぇ~~? 平均で五発くらいまで耐えてくれますから~」
女が、巨棍を肩に担いで笑っていた。
満面の笑みだった。
昏く輝く戦意と歓喜、深淵より湧き出でて人の器になみなみと満ちて溢れる。
京の貴族という皮を破り捨てた破壊者の笑み――すなわち破顔にて、荒ぶる神たる少女を見ていた。
「京にいた時から、私ずっと考えてたんです。あなたは、何回目まで耐えられるのかなあ~~って?」
「わたくしを……殺す? 人間の……ように? 殴って……?」
少女が人外の黒い目を細め、孤軍の女を睨みつけた。
女は、小首を傾げてころりと笑った。
「はい。今からあなたを、死ぬまで殴って殺します」
「思い上がりも甚だしい……! 人の身で? わたくしを?」
「はい、そうですが?」
永遠不滅の存在に向かって、女は事もなげに返した。
「ヒヒヒヒひひひひひひ!」
穢れた神の狂った笑いが月夜に響き、巨大な芋虫の胴体が、蠢きながら持ち上がった。
「神を人のように殺ス? 身の程ォ! シレェェェェェェッッッッ!」
のたうつ大蛇か、あるいは巨大なる鞭のように、胴体が地上を薙ぎ払った。
分身の蟲人形たち諸共、一切合切を轢き殺す攻撃であった。
しかし、女は羽根のような身軽さで跳躍。
月下にて、巨棍を振りかぶった。
「まァず! 一発……目ェ!」
反撃の滅威子、横凪ぎに芋虫の胴を打ち砕いた。
骨と木材で形成された外皮が弾け、おぞましい内臓と産卵管が肉片と化して吹き飛んだ。
「ハッハッハァ! 二発……目ェ!」
女が空いた左手を一閃。黄金の閃光が奔り、蟲人形の胴体がバラバラに解体されていく。
鋭利な爪の備わった手甲による肉弾攻撃だった。切削攻撃だった。
切断されていく。荒ぶる神の肉体が。
「ヒッ! ナッ! ナニィィィィィィィィッッッ!」
神の血を吐くような驚愕と、恐怖の叫びが、撹拌されていく。
ただの人間に、神である少女が、駆逐される。
討滅される、この一晩の月夜の下で――。
「今宵は……月が綺麗ですねえ? うっひひひひひひひ!」
歓喜の笑いに肩震わせて、女は巨棍を肩に担いだ。
その様は、絵巻の鬼神のごとし。
荒ぶる穢れた神を畏れず、己の死すら恐れず、殺戮のみを思考する。
この女、京では北門の鬼姫と呼ばれた傑物であった。
彼の源頼光の鬼退治に志願するも「鬼退治なのだから鬼みたいな奴は連れていけない」とお断りされた経験があるほどの、危険人物だった。
野蛮の極みに達したる、殺神鬼であった。
この鬼のような人間を前にして、神は悟った。
今宵の物語にて、主役に退治される役は――自分なのだと。
「死なぬなら! 死ぬまで殺ろう! 神殺しィ!」
平安の月に、殺神鬼が吼えた。
人間とは、いつの時代も前人未到に挑んで、その先に進み続ける。
人間とは、あらゆる事象の破壊に特化した、世界を征服する生き物なのだ。
狂リ狂リと万物流転の万華鏡。
その夜、時の止まった荒ぶる神は、物質的な死へと、強引に時計を進められた。
場裸罵羅に。
そして――1000年前のあの夜のように、今宵の月は綺麗だった。
尤も、ここは田舎なので大気汚染も少なく、晴れた日の月は大体綺麗なのだが。
(ああ……厭な感じですわね)
瀬織は、そういう雰囲気を感じた。
既視感……という人間臭い錯覚ではない。
荒ぶる神を鎮める舞とは、往々にして太古の戦いを再現するものだ。
悪しき神が、人によって滅ぼされた物語の――。
月光が、冬の澄んだ大気に透過して、山の頂を照らしていた。
ここは、1000年前に瀬織の残骸が埋葬された場所であり、70数年前に景の曽祖父に切断された場所でもある。
月下にて、瀬織は既に〈マガツチ改〉を纏っていた。
10メートルほどの間を空けて、〈ウリエル〉なる人型ロボットと対峙している。
ウカは、その更に50メートル以上後方に待機していた。夕刻の緩慢な反応といい、戦闘向きの個体ではないらしい。
〈マガツチ改〉のセンサーと電子的に接続された、神としての知覚で観察すると、電波の流れや繋がりを視認できる。
〈ウリエル〉から伸びる電波の糸は、遥か天上に繋がっていた。
(ウカとかいう小娘とは直に繋がっていない……。遠隔操作ではない……と)
つまり、ウカを先に殺しても意味がない。
単なる見届け人ということなのか。
瀬織は最初、闇に紛れた奇襲攻撃を狙っていたが、それは不可能と判断して、真正面から対峙する羽目になった。
敵の索敵能力は高く、そのレンジ外から攻撃する手段は瀬織にはなかった。
(ウリエル)の単眼カメラの脇、レーザーセンサーが時折チカチカと明滅している。
『攻撃対象 捕捉 実行コマンドを 承認 してください』
〈ウリエル〉は外部スピーカーの音声でウカに呼びかけた。
「では、始めますよ、瀬織さ――」
ウカが言い終わるより早く、雷の光輪が射出された。
瀬織の先制攻撃だった。
重連合体方術・矢矧。
電位の操作と増幅により形成した稲妻のカッターを投射する術である。
矢矧の光輪は命令待ち状態の〈ウリエル〉に直撃したが――
『レジスト 正常に稼働』
〈ウリエル〉は、片手で光輪を止めていた。
「な!」
驚愕する瀬織。
神としての知覚が、自らの方術力場の確実な消失を感知していた。
光輪は瞬く間に矮小化し、程なく俄かに弾けて、線香花火のように夜闇に消えた。
『タオレジスト 完了 当機の損傷 なし』
平然と立つ〈ウリエル〉の後方では、ウカがひっくり返っていた。
「ふわあっ! い、いきなり攻撃するなんてぇっ!」
「は! 卑怯ですかあ? あなた、戦争舐めてるんですか」
「そ、それがあなたの望む闘争なら……良いでしょう。ウリエル……アタック!」
主人の命令を受け、人造天使が本格的な駆動を開始した。
『イエス マム』
〈ウリエル〉が右手の背を瀬織に向けた。
手背に埋め込まれた偏光ミラーがレンズの下で輝きを放つ。
瀬織の霊的な直感と、電子的に拡張された知覚が危機を察知! 即座に横に跳ぶ!
が、間に合わなかった。
大気を一直線に陽炎が貫き、不可視の自由電子レーザーが瀬織の左肩に直撃。
肩に接合されていた〈マガツチ改〉の装甲が焼切、分解されて弾け飛んだ。
回避行動を取ったのが不幸中の幸いだった。レーザーの照射時間を短縮して、致命傷を避けることが出来た。
だが、状況が悪いことに変わりはない。
(こちらの攻撃は効かない……。敵の攻撃は直撃すれば一撃死……と考えるべき、ですわね)
跳びながら。冷静に彼我戦力を分析する。
〈ウリエル〉は、神を倒すために人が作った兵器だ。
神や魔との闘争に費やした人類史の集大成ともいうべき兵器だ。
園衛や南郷たちが行ってきた人外との果てしない抗争の戦闘データをも全てフィードバックされている、と見るべきだろう。
確実に神を殺せるコンパクトな兵器が完成したから、今日こうして単独で瀬織にぶつけてきたのだ。
武装は、メタマテリアルの爪、自由電子レーザー砲、どれも物理的に瀬織と〈マガツチ改〉を破壊するのに十分な威力がある。
当然、それ以外にも武器の仕込みはあると考えるべきだ。
物理兵器だけでなく、霊的な兵器も――。
『キネティックデバイス アクティブ 投射 開始』
〈ウリエル〉の両肩に増設された兵装コンテナが展開。
大量の小型チャクラムを空中にバラ撒いた。
翡翠色のメタマテリアル刃を備えたチャクラムは、円刃内のローターとマテリアルの電磁反発で自在に軌道を変えて飛翔する!
「チッ! 誘導方式解析!」
瀬織が〈マガツチ改〉のAIに指示を飛ばした。神の目で電波の糸は見えても、電子的にそれをジャミングするにはソフトウェアのサポートが必要だった。
『敵 電子防護確認 周波数解析 困難』
「なら! 物理で叩き落とす!」
瀬織、背面の〈天鬼輪〉を展開。12基中11基のワイヤーアンカーを一斉射出した。
迎撃攻撃である。
演算能力においては、瀬織が〈ウリエル〉を上回っていた。チャクラムの軌道を予測し、アンカー先端部を刃以外の部分にぶつけ、あるいはローター部を貫いて撃墜していく。
その間を突いて、瀬織は僅かに〈ウリエル〉との距離を詰めた。一跳躍、およそ1メートルの距離である。
射程内に捉えた人造天使へと、敢えて残した1基のワイヤーアンカーを射出。
チャクラムの操作に演算能力を割いていた〈ウリエル〉には隙が生じると予測しての一撃だった。
視認し難い低空を飛び、ワイヤーアンカーの先端、電子攻撃用端子が〈ウリエル〉の脚部を掠めた。
「とった……!」
一瞬の火花、一瞬の接触、〈ウリエル〉に電子的に介入するには、その一瞬で十分だった。
無線での攻撃が不可能なら、強引に有線接続するのみ。
敵制御系にクラッキングをかけて、あわよくば乗っ取るか、最低でも障害を引き起こす算段であったが――
『警告! 当機制御機構 負荷増大! 警告! 警告!』
「とって……ないッ?」
〈マガツチ改〉が瀬織の耳元で機械的悲鳴を上げた。
クラッキングに対する反撃機構であった。こちらから直結して介入できるということは、相手側からも侵入されるということ!
それは無意味な圧縮データファイルが無限にコピーされて〈マガツチ改〉の記憶領域に送信され、自動展開されていく一種のメールボム攻撃だった。
『警告! 第六電脳素子 切除要請! 要緊急切除! 警告! 警告!』
「じぃぃぃぃぃ……こっちが! 取られたぁ……ッッッ」
瀬織はワイヤーアンカーと、その基部に備わった疑似人格人工知能の勾玉を強制排除することでシステムへの浸食を堰き止めた。
敵に打撃を加えるつもりが、逆に痛手を負わされてしまった。
(さああ……どう、しますかねえ……)
まずい、
はっきり言って、相当まずい。
瀬織自身も〈マガツチ改〉も直接戦闘には適していない、だというのに、〈ウリエル〉は直接戦闘でも電子戦でもこちらを上回る性能を有している。
まともに戦えば、100%勝ち目はない。
相手は、神を殺すために人が作り出した人造天使。
物質的な性能面の優劣に留まらず、概念的な強弱でも瀬織に分はないと考えられる。
じゃんけんのグーがパーに勝てないように、人が縋るために作り出した神は、人が滅ぼすために用意した矛には勝てないのだ。
それも、信仰する者が一人もいなくなった、名前すらない大昔の神なぞ……。
「神としてのわたくしでは、絶対に勝てない……。ならば――」
瀬織は白く、熱い息を吐いた。
奇しくも、この地は70余年前に人が、何の特別な力もない唯の人が、巨大なる荒神を――瀬織を打ち倒した場所である。
神としての瀬織の死に場所としては、これ以上ないほどに相応しい。
故に、覚悟が決まった。
「――回れ、天鬼輪っ!」
瀬織の背面、〈天鬼輪〉が後光を成し、光速を超えるまでに加速したコロニウム素子が、まだ見ぬ未来の可能性を現世に顕現させる。
後光は高密度に圧縮され、宇宙開闢の原初のプラズマ状態に移行。黄金に輝く光の種に集束し、虚空にて発芽した。
芽は葉となり、枝となり、幹となり、黄金の扶桑樹となって、その身を七支の刃へと錬成した。
「重連方術剣! 扶桑ォッ!」
いつか辿りつく我が身の可能性の名を冠する黄金七支刀を、名を得た神の成れ果てが構える。
夜を照らす太陽の輝きを前にしても、遠くに控えるウカは哀れむような表情を浮かべていた。
「その武器も知っています。それが神の御業ならば……抵抗は無意味なんですよ、瀬織さん……」
ウカには結果は、分かり切っていた。
〈ウリエル〉のAIが、分かり切った攻撃への対処を始めた。
『タオレジスト スタンバイ』
両手を開いて、斬撃の時を迎え撃つ姿勢だった。かといって、単なる待ちの構えではない。ジリジリと、摺り足で瀬織との間合いを詰めていく。新陰流に伝わる無刀取りに近い、攻めのカウンター技だった。
瀬織の得物は大剣ゆえ、技の起こりが見えやすい。
剣術には不向きな武器だった。斬撃だろうが刺突だろうが、後の先を当てられるのは容易い。
ならば――剣術勝負なぞ最初から捨てる!
背中に大きく振りかぶり
「重連合体方術! 山城!」
大地に向かって、全力で刀身を振り下ろした。
直後、山頂の地面が盛大に隆起した。
地表の湿地を、土砂を、地層の花崗岩が突き上げていく。
地殻変動は〈ウリエル〉の足元にも発生。激しい振動と共に、白い山城の築城、城壁形成に人造天使が巻き込まれた。
『タオレジスト 不能』
術式自体は分解できても、二次的に発生した物理的事象まではレジスト不能。
それを読んでの、瀬織の一刀。
そして二の太刀を今、打ち込む。
山頂に吹き荒れる岩石嵐、破竹の築城を飛び越えて、扶桑の剣に全命を賭す。
姿勢を崩した〈ウリエル〉のカメラが砂塵の中に黄金の輝きを見た瞬間、勝負は決した。
稲妻が疾駆する音、金属が砕け散る音、そして血肉が弾ける音が重なり合い、
神と人造天使は重なるように、互いの体を貫いていた。
「ごふ……っ」
瀬織の胴体中心、心臓が、〈ウリエル〉の右の手刀によって貫通されていた。
『損傷 甚大』
〈ウリエル〉の腹部もまた、扶桑の剣に貫通されていた。
しかし、〈ウリエル〉は生物ではない。
致命傷では、なかった。
『攻撃対象 殲滅』
残る左手が、瀬織の首を切断せんと振り上げられた時、扶桑の剣に電光が奔った。
「今度こそ……とったァ!」
勝ち誇る瀬織の叫びが血飛沫を上げ、剣が雷の飛沫を発散させた。
体内に直接撃ち込まれた方術剣はレジスト不能であり、そこから放たれた電撃が〈ウリエル〉の回路を焼き、バッテリーを過負荷で燃やす!
『オ オ o o over オーバー ダメージ……』
人造天使の機械音声は途切れ、機体は炎上した。
花火のように火花を散らし、人造天使が崩れていく。
扶桑の剣は無へと還り、瀬織は岩石の山城を転げ落ちていった。
「がっ……か、あああああ……」
ぐしゃりと、湿った地面に無様に落ちる。
それは血と泥に塗れた、限界の勝利だった。
「そんな……相打ち狙いで……?」
ウカが真っ青な顔をして、瀬織を見ていた。
「こんなの……想定外です」
「そ、想像力の……不足ですわね……!」
息を切らし、血の溢れる胸を抑えて、瀬織はゆっくりと立ち上がった。
「わ……わたくしは神様ですけどねぇ……あ、あなたとは違うんですのよ……」
「こんな……まるで人間みたいな……我が身を捨てる特攻なんて……」
「明日を生きるために、今日の命を捨てて戦う……! わたくしは今、人として戦ったのですよ……! 東瀬織という、人間として! 愛する者と共に生きる……その、たった一つの願いのために……!」
「か、神とは万(よろず)の衆生を救うものです。一人の人間に拘るなんて、あってはならないことです!」
「わたくしは、人に寄り添い生きる扶桑の神! たとえ相手が一人であろうと、蔑ろにはしないッ!」
赤い血を、人のような熱い血を吐いて、瀬織は叫んだ。
「ウカさん……。人間一人の願いも叶えられないような神が、万の民を救うなどと……思い上がるな……ッ!」
瀬織の気迫に気圧されたのか、ウカは押し黙り、俯いた。
そして、思い噛み締めるように、こくりと……頷いた。
「私に足りないもの……理解できました。神としての振る舞い、人としての生き様……今宵は学ぶ所の多い戦いでした」
「敗者が殊勝なことを……。この戦いの勝利者は――」
「私です。瀬織さん」
遮って、ウカが言った。
自信を持って、だが少しだけ申し訳なさそうに。
じゃり……と、瀬織は背後の物音に気付いた。
人の足音、一人ではない。十人、いや百人。無人の山城に跫音が響く。
じゃり、じゃり、じゃり……隆起した岩盤の上に、軍勢の足音がした。
「はぁ、はあ、はぁ……」
厭な予感、息を切らして、振り向けば、岸壁の上に無数の影があった。
岩陰に月光が挿し、人造天使の群れが露わとなる。
100体を超える〈ウリエル〉の群れが――正確にはその正式採用型〈アルティ〉の大部隊が、瀬織を見下ろしていた。
「ふ……わたくし一人に、用心深いこと……!」
血まみれの口に、笑みが浮かぶ。
諦めの笑いだろうか、虚勢の笑いだろうか、それとも勇気を奮い立たせる戦意の笑いだったのだろうか。
自然と零れた人間のような捨て鉢の感情は、もう瀬織自身にも良く分からなかった。
静寂の古戦場に、サーボモーターの微かな駆動音が折り重なる、100体分。
『『『『攻撃対象 捕捉』』』』
人造天使の百の声が同時に響く。
それは、終局の宣告。
しかし、人はいつだって確率を覆す。
覚悟は可能性を塗り替える。征服する。凌駕する。
拳を握って、胸の奥から溢れる血を気迫で押し止めて、東瀬織は絶望に対峙する。
「うらあああああああああああああああああああッッッッ!!!」
1000年前の、あの女のように、
70余年前の、あの男のように。
孤軍にて。
叫んで、吼えて、血を吐いて、東瀬織は死の壁へと突っ込んでいった。
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