ヒト・カタ・ヒト・ヒラ

さんかいきょー

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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと15

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 その日、氷川朱音は三ヶ月ぶりに登校した。

 退院と登校に関しては、昨日に急に決めたことだ。

 母は随分と驚いていたが、娘が快復したと喜ぶ気持ちが大きいのか、理由については特に追及されることはなかった。

 仮に理由を聞かれても、朱音は本心を明かすつもりはなかった。

 明かせるわけがなかった。

 病院で、東瀬織が――いや瀬織様がお見舞いに来てくださった時から、日を追うごとに、いや一分刻みで腹の奥底、股間とへその間あたりの生温い疼きがどんどんどんどん膨らんでいって、朱音の心と体を破裂させてしまいそうだったから、

 もはや我慢の限界に達したのだった。

 登校初日は、教師が気を効かせて保健室で過ごした。

 休み時間になると友人たちが会いにやってきたり、興味本位で覗きに来たりしたが、そんなことはどうううううでも良かった。

(瀬織様瀬織様瀬織様瀬織様瀬織様……瀬織様ぁぁぁぁぁぁっっっ……!)

 頭の中は、愛しいご主人様のことでいっぱいだった。

 かといって、今から高等部の教室に乗り込んで抱き付いたり、昼休みに自分から突撃してサカリのついた犬のように欲望を垂れ流すというのは、人間としての理性がブレーキをかけていたので、

 放課後――ひっそりと、じっとりと、下校する瀬織と景を尾行するのが精一杯だった。

 いじらしくも暗いストーキングが、氷川朱音の精一杯の乙女ティックブルーハーツなのであった。

 100メートルほどの距離を空けて、気付かれないように後をつける。

 尤も景にはともかく、瀬織には気付かれているかも知れなかった。

 瀬織は人間を超えた偉大な存在。闇の中で黒く輝く永遠の女神なのだから。

(ああっ……私に気付いてください瀬織様ぁ……。いいえ、きっともう気付いてますよね? さあ、振り向いてください。微笑んでください。罵ってくださっても構いません……! 私のこと、見てくださるだけで朱音は、朱音わぁぁぁぁぁぁぁっっッッッ!)

 朱音は肥大化した妄想に昂ぶっていた。勝手に。

 世界が茜色に変わった夕暮れ時、朱音が妄想に没頭して目を離した一瞬の後、視界に別の人間が加わっていた。

「え、なにあれ……?」

 100メートル先の路上で、瀬織が見知らぬ少女と対峙していた。

 いや、少女の方は見知っている気がする。

 いつもシュリンクスとか、UKAのアプリを立ち上げる時に出てくるイメージキャラクターに、似ているような気がした。

 同時に、何か妙な違和感を覚えた。

 あの少女を見ると、頭の奥の方がムズムズと疼く。

「あの子……なに? なんなの……?」

 少女の影から、マントを被った大柄な人型がせり上がった。

 その時、朱音の頭の中に命令が届いた。

 それは声ではなく、信号だった。

 頭蓋骨の裏側から、前頭葉を小突かれるような、トン……という、上位存在からの命令信号だった。

「あぁ……はい。分かりました。瀬織さまぁ……」

 夢見るように呟いて、朱音は前に向かって走り出した。



 突如として目の前に現れた、ウカと名乗る明らかなる人外。

 瀬織は正体も定かではない相手に、しかし敵であると本能が感じる相手に、既に戦闘態勢に入っていた。

「景くん……わたくしは、用事を済ませてから帰りますので」

「用事って……」

 不意に、戸惑う景の腕を誰かが掴んだ。

 朱音だった。

 走る勢いに任せて、景は強引に引っ張られていった。

「えっ、朱音ちゃん?」

「命令されたの。だから逃げるの」

「命令って? えっ? えっ?」

「あなたを家まで送るの、東くん」

 朱音は表情も固まっていて、感情のない人形のようだった。

「瀬織! 帰ってくるよね? ねえ!」

 引き摺られながら、景が叫んだ。

 無理に場に留まっては、瀬織の足手まといになるのは景も分かっている。

 背中越しに愛しい痛みを感じながら、瀬織は笑いを零した。

「お夕食までには帰りますわ! ご心配なく!」

 自信を込めて、不安を隠して、景を安心させるように叫んだ。

 程なく、瀬織の周囲から人の気配が消えた。

 目の前の二体の人外の内、ウカという少女は無垢に微笑んでいた。

「人払いをして頂き、ありがとうございます」

 ぺこり、とウカは瀬織に頭を下げた。

 瀬織がその頭を蹴りあげなかったのは、ウカの背後に控える機械の守護者を警戒しているが故だ。

「フン……景くんを消すつもりはない、と?」

「人を幸せにするのが私の役目。人を害するなど、あってはならないことです」

「なんですのそれ。宗教のお題目ですかぁ?」

「あなたも――元はそのために、作られたのではないですか?」

 歯の浮くような台詞と思いきや、ウカの言葉は核心を突いていた。

 そもそも、瀬織自身しか憶えていないような古代のことを、どうして知っているのか……。

「殺す前に尋ねておきますが……あなた、いったい何なんですの」

「私はあなたと同じモノです。でも、あなたと違って機能不全は起こしません。新型……ですので」

 すなわち、瀬織と同じく人に作られた神であると。

 それならば瀬織が感じた異様な気配にも納得がいくが、言い方が鼻につく。

「わたくしを旧型の欠陥品扱い……ですかあ!」

「事実……ですよね? 人の願いを叶える代償に、穢れを貯め込んで、荒神となって暴走してしまう――明らかな欠陥だと思われます。それに、おばあ様が作られたのは紀元前で、私の物理構造がロールアウトしたのは、つい昨年のことです。全て歴然たる事実なのですが……お気に障りました、か?」

 ウカの弁には、一切の悪意も嫌味もない。

 だが瀬織の眉がぴくり、と反応した。

 聞き捨てならない一言があった。

「おばあ様……? それって、わたくしのことですかァ……?」

「あなたは私の原形とも言える存在ですが、製造年式が離れ過ぎています。また技術的な直接的な繋がりもありませんので、おばあ様と形容したのですが……? 不適切、でしょうか? 人の子のように、気に障られましたか? 人のように……」

 いちいち気に障る小娘だった。

 もう話す必要はない。ウカがどんな存在かは分かった。誰が何の目的で作ったかは、どうでも良い。

 今、ここで破壊してしまうのだから。

「マガツチッ!」

 瀬織は、もう一体の眷族の名を呼んだ。

 同時に、ウカの足元の地面が爆ぜた。

 サソリ型戦闘機械傀儡〈マガツチ改〉の地中からの奇襲攻撃。ハサミ型マニピュレーターでウカの首を狙う。

 ウカは戦闘用ではないのか、奇襲に反応できなかった。ただ呆然と、眼前に迫る自己の破壊すら理解できていなかった。

 代わって、その背後の守護者が〈マガツチ改〉の攻撃を捌いた。

 腕を一振り、五条の赤色残像が暮れゆく虚空を引き裂く。

 血のような火花が飛び散り、〈マガツチ改〉が着地。奇襲は失敗。裁かれたハサミ型マニュピレーターに深い爪痕が刻まれていた。

 マントを被った機人の右手の指先には、透き通る赤色の爪が生えていた。

「ふわぁっ! あぶない……っ!」

 今になってウカは腰を抜かして、機人に寄りかかった。

 まるで普通の少女のように。

「戦闘機械傀儡……ですか。でも、その機体では私を傷つけるのは無理だと思いますよ」

「どうして、そう言えるんですの?」

「手の内は……全て分かっていますから」

 厭な言い方だが、瀬織はそれが嫌味でないと分かった。

 目の前の人造神と、その守護者。こんなものを作り出せる資金と技術を、いち個人、いち企業が持っているわけがない。

 ウカの運用組織がどこなのかを考えれば、こちらのデータは全て筒抜けと考えるべきだ。

「どうして……抗うのですか?」

 小首を傾げて、ウカが寝言のように問いかけてきた。

「おばあ様……いえ、瀬織さん。あなたの活動限界は近い。保って二ヶ月といったところでしょうか。でも終わりの時が明日であろうと今日であろうと、私たちには同じことです。結果は変わらないのですから」

「だから、今すぐに死ねと?」

「死ぬ……? 人のようなことを言うのですね? 私は、あなたを祀り、遷御に祝福を捧げにきたのです。同じような神は、二柱も必要ない……との、ことですので」

 ウカは親切丁寧に、全てに素直に答えた。

 それが性格なのか、あるいはそういう風に作られているからなのか。

 どちらにしても、瀬織はウカのことが嫌いだ。

 同じ存在として作られたのだとしても、両者には決定的な違いがある。

 相容れない一線が、ある。

「わたくしという存在が終わるとしても……その日を決めるのは、あなたじゃない」

「祭りの日取り……お気に召しませんか?」

「神として、終の祭日を迎えるのは吝かではなし。ですがァ……今日も明日も変わらぬとほざく! 人の心を理解しない、あなたに祝ってもらう筋合いはない!」

 一日でも長く、愛する人と共にいたい。生きていたいと願う心が、今の瀬織の中に命と成って燃えていた。

 それこそが、胸の奥の熱い疼き。

 それこそが生きることの幸せと苦しみ。愛し、慈しむことの喜びだ。

 ウカは瀬織の怒りが不可解なようで、戸惑いに首を傾げた。

「人を理解し、ニーズを理解し、万民に幸福を分配するのが、私……。でも、あなたを理解できない。人ではない、あなたが人のように苦しむのが、理解できない」

「あなたに、分かってもらう必要はありませんわ」

 瀬織は相互理解の断絶を告げた。

 甘っちょろい対話も考証も議論も、最初から不要にして無用。

 既に戦端は開かれているのだ。

 ウカもまた、己の役目に忠実となることを選んだ。

「祭事を滞りなく行うのが、今日の私の御役目です。1000年前の戦を再現する神楽を奉じ、荒ぶる神の御霊を鎮める。それを以て、遷御と成す……」

 静かに歌うようなウカの声を受けて、背後の機人がマントを脱いだ。

 その正体は、どこか優美さすら感じる白い曲面装甲に覆われた、人型のロボットだった。

 だが、ロボットには顔がない。

 顔にあたる部分は不自然な空きスペースであり、額の単眼カメラがチカチカと赤く明滅していた。

「これは私の戦闘端末。人造天使ウリエル……と、人は名づけました。外装は未完成ですが、無貌でも舞の仕手は務まりますゆえ……」

 〈ウリエル〉と呼ばれたロボットは跪き、ウカを腕に乗せた。

「参りましょう。終の祭りに相応しき舞台へ」

 ウカの声を合図に、〈ウリエル〉が山に向かって跳躍した。一跳び50メートルといったところか。

 場所を移すのは、瀬織としても吝かではない。

「フン……いいでしょう。とことん付き合って、ブチ壊してさしあげますわ……!」

 〈マガツチ改〉の背に乗り、山へと疾走する。

 逃げるという選択はない。そんなことをしても無意味だ。

 日本という国家が敵なのだから、逃げ場なぞどこにもない。

 そして、死という運命からも……逃げられるわけがないのだ。

 既に日は落ち、世界は禍刻の深みに沈もうとしていた。

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